広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
(仮設Webページ)


哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2007年度 第28回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2008年02月01日(金9・10時限,B253)
発表者:池田信義(哲学,M1)
発表題目:『存在しているものと本質について』 神と創造について
配布資料:A4用紙6枚(片面)[A4×6頁]
プロトコル:赤井清晃(哲学)

1.発表要旨

 この発表は、トマス・アクィナスの初期の主要な小論文である『存在しているものと本質について』を取り上げる。その第二章においては、「少なくとも第一の単純なものが複合されたものの原因である。即ちそれが神である」ということが、唐突に書かれていると思われる。このことについて、発表題目の副題にあるように、神の創造という観点から捉え発表することを意図している。トマスは、本質(エッセンティア)と存在(エッセ)とを区別し、可能態である本質に対して、それを現実に存在化させる働き(作用)をエッセに対して持たせているのである。従って、存在しているものとは、「本質」と「存在の働き」とで構成される複合物である。それはトマスの存在に対する洞察であり、それは神による事物の創造という視点から考察の範囲をさらに拡大しているのである。

2.質疑応答

[問]エンス,エッセンティア,エッセの違いと関係は?

[答]エンスは「存在するもの」,エッセンティアは「本質(何であるか)」,エッセは「存在(ある)」で,エッセンティアにエッセが加わってエンスになる.

[問]概念有は,エッセがないというのはどういう意味か?

[答]概念だから,実在有ではなく,命題の真を表わすという意味である.

[問]命題の真とは何か?

[答]命題が正しいか正しくないかを表わすこと.

[コメント]命題の真理に,ある,と,ないが関係するのは,命題の対象があるかないかによるのであって,概念有自体は,実在に関係なく,ある.頭の中でとらえられる場合には,エッセンティアというよりもむしろ,概念という言い方をする.従って,エッセンティアというときは,実在するものについて使う場合が多い.

[問]エンス,エッセンティア,エッセの関係に対して,フォルマとマテリアの関係はどうなるのか?

[答]エッセンティアの中にフォルマとマテリアがあり,そのエッセンティアとエッセによってエンスになる.

[コメント]事物の世界では,フォルマのはたらきはマテリアにはたらきかけて現実化させることである.

[問]p.4, l.134の「第一質料の先在という前提の必然性は消滅する」のは何故か?

[答]神的存在が創造したとすれば,「第一質料の先在という前提」はない,という意味である.

[問]可能態としてのエッセンティアに,そこにどうやってエッセが起こる(与えられる)のか?

[答]エッセをもたらすのは,神の創造である.

[コメント]フォルマとマテリアに対して,エッセンティアとエッセを持ち込むのは何故かというと,神による事物の創造があるから.概念が人間の思惟内容と言えるが,世界の事物は神の思惟内容である.人間の場合は,頭の中で考えただけでは足りないが,神の場合は,他に何も必要としない.「ある」ということは,すべて神と何らかの関係をもっている.創造するということは,事物にエッセを与えるということである.

[問]l.158, 168などの個物とは何か?

[答]具体的に存在するもののことである.

[問]p.3, l.102の「われわれにとって、単純実体よりも複合実体のほうが、近付づきやすい」のは何故か?また,ll.106-7の「単純な実体の本質のほうが、複合されたものより、より真、より高貴な仕方で本質を持っている」のは何故か?

[答]「我々にとってより先なるもの」から「本質上より先なるもの」へという学問上の順を表わしており,第一単純実体である神が最も真であり高貴であるという意味である.

[問]「第一」は,時間ではなく,存在の秩序において「第一」というとき,時間においても第一である,と言ってはいけないのか?

[答]時間的ではなく,存在の秩序において「第一」という言い方をする.

[問]l.61の「すべての実体は自然本性であり・・・」は,どういう意味か?

[答]知性は,「何であるか」という点で理解するという意味である.

[問]トマスは「何性」と「本質」は同じと言っているのか?

[答]同じと言っているところがある.

[問]エンス(例えば,机)になるのは,エッセンティア(例えば,机性)とエッセ(ある)が要ると考えてよいか?

[答]そうである.

[コメント]両面ある.それ自身として存在するということも必要である.「場」のようなものがエッセである,とも言える.但し,形相が規定して現実化する第一質料の場合とは違い,あらかじめエッセの場があるとは言えない.エッセとエッセンティアでは,エッセンティアのほうが可能態である.

[問]トマスにおいて,エンスは神によってあらしめられているもの,と考えよいか?

[答]そうである.

[問]はたらき(あるいは,場)といわれたエッセは,神のはたらきと考えてよいか?

[答]『神学大全』では,神は始動因としてものをつくるので,はたらきと言ってよい.

[コメント]作用とかはたらきと言っているが,はたらきや作用とむすびつくactus essendiという表現はあるが,actio essendiはないので,日本語に引きずられて作用と考えると,トマスの意図とは違ってきてしまうんではないか.作用といえるとしても,限られた意味でのみ可能だろう.



戻る→ 哲学・インド哲学「論文ゼミ」