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                                            広島芸術学会会報 第124号

● 巻頭言

ネットコミュニケーションとアートの行方

船田 奇岑Artist、電子音楽家、美術表装「鬼笙堂」代表 

 近年、ランドアートなどを介在させたアートによる地域起こしイベントが盛んである。多くは地域社会を巻き込んだ共同作業を大事な要素としている。参加するアーティストの役割は、総合的な調整型プロデューサー役でもあり独善的な要素は薄い。またアーティスト役は、アートを生業としている作家から、アート系教員、一般の日曜作家まで様々である。多くの人々を即席アーティスト化し協労を通じてアートを楽しむワークショップも多く開催され「一億総アーティスト」として「一億人で一緒に楽しむアート」といった趣だ。

 近代以降のアートは自由な個の確立を是としている。菅井汲の著書『一億人から離れて立つ』のタイトルが象徴するように、作家は常に孤独であり社会との軋轢や、社会人でもあることへの葛藤ゆえにもがくことになる。自己を追いつめることで、より先鋭化し、一般的には味わえない高みも味わう事が出来るようになるのである。社会との対立は、ある意味成長のためには必要であった。

 先日、香川県観音寺市、瀬戸内国際芸術祭関連事業のアートイベントに参加する機会を持った。レトロなレンガ造りのかまぼこ倉庫での電子音楽を中心にしたイベントだ。私は、ここ十数年電子音楽をキーワードに若者(ここで言う若者とは3040才あたりまでを含む)との交流を深めている。広島電子音楽研究会(多くのメンバーは広島在住ではない)なる学会のようなものも立ち上げている。当然ではあるが、文学、音楽、美術を含むアート分野の中で、早くからコンピューターやネットワークに馴染んでいる人がほとんどで、ラップトップコンピューターを核に演奏活動をし、ネットでコミュニケーションをはかる世代が中心だ。マスコミでも名の知れる方々から、週末ミュージシャンまで、twitterFacebookで盛んに交流をしている。今回は、広島を本拠地としたインディーズレーベル(広島以上に東京や海外のアーティストを扱っている)が主催して声をかけ、北海道、山梨、東京、名古屋、京都、大阪、広島、山口、香川などから有名無名さまざまな人材が観音寺市に集まった。

 面白い事にこの手の現実社会でのイベントでは、初顔合わせではあるがネット上ではすでに付き合いがあるというケースも多々見受けられる。距離や環境、立場など通り越しての付き合いは、階層や序列とは無縁である。カリスマ性のあるリーダーがいる訳でもなく、ネット上での熱いやりとりがある訳でもなく。淡々と事が進んで行く様は、私をもってハラハラさせる場面が多い。結果、色々な局面でサポートするはめになる。ただ、本人たちの多くは実経験の少なさからか、反応しない場合も多い。ネット上でのスムーズさと異なり、まるで、素直な子供を相手しているようでもある。

 情報はマスメディアからの押しつけでなく、ネット上で収集。他者の判断も考慮しつつ淘汰。情報の質は高く、演奏などの作品についてもクオリティーが高い。また、私も様々な情報収集の恩恵に与りながら、ふと思う事がある。他者を情報端末として立体的なネットワークを組み、自己も他者の端末として機能させる情報共生ともいえる感覚。「一億人から離れて立つ」でなく、地衣類、蟻社会などのような・・・はっきりとした自我の中心を持たない存在。情報革命から約10年。情報を核にした共生関係も10才程度。子供はどのように育っていくのだろうか。

平成25年度総会・第27回大会 報告(次第等は同封資料のとおり)

【総会】

 平成25年度総会は以下のとおり行われた。

 ・開催日時:平成25713日(土)午前9時50分~午前1020

 ・場所  :広島県立美術館地階1階 講堂

 ・次第

  1  開会のことば  菅村亨事務局長

  2  会長挨拶    青木孝夫会長

  3  議長選出    末永航氏を議長に選出した。

  4  議事

     (1)  第1号議案 平成24年度事業報告並びに決算報告の承認について
     資料にもとづき、事業報告が青木会長、決算報告が菅村事務局長から説明され、続いて松田弘監査から監査報告があり、
     審議の結果、これを承認した。

