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++ 14.02.04 (tue) ++ 学生向け広告 「ドライな心理学,やってます。」 |
++ 14.02.05 (wed) ++ iPad2購入以来,基本的に書籍はPDF化して読むようになりました。 複数の本を持ち歩き,いつでもどこでも読むことが出来るからです。 ただ,iPad2は片手で持って読むには重いです。 なので,一時期,iPhone 4sや5sで読んでいた時期もありました。 (もちろん,iPhoneでは文庫本サイズの本しか読めませんが。) そこで,片手で気軽に文庫本を読むために,Kindle Paperwhiteを購入しました。 軽いですし,バッテリーの持ちも異常に良いのですごく良い読書端末です。 ただ,スキャン画像をPDF化したものを快適に読むためにはあらかじめ余白を取り除いたりする手間が増えます。 (iPadではGoodReaderというソフトを使うと,このソフト上で余白を表示させないように出来ます。) とはいえ,Kindle Paperwhiteのおかげで軽い端末で読書する快適さを覚えてしまいました。 |
++ 14.02.06 (thu) ++ Kindle Paperwhiteの快適さから,軽い端末で専門書や英語論文も読めるようにならないかと考えるようになりました。 Kindle Paperwhiteの6インチの画面ではサイズ的に専門書の文字は読みづらいです。 また,液晶画面ではなく電子ペーパーなので,画面の書き換えは決して早くはありません。 そのため,拡大表示することは出来ますが,ドラッグしながら読むというのは実用的ではありません。 そこで,ASUS MeMO Pad HD 7を購入してみました。 7インチの画面だと,専門書も読めます。 ソフトによっては余白を非表示にする機能もあります。 当然,拡大表示したものをドラッグしながら読むというのも無理がありません。 ただ,iPadなら普通に出来る,単語を選択して辞書を引くという動作がなかなか実現できません。 (ezPDF ReaderというソフトとColordictというソフトを組み合わせることで実現できました。) また,自分でPDF化したファイルを読もうとすると動作が重すぎて辟易することが多いです。 こう考えてくると,文庫本も,専門書も,英語論文も,軽い端末で快適に読むための最適解はiPad miniだということになりそうです。 iPad2は結局電子書籍専用端末化したので,それなりの値段のするiPad miniを電子書籍を読むためだけに買うのは割高な気もしますが,望んだ環境を手に入れるにはそれ以外にないようです。 |
++ 14.02.10 (mon) ++ 長いこと「静かすぎて耳が痛い」という感覚を味わってない。 |
++ 14.02.12 (wed) ++ 「あなたは非常識だ」と伝えたいという衝動は押さえるべき。 非常識な人間に常識は伝わらないから。 |
++ 14.02.13 (thu) ++ 「直感が大事」というと「直感だけで良い」と考える輩がいる。 直感を元にその妥当性を検証したり, 深く広く吟味した上で結論が出ない場合に直感に頼ったり, きちんと思考を伴うなら直感も有効だろう。 けれどもそんなことすらわからないから,直感だけに頼って,直感だけで良いとか考えるのだろう。 |
++ 14.02.14 (fri) ++ 上のレベルを見たことがない人間は 自分が下のレベルにあることに気づけない。 |
++ 14.02.17 (mon) ++ 私も執筆した本が出ました。 栗山和広 (2014).授業の心理学:認知心理学から見た教育方法論 福村出版 #ちなみに「授業の心理学」というタイトルを提案したのは私です(笑)。 昨今,類書も多く出ていますが,教員養成課程の教育方法の授業で心理学の基礎的知見と具体的な教科指導とを繋ぐ内容の講義で使うにはちょうど良い内容とレベルだと思います。 書店等で目にされた際はお手にとっていただけると幸いです。 |
++ 14.02.18 (tue) ++ 日本に民主主義が根付かない理由として,西欧は市民自身が勝ち取ったものだが,日本はお上が与えたものだという言説を目にします。 もっともらしい説明のような気もしますが,少なくとも民主的な政治が始まった当初は民衆全体にそのありがたみが伝わっていたのか疑問ですし,仮に伝わっていたとしても,それが代々語り継がれてきたとは思えません。 私はメディアの発達や学校教育の歴史に疎いので間違っているかもしれませんが,現代の西欧社会に民主主義が根付いているとすれば,それは主権を国民のものとしてきた歴史を伝えてきた教育の効果なんじゃないかと思います。 そう考えると,日本に民主主義が根付いていないとすると,その責任は学校教育のやり方にあるのかもしれません。 日本でも普通選挙となるまでの流れは習います。 ただ,その価値についてどれだけ伝えているのか,どのくらいの生徒がその意義を学び取る必要性を感じているのかが問題なのだと思います。 (ガノタだと民主主義の悪癖まで刷り込まれてしまってるのですが(笑)。) |
