原民喜の「手帳」(「原爆被災時のノート」解題)


 原民喜(1905〜51年)は昭和20年8月6日、広島市幟町の長兄・信嗣宅で原爆に遭遇、幸いにも「厠(かわや)にいて」無事だった。避難の折に、携帯していた手帳に目撃した惨状を鉛筆で書き綴った。

いわゆる「原爆被災時のノート」といわれる手帳であり、原爆投下直後の様子がリアルタイムで言葉として記録された数少ない貴重な被爆資料である。6日は京橋川の岸辺で、7日の夜は広島駅北側の東照宮に野宿して書かれ、8日以降は長兄が確保していた避難先の八幡村(現・広島市佐伯区八幡)で書き継がれた。この記録が基になって「夏の花」「廃墟から」などの小説や構成詩「原爆小景」に結実したわけで、いわば原爆文学・戦後文学の原点にも位置する資料である。

 冒頭、原爆被災前にペンで書かれたと思われる「店ノ金庫ノ中/タバコ/遺言状」とあるが、「遺言状」の存在は確認されていない。

 民喜の手帳は3冊残されているが、「原爆被災時のノート」は昭和19年発行のもので、縦13、幅7のごくありふれた手帳である。最初の2ページに自分の体重や身長、視力などと英語の記述があり、次のページから「一日一語」といった感じで日記ふうの記録がある。昭和20年1月31日、亡き妻貞恵の骨壷を抱いて午後9時発の列車で東京を離れて傷心の帰郷を果たす日も含めて、連日連夜に及ぶ空襲なども時刻を記すのみで済ませている。他の2冊にも、同様の“備忘録”が記されている。

昭和20年5月1日には「ムッソリーニ殺される」「ヒットラーが死んだ、万才」とあり、被爆後、八幡村(現・広島市佐伯区)に疎開し、暮らしの困窮が始まった終戦直前(8月13日)には「この頃の食糧、おかゆが一日に三杯、あとはいも」といった走り書きもある。そして、30枚目から詳細な被爆の記録がつづられている。

 疎開先に持っていく荷物を書き留めたり、戦後作品の基調をなすような独白めいた記述もある。文学史的興味だけでなく、戦中・戦後史の一断面をもうかがうことのできる資料である。なお、いわゆる「被災時のノート」の解読にあたっては、最小限の脚注を加えた。特に人名については現存する方もおり、民喜との関係を記すにとどめた。    

 (広島花幻忌の会事務局長 海老根勲)

 

 

 


実物のノート
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書き起こし文 (全文)

店ノ金庫ノ中

タバコ

遺言状

8月6日8時半頃

突如空襲 一瞬ニシテ

全市街崩壊

便所ニ居テ頭上ニサクレ

ツスル音アリテ頭ヲ打ツ

次ノ瞬間暗黒騒音

薄明リノ中ニ見レバ既ニ

家ハ壊レ、品物ハ飛散ル

異臭鼻ヲツキ眼ノホトリ

ヨリ出血、恭子(1)ノ姿ヲ認

ム、マルハダカナレバ服ヲ探

ス 上着ハアレドズボンナシ

達野(2)顔面 ヲ血マミレニシテ来ル

 

(1)恭子=民喜の妹
(2)達野原商店の職員(原家は陸海軍御用達で軍服
  などの縫製工場を営んでいた)

 

 

江崎(3)負傷ヲ訴フ 座敷ノ

縁側ニテ持逃ノカバンヲ拾フ

倒レタ楓ノトコロヨリ家屋ヲ

踏越エテ泉邸(4)ノ方ヘ向ヒ

栄橋ノタモトニ出ズ、道中

既ニ火ヲ発セル家々アリ、

泉邸ノ竹薮ハ倒レタリ ソノ中

ヲ進ミ川上ノ堤ニ遡ル、学

徒ノ群十数名ト逢フ、ココニ

テ兄(5)ノ姿ヲ認ム、向岸ノ火ハ

   雷雨アリ、川ヲミテハキ気ヲ催ス人。

熾ンナリ、川ハ満潮 玉

葱ノ函浮ビ来ル、竜巻

オコリ 泉邸ノ樹木空ニ

舞ヒ上ル、カンサイキ来ルノ

虚報アリ、向岸モ静マリ

向岸ニ移ラントスルニ河岸ニハ

(3)江崎=原商店の職員(原家は陸海軍御用達で軍服
  などの縫製工場を営んでいた)
(4)泉邸(せんてい)=縮景園のこと。1620年、浅野
  家別邸の庭園として築造された。1940年、国名勝
(5) 兄=次兄・守夫

