認知発達理論分科会 第5回例会報告

   第5回例会世話人            
    杉村伸一郎(第5回例会担当幹事:神戸女子大学)
shin.sugimura@nifty.ne.jp
    足立自朗(会長:埼玉大学)
adachi-j@oak.zero.ad.jp
    斎藤瑞恵(事務局:お茶の水女子大学)
mizuesai@syd.odn.ne.jp

目 次

1 第5回例会概要

2 報告者として参加して

3 ショートレクチャー要約

4 例会参加印象記

5 例会報告資料(添付書類)

例会の開催日とテーマ一覧へ

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1 第5回例会概要

■日時:9月15日(土)午前10時〜午後5時

■場所:早稲田大学西早稲田キャンパス14号館8階会議室807

■出席人数:22名

■検討文献

タイトル:Conceptual Development: Piaget's legacy.
編著者:Scholnick, E. K., Nelson, K., Gelman, S. A., & Miller, P. H.
出版社:Lawrence Erlbaum Associates, Inc., Publishers 刊行年:1999 ISBN:0-8058-2500-2
詳しくは,下記のページをご覧ください。
http://www.erlbaum.com/Books/searchintro/BookDetailscvr.cfm?ISBN=0-8058-2500-2

■当日の進行

第2章 Conceptual development in the child and in the field: A personal view of the Piagetian legacy
 Robbie Case 報告者:伊藤 崇(筑波大学心理学研究科)
 10時15分から10時50分まで発表,その後11時25分まで討論

第3章 A new foundation for cognitive development in infancy: The birth of the representational infant
 Andrew N. Meltzoff and M. Keith Moore 報告者:宮崎 美智子(東京工業大学社会理工学研究科)
 11時35分から12時50分まで発表,その後13時5分まで討論

第5章 Explanatory understanding in conceptual development
 Frank C. Keil and Kristi L. Lockhart 報告者:小坂 圭子(広島大学・日本学術振興会特別研究員)
 13時50分から15時まで発表,その後15時10分まで討論

第13章 Sources of conceptual change
 Susan Carey 報告者:小沢 恵美子
 15時15分から16時25分まで発表,その後16時50分まで討論

ショートレクチャーおよび総括的討論
 「認知発達研究におけるピアジェ遺産相続の問題点」 中垣 啓(早稲田大学教育学部)
 16時55分から17時40分まで,その後18時10分まで討論

 

各章とショートレクチャーの主な論点

概観

 私たちの足下には,ロックもデカルトも埋まっていません。そこで,足が地に着いた研究を行うには,研究の源流を時々は意識する必要があるように思います。第2章では,経験主義的,合理主義的,社会歴史的という3つの大きな流れが,現在どのようになっているのかを概観しており,自分の研究の足下をみつめ,今後の展望を描く上で役に立つと思われます。

 経験に先立つものをどの程度仮定するかによって,合理主義者と経験主義者を区別することができます。第3章では,乳児期の表象能力を検討した実験を紹介し,経験をとおして表象が構成されると考えたPiagetを批判しています。実験における様々な工夫に感心させられる一方で,実験結果に多様な解釈の余地が残されていることが問題になり,論点の一つになりました。

 第5章と第13章では,概念発達,中でも,概念変化のメカニズムが取り上げられています。概念変化を質的変化とみなすのか量的変化とみなすのか,また,質的変化と捉えた場合,質的に異なる段階や相の関係をどのように考えるのか。このような,古典的であるが未だに解決されていない問題が,2つの章の背後に横たわっているように思いました。(杉村伸一郎)

 以下の文章は,京都大学大学院教育学研究科の西垣順子さんにとっていただいた議事録をもとに杉村が編集しました。

第2章

 以下のやりとりに見られるように,経験論と合理論の流れが,現在の4つの流れにどのように結びつくのかに関して議論がおきた。
加藤:新しい4つの流れについて,生得的モジュール論を合理主義の流れに位置づけるのはどうか。要素論を受け継ぐと言う意味では,経験論的だ。認知の発生をたどると(新生児に行きついてしまうから)生得性を位置づけるしかなくなったというのは,(生得性は合理論の主張だけれど)大きな流れでは経験論ではないのか。

