1.『戦前日本在留朝鮮人関係新聞記事資料集』(第1・2分冊)刊行
(2008年3月)
1.刊行部数
2分冊で18部刊行
2.対象記事
『大阪毎日新聞西部版』
・1942〜1944年(150件+250件+190件=590件)
・1940〜1941年(260件+177件=437件)
・1937〜1939年(201件+236件+187件=624件) 計8年分 1,651件
3.資料集構成
@ まえがき
A 目次 ※まえがき・目次のページ番号はローマ数字で表記
B 記事目録 ※ここから、1ページ目開始 A4・22枚(22ページ)
C
記事
D 奥付
4.作業手順
@ 日付、新聞名、版名、通し番号(44−0309など)、ページ番号を記した台紙作成
A 記事を台紙に貼り付ける作業
B 両面印刷作業 ※コピー用紙はA4タテ目70キロ
C 発注および納品
5.配布先
@ 貸出用、その他 7冊
A 広大中央図書館 1冊
B 韓国送付 2冊(民族問題研究所、東北亜歴史財団)
C 国内送付 5冊(守屋敬彦(日本近現代史研究者)、横川輝雄(強制
動員真相究明福岡県ネットワーク会員)、坂本悠一
(九州国際大学)、塚崎昌之(15年戦争研究会会員)、
水野直樹(京都大学)
D 研究会保管 3冊(広島韓国・朝鮮研究会の会長、事務局長、第1分科長)
戦前日本在留朝鮮人関係新聞記事資料集
広島韓国・朝鮮社会研究会 編
「刊行にあたって」
21世紀初頭のグローバル社会では、産業のIT(情報技術)化と金融の証券化の波が世界の隅々まで及ぶなかで、超国籍企業・銀行による「富の世界一極集中化」が加速すると同時に、大多数の世界労働可能人口の「社会・自然環境権」の縮小・剥奪が顕在化している。この到達点と方向性は、2008年9月のリーマン・ショックから始まった世界金融危機とその後のG20(世界20カ国政府の首脳会議)やIMF(国際通貨基金)による景気扶養と金融救済策によって、はっきりと読み取ることができる。
今後、ITの産業化に伴う知的所有権をめぐるR&D(技術開発)と、産業のIT化に伴う金融資産取引権をめぐるM&A(買収・合併)が一層加速していくに違いない。また、G20やIMFによる世界債務通貨の量的制限と、機関投資家や一般投資家を巻き込んだ投資先の量的制限の「天井」が破られ、債務の証券化や流動化が今まで以上に加速することになる。そして、コインの表裏のように、G20(世界政府)とIMF(世界中央銀行)の世界金融資本からの膨大な借り入れとヘッジファンドなどの投機マネーの損失を埋める大多数の世界労働可能人口にとっては、一層所得が低下し、その一方で支出は急増することになる。知的所有権と金融資産取引権の自由な市場取引を保証する世界経済管理体制の構築に加えて、グリーン・ニューティールの名のもとで、温室効果ガスの排出量取引権までが市場で自由に売買できる新しい世界環境管理体制の構築が急がれている。世界各国の政府や自治体は、この温室効果ガスの大幅削減のための負担増を国民や市民に一方的に強要している。
このようにして、現段階の支配的資本である世界金融資本による「富の世界一極集中化」とは裏腹に、世界各国や都市では、「労働可能人口間の世界重層化」が広がり、貧しい社会的弱者(マイノリティ)同士の排除型格差社会化が深まりつつある。東アジアにおいても、非正規労働者の「派遣切り」や「期間工切り」のニュースが連日新聞やTVを埋め尽くしている。このなかで、世界労働可能人口間の重層構造の最下部に包摂されてきた外国人移住労働者は真っ先に解雇され強制的に出国させられている。
このような厳しい状況下で、在日韓国・朝鮮人(以下、「在日」と称す)には、かつてのような計り知れない差別や苦悩が再び浮き彫りになりつつある。しかし、新たな世界情報経済体制下の下部環節となった日韓政府や自治体が、「在日」が直面する深刻な諸問題の解決に取り組むことを期待することはできない。従って、私達は、2007年10月に「広島韓国・朝鮮社会研究会(Hiroshima Association of Korean Society