 


爆風ニテ重傷セル人、河ニ

浸リテ死セル人、惨タル風景

ナリ。(ココマデ7日東照宮野

宿ニテ記ス、以下ハ八幡村

ノ二階ニテ)筏ヲアヤツリテ

向岸ニ渡ル、兵隊アリ重傷シテ

肩ヲ借セト云フ、我肩ニヨリテ

歩ミツツ、死ンダ方ガマシダト

呪フ、湯ヲアタフ、柳町ノネエヤ(6)

ハ火傷シ、桜(7)ヲ抱キテココニ

ノガレ居リタリ、華(8)ハ橋ノタモトニ

テ別 レタリト。饒津(9)ノ樹ノ時

折燃エントスルアリ。砂地ニ

潮満チ、堤ニノボル。既ニシ

テ夜トナル。傷ケル女学生

窪地ニ臥セリ。アア早ク朝ニ

ナランカナ、オ母サント泣キワメク

水ヲクレ、水ヲト火傷ノ男、

夜モスガラ河原ニテワメクア

(6)柳町ノネエヤ=原家のお手伝いさんで、後出の原田
 好子と同一人物
(7)桜=桜子 (8)華=華子。二人とも民喜の姪
(9)饒津=饒津 にぎつ)神社 。広島駅北側の二葉の
  里に位置し、藩祖・浅野長政の霊をまつる

 


リ、オ母サン、オネエサン、ミツチ

ャン、ト身内ノ名ヲヨブ。女ノ負

傷者ハ兵隊サン助ケテ、助ケ

テヨ、ト哀号ス。夜ハ寒シ、恭

子ト兄トハ黒ノカアテンヲカムリテ

睡ムル。ワレハイツノマニカネム

ツテシマツタ。警報アリキ

翌、七日 兄ト恭子ハ焼跡ヲ廻

リ、柳町ノ負傷者ハ東照宮(10)下ニ

治療所アレバ出向ク、ワレハ傷

(砂地ニテ火ヲタキ 飯ヲモラフ)

ケル兵隊ヲ肩ニ、トキハ橋ノト

コロマデ行ク、ココニテ兵隊ハ

救助車ヲ待ツ、饒津公園ニ一

ヶ所水道ノ出ルトコロアリ ビー

ル瓶ニ水ヲクム。東照宮下ニ

行ケバ華ガ無事ニ一夜ヲ人ニ

保護サレテ居タコトヲ知ル。華モ

顔ニ火傷セリ。三原ヨリ医師

ノ応援アリテ、施療ス。

(10)東照宮=二葉の里にある。民吉らは6,7両日
  ここで野宿した

 

路傍ニ臥セル重傷者限リナシ。

頭モ顔モ脹レ上リ、髪ノ毛ハ

帽子ヲ境ニ刈リトラレテ居リ、警

防団ノ服ヲ着タ青年石ノ上ニ

倒レ、先生、カンゴフサン、誰カ

助ケテ下サイト低ク哀願スル

アリ。兵隊サン助ケテ、トオラブ

若キ娘アリ。巡査ハ一々姓名

住所ヲ記入シテ、札ヲ渡ス故

行列ハ進マズ、暑シ。華ト兄ト

原田好子漸ク手当ヲ受ケテ

境内ニ帰ルニ、木蔭ラシキモノ

モナシ、崖ニ材木ヲ渡シテ屋根

トシ、ソノ下ニ一同潜ム 江崎

モコノ時手当ヲ受ケテココニ来

ル.警報アリ、爆音キコユ。握飯

一人ニ一個クレル。隣ニハ両手ト足

ヲヤラレ、傷ケル男アリ、

パンツガ半分躯ニクツツキ、フ

 