足立:生得論的なフォーダやチョムスキーからすれば、ピアジェは経験論的色彩の強い合理論と見えるだろう。ピアジェは弱い論理から強い論理が発生すると主張したけれど,それを攻撃したのがフォーダだね,弱い物から強いものが出てくる何てことはないと。

加藤:フォーダやチョムスキーは合理論と言えるけれど,乳児や新生児の研究が行きついた果ての生得説は合理論とは言えない。

足立:それよりも合理論の流れの特徴としてパラダイムシフトというのが出てくるのはおかしいのではないか。ケアリーの説の特徴として出てくるなら分るけれど。

中垣:ここはあくまでピアジェの合理論を引きついだ流れの中のひとつにケアリ的な理論理論説というものも含まれるということでしょう。

中垣:認識の起源を合理論は主体に,経験論は環境に置くのだが,新ピアジェ派はピアジェの理論を経験主義の立場から解釈しなおしただけで,これを合理論と経験論の統合と呼ぶのはどうか。経験論を中心において,そこに作動記憶容量のような一般的制約の存在を取り込んだだけだと思うが。

発表者(伊藤):人がコミュニケーションをするとき,そこには人の内面と外(対人やり取りなど)があって,合理論は前者を,社会歴史アプローチは後者をそれぞれより強くコミュニケーションに使用するのだと主張しているに過ぎないのだと思います。経験論は外から内へとりこむことしか対象にしていないと言えるのでは…。

 

第3章 「物の永続性」があって「表象の保持」が可能なのか,またはその逆なのかという辺りを,議論が行き来していた。最終的に「表象の保持」が可能になることで,物の永続性が理解されるのだが,前者は後者の必要条件であって十分条件ではないというところに落ち着いた。

 また,物の同一性について以下のような議論があった。
メルツォフは,5ヶ月児は物の永続性は理解できないが,物の同一性は分る段階にあると主張している。ただその根拠として,ベラージョンの背の高いウサギと低いウサギの実験やはね橋実験を持ち出すのかがわからない。この実験結果は物の永続性でも解釈できるし,ベラージョンはそうしている。物の同一性からでも解釈できるのではあるが。

 最後に大浜先生から以下のようなコメントがあった。
ピアジェは感覚運動があると言ったのではなくて,感覚運動知能があると言った。そして,それから表象が発生すると。晩年には発達段階と言ったらこの変化のみをさすくらいに,こだわりを持っていた。メルツォフの場合は表象は最初からあると言っているが,そうすると感覚運動知能なんてないと言いたいのか,または,あると思うなら言語や表象とどんな関係になっているのか,初期の表象と言語的表象にはどんなつながりがあるのか,そのあたりをはっきりとさせないと,何も新しくないのではないか。

 

第5章

 (1) Associative components,(2) Specific mechanism knowledge,(3) Framework modes of construal,の3者の関係はどうなっているのかが問題となり,中垣先生が以下のような図で整理した。

 

(1)  

↓ 発達 ← (3) 制約

(2)

幼児による心理的病気と生理的病気の区別に関する研究について,中垣先生より,以下のようなコメントがあった。
この実験が証拠になるのか。生理的な病気のことは日常親などから(バイキンマンがいるとか)言われるけれど,心理的病気のことなんて幼児は聞いたことがないだけではないのか。フレームワークの存在よりも,単に経験の問題だろう。

 

第13章 

議論の最初に,小島先生より本章に関して以下のような解説がなされた。
小島:ケアリーはかつて,概念発達,概念変化をクーンのパラダイム変換のアナロジーを使って説明しようとした。最近それを反省している。特に共約不可能性を強調しすぎたことを。クーン自身が後にはパラダイム変換においてそれほど完全な共約不可能性を想定しなくなった。そもそもT1とT2が全く共約不可能だったら,T1からT2が発生するなんてありえない。そこで,T1とT2では核のところは共約不可能なのだけれど,そうではないところもあると考えているようだ。その上でT1からT2への概念変化をどう説明するのか,より実証的な次元でどう説明するのかというところで,ケアリ自身がまだ答えを出していない。