     (2)  第2号議案 平成25年度事業計画並びに予算案の承認について
     資料にもとづき、事業計画が青木会長、予算案が菅村事務局長から説明があった。会員から「会員の増加策を進めるべき」との
     意見があり、会長から「そのように進めるべく、積極的に活動の展開を図りたい」旨説明があった。その後、審議の結果、平
     成
25年度事業計画並びに予算案を承認した。

  5  閉会のことば  

 

【大会(研究発表・シンポジウム)】

 総会に引き続き、3件の研究発表およびシンポジウムが行われた。(詳細、以下別項のとおり)

 

大会研究発表報告

研究発表報告①

裂開-亀裂-逃走としての芸術作品―ハイデッガー-アドルノ-ドゥルーズ=ガタリにおける思考しえないものの生成力

            発表:上野 仁(広島大学総合科学部特任講師
                        
報告:桑島秀樹(広島大学大学院総合科学研究科准教授・美学芸術学)

20世紀以降の「芸術」状況は、ポストモダン論争とかかわって展開した。現在でも「近代」が連続か/不連続かという問題はここでは措く。だが少なくとも、モダニズムの思考型だった建築モデルが解体され「脱-構築」(デリダ)の様相を呈し、「それ以後」新モデルが模索されてきたことだけは確かである。その際注目されたものこそ〈思考不可性〉〈未規定性〉を示す力であり、おそらくそれは「現代音楽」の新潮流と親和性をもっている。

上野氏は、実践的な音楽教育もおこなうアドルノ研究者だ。今回の発表も、これまでの研究を踏まえ、その知見をより広い現代思想の領野へと適用しようとした野心的試みだった。20世紀初頭、シェーンベルクの作風を「新音楽」と呼んだアドルノは、「無調」「不協和音」を特徴とする新たな作品性をいち早く評価した。作品のもたらす非同一性は、いわば創造的な「亀裂(Bruch)」なのだ、と。

氏によれば、この概念は、ハイデッガーの「世界と大地との闘争」の場たる芸術、つまり存在の「開け」の場たる「裂開(Aufbruch)」へと接続可能だという。然り。aufbrechenとは、「内臓を抉る」と同時に「土を耕し上下反転させる」こと。それは農業的産出の孕む秘儀の暗喩であると同時に、現代の実存不安まで示す概念なのだから。氏はさらに、「プラトー(平原)」を移動するノマド的「脱-領土化」、別言すれば、ドゥルーズ=ガタリの「逃走(fuite)」概念をも参照し、上記二人の哲学者の思索との連続性を説こうと試みた。
「亀裂」を鍵とする「新音楽」モデルがどこまで有効な批評装置たりうるか、上野氏の今後の研究に期待したい。

 研究発表報告②

 その道は、長いというより広い ——1930年代後半のコーク・ストリートにみるイギリスにおける
シュルレアリスム受容の一側面
——

               発表石井祐子(日本学術振興会特別研究員/広島大学)
                          報告
谷藤史彦(ふくやま美術館 学芸課長)

イギリスにおけるシュルレアリスムの受容とその影響を研究している石井祐子氏が、今回の発表で取り組んだのは、ロンドンの3つの画廊の果たした役割についての新しい考察である。

 石井氏がこれまで研究してきたように、イギリスにおいてシュルレアリスムが受容された象徴的な展覧会として1936年にロンドンで開催されたシュルレアリスム国際展があり、そこではR.ペンローズ、P.ナッシュ、H.ムーア、H.リードといったイギリスの委員が活躍した。今回はさらに踏み込んで、1930年代後期のロンドンのコーク・ストリートに相次いで設立されたメイヤー・ギャラリー、ロンドン・ギャラリー、グゲンハイム・ジューヌの3つの画廊に焦点を当てた。メイヤー・ギャラリーは、1933年にF.メイヤーによって設立され、M.エルンストの紹介や、ムーア、ナッシュなどの「ユニット・ワン」の本拠地となった。ロンドン・ギャラリーは、1936年に設立され、ペンローズと、E. L. T.メザンスが1938年からディレクターを引き継ぎ、シュルレアリスムの拠点となった。ここでは会報誌『ロンドン・ブレティン』(1938-1940)が発行され、イギリスのシュルレアリスムなどが紹介された。グッゲンハイム・ジューヌは、ペギーが1938年に設立し、リードおよびロンドン・ギャラリーと連携して展覧会活動をおこなった。メイヤー・ギャラリーは、現在も営業しているが、ロンドン・ギャラリーは1950年に、ペギー・グッゲンハイム・ジューヌは1939年に閉廊している。コーク・ストリートにおいて3つの画廊がそろって活動したのは、1938年から翌年までという短い期間であったが、イギリスのモダン・アートの発展に果たした役割には大きなものがあったという。