Studies)」(以下、HAKSSと称す)を発足させ現在3年目を迎えている。HAKSSは、世界平和都市を旗印に掲げている、日本の広島の地(瀬戸内海を囲む中四国を含む)から草の根の東アジア人の真の平和を構築するために、マイノリティとして生き続けてきた「在日」の現代的な課題に焦点をしぼりながら、「在日」の形成過程、戦後の人権・福祉・教育・その他諸問題を調査・研究するボランティアの研究組織である。主に、@「在日」の包摂過程に関する資料の発掘・刊行(第1分科)、A玄界灘や瀬戸内海を経由した日韓交流史に関する調査・研究(第2分科)、さらに、21世紀のマイノリティ・コミュニティづくりに向けた、B「在日」の人権問題に関する調査・研究(第3分科)、C「在日1・2世」の福祉問題に関する調査・研究(第4分科)、D「在日3・4世」の教育問題に関する調査・研究(第5分科)に取り組んでいる。
今回、「東北亜歴史財団」の協力を得てCDの形で出版することになる本資料集は、上記の第1分科の作業の結実である。収められた新聞記事は、『大阪毎日新聞』西部版の地方集刷(マイクロ資料)から集めたが、本紙を除いた九州各県、山口県、島根県、広島県といった玄界灘と瀬戸内海を繋ぐ九州・中国地方の「在日」関連記事が豊富に含まれている。
近年、東アジアにおける外国人移住労働者に関する関心が高まるなかで、「在日」に関する調査・研究も活発となっている。20世紀初頭の「日韓併合」以来、数十万人が日本に移住した。そして、1920年代から次第に「定住化」が進み、「在日」が形成され始めた。1939年からは強制連行により「在日」が急増して、約200万人に達した。解放後に多くの人々が帰還したか、現在も約60万人の「在日」が暮らしている。
戦前の「在日」に関する研究は、朝鮮の人々の海外移住史の研究であると同時に、南北分断の苦痛を直接受けてきた「在日」コミュニティの形成史、差別と抵抗の生活史の研究でもある。植民地であった祖国で飢餓や貧困に喘いでいた人々が、非自発的に、さらには、強制的に移住させられた帝国本国の日本での暮らしは、命をかけてしか生き残れない戦場そのものであった。1923年 9月の東京大震災の際には事実無言の放火の罪に問われ数千人の「在日」が命を奪われた。このように、戦前の「在日」の歴史は、帝国日本の最下位に編入させられていた差別と弾圧の歴史であった。しかし、ここで絶対に忘れてはならないことは、「在日」はこのような日本帝国の被害者でありつづけながら、朝鮮の人々の生存権や生命権の回復に向けた民族独立運動の「主体」でありつつけてきた点である。今後、「在日」の研究において、この点が正しく評価されることを、私達は願っている。
1. 本資料集の収録範囲
私達は『大阪毎日新聞』西部版の地方集刷を使って、1937年1月から1944年9月までの間の「在日」関連の新聞記事をほぼすべて集めた。『大阪毎日新聞』は戦前の日本の植民地および占領地であった朝鮮、台湾、中国にいる日本人を主な対象として発行されたものである。この新聞のマイクロ資料は1944年9月までで途切れている。現在、マイクロ資料の所蔵機関は、東京では国立国会図書館、東京大学社会科学研究所図書室、一橋大学附属図書館、早稲田大学現代政治経済研究所、国立民族学博物館情報管理施設の5カ所、九州では九州国際大学附属図書館、九州大学附属図書館、福岡県立図書館、毎日新聞西部本社の4カ所、その他では和歌山大学附属図書館、山口県立山口図書館、広島大学附属中央図書館の3カ所であり、合計12カ所にある。