 その後,議論がCaryとHatano & Inagakiとの違いに移った。
足立:Hatano & Inagakiを引用しているということは,早期(幼児期)に素朴生物学が存在するということは認めるようになったのではないのか。あと理論変化がどうやっておこるのかという点からは生気論が素朴生物学から大人の生物学概念へ移る中間段階なのかどうかというのが問題で,もしそうなら理論変化のメカニズムに示唆があるのだけど。その点についてはケアリも答えを出していない。あとケアリが問題の方向転換をはかっているところがあって,霊長類研究にも関心を寄せているね。対Hatano & Inagakiで考えるなら,おサルさんが生気論を持つかとか。どのように概念変化が起こるのかはわからないから,いつ始まるのかに問題をシフトさせてしまったのではないだろうか。

中垣:<Hatano & InagakiとCaryの違いを図に書いて説明し>この両者の間では事実認定から大きな違いがある。私はケアリの方が真実を得ていると思うけれど。

藤村:そんなに決定的な違いでしょうか。Hatano & Inagakiのデータとしては5歳くらいで生気論的なものがみられるわけでそれ自体は事実として争いようがないのでは。

中垣:あれは,ただこういう実験をしたらこうだったというだけのことで,あれをもって植物を含む素朴生物学を持っているとは言えない。

 藤村先生はケアリとHatano & Inagakiに決定的な違いはないとするのに対して,中垣先生はHatano & Inagakiの5歳児の回答は,単に日常生活で大人から言われることや経験することに基づいて答えているだけで,素朴生物学などと呼べる理論を使っているわけではない,と主張。

 また,布施さんは以下のようにまとめた。
私自身は藤村先生と同じ考えで,ケアリとHatano & Inagakiにそれほど違いがあるとは思わな。ただ,ケアリは素朴生物学が素朴心理学から分化すると言っているのに対して,Hatano & Inagakiは最初からあると言っているという違いはあると思う。

 

ショートレクチャー

 表象の発生に関して以下のような議論がおきた。
加藤:新ピアジェ派は表象を知覚との連続で考えていて,ピアジェの表象とは全然違うというのはその通りだと思う。では,ピアジェの説の中で表象の発生が説明されているのかというとそうではないよね。行為にその源があると言うけれど,どうして行為が表象に移行するのかという説明はないのではないか。

中垣:確かにそうだが,研究の方向は示している。

足立:イメージと言うのは分りやすいのだけれど。けれどそれでも(内化のための)手段が存在しないんだ。もともとイメージを持っていないのに,行為をイメージ化するというのは説明できない。

大浜:やはりやり取りとかシンボリックプレイを通じてというのはあるように思うが。

足立:そうだとするなら,ある条件のもとである行為を内化するシステムというか,そういうメカニズムを生得的に持っていると言ってしまえば分りやすいと思うけど。

加藤:その際には,行為が対象から切れる契機が何かをはっきりとさせないと。

足立:だからある条件のもとで,ということ。種が固有に持つ表象能力というのを仮定すれば,すっきりするけど。おもしろくない(妥協したくない)のだろうけど。

小島:ヘレン・ケラーの話があるけど,あのWaterというのはいきなり現れたのではない。ヘレンはサリバンに会う以前に黒人の同世代の少女との間で身体レベルのやりとりをしていて,それを通じて表象のような外界をOrganaizeするものを持っていた。

足立:事前に身体レベルのものは必要でしょうが,何がそれを表象につなげるのかというところでね。

加藤:身体と言うときにピアジェが言うような操作のみでいいのかというところは考えないとね。

足立:ヘレンケラーの場合でもどこで触運動知覚が表象になったのかだね。

小島:運動 ー イメージ ー シンボルという連続のうち,イメージ ー シンボルというところにだけ生得性を持ち込むのはどうだろう。

足立:(そうではなくて)内化するというところにね,内化が始めにどうやっておこるのか,それを説明しないと。

 

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2 報告者として参加して

 ■第2章(Conceptual development in the child and the field: a personal view of the Piagetian Legacy)を報告して

伊藤 崇(筑波大学心理学研究科)tito@human.tsukuba.ac.jp, dunloe.ito@nifty.ne.jp

 私が今回担当した章のこの本における役割は,認知発達についての諸理論とピアジェとの関係を明確にすること,ピアジェ以後の諸潮流を統合的に展望することであったと思います。報告では,単なる研究成果の羅列にならないように注意したつもりでしたが,力不足の感は拭えませんでした。

 章自体がレビューであったために,議論はどうしても抽象的になりがちでしたが,フロアからのご意見はいずれも核心をついていたように思われます。端的に表現すれば「ピアジェは合理主義なのだろうか」とまとめられるかと思います。たとえばケイスはチョムスキーを合理主義の系列に含めますが,ピアジェは彼とも対決の姿勢をとっていたことから,ケイスのまとめの甘さが指摘されました。

