西洋古代中世哲学演習B

 1   (ab 2001.01.04.)

工事中(2014.10.02. 00:00 a. m. 現在)


2014年度後期・西洋古代中世哲学演習I
テクスト:イアンブリコス〜アリストテレス『プロトレプティコス』
(G) Iamblichi Protrepticus, ed. H. Pistelli, 1888, Leipzig: Teubner.
(G-F) Jamblique, Protreptique, E. de Places, 1989, Paris : Les Belles Lettres.←基本テクスト
(G-E) Duering, I., Aristotle's Protrepticus, An Attempt at Reconstruction, 1961, Goeteborg: Elanders Boktryckeri Aktiebolag.
(G-D) Duering, I., Der Protreptikos des Aristoteles, 1969, Frankfurt a. M.: Vittorio Klostermann.
(I) Berti, E., Esortazione alla filosofia(Protreptico), 1967, Padova : R. A. D. A. R.
(I) Giannantoni, G., Aristotele, Frammenti, Protreptico, in Aristotele Opere, Volume Quarto, 1973, Bari : Laterza


2014年10月01日(水)
打ち合わせ.


2014年10月08日(水)
B64 くらいから.B65から,らしい.留学生の入学手続きとかで授業できず.


2014年10月15日(水)
B65から.途中,kubernetou soteria. まで.aph' hou の意味と用法について,時・条件に解する,英訳(Ross, Duering),何らかの構成要素に解する伊訳(Berti, Giannantoni),「〜にとって」と意訳する独訳(Duering)と仏訳(Des Places)の3通りを確認するが,どれがよいとも決めかねる.3つの和訳(宮内,川田,廣川)は,英訳に近い.Pl. Phaed., 76Cの aph' hou は,「〜のときから」の「から」の意味があると思うので,近いが,ちょっと違うような気がする.


2014年10月22日(水)
B65の途中から.


2014年10月29日(水)4コマ目は,「哲学」「西洋哲学」分野中間発表会か?
B67〜.
B68,de Places, p. 73, l. 19 のbeltionが,何だか分かっていないのは,土人レヴェルということか.やはり,哲学史の研究をなめているとしか言いようがない.本人の意識としては,自分はわかっているつもりなんだろうが,私から見ると,文法的に正しく(こんなに基本的な)ギリシア語を読めていないのだが.なぜ,こういう事態が起こっているのか,私が文法をきちんと教えていないから,という私の責任の範囲を超えている.同じ私に文法を習っても,きちんと読めている学生もいるのだから.ギリシア語の文法を知らない者が自分はわかっていると勘違いして読めたつもりになっている,としか言いようがない.文法を知らないのは,もはや,本人の責任である.自分が訳した日本語が論理的に整合性のある内容であるかどうか,おかしいということに気付かないのだろうか.センスがいいとかセンスがわるいとかいうのは,ひとつには,こういうことである.Bertiの註43のイタリア語もむちゃくちゃな読み方をしているように見受けられる.学問をしている雰囲気にひたっているだけのようだから,お引き取り願いたい.この仕事は,その能力と,正しい意味(註)でのやる気のある者にしかできないし,そうでない者が手を出すと,しかるべく仕事進めている者の邪魔をして,作業の進行を妨げるので迷惑である.

(註) 逆に正しくない意味はというと,例えば,「自己独特の思想などを誇るのは,浅薄な虚栄心に過ぎず,前人未到の新奇をもとめる功名心は,哲学の動機としては,甚だ俗悪であると言わなければならない」(田中美知太郎『ロゴスとイデア』あとがき,文春ライブラリー版,p. 370)ということがあてはまると思われるが,今の状況は,このレヴェルでさえなく,もっと俗悪で,ただ,学位を取ったり,学会で発表したり,論文を学会誌に掲載したり,著書を出版したりして,どこかの大学に教員として就職したい,というだけ(心の中でそう思っても,口に出すのと出さないでがまんするのとではまったく違う).「哲学者の関心すべき第一義は,ただ真実を明らかにし,善をもとめることにあるのみ」(同上)


2014年11月05日(水)創立記念日だが,いや,だからこそ授業あり.
B68の途中,pason gar beltion からやり直し,のはずだったが,Bertiの註43(p. 64)だけで終わり.Bertiを正確に読めていない.ギリシア語もイタリア語もきちんと読める学生を相手に授業をしたい.