本資料集は主に広島大学附属中央図書館所蔵のマイクロ資料を利用した。2006年から2007年までの約2年間で収集・整理し、2008年3月に資料集として広島で刊行した。本資料集は2分冊で構成され、1937年から1940年までの885件の記事を第1分冊に、1941年から1944年9月までの788件の記事を第2分冊に納めてある。したがって記事総数は1,673件にものぼる。収録記事を年月日順に収録し、記事内容、年月日、面・段数、地方版の種類と細部地域名、内容分類などを掲載している(凡例参照)。『大阪毎日新聞』西部版の地方版の種類、県名、細部地域名の一覧は以下の通りである。
地方版 |
県名 |
細部地域名 |
総合 |
西部地域件 |
省略 |
全九州 |
九州地域県 |
省略 |
야마구치(山口) |
야마구치 (山口) |
야마구치(山口) 시모노세키(下關) 우베(宇部) 호후(防府) 히카리(光) 하기(萩) 아사(厚狹)군 요시키(吉敷)군 오츠(大津)군 구가(玖珂)군 미네(美禰)군 도요우라(豊浦)군 오시마(大島)군 구마게(熊毛)군 이와쿠니(岩國) |
오오이타(大分) |
오오이타 (大分) |
히타(日田) 나카츠(中津) 벳부(別府) 도오미(遠見)군 미나미아마베(南海部)군 시모게(下毛)군 |
나가사키(長崎) |
나가사키 (長崎) |
사세보(佐世保) 이마리(伊萬里) 기타마츠우라(北松浦)군 니시소노기(西彼杵)군 미나미다카키(南高來)군 |
기타큐슈(北九州) |
후쿠오카 (福岡) |
모지(門司) 와카마츠(若松) 고쿠라(小倉) 야하타(八幡) 도바타(戸畑) 이이즈카(飯塚) 노오가타(直方) 치쿠호(筑豊) 다가와(田川)군 다가와(田川)군 온가(遠賀)군 교토(京都)군 기쿠(企救)군 |
후쿠오카(福岡) |
후쿠오카 (福岡) |
후쿠오카(福岡) 구루메(久留米) 오무타(大牟田) 다가와(田川)군 가호(嘉穗)군 니시마츠우라(西松浦)군 구라테(鞍手)군 미츠이(三井)군 무나카타(宗像)군 아사쿠라(朝倉)군 가스야(糟屋)군 야메(八女)군 노오가타(直方)군 |
사가(佐賀) |
사가 (佐賀) |
가라츠(唐津) 이사하야(諫旱) 오기(小城)군 기시마(杵島)군 미야키(三養基)군 히가시마츠우라(東松浦)군 |
미야자키(宮崎) |
미야자키 (宮崎) |
미야자키(宮崎) 노베오카(延岡) 미나코노죠(都城) 니치난(日南) 고바야시(小林) 미나미나카(南那珂)군 니시모로카타(西諸縣)군 히가시우스키(東臼杵)군 고유(兒湯)군 |
가고시마(鹿児島)·오키나와(沖縄) |
가고시마 (鹿児島) |
가고시마(鹿児島) 센다이(川內) 사츠마(薩摩)군 소오(曾於)군 |
시마네(島根) |
시마네 (島根) |
마스다(益田) 마츠에(松江) 하마다(濱田) 이즈모(出雲) 가노아시(鹿足)군 치쿠가와(築川)군 아노(安濃)군 야츠카(八束)군 미노(美濃)군 |
구마모토(熊本) |
구마모토 (熊本) |
구마모토(熊本) 다마나(玉名)군 야츠시로(八代)군 구마(球磨)군 가모토(鹿本)군 우토(宇土)군 기쿠치(菊池)군 시모마시키(下益城)군 아마쿠사(天草)군 |
히로시마(廣島) |
히로시마(広島) |
히로시마(広島) 후쿠야마(福山) 미요시(三次) 안자(安座)군 |
구레(吳) |
히로시마(広島) |
구레(呉) 가모(賀茂)군 히바(比婆)군 |
以上で分かるように、記事内容が西日本の広範囲に及んでいる。玄界灘から瀬戸内海を経由した「在日」の戦前のルートや生活を鳥瞰する上で一番適した新聞資料といえよう。
2. 本資料集刊行の意義