 ところで社会歴史的アプローチは社会学ではないか,というご意見がありましたが,報告者自身は,社会学でもいいと考えています。人間の心の姿を露わにしようとするには,ひとつの視点と方法論では不十分だと考えているからです。また,報告後のご指摘にしたがい,添付のレジュメでは"general-specific"と"universal-individual"を訳し分け,"community of praxis"を「実践のコミュニティ」と訳して訂正してあります。

 

■第3章(A New Foundation for Cognitive Development in Infancy: The Birth of the Representational Infant)を報告して

宮崎美智子(東京工業大学大学院社会理工学研究科)miyazaki@psyche.tp.titech.ac.jp

 3章では前言語期における乳幼児の表象能力、概念変化に関する理論についての再検討が行われていた。Meltzoff、Mooreの主張は、乳児の表象能力が感覚運動期を通じて獲得、発達していくと主張したPiagetとは異なり、表象能力は生まれついて持っており、発達を通じて変化するというものである。表象能力が生まれつき存在する証拠として、彼らの乳児模倣に関する実証的データから、乳児が観察のみで模倣が行えることが示された。また、表象能力が発達を通じて変化していくものであるということを示すために、一連の「物体の永続性」に関する実験の再検討を行っている。

 この章で最も大きな問題になったのは、物体の永続性を「理解する」とは何を意味するか?また、それは乳児の行為としてどのように現れるか?という点に集約できると思う。Meltzoffは物体の永続性理解の証拠として挙げられているBaillargeon、Spelkeによる選択的注視実験が永続性理解の証拠とはならないことを強調していた。Baillargeonらの実験で乳児が示す行為は、物体の存在論的な理解ではなく、ただ単にさっき見たものと違う、という知覚のミスマッチによって引き起こされるものだと解釈している。例会では、Meltzoffがどのようなロジックからこのような主張を行うかについて討議が行われたが、報告者の力不足もあり、この点について明確な結論を得ることはできなかった。

 ただ、この章を通じて私が特に強く感じたことは、乳児研究の難しさである。乳児の研究ではことばを媒介とすることができない。そのため、現象の説明するために研究者側の「解釈」の割合がどうしても高くなる。このことは乳児研究の背景にはしっかりとした理論的な基盤が特に重要であることを暗示する。今回の発表では、これまで(子どもではなかったが)現象の観察を研究の中心としていた私にとって、理論研究の重要さを改めて突きつけられる結果になった。

 末筆ながら、今回発表の場を与えてくださった方々、拙い発表に耳を傾けてくださった方々に心よりお礼申し上げます。

 

■第5章(Explanatory Understanding in Conceptual Development)を報告して

小坂 圭子(日本学術振興会特別研究員・広島大学)kkosaka@hiroshima-u.ac.jp

 第5章において,(おそらく)新しい主張として強調されていたのは以下の2点でした。

1 概念の構成要素として,「特性の結合情報」,「解釈の枠組み(framework explanation)」,「説明的知識(explanatory knowledge)・メカニズム理論」の3者を想定する。

2 上記の構成要素は発達を通じて存在しており,「特性の結合情報」から「説明的知識・メカニズム理論」へと発達的にシフトする際に,「解釈の枠組み」(因果的潜在性,因果的力関係,因果的パターニングなど)が制約を与える。

 以上の理論を裏づけることを目的としていくつかの実験が報告されていましたが,それらの実験または実験結果の解釈が真に理論の裏づけとなっているのかという点について問題提起がなされました。例えば,いくつかの実験から子どもが“理論”を獲得することが説明されていましたが,この“理論”と“経験知”との違いが曖昧であることが指摘されました。また,この点にも関連して,概念の構成要素として上述の3種を想定することの必然性についても疑問が投げかけられました。

 個人的には,これまで提起されていた理論に対するどのような反証が得られたことによって本章の理論が必要となったのかという背景をもう少し知りたく思ったことと,抽象概念(平和,愛情)や事象概念(ピクニック,パーティー)等についても同様の獲得過程,メカニズムを想定できるのかという点について疑問が残りました。

