広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2005年度 第27回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2006年02月03日(金9・10時限,B153)
発表者:イウ・マンイー(哲学,D3)
発表題目:善のイデアと魂の認識−『国家』における比喩を通じて
配付資料:A3原稿3枚(片面)
プロトコル:槙尾朋子(西洋哲学,B4)


1. 発表要旨

プラトンは『国家』第六章において,善のイデアこそ学ぶべき最大の事柄だと述べる一方で,我々は善のイデアを十分に知ってはいないと述べている.善のイデアに対する認識を深めるため,三つの比喩の内容をおさえる.

太陽の比喩によると,太陽こそは善の子供である.思惟によって知られる世界において善が知るものと知られるものにもつ関係は、見られる世界で太陽が見るものと見られるものに持つ関係に等しい.太陽が視覚に見る力を与え、見られるものを照らすように,善のイデアは認識主体に認識能力を,認識される対象に真理性を提供する.つまり,善のイデアは認識するという働きの原因である.

太陽の比喩の延長として,ソクラテスによって線分の比喩が語られる.一本の線分を不等の二つの部分に分け,それぞれを可視界と可知界とする.(この際,発表原稿の図では,線分の右側が長くなるように分けられており,左側,つまり短い側が可視界とされている.)さらにこの分けられた二つの線分を前回と同じ比例で切断する.(右側に行くほど線分が長くなるように切断される.)この四分された線分はそれぞれが魂のうちに生じる四つの状態に対応しており,右側(長い側)から順に,ノエシス,ディアノイア,ピスティス,エイカシアが割り当てられる.これらの精神状態はそれぞれの対象が真実性に近づくのに対応して,明証性に近づく.

洞窟の比喩では,人間を洞窟に閉じ込められた囚人に例える.彼らは,火によって洞窟の奥に映し出された影絵だけを見ているので,彼らが本当であると考えるものは写しに過ぎない.このような囚人の一人が解放されたとしても,すぐに太陽の光を見ることはできず,徐々に慣れていく練習が必要とされる.この比喩において,囚人が固定されている所は視覚によって現れる領域を,火は太陽の機能を表している.また,洞窟の外は思惟によって知られる世界を,太陽は善のイデアを表わしている.そして,囚人が洞窟の外の事物を観察することは,魂が可視界から可知界へ上昇していくことを表わしている.善のイデアは,可視界においては光と光の主を生み出し,可知界においては真実性と知性を提供する.

三つの比喩を通じて,プラトンが魂の認識をどのように考えているか理解できる.善のイデアは認識対象よりも超越的であるが,原因でもあるので,善のイデアと魂の関わりを無視してはならない.また,線分の比喩から,視覚によって見られるものも認識対象であると言える.



2.質疑応答

[問]真実性の順序に関して,視覚で捉えるものは美しいものに劣るのか.

[答]真実性とは美そのもの,善そのものの認識に近づくことで,ノエシス,ディアノイアは思惟されるものなので,見られるものより真実に近い.

[問]善のイデアが何であるかまで知ることができるのか.「ある」ということを知るに留まるのか.

[答]太陽を見て,太陽が何であるかわかるように,善のイデアが何であるかも知ることができる.

[問]ノエシスとは何か.

[答]問答することによって,前提が絶対的に正しいということにたどり着くとき,それをするのがノエシスである.

[問]ノエシスはなぜ真実性に近いのか.

[答]ディアノイアの段階で仮定を立てるが,そのときは真偽を問題としない.ノエシスはその仮定の真偽を問答しているから,真実性に近い.

[問]線分の比喩について,真実性に近い側を短くするように切断してはいけないのか.

[答]真実性の多少を表すため,真実性に近いほうが長い.見られる種族と知られる種族とでは、知られる種族のほうが真実性に近いため長い.

[問]量の点では真実性から遠いほうが多いはずだが,真実性から遠いほうを長くするように切断しないのか.

[答]量ではなく,質の問題なので,真実性から遠いほうを長くはしない.

[問]線分の比喩に関して,なぜ一度目と同じ比例で切断しなければならないのか.

[答]ソクラテスの言葉に従うと,同じ比例で切断することになる.

[問]洞窟の比喩において,囚人が解放されるきっかけや理由は何か.

[答]テキスト上に述べられていない.

[問]なぜ善のイデアが学ぶべき最大の事柄なのか.

[答]善のイデアが加わってない場合,有益なものにはならないから.

[問]善そのものと善のイデアは同じか.

[答]保留.

[問]善の子供は善よりも一段低いのではないか.

[答]上下関係はない.両者は類似関係にある.

[問]太陽の比喩では,太陽を善と善のイデアのどちらに例えているのか.

[答]ソクラテスは箇所によって善と善のイデアの両方を用いている.

[問]善はいかなる智恵かをなぜ示すことができないのか.

[答]皆,善とは何であるかがわからないから.

[問]「見る」と「知る」に関して,「見られる」が抜けて「知られる」だけになるのか.

[答]善のイデアに至ることは容易なことではないが,至った後は再び洞窟に帰らなければならない.

[問]なぜ視覚だけに限定して論述しているのか.

[答]例えば聴覚は第三の媒介が必要ではないので,第三の媒介が必要なものとして,視覚に限定した.

[問]アリストテレスは他の感覚にも媒介を認めている.

[答]聴覚の媒介である空気がない状況は想定できないが,太陽がなくて見えないという,視覚の媒介がない場合は想定できる.

[問]視覚以外の感覚は問題にされないのか.

[答]されない.

[問]「生み出す」とはどういうあり方か.

[答]例えば,暗いと何も見えない.電気の明かりで見えるようになる,つまり,視覚に生まれる.

[問]その場合,見えなくても見えていないものは存在しているが,善のイデアは善さを作り出すのか.

[答]保留.

[問]イデアという言葉をどう理解すればよいのか.

[答]例えば,美しいものがある.それは美しいと思われるときもあれば,美しいと思われないときもある.イデアには美しいと思われない場合がない.

[問]エイドスとはどのようなものか.

[答]認識の場面について使われるもの.

[問]善のイデアはどこにあるのか.

[答]直接的には述べられていない.

[補足]「あるということさえ越えてはるか彼方に」とある.

[コメント]線分の比喩について,ディアノイアとピスティスの間に,真実性という点から説得力を持たすことができるかどうかを疑問に思う.



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