 


ラフラ。安藤(11)、三四郎(12)ムスビヲ

持チテ来ル。石段下ノ湧ク水ヲビ

ール瓶ニ汲ミ、カバンヨリクサグサ

ノ品ヲトリ出ス。アタリニハ負傷者ノ

倒レ、死ニユクモノ。女子商業(13)ノ生

徒水ヲ求メテウメク。顔ヲ黒焦

ゲニシテ臥セル婦人。万身血

マミレノ幹部候補生。フン尿、蝿

不潔カギリナシ。東照宮ノ欄

間ノ彫刻モ石段ノ下ニ落チ、燈

籠ノ石モ倒レルアリ。隣ノ男

食ヤ水ヲ求ム。夕グレトナレバ

侘シ。女子商ノ生徒シキリト水ヲ

求ム。夜ハ寒々トシテ臥セ

ル地面 ハ固シ。翌朝目ザメ

テ肩凝ル。広島駅ノ方ヘ行

ツテ見ルニ、広島ノ街ハ満目

灰白色ナリ、福屋ナドノビル

ワヅカニ残ル。馬一匹、練兵

場ニサマヨフアリ。駅ニハ少年水

(11)安藤=原家の職員
(12)三四郎=民喜の甥
(13)女子商業=1925年(大正15年)に創設された
  
現・広島女子商業のこと。被爆当日は鶴見橋
  付近の建物疎開作業に動員されていた1,2年
  生362人をはじめ400人余が犠牲となった

 


兵作業ヲナス。横川ヨリ汽車

アル由キイテ帰ル。臥屋ニ帰

レバ陽アタリテ暑シ。昨夜ノ黒

焦顔ノ婦人既ニ死ニ、巡査

シラベルニ、呉ノ人ナルコトワカル。

学徒モ日ナタニ死ニタリ。念

仏ノ声モキコユ。シカルニ何ゾヤ

練兵場ニハラッパヲ吹クアリ。

安藤ニギリメシヲ持参。何気ナク

食ヒ、コノ悲惨ナル景色ヲ念頭

ニオクトキ、梅ノ酸胸ニツカヘテ

ムカツキサウニナル。水ヲ飲ム。

石段下ノ涼シキトコロニ、一人

イコフ。我ハ奇蹟的ニ無傷

ナリシモ、コハ今後生キノビテ

コノ有様ヲツタヘヨト天ノ命

ナランカ。サハレ、仕事ハ多カルベシ。

練兵場ニ行キ罹災証明ヲモラ

ツテ居ルト空襲ケー報、爆音ア

リ、身ヲ臥ス。オートミイルヲ




出シ、鍋ヲ借リテ、作ル。ウマシト

一同讃ズ。ヒルスギ、廿日市ヨリ

(14)来ル。アブラ菓子ト桃ノ救援

ニ息ヅク思ヒアリキ。馬車ヲ傭ッテ

アレバ、八幡村ヘ移ルコトトナル。

暫クシテ馬車モ来ル。一同ハ之

ニ乗ル。馬車ハ饒津ヲスギ、橋

ヲ渡リ、白島ヨリ電車道ニ出ル。

泉邸ノ路ヘ入ルアタリ、練兵ヨリニ

何カヲ認ム。降リテカケツケルニ、

文彦(15)ノ死骸アリ。黄色ノパンツ

トバンドガ目ジルシ。胸ノ

アタリニ、桃位 ノ塊リアリテ、ソコ

ヨリ、水噴ク。指ハカタク握リ

シメ、顔ハ焦ゲ、総ジテ大キ

クフクレタ姿ナリ。ソノホトリニ

修中生徒(16)ト女ノ死骸。女ノ

身悶エシママ固クナレル姿

アハレニモ珍シ。爪ヲトリテ、ココ

ヲスグ。福屋モ内部ハスベテ

焼ケタリ。

(14)兄=この兄は長兄・信嗣
(15)文彦=民喜の甥。陸軍偕行社の運営になる済美小学
   校
1年生。被爆当日、同校の校舎内には児童150人
  と教員5人がいたが、ほぼ全滅した。文彦もその一
   人で、大家族の原家にあって唯一、直接の被爆死者