戦前の「在日」に関する資料はかなり分散しているため、そのアクセスが大変不便であった。この状況を勘案すれば、本資料集のような新聞記事資料はその接近性の面でまず高く評価できる。戦前の日本帝国は「在日」を監視、統制、動員するために、定期的に調査資料を作成していた。そのせいで、現在残っている資料のほとんどは内務省や警察の内部資料である。これらの資料は、「在日」関連の統計および当局の政策変化を知る上で欠かせないものである。しかし、これらの資料は政策当局によって作成されたものなので、自らの功績を過大に評価したり、事実関係を歪曲したりするなど多くの問題をはらんでいる。植民地期の「在日」の苦痛と自尊心をありのままで再現するためには、文献資料のみならず、ヒヤリング調査を早急に行うなどして、非文書的資料をより多く拡充する必要がある。
新聞記事資料は地域毎に種類も多く、地域史や生活史研究など、様々な関心事から早くから研究者の注目を浴びてきた。戦前の日本在留朝鮮人関係の新聞記事のデータベースについては、京都大学教授の水野直樹氏を中心とした「戦前日本在留朝鮮人関係新聞記事検索」が代表的であり、1998年からインターネットを通して外部からの検索ができるようになっている。このデータベースには九州、広島、兵庫、大阪、京都、愛知、朝鮮などの各新聞記事が収められているが、具体的に、大阪朝日新聞(大阪), 大阪朝日新聞・広島版(広島), 大阪朝日新聞・京都版(京都), 大阪毎日新聞(大阪), 大阪毎日新聞・西部地方版(門司), 神戸又新日報(神戸), 神戸新聞(神戸), 萬朝報(東京), 福岡日日新聞(福岡), 門司新報(門司), 九州日報(福岡), 中国新聞(広島), 芸備日日新聞(広島), 中国日報(広島), 呉新聞(呉), 呉公論(呉), 呉日日新聞(呉), 呉新興日報(呉),京都日出新聞(京都), 京都新聞(京都), 新愛知(名古屋), 名古屋新聞(名古屋), 中部日本新聞(名古屋), 知多新聞(半田), 参陽新報(豊橋), 北國新聞(金沢)である。しかし、新聞記事そのもののアクセスはまだできておらず、日付や見出しのみが載せられている。『大阪毎日新聞』西部版もこのデータベースに含まれているが、その期間が1939年から1944年までとなっている。本資料集では日中戦争が勃発した1937年からの記事を収録しており、上記のデータベースより対象期間を2年拡張したことになる。また、記録漏れを防ぐために大幅に記事を拡充した。何よりも記事全文が掲載されているので、本資料集が今後大いに活用されることを、私達は待ち望む。
ここで『大阪毎日新聞』について少し説明をしておく。この新聞は当初は大阪などの関西地方と九州地方などの西日本が中心であったが、次第に全国新聞として展開してきた。『大阪毎日新聞』の前身は1876年に創刊した『大阪新聞』であるが、1882年以降休刊となった。1888年には、兼松房治郎が『日本立憲政党新聞』を買収し、『大阪毎日新聞』として復刊した。1897年、原敬が『大阪毎日新聞』社長に就任してから内容と紙面の大幅な革新があった。それ以降、1911年には姉妹紙『東京日日新聞』を通して念願の東京進出を果たした。そして、1915年には競争相手であった
『大阪朝日新聞』と協定を結んで夕刊を発行した。1922年には九州地方で『西部毎日』を創刊するとともに、東海地方でも『中京毎日』を創刊した。1935年には門司と名古屋にも進出し、全国紙としての体勢が整えるようになった。さらに、1943年には姉妹紙であった『東京日日新聞』を合併し『毎日新聞』と改称した。そして戦後は日本を代表する新聞として地を固め現在に至っている。このことからも分かるように、『大阪毎日新聞』は記事内容の豊富さで群を抜いており、西日本の広範にまたがる「在日」の研究上欠かせない新聞であることはいうまでもない。