 今後に向けての反省点ですが,レジュメ内容の洗練もさることながら,本文内容についてのリファレンスが必要であったと痛感しています。レジュメ本文を読み上げての発表だけでは理解していただきにくかったようでした。最後に,このような機会を与えてくださった世話人の方々,コメントをいただいた先生方,当日ご参加いただいたみなさまに感謝申し上げます。個人的な拙い理解に留まらず,みなさまからのコメントにより,より深い理解に至ることができ,非常に勉強になりました。ありがとうございました。

 

■第13章(Sources of Conceptual Change)を報告して

小沢 恵美子 gibier@rc4.so-net.ne.jp

 報告を終えて、何はさておきフロアーの方々に感謝してます。理解出来ていない報告者からの疑問や質問へのコメントだけではなく、全体の総括的コメント等いろいろと助けて頂き、本当にありがとうございました。

 いまだに離れ小島のままの理解ですが、この章での中心は2点あるかと思います。まず1点は、T1からT2への変化についてです。先行研究の結果からも、確かにT1とT2は異なっていると言えます。現象は確かにその通り、ではそれを支えているものは何か?また、T1からT2への変化は急激に生じるものなのか?その間をつなぐもの(中間項)はあるのか?等、考える必要があると思います(このへんは研究会でも話題になったかと記憶してますが・・・)。

 もう1点はT1からT2への変化に何が必要なのか、だと思います。Careyはアナロジカルマッピングとブーツストラップメタファが必要だと論じてます。しかし、これらでは子どもの概念変化は説明できない、とも言ってます。提案しておきながらそれらでは説明出来ない、というのはどういう事なんだろう??と疑問を感じてましたが、Carey自身も模索中であろうというコメントを頂き、「・・・そうか」と思いました。しかし「・・・そうか」で止まるのではなく、アナロジカルマッピングとブーツストラップメタファの検討をする必要はあると思います。

 論文の内容からは離れますが、この論文で学んだ事は「前向きの姿勢」です。とりあえずの考えであってもそれを表現して提案していく姿勢は、腰の重い私には厳しいものがあります。でも、これぐらいの気構えでいかないと荒波にのまれてしまう、ということなんだろうな、とあらためて感じました。

 

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3 ショートレクチャー要約

 中垣 啓(早稲田大学教育学部)nakagaki@mn.waseda.ac.jp

 認知発達研究におけるピアジェ遺産相続の問題点

 英米の心理学に触れる以前にピアジェの発生的認識論・発達心理学に親しんだという,変わった経歴の持ち主に期待されることは、そのような経歴の者から見ると英米の心理学はどのように見えるかということであろう。ここでは、認知発達研究に関して、ピアジェ理論を発見し,同化するに際して、英米の研究者が受け入れたものではなく、受け入れ損なったもの、さらにその結果として英米の認知発達研究にもたらされた甚大な問題点(と思われるもの)に焦点を当て、そのいくつかを指摘したい。もちろん「英米の認知発達研究(者)」といっても十把一絡げにできないことは十分承知しているが、話を単純化するためあえて以下でこうした表現を使うことをお許しいただきたい。なお、この報告は認知発達理論分科会第5回例会でのショートレクチャーでお話ししたかったことではあるが、当日の話の忠実なレジュメではないことをお断りしておきます。

1 論理数学的認識の認識論的位置づけがないこと。

 英米の認知発達研究において論理数学的認識は諸々の知識形態のうちの一つでしかない。それに対して、ピアジェ理論において論理数学的認識は、自律的な発達を示すという意味でも規範的認識に達するという意味でも、他の知識形態とは根本的に区別される。英米の認知発達研究者は論理数学的認識の特異的存在と言う考え方をピアジェ理論から受け継がなかったために、なぜピアジェが論理数学的認識の発達を基準に発達段階を設定したのか、なぜピアジェが各段階における全体構造論を措定したのかが理解できないのである。

 もちろんここで、ピアジェの発達段階論や全体構造論を継承しなかったことを問題としたいのではない。そうではなくて、英米の認知発達研究では論理数学的認識の特異性を如何に説明するか、論理数学的認識の源泉をどこに求めるかという認識論的問題意識そのものが欠如しているため、規範的認識の成立という認識論的に最も興味ある問題にこたえられない認知発達研究となっているということである。また筆者が個人的に興味のある問題に答えていないといっているのではなく、そのような問題意識を欠いていては、特定の領域についていくら詳細な研究を行っても認知発達研究としては土台を欠いた浮き草のような研究に留まらざるを得ないであろうということを指摘したいのである。それに対して、ピアジェ理論は、これを受け入れるか否かとは無関係に、現在のところ規範的認識の獲得を説明しようとする唯一の認知発達理論なのである。