 石井氏の今回の発表は、イギリスのシュルレアリスム受容の研究において新たな視点を提示したものと思われる。今後のさらなる研究によって、イギリスにおけるシュルレアリスムと抽象芸術の関係の問題などが明らかになっていくことを期待したい。

 

研究発表報告③

それを書くというべきか、描くというべきか——加藤信清の究極の文字絵と生涯

           発表福田道宏(広島女学院大学国際教養学部准教授)
                         報告
城市真理子(広島市立大学国際学部准教授)

 仏画には、仏道の「行」としての絵画というべきものがある。神仏の姿を眼前に表し、荘厳し、その教義や功徳を伝えるという仏画は、もちろん宗教的な視覚メディアだが、時に、絵画的な完成度よりも制作行為そのものに重心があるというタイプの仏画がある。室町時代の禅僧妙沢が日課として描いたという不動明王像など禅宗仏画の一群である。

江戸時代中期の下級武士、加藤信清は絵師でも禅僧でもなかったが、白衣観音や五百羅漢図などの禅宗仏画を細密な「文字」で描いた。『法華経』の文字を連ねて輪郭線となし陰影の濃淡も表す仏画は、写経のようでもあり、点描画のようでもある。気が遠くなるほど夥しい密集した文字の群れは、まさに信清が制作に集中した時間と彼の「書く」行為そのものを想像させる。

福田氏は、学生時代に渋谷区立松濤美術館の展示で信清の「文字絵」を初めて見て強い衝撃を受けた記憶を語り、その研究史と史料、未紹介作品から信清の生涯と作品を紹介された。1980年代以降の美術史学では、日本の近世・近代美術の「見世物」的な面白味にも関心が高まり、信清もとりあげられることが増えてきた。だが、この究極の文字絵が放つ「絵仏師」信清の信仰の情熱に感応したのは、信清の仏画を納める龍興寺の参拝者たち江戸時代の人々だけではなかった。1995年、静かな展示室で「初恋の絵」に出会ったと福田氏はいう。信清との真っ当な向き合い方とは、そういうものかもしれない。

 

大会シンポジウム報告

「芸術と教育を考える―芸術教育からアート教育へ」
                         報告
馬場有里子(エリザベト音楽大学准教授)

 本シンポジウムは、樋口聡氏(身心文化論、美学、教育思想)による基調報告に続き、加藤宇章氏(造形作家、アトリエぱお代表)、寺内大輔氏(作曲、即興演奏、音楽教育)、竹村信治氏(日本古典、説話文学研究)によって、美術、音楽、文芸の領域における事例が報告される形で進められた。議論の出発点として、基調報告では、西洋近代に成立した「芸術」概念が内包する時代的、場所的、制度的な限定と、それらを価値、ジャンル、実践の次元で拡張し、越えていこうとする「アート」の概念をふまえた上で、「学び」を重視する1990年代後半からの教育学の議論と結びついた感性教育、表現者の育成としての「アート教育」の位置づけと意義が確認された。事例報告では、各人の教育の場での経験をもとに、主に「実践」の次元に関わる可能性の提示や問題提起などが行われた。「正解主義の呪縛からの脱却」「価値観の多様性」「五感で感じることによる感性の成長」(加藤氏)、「見方の詩教育」による「感性の鋭敏化や豊穣化」「受容だけでない、生成、創作の場への立ち会い」(竹村氏)といった、美術、文芸での事例紹介に対し、音楽領域での「音楽づくり」の様子からは、クラス人数の多さによる制約、想定した枠に生徒を誘導するような親切すぎる教科書の「ヒント」など、さまざまな課題を抱えることも窺えた。