2008年に外村大と金人徳が編集した『解放前在日韓日関係記事集成1・2』(景仁文化社刊)が「在日」関連研究者に大きな刺激を与えた。戦前の『朝鮮日報』の記事が収集されているが、『朝鮮日報』は植民地朝鮮に本社を置いた朝鮮の人々による韓国語の新聞である。したがって、朝鮮の人々の立場から「在日」を報道していた点で大きな特徴がある。もちろん日本帝国の弾圧と『朝鮮日報』自らの妥協により、1930年代以降の論調は大きく歪曲や屈折が見られるが、日本の新聞とは記事内容の面で一定の差別性が読み取れる。しかし、日本の支局や取材記者の数が圧倒的に足りないなかで、広範囲に分散されていた「在日」関連の取材には限界があったといわざるを得ない。したがって、『大阪毎日新聞』西部版をベースとした本資料集は、『朝鮮日報』が扱うことのできなかった地方の「在日」研究などで、その空白を埋める役割を担える。
戦前の日本の新聞は「在日」を扱う際は、公安や治安当局とほぼ同じ立場を取っていた。第一に、「在日」を日本帝国の公安と治安にとっての危険な存在として扱っていたことである。実際に、『大阪毎日新聞』西部版には「在日」の不法渡港、窃盗、暴力などの犯罪に関する報道が多く、「在日」のマイナスイメジを企てる記事が多くみられる。労働運動や民族独立運動の弾圧による警察の捜索、検挙、拘束、裁判などに関しては、警察の立場で報道されている。第二に、日本帝国が展開していた「内鮮一体」を全面的に支持していたことである。日本帝国は1919年の3.1運動で噴出した朝鮮の人々の独立と抵抗運動に衝撃を受けた。そして、関東大震災の際の「在日」の大量虐殺の後には、「在日」を純化させ日本に同化させることを最優先課題として掲げた。各地域の警察と行政機関の社会課が「在日」を回遊したり、または、強制的に統制する組織に入会させたりしていた。このような「内鮮一体」のもとで、「在日」の民族性を抹殺し、従順な臣民として教化・育成していこうとした。『大阪毎日新聞』西部版には各地域で展開していた「内鮮一体」と各種協会関連記事が多くみられる。
本資料集の起点である1937年には日中戦争が起きているが、この翌年には国家総動員法が制定され、朝鮮の人々を戦争に引きずり込む体制ができあがった。朝鮮の人々は「協和会」という組織に連れ去られ、日本帝国の大東亜侵略戦争に組み込まれていった。この「協和会」に関する記事も数多く本資料集に掲載されている。さらに、1939年からは朝鮮半島から「強制連行」が開始された時期である。北海道と並ぶ有数の炭鉱地帯であった九州の炭鉱に強制的に連行されてきた朝鮮の人々が、如何に「殺人的」な労働環境の中で働かされていたかをうかがえる記事が多く含まれている。1941年からの戦時統制下では、朝鮮の人々が志願兵制や徴兵制に同調したり、従軍慰安婦などの勤労奉仕に努めたり、さらには帝国防衛のための募金活動などに参加している、という「美談」を紹介する記事がみられる。
このように、戦争に言論が動員されていった様子がうかがえる。要するに、日本の新聞の「在日」関連記事は明白な限界を孕んでいることを忘れてはならない。そのような限定付きの上で、初めて本資料集は大いに役立てることができる。例えば、「在日」の地方別の人口変化、就業の状況、労働問題および労働争議、借家などの注宅問題、子どもの教育問題, 県・市議会などの各種地方議会選挙での出馬・当選・落選の記事、その他の各種協会関連記事などから、「在日」の20世紀「渡来人」としての定住ルートと日常生活の様子が生々しくうかがい知ることができる。
現在、HAKSSでは、第1分科が『戦前日本在留朝鮮人関係新聞記事資料集』の続刊として、『大阪毎日新聞』西部版の1920年代から1936年まで遡って記事を収集・整理している。この資料集を2分冊で2009年に刊行し、またこの資料集も「東北亜歴史財団」の協力を得てCDの形で出版する計画である。また、第3分科が中心となって2007年から取り組んできた、戦後広島太田川改修に伴う朝鮮人集落の消滅過程を含めた広島の「在日」に対する立ち退き関連資料集として、『戦後広島復興と立退き関係新聞記事資料集』(2分冊)を、広島県・市文書館の初公開の公文書資料集として、『戦後広島復興と立退き関係公文書資料集』(4分冊)を2009年と2010年に引き続き刊行する予定である。