2 論理数学的認識と経験的認識との関連付けがないこと。

 論理数学的認識がその他諸々の知識形態と併存する一つの知識形態でしかないことと相即して、英米の認知発達研究者が子どもにおける何らかの経験的認識の発達を研究する場合、その発達を子どもの論理数学的認識と関連付けようという発想がそもそもない。それに対して、ピアジェ理論において論理数学的認識は経験的認識を可能にする同化シェマと同根であり、広義の論理数学的認識こそが経験的認識の獲得を可能にするのである。J.H.FlavellはPiaget's Legacy(下記参照)においてピアジェの同化・調節モデルは英米の認知発達研究者に受け入れられ、知識獲得における子どもの能動性は今や当然のこととして認められているという。しかし、知識獲得における子どもの能動性を認めることはピアジェの同化・調節モデルを受け入れたことにはならないであろう。(ピアジェ理論と対極にある行動主義的学習理論でさえ、知識獲得における子どもの能動性を認めることは可能であろう。)そのため、ピアジェの同化・調節モデルを概ね受け入れるという研究者であっても、、同化のための道具が何であり、それがどこからくるのかという認識論的問題を正面から検討することがなく、全く表面的な受容に留まっているのが一般的である。

 もちろんここでも、英米の研究者がピアジェの同化・調節モデルを真に受け入れたかどうかを問題にしたいのではない。そうではなくて、英米の認知発達研究者は諸々の知識形態をバラバラに研究し諸認識の相互関連を問題とすることがないので、各研究者がそれぞれ興味を持っている狭い範囲の知識領域をこまごまと研究し、その範囲の事象を説明する「理論」を提出することに留まる。その結果、英米の認知発達研究はこうしたミニ「理論」であふれかえっているものの、それらを統合する枠組みがなく、全体としての認知発達理論はお互いに関連の見いだせない、それどころか、相互に不整合であったりする、多数のミニ「理論」のパッチワークになっているということを問題にしたいのである。

3 表象理論がないこと

 英米の認知発達研究者の多くは表象機能は生まれたときから与えられているもの、生得的なものとしている。確かに、ピアジェ没後に見いだされた、乳児の有能性を示す数々の実験結果(早期の物の永続性や延滞模倣、乳児因果性など)は、乳児期に既に表象があると仮定すれば、容易に説明できる。しかし、表象という認知機能にとって強力な武器を生得的なものとして仮定することによって、逆に、これまで知られている乳児の特徴的反応(有能性と対比していうなら乳児の無能性)を説明することが極めて困難となった(表象があるなら第6段階の物の永続性課題になぜ初めから成功しないのか、表象があるなら乳児にとって新奇な行為の模倣がなぜあれほど遅れるのか、表象があるなら単純な回り道課題でさえなぜ乳児は失敗するのか等々)。それだけではなく表象機能を生得的なものとすることによって表象の源泉や形成過程を問うという問題意識そのものが多くの認知発達研究者から排除されてしまっている。その結果もたらされたものは、今日知られている「表象」概念の限りなき混乱であり、「表象」使用の限りなき恣意性である。英米の認知発達研究における「表象」は、いわばエクス・マキーナ(困ったときの神頼み)の役割を果たしている。それに対して、ピアジェは表象の源泉を感覚運動的知能の発達に求め、感覚運動期から見られる能記と所記との分化過程の一つの到達点として表象の成立を位置づけた。このように、ピアジェの表象理論は彼の認知発達理論全体の中に自然な位置づけを与えられている。

 ここでもまた、英米の認知発達研究者がピアジェの表象理論を継承しなかったことを問題としたいのではない。問題はピアジェの表象理論を継承することもそれに対する代替理論を提出することもなく、表象機能について真摯に検討するを怠ってきた結果として今日見るような混沌を招いたという点である。英米の認知発達研究の文献を読むと、少なくとも表象に関わる部分については、各研究者がそれそれ異なる言語で議論しているように筆者には思えるのである。