(16)修中生徒=現、修道・高校の前身である修道中学
   の生徒。被爆当日は1年生32人、2年生136人が引
   率の教職員10人と雑魚場町付近に動員されていた
   が、ほぼ全員が死亡した



電車ノ焼ケタアト、マダ火ノ気ノ

強キトコロナド。国泰寺ノ楠モ

倒レタリ。墓石モ散ズ。市役所

辺ニハ人多シ。浅野図書館

モ死体収容所ト貼出サレ

テアリ。住吉橋ノアタリ、死

骸アリ。馬ノフクレテ死セル。

(17)ノ姿アリ。馬車ニノル。

不思議ト橋ハ落チテ居ナイ。

橋ノトコロニ、負傷者ヲ入レル

小屋モアリ。草津アタリマデ

(※注=初めは己斐と書いて「草津」

に改めている)

来ルト、漸ク青田ノ目ニハ

イル。トンボノ空ヲナガレル。

人家ハ破損スレド、既ニ惨

タルモノハ薄ラグ。宮島線ノ

電車ハスズナリ。海岸ニ厳島

モ見ユ。夕刻八幡村ニ

馬車入ル。看護婦来リテ

(17)茂=民喜の甥。




タダチニ、火傷ノ手アテ。

九日、廿日市ニ行キ、台八ニ荷ヲ

ツミテ帰ル。

汽車ノ窓カラ、アノ朝、落下傘

ガ三ツ落チテ来タト云フ。又人ノ

話デハ、落下傘ヲ見テ間モナク

強烈ナ光線ガ見エ、次イテ

音響ガシタト云フ。誰モガ自分

ノ家ダケ爆弾ガ落チタト思

ッタ。光線ニ皮膚ヲアテタモノ

ハコトゴトク火傷シタ。

ソノ火傷モダンダンヒドクナル

性質ノモノラシイ。紙屋町デ

ハ バスノ行列ガ立ッタママ

死ンデ居リ、前ノ人ノ肩ニ死骸ハ

手ヲカラメテヰル。西練兵デハ二

部隊ガ殆ドヤラレタ。川

ノ梯子ヲ昇リカケタママ、死ン

デヰル姿モアル。



私ノ見タトコロデモ

死骸ハ大概同ジヤウナ

形ニナッテヰタ。頭ガヒドクフ

クレ、顔ハマル焦ゲ、胴体モ

腕モケイレン的ニフクレ上

ッテヰル。

火傷者ノ腕ニ蛆ガ湧イタリス

ル。

十三日後ニナッテモ広島市デハ

マダ整理ノツカヌ死骸ガ一

萬モアルラシク、夜ハ人魂ガ

燃エテヰルト云フ。

学徒モ四名死亡。

浅水(18)ノ婆サンモ、前田ノ嫁達モ。

火傷者デナクトモ毛髪ガ

抜ケタリ、喀血シテ死ヌル

人ガソノ後増エテヰル。

広島ヘ埋メタ品ヲ掘リニ

出掛ケタ人モ、元気デ行クガ

(18)浅水=浅水は原家の向側の家。前田は親戚 (民喜
  の母方の実家)

 



帰リハ病人トナッテヰルトカ。

唇ノ端ヤ手ノサキヲ一寸

怪我シテヰタ人モ、傷ガ

急ニ化膿シテ死ンデ行ク。

川ノ魚ハ二三日後死ンデ

浮上ッタガソレヲ喰ッタ

人ハ死ンデ行ク。日蔭ノ

ナクナッタ広島ノ上空ヲ鳶

ガ舞ッテヰル。蛙ハ焼ケ

タ後間モナク地上ヲ這ッテヰ

タラシイガ、コレモ死ヌル

モノラシイ。

今本(19)ハ女房ノ死体ヲ探スノニ

何百人ノ女ノ打伏セニナレル

ヲ起シテ首実検ヲシタガ 腕

時計ヲシテヰル女ハ一人モナ

カッタト云フ。

(19)今本=原家の職員