私達HAKSSの会員は、世界情報経済体制の萌芽・形成過程に伴う「富の世界一極集中化」と、東アジア各国や自治体内での「排除型格差社会化」を断ち切り、「敬人・敬物・敬天」のグローバル・ライフとしての新しい人間存在や人間関係を構築するために、「在日」の、「在日」による、「在日」のためのマイノリティ・コミュニティを、広島から実現していくことをここで誓う。
2.広島大学総合科学研究科・広島韓国・朝鮮社会研究会(HAKSS) 共催
21世紀ヒロシマ復興の新視点に向けた講演会&報告会
『戦後ヒロシマの復興事業の再検討と
21世紀マイノリティ・コミュニティ構築への試み』
日時:11月8日(土)・9日(日)
場所:広島大学西条キャンパス 総合科学部の談話室
1.8日(土)
講演会:『戦後広島のマイノリティの立ち退き問題の今日的課題』
@
1時〜2時30分:南観音地区の立ち退き問題の再検討(丸山先生)
A
2時40時〜4時10分:福島地区の立ち退き問題の再検討(青木先生)
B
4時30時〜6時:基町・広島駅前地区の立ち退き問題の再検討(石丸先生)
C 6時30分〜8時:懇談会
2.9日(日)
報告会:『戦後広島のマイノリティの立ち退き関連資料集刊行に向けて』
@9時〜10時:中国新聞記事資料と地図類の報告(内海)
A10時〜12時30分:南観音・広島駅前地区の発掘資料の報告(本岡、内海)
昼食
B2時〜4時30分:基町・福島地区の発掘資料の報告(権、安)
【 趣旨および案内文
】
1945年8月6日、原子爆弾投下によって壊滅的な打撃を受けた広島は、その後「平和記念都市」として奇跡的な復活を遂げた。しかし、ヒロシマが目指すべき「平和」とは如何なるものかは、今なお問われ続けているように思われる。
詩人・栗原貞子は<ヒロシマ>といえば<ああヒロシマ>とやさしいこたえがかえってくるためには、何をなすべきかを謳いあげた。アメリカが押し付ける「原爆神話」をそのまま受け入れるわけにはいかないが、被害者としての立場のみを強調するのではなく、自らの加害の歴史を真摯に捉え、内・外ともに償っていく必要がある。
「広島平和記念都市建設法」が公布・施行されて50周年を前後とした1990年代後半になると、行政主導の国際貢献への新しい動きが活発化した。例えば、1996年に、広島県知事、広島県議会議長、広島市長、広島市議会議長、地元財界、広島大学学長らによって構成された「広島国際貢献構想策定委員会」が、「広島国際貢献構想」を策定した。さらに2001年には広島県と総合研究開発機構(NIRA)とが共同で「広島平和政策研究会」を設置し、その調査研究の成果を『記憶から復興へ:紛争地域における復興支援と自治体の役割』として上梓した。その中で、ヒロシマは紛争終結地域における復興支援等に積極的な役割を果たすべきと提言している。これらをもとに、2002年には、「ひろしま平和貢献構想」をとりまとめた。この構想では、ヒロシマの復興に関する多様な資史料やノウハウが広く共有されるべきとし、とりわけ、原爆投下で甚大な被害を受けながら、敵意や憎しみを乗り越えて「平和」の実現を目指すこれまでのヒロシマの姿勢は、憎しみの連鎖を断ち切るための啓発や平和教育に資することができると主張している。
こうした行政側の姿勢を受け、広島大学をはじめとした県内の各大学、民間団体による戦後ヒロシマの復興に関する調査・研究が現在ひとつのブームとなっている。根底にあるのは、すでに過去の出来事は終わりを告げ、未来に向けての船出が始まっているとの認識が主であろう。