 以上、英米の心理学に触れる以前に,ピアジェの発生的認識論・発達心理学に親しんだ筆者から見て、今日の認知発達研究に対して最も違和感を持つところをいくつか指摘した。Psychological Scienceは1996年ピアジェ生誕100年を記念して特集を組み、その中でJ.H.FlavellもPiaget's Legacyというタイトルで一文を寄せている。その結論のところでFlavellは「ピアジェの貢献の多くは、今や認知発達に対する我々の見方の一部になりきってしまったので、(却って)ピアジェの寄与がほとんど見えなくなってしまっている。」と書いている。Flavellがピアジェを大いに賞賛するつもりでこういったことは十分承知しているが、筆者には正当な評価とは思われない。むしろ、筆者から見れば、「英米流ピアジェ理論があまりにも普及してしまったので、ピアジェの本質的貢献がほとんど見えなくなってしまっている。」というのが正当な評価であろう。

 

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4 例会参加印象記

野田 満(江戸川学園人間科学研究所)GBG00205@nifty.ne.jp

 第27回のJean Piaget Symposium(1996にフェラデルフェアで開催された26th AnnualSymposium of the Jean Piaget Society Conceptual development: A PiagetianLegacy )が基になっているテキストが取り上げられた。新ピアジェ派に関する最新の動向が論文集になっているという意味では興味深かった。今回参加した動機でもある。ただ何か新しい知見が得られたかというとまだ十分に消化しきれていない感がある。あるとすれば理論間の相違点がより洗練されたかたちで整理されてきているという印象を持ったことだろうか。

 Case,R(Chap.5)ら、新ピアジェ派は合理主義と経験主義の折衷的立場をとるという点では異論は無い。また、経験論や合理論、社会歴史的アプローチそれぞれのモデルと対応させて、熟達化やコネクショニズム、モジュールやパラダイムシフト、ストリートマスや徒弟性での方略等を主要な説明概念として位置付けている分析は、認知心理の諸派の流れを言い換えているようにも感じた。

 Meltzoffらの立場の再確認は、やはり表象論を語る上では重要であると思った。運動成分を伴なった表象とは質的に異なる表象になるのだろう。用語の定義にも絡んできそうだ。KeilらやCareyで扱われている、概念発達は知らない分野である。門外漢かもしれないが、異種混交性はメタ認知の側面から、発達を進める基礎の部分を考えてみると面白いのではないか、と思えた。それはすでにCareyのアナロジーによる概念変化を想定している背景にも共通しているように思う。Careyの翻訳を当日出席されていた小島氏が出しておられる。小島氏のコメントでは、概念変化について彼女はまだ明確なことを言っていないとあった。最後に中垣氏のショートレクチャーとなった。それとは別に、各章ごと、要点を図式化してのコメントをだされ、こちらも大変有益であった。

 やはり表象の発生をどうとらえていけばいいか、それに関連して、折衷主義でもある新ピアジェ派が、どこまで合理論としての立場を明示できるか、生得的という主張をどこまで言いきるかが興味引かれるところではある。自分の問題でもあるのだが。

 

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5 例会報告資料(添付書類)

 

必要に応じてダウンロードしてください。ダウンロードの方法

第2章 テキスト

第3章 テキスト PDF形式

第5章 テキスト Word

第13章 テキスト Word

 

【編集後記】

 認知発達理論分科会第5回例会の幹事を勤めさせていただきました,神戸女子大学の杉村伸一郎です。遅くなりましたが,第5回例会の報告ができあがりましたので,お届けいたします。
 これまでの報告では,電子メイルで本文と添付ファイルを送っていただいていたのですが,私の環境がよくないためか,うまく受信できないことがありました。そこで今回は,試験的にホームページを作成し,そこからダウンロードする方法に変更してみました。
 電子メイルの方がダウンロードしなくてよいので楽だ,ホームページが継続されれば,自分で例会報告のメイルや添付ファイルを管理する必要がなく,いつでも参照できるので助かる,等いろいろなご意見があると思います。また,ホームページもいろいろと工夫の余地があるでしょう。皆様のご意見やアイディアをお待ちしています。
 最後になりましたが,本報告書作成に当たってご協力いただいたコメンテイター,報告者,例会参加者の皆様に改めてお礼を申し上げます。

 神戸女子大学 杉村 伸一郎  shin.sugimura@nifty.ne.jp

 

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