広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2008年度(後期) 第27回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2009年01月23日(金9・10時限,B253)
発表者:サイセイヘイ(比較日本文化学,M1)
発表題目:近代中国における魏源の探索
配付資料:A3原稿3枚(片面)(A4, 6頁)
プロトコル:阿南貴之(西洋哲学,B3)

1. 発表要旨

 本発表は,アヘン戦争直後,つまり近代初期の中国を主な舞台とし,最初「開眼看世界」を主張した魏源における探索の内容と意味を明らかにして,近代初期における日中両国の相互影響を検討していきたい.近代世界認識の先駆的な著作として広く知られている,魏源の『海国図志』は「師夷長技以制夷」を主張し,伝統的な中華意識を事実上覆すこととなった.

 しかし,当時の中国において魏源及びその『海国図志』は冷遇されて,同時代人にほとんど影響を及ぼしていない.逆に佐久間象山,吉田松陰,西郷隆盛など幕末から明治維新までの動きに影響を与えた人たちの現実思考を助けた.運命差がなぜこれほどまで大きかったかというと,日中近代知識人の立場とかかわりがあると思う.即ち,日本の知識人は現実態度によって選択することができる立場にあり,中国の知識人は中華思想の優越性への確信を持ち,固有文化を超越できないからである.


2. 質疑応答

[問]p.2, l.57で,アヘン戦争当時,中国人には,転換期であるという意識がなかった,というが,その原因は何か?

[答] 中国の歴史上でいろいろな外圧があったが,アヘン戦争もそのひとつにすぎないと意識されていたからである.

[問]伝統的な中華意識をもっていた士大夫がいる中で,『海国図志』は,中国で広い範囲で影響がなかったのは何故か?

[答]士大夫たちは,当時の中国はおくれているとは思っていなかったからである.

[問]p.5, l.146の,中華思想の優越性への確信があるのは何故なのか?

[答]思想文化は,経済とかと違っているからである.今の中国では,中華思想の長所を吸収して,西洋や日本からも学んでゆかなければならないが.

[問]アヘン戦争自体は,中国人にとって重大なことと受け取られなかったが,日清戦争で日本に負けたことがショックであったというのであれば,そこで, 『海国図志』が中国で見直されることはなかったのか?

[答]実は中国では『海国図志』を読んだ人は多くなかった.また,中国人は日本に関心をもっていなかった.そして,日清戦争以前に,『海国図志』は絶版になっていた.日清戦争の後,日本から当時の思想を輸入した.

[問]p.5で,「東洋道徳・西洋芸術」を主張したという象山の「西洋芸術」に関して,西洋技術を越えるところにまで到達していたというのはどういう意味か?

[答]芸術だけでなく,広い意味で技術を意味し,さらに技術だけにどどまらないということである.

[問]p.5, l.178の「日本三島」とは何か?

[答]薩摩島,対馬島,長崎大島の三つで,魏源の日本についての知識はあやふやであった.

[問]p.3, l.88,『海国図志』は,それぞれの版で,発行部数はどれくらいか?

[答]わからない.

[問]自国を世界とみる中華思想はどのようにして形成されたのか?

[答]中国が中心というのは,経済的,文化的に優れていたからである.

[コメント]中国を中心として,東西南北に,それぞれ,東夷(とうい),西戎(せいじゅう),南蛮,北狄(ほくてき)を配する.

[問]『海国図志』の中国と日本での受容の仕方の違いは,両国の知識人の文化のかかわりの違いにあるということであるが,中国ではアヘン戦争当時に,『海国図志』が注目されず,その後,日本人が『海国図志』を熱心に読んだというのは,その頃に,中国が西洋諸国に侵略されつつあったからではないか?

[答]西洋諸国の侵略に対して日本人がもつ危機感は,中国人のそれよりずっと強かったからではないか.

[問]魏源と象山の違いとして,超越の立場の有無ということを指摘しているが,p.5, l.164の「東西価値への超越」とは具体的には何か?

[答]東西価値は文化の価値であり,魏源にとって,中国は文化の価値では英国より上であるが,技術は負けていた.象山にとって(日本は),文化の価値も技術も英国のほうが上であった,という違いがある.

[問]p.3, ll.85-86,魏源自身は,西洋についての知識を何から得ているのか?

[答]『海国図志』は,魏源自身の知識によるのではなく,いろいろな資料をもとにしてまとめたものである.

[問]『海国図志』が,中国,日本の知識人に与えたインパクトの大きさの違いは何によるのか?

[答]両国の知識人の危機感の違いによる.日本の知識人の外の世界に対するイメージは,(中国の知識人のそれのように)漠然としたものにとどまらないからである.

[問]p.3, l.74で,梁啓超のことばとして,中国の知識人はこの『海国図志』によって世界の知識を得た,ということだが,孫文や毛沢東のように,魏源のような士大夫は,農民や人民に訴えかけることはなかったのか?

[答]魏源は,士大夫,つまり,知識人,官僚を対象としている.

[問]p.2, l.63,中国人にとっては,アヘン戦争が格別衝撃を感じることではなかったとあるが,そうなのか?

[答](林則徐と)魏源は例外である.

[問]『海国図志』には,インドに関する記述はどれくらいありますか?

[答]インドについての部分があるかどうかわかりませんので調べます.

[問]p.2, ll.61-62,中国は,他国に負けても,日清戦争以前には,ショックを受けることはなかったのか?

[答](日清戦争に負けてショックを受けたのは)日本への関心がなかったからであり,日本は小国であったからである.

[問]清朝は満州族のものだが,漢民族の位置はどうなっているのか?

[答]満州族は,漢族と文化的に同化して,清朝の官僚の大部分は漢民族になっていた.

[問]中国の知識人と日本の知識人のあり方が違うというのはどういうことか?

[答]日本の知識人は民間にあり,中国の知識人は政府に主導されたもの,という違いがある.

[問]中国において,キリスト教はどう扱われたか,また,西洋医学はどう扱われたか?

[答]明末にキリスト教がもたらされるが,宗教としては政府によって禁止され,技術だけが伝えられた.

[コメント]皇帝以外を崇拝するという問題から,イエズス会は,宗教ではないものとして伝えようとしたため,技術的なことが伝えられたが,宗教としては,いわゆる地下宗教のような形で存在した(太平天国の乱などに影響が見られる).

[問]国としてのアイデンティティーは,中国にとっては何だったのか?例えば,日本の天皇制のように.

[答]はい,その点は検討します.

[問]魏源が,『海国図志』の直接の資料としたのはどういう文献だったのか?

[答]林則徐の指示によって編訳された『四州誌』をはじめとする,すでに中国語に翻訳されていた資料による.

[問]魏源(の『海国図志』)が,日本にとってどれだけプラスになっているのか,また,中国にとってどういう意味があったのか,という大きな問題についての主張はわかる.しかし,例えば,佐久間象山の理解について,p.5, l.161の「窮理学」は,西洋のphilosophyにあたるが,その対象とする範囲が広いということがどこまで言えるのか?魏源の中華思想がどういう影響を与え,また限界をもっているかを具体的に押さえる必要がある.

[答]はい.今日は,いろいろ本当に勉強になりました.これから頑張りたいと思います.



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