しかし、ヒロシマが発信し続けてきた「平和」はもっぱら外向きである。ヒロシマの外に向けた償い、外に向けた和解、外に向けた貢献には力を注いできたとしても、ヒロシマの内部で置き去りにしてきた問題を直視してきたといえるだろうか。ヒロシマは決して一様ではない。ヒロシマの住民でありながら、「平和記念都市」を形成する主体としてイメージされるマジョリティのヒロシマ人から排除され、打ち捨てられてきたマイノリティの存在を忘れるわけにはいかない。
近年の戦後ヒロシマの復興を巡る調査・研究で欠けているのは、こうしたマイノリティへの視座である。何故それが必要なのか。それは、マイノリティは現在もヒロシマの内部で構造的に生み出されているからである。過去に封印されてしまったマイノリティの姿を直視し、聞こうともしなかった声を聞き取ることは、現在マジョリティのマイノリティ化が進み、隣同士で互いに苦しんでいるにもかかわらず、知らず知らずのうちに互いに排除し続けてきた私達の意識を是正することにつながる。
近年の東アジアでは、産業の情報化と金融のグローバル証券化の高波に飲み込まれ、一部少数の人々が裕福になる一方で、それに乗り遅れた大多数の人々は今までにない「排除型」格差社会に苦しんでいる。サブプライム問題でその存在が浮き彫りになった、21世紀の支配的資本である超国籍金融資本は、石油と穀物先物市場での価格決定権、「知的所有権」と「証券取引権」の完全掌握に加えて、今後さらに、企業や銀行の買収・合併(M&A)の加速と温室効果ガスの「排出権取引」の法制度化も世界規模で進めている。このようにして、新しい富の源泉である、@知的所有権、A証券取引権、B排出権取引権が一握りの人間集団に掌握され、富の世界規模での偏在と飢餓や貧困の蔓延が、私達の東アジア地域にまで及んでいる。かつて中間層と自称していた多くの東アジアの人々は急速に悪化した社会環境や自然環境の破壊に喘いでいる。
このように、現在進行中のマジョリティのマイノリティ化に伴う差別や排除の構造は複雑で見えづらい。それは、排除されている本人にとってもそうである。何が原因なのか、誰が敵なのかを容易に明らかにすることはできず、従って何に抵抗すればよいのかも分からない。このような現実をありのままに捉える努力こそが、21世紀ヒロシマが目指すべき「平和」のあり方ではないだろうか。そして、社会環境・自然環境の悪循環という「反平和」を断ち切るためには、東アジアのマイノリティ同士が協働でコミュニティづくりに向かうべきではないだろうか。
今回の企画 『戦後ヒロシマの復興事業の再検討と21世紀マイノリティ・コミュニティ構築への試み』は、広島大学総合科学研究科平和科学研究の「ヒロシマの復興」プロジェクトと広島韓国・朝鮮社会研究会(HAKSS)第3分科の「在日韓国・朝鮮社会の人権問題に関する調査・研究」プロジェクトの共同研究の一環である。これは、ヒロシマのマイノリティである朝鮮人や部落の人々が被爆後、「戦後復興」の過程で立ち退かされ、様々な困難に直面させられながら、如何に苦悩し続けてきたかの解明を通して、21世紀の新しいヒロシマ・コミュニティづくりへの道筋を模索するための企画である。本企画では、それぞれ異なるアプローチで優れた業績を残している3人の先生方が、過去の立ち退きが現在に残した諸問題を提起していく。また、1945年から1970年代までの『中国新聞』記事からの収集資料とともに、今回はじめて公開された市立・県立文書館の行政資料についての5人のHAKSS会員からの報告を通して、今まで空白となっていた戦後ヒロシマのマイノリティの環境権(生活権と生命権)の実態の解明に迫る。
今回、戦後ヒロシマ復興事業について、その実行過程で生じたヒロシマのマイノリティの苦悩や変容を中心とした「再検討」を通して、まず私達、ヒロシマ・マイノリティが主体となって、ヒロシマの内なるマイノリティ社会の再生を模索していくとともに、この延長線上で、東アジアや世界に向けた「真」の平和を構築するための具体的なヒントが見つかれば何より幸いである。