 パネルディスカッションの中では、「お手本」や「デモンストレーション」をめぐる日米欧の態度の違いの話も出て興味深かったが、「倣い」もまた創造の重要な出発点を成すものであり、日本の芸道のような、型の継承(とその逸脱)もその意味でまた面白い。「実践」は、一流の表現者には容易に成れずとも、その経験を通して鑑賞力、批評力を自らの内に育むことにつながろうし、それがひいては文化を広く下支えしていく力となるところにも意義があるように思う。

 

●エッセイ

共存共生

                                     高原 小夜

 遠い記憶になるが、十代の頃、写真家になりたかった。願えばどんな夢も叶うと思えたころである。

 現在の仕事は、造形美術講師をしている。写真家の夢は実現しなかったが、趣味として楽しみ、旅先で写真を撮っている。

 私のアトリエは専門職、大人、中高生、子どもクラスがある。幼児児童の子どもクラスは、美術の世界の楽しさを教えたくて開設した。美術教育のコンセプトとなっているのは、「自然、人、動物との共存共生」である。これは、二人の写真家から影響を受けたからだ。

 一人は岩合光昭。地球上のあらゆる地域をフィールドに、パワフルに撮影を続けている。動物が大好きな我が家には、彼の写真集がかなりある。近年は「ねこシリーズ」が有名で広い世代に人気がある。過酷な大自然で生き抜く健気な動物たちの写真は、どれほど私の心を揺さぶり、熱くさせたことか。野生の動物の一瞬の輝きを写すために、長い時間を費やしたのではと想像する。

 写真集『地球の宝石』は、絶滅危惧種に焦点を当てた作品だ。どの動物もあるがままを受け止めて力強く今を生きている。かわいい清らかな目を見ていると激しい憤りがこみあげてきた。なぜ彼らが地球上からいなくならなければならないのか。おろかな私たち人間の罪である。

 私に出来ることはないだろうか。いろいろと思いついた。一つに現状を子供たちに伝えたいと思った。私のアトリエでは動物、魚、鳥、虫など生き物をテーマにしたカリキュラムを多く取り入れている。美しいフォルムをよく観察して、深く考えてほしいと願っている。表現方法は立体や平面と様々だ。

 影響を受けたもう一人の写真家は長倉洋海。世界の紛争地に生きる人々の写真を撮り続けている。写真集と著書は四十数冊以上である。彼の本は、深い愛に満ちている。神の光や土の温もりを感じるのはなぜだろうか。私がいつの間にか忘れてしまった、原始の本能を刺激するからだろうか。

 写真集『ともだち』は紛争地に生きる子どもたちが主役だ。男の子が銃を構えている写真がある。少年ゲリラ兵だ。火薬や乾いた砂ぼこりの匂いまでしてくるようだ。他にも労働をしている写真がある。かご、ほうき、袋などを持ち、手は汚れている。家計を助けるため小さな手はよく働く。戦禍の子どもたちにとって、手は命の糧を生み出すものなのだ。日本も、そのような時代があった。

 私の母は、十八歳の時に原爆の閃光を浴びている。爆心地に近かったため、一瞬にして家は崩壊した。バラックの家は台風が来るたびに屋根が飛ばされた。ガレキを拾ってかまどを作ったそうだ。母は厳しい戦後を生き抜いて現在、私と一緒に暮らしている。

 「手に持つものは何があるでしょうか。考えて絵にしてみましょう」

 私はアトリエで子どもたちに話した。出来た絵は、エンピツ、リコーダー、バッグ、ボールなど楽しいものばかりだ。平和であれば、手は感性を紡ぎ、文化を生むものであろう。

 二人の写真家は、私と同世代である。二十数年前に図書館でたまたま写真集を手にした。心が躍った。二人に面識はないが、勝手に、尊敬する同志と思っている。

           

●エッセイ

若葉が輝くとき

                                    袁 葉

(一)

