勉強する意味

勉強は何のためにするのでしょうか.そもそも,その問いかけをしていること自体,勉強するということと,それ自身将来役に立つということがすぐには結び付きにくいということを表していると言えます.

何のために勉強するのか,という答えは,100人いれば100人違う答えが返ってくるような気がします.ということは,普遍的な答えはたぶんないのだと思います.

勉強したら,何か直接的な役に立つと思って勉強することもあるでしょう.たとえば,料理人になりたいと思っている人が調理師学校に行くなど,専門学校に通うというのはわかりやすい例です.

一方で,大学で学ぶということは,その講義が将来何の役に立つのか少しわかりづらくなります.たとえば,電気系の学科に進学したほとんどの学生が取得する(そして多くの場合必修の)回路の講義は,おそらく回路理論を知ることが電気を理解するうえで必要になるし,回路図を知らないと基本的な図面を読むこともできないので仕事でも支障が出る可能性があると想像できます.

しかし,教養科目が将来の仕事に直接役立つ姿を想像することは普通の人にとっては容易ではありません.でも,これも多かれ少なかれ理系の学生にも必修となっています.

それは,その講義を受けることによって,様々な世界があることや,様々なモノの見方や考え方があることを知ることを期待しているのかもしれません.

ちょっと脱線ですが,教養という言葉をgoogleで引いてみると「学問・知識を(一定の文化理想のもとに)しっかり身につけることによって養われる、心の豊かさ。」とあります.一方,教養とは何かについて横浜市大のサイトでは「教養とは問題解決能力である.」と書かれています.ずいぶん違うものです.

やはり,ここまで考えてみても,直接的にすぐに役立つ能力を養うために勉強をするのではなさそうだということがわかります.

なぜ勉強をするのかについて自分自身明確な答えをもっているのではないのですが,勉強することによって,社会に役立てることができる日が来るかもしれない,それはまわりまわって自分のためにもなるだろうという淡い期待が込められています.よい結果を期待はしますが,良い結果になることを確信しているから勉強しているというわけではありません.

言い方を変えると,役に立たないかもしれないけど,何かで役に立つかもしれないし,役に立つと言っている(かなり信ぴょう性の高い情報源たる)人もいる,だから勉強しているというのが正直なところです.おそらく,ここのところが大事なのだろうという気がしています.

確実なリターンが無くても,平均的にはプラスのリターンが得られるだろいうという確信が得られているから勉強する,そのような感じです.

ただ,勉強する内容については,年と共に,そして環境とともに変わるのは自然なことです.その時々に応じて,より役に立つ可能性が高いと思われる何かを勉強し続けられると,きっと結果はおのずとついてくるであろうと想像できるのではないでしょうか.