++ 14.02.19 (wed) ++ 「私は誰かの役にたっているのだろうか」 と悩んでしまうことがあるけれど, そんなことがあるわけもないので, 考えるだけ無駄。 |
++ 14.02.20 (thu) ++ 院生と投稿していた論文が採録になりました。 山本和弘・藤木大介 (2014).学習動機が教科の知識を活用した推論の能否へ及ぼす影響 日本教育工学会論文誌,38(1),(印刷中). この研究は,生徒が教科の目的をきちんと理解しているのかということが,学力や,授業で習得した知識の活用の可否に影響しているのではないかという疑問からはじまったものでした。 教授学習の現場にある課題を心理学的な手法で解決していくという私の考える学習科学の形を具現化した最初の論文です。 もしご興味を持っていただけましたら,また出版後にご案内しますので目を通していただければ幸いです。 −−−−−−−− (*1)「14.01.15」参照。 |
++ 14.02.21 (fri) ++ これだけ人をつなぐテクノロジーが発展したのだから, もういろいろな行政単位を無しにして, 国防と外交だけを司る役所だけを残し, それ以外は互いの良識が一致する人同士で暮らせるようにしたらいいとか思うけど, それって発展なのかなとも思う。 多様性を認めあえることこそが私にとっての良識だから。 |
++ 14.02.24 (mon) ++ 私が臨床心理学を志さず, 認知心理学を志した理由の1つは, 人情派だと思われたがっている人間が大嫌いで, 私自身もそうなる危険性があったからです。 |
++ 14.02.25 (tue) ++ 愛教心理の学生におけるキノコタケノコ戦争 藤木大介 愛知教育大学教育学部 問題と目的
この世界には「きのこの山」と「たけのこの里」という人気を二分するお菓子が存在する。このどちらのお菓子を好むかはその人間の人格に関わる問題であり,異なる信念を持つ者同士が互いに理解し合えないという問題が生じている。このいがみ合いをキノコタケノコ戦争と呼ぶ。昨今,キノコタケノコ戦争は激しさを増すばかりである。ことある毎に両者は対立し,「お前は里の民か」「山の民とは話にならない」等,それぞれの民の信念はぶつかり合う。このような無用な争いが生じない世の中にするためにはどうしたらよいのであろうか。 このようなトラブルが生じる原因は,里の民と山の民,どちらの民が主でどちらの民が従であるかが明確に決められて来なかったからであろう。そこで本研究では,ヒトの心についての理解のエキスパートである心理学専攻の学生を対象に,どちらが好まれるのかを検討し,それに基づき里の民と山の民,どちらが主であるかを決定する。藤木(2013)に基づくと,(個人的好みの問題から)サクサク感のある「たけのこの里」を好む者が多いと予測される。 なお,「すぎのこの村」については現在入手が非常に困難であることから,検討の対象とはしなかった。 方法
調査対象者 愛知教育大学教育学部学校教育選修専攻学生23名であった。手続き 調査対象者へ研究の意図を隠すため,認知実験への参加後に謝礼として「きのこの山」と「たけのこの里」のいずれかの選択を求めた。 結果と考察
タケノコ派は16名,キノコ派は7名であった。二項検定(両側)の結果10%水準で有意傾向であった。このことから予測の通り,タケノコを好むものが多い傾向がうかがわれた。クッキーの棒にチョコをくっつけただけの粗末な作りの「きのこの山」に比べ,クッキーとチョコの絶妙な融合による味と食感を備える「たけのこの里」に軍配が上がったのであろう。以上から,主は里の民であるといっても良いのではないだろうか。もちろん,この結果を一般化していくためには,他の専攻の学生で同様の調査を行ったり等すべきである。しかし,この傾向は揺るがないだろう。そして,この研究結果が広く世界のしるところとなれば,自ずと平和な社会となると確信している。 引用文献
藤木大介 (2013).「たけのこの里」は「きのこの山」よりおいしい (未公刊)
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++ 14.02.26 (wed) ++ 学生に広い世界を見せてやりたかったら 私がまず広い世界を見てこなければならない。 |
++ 14.02.27 (thu) ++ 研究者の職能について理解する程度の能力すらない人間ほど研究者を馬鹿にする。 |
++ 14.02.28 (fri) ++ 来週頭から東京出張です。 ノーム・チョムスキー氏の講演会等にお邪魔します。 ということで,次回更新は10日(月)の予定です。 |