2014年11月12日(水)
あらためて,B68の途中,pason gar beltion からやり直し,で,ございます.


2014年11月19日(水)
B69の途中,theoretiken tina ara phateon〜(de Places, p. 74, l.1〜).


2014年11月26日(水)
B72, eti ei tis agapai tode ti 〜(de Places, p. 74, l. 9〜)


2014年12月03日(水)
B71の途中,Ei toinun estin alethes doxa phronesei homoion, 〜(de Place, p. 74, l. 15〜)


2014年12月10日(水)
B74の末尾,dia ten aisthesin の意味・解釈の検討から.
B75, Tes de aistheseos he tes opseos diapherei 〜(de Places, p. 74, l. 23〜)

某受講生によると,de Placesの仏訳(1989)は,ギリシア語からフランス語へ訳したというよりも,Bertiのイタリア語訳(1967)からフランス語へ訳したような感じがするという.de Placesは,文献表で,BertiのLa filosofia del primo Aristotele(1962)しか上げていないぞ.スペイン人には見抜かれてるぞ,っということか.


2014年12月17日(水)雪のためメンバーそろわず,日本の伝統文化について学ぶ.
B77, palai de eipomen hotiper duoin aei 〜(de Places, p. 75, l.3〜)


2015年01月07日(水→月)振替で,月曜日の授業.


2015年01月14日(水)
B77, palai de eipomen hotiper duoin aei 〜(de Places, p. 75, l.3〜)
B78, hoti toinun tois helomenois 〜(de Places, p. 86, l.10〜)

つい,Ananiusにひっぱられて,DueringのB番号順に読んでしまったが,de Places校訂のイアンブリコスのテクストに戻って,DueringのB番号でいうと,B97の前に戻ってほしい.


2015年01月21日(水)
B78, hoti toinun tois helomenois 〜(de Places, p. 86, l.10〜)を復習.
l. 11, malista が何を修飾するかで,従来の解釈と読みが異なる.
B79, Phainetai dittos 〜 ten opsin. (de Places, p. 86, l. 12 〜 l. 16)を続けて読む(de Places校訂のイアンブリコスのテクストに戻って,DueringのB番号でいうと,B97の前に戻りたいのだが,相変わらず,学生がこれを無視して,DueringのB79, B80という順で予習してくるので,仕方がない.de Places校訂のテクストとDueringのテクストを比較するという配慮が欠けている.比べてみればすぐに分かるはずだ).


2015年01月28日(水)今回で今学期(今年度)は終了.
B79 の途中,Homoios de kai to epistasthai 〜 (de Places, p. 86, l.16〜) B80 の途中,〜 delon hoti kai to zen akolouthesei dittos legomenon. (de Places, 〜 p. 86, l.23) まで.相変わらず,B79, B80と読み続けている.

1) 01月14日の項に,「de Places校訂のイアンブリコスのテクストに戻って,DueringのB番号でいうと,B97の前に戻ってほしい」と言っているのに,無視されている,というか,分かっていないらしい.(これは,ギリシア語の読解力以前の問題だ)

2) de Places, p. 86, ll.17 〜 18 の不定詞を限定の対格に読むことはあり得ない,l. 18 の ei がどこまで支配するか分かっていない,l. 23 のakolouthesei は,ここでは単独であり,与格を伴っていないことが分かっていない,同じく,l. 23 の dittos は,l. 12 で既出だが,-os (- オース) が副詞の語尾だと分かっていない.

と,いうわけで,さようなら.



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