「老師好(先生、こんにちは)」と声をかけるT君。

「你好(こんにちは)。お久しぶり―。北京留学は三週間でしたっけ?」と、講義棟へ向かいながら彼に聞く。今年の新学期、初日のことだ。

「一か月です」

「じゃあ、かなりゆっくりできたでしょう」

「いえいえ、アッという間でした」

思わず立ち止まった私。「すごく楽しかったんですから。来年は一年間、また北京に留学しようと思ってるんです」。

朝日を浴びた若葉を背景に、T君の目もキラキラしている。一時限目の授業中いつもボーっとして、終わる頃ようやく「目が醒める」彼の言葉とはとても思えない。

今年の3月、尖閣問題で日中関係がギクシャクしているところへ、PM2.5が追い打ちをかける中、恒例の「北京語言大学中国語セミナー」にT君も参加したのだ。

「向こうの大学生と、アニメの話でもしましたか?」

「ハイ!盛り上がりましたよ。しかし、あそこまで詳しいとは・・・」と、教室へと急ぐ学生の群れに戻っていったT君・・・。見せてもらった湯気が立ちのぼるセイロの前で撮られた、シェフとのツーショットが残影となっている。

一冊にまとめられた今回の留学の感想文集には、次のような記述があった。

「実際北京へ行って一か月生活してみると、空気もデモも気にならず、快適に過ごすことができました。」(K君)

「現地で接した中国人、韓国人ともにすごく友好的で、アジア以外の国の人より親近感を持ちました。」(Kさん)

「北京の人は基本的に日本人に対してウェルカムです。お店や地下鉄の中では、日本人ですよね? とフレンドリーに話しかけてくれる人が何人かいました。・・・文化こそ多少違っても、本質的にはどの国の人も同じ人間だ、という当たり前のことが実感できました。」(O君)

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ここは北京の閑静な住宅街。伝統的な建築「四合院」を改築したサンルームで、友人たちと食卓を囲む。この春休み、T君たちの留学中、たまたま私は北京に里帰りしていた・・・。

「昨年の12月、うちの学校は百人規模の訪日団を送る予定でしたが、釣魚島の問題で取り止めました。生徒たちは楽しみにしていたんですが・・・」と、中国共産党幹部養成学校の恰幅のいい李さん。

彼との出会いは84年に遡る。当時、胡耀邦主席は三千人の日本の若者を招待した。費用はすべて中国側の負担である。交流の一端として、通訳は大学の若手日本語教師も担当した。中国マスコミ大学からは私が「広島県政府青年代表団」の通訳を、李さんが同団の中国側責任者を務めたのである。以来、再会するたびに、あの「日中ハネムーン時代」を懐かしむ。

「ところで、私の友人はこの2月、ビジネスで初めて日本を訪れたんだが…」とアーティストの龍さん。ウエーブした髪をオールバックにしている。

「どうでしたか?」と誰か。

箸を止め、静かになったみんなの顔を一瞥し、言葉を継いだ。接した普通の日本人は政治とは全く関係なく、みんな優しかった。中国人だと知れてつぶてでも飛んできたら、という心配は杞憂だった。それどころか、「お客様は神様だ」という言葉を肌で感じたそうだ。

「実は、うちの倅は、今東京で勤務しています」と再び李さん。「彼が言うには、日本の役人はとても親切で、まるでホテルマンのようだって」

言い得て妙! そうそう、と私は日本への留学当初の体験を思い起こした。

85年のある日、私は区役所に1150到着。「外国人登録」の表示が懸かったカウンターの向こう側に、書類に目を落としている職員。声をかけるのをふと躊躇した。というのも、当時の中国の役所では、12時から14時まで窓口が閉まる。しかも11時半を過ぎたら、昼休みが間近なのでもう受付はしないのだ。

すぐさま私に気が付くと、彼は席を立った。「登録の手続きですか?」

私が頷くと、書類をさっと取り出し、書き方を説明し始めた。・・・書き終えた時は、12時をとっくに回っていた。

彼はその書類を受け取ると、自席で何かに書き込んでから、まず上司らしき人のところへ、次に柱の向こう側へ、そしてコピー機のところへと、なんと小走りで移動している。昼休憩中にもかかわらず、すべての業務が稼働し続けているとは・・・。待たされるのを覚悟で、カバンには小説本が入れてあるが、思いもよらぬ展開にそれどころではなかった。

人民服やジャンパー、セーターといった中国の役人姿を見慣れた私には、背広やユニフォーム姿で仕事をこなす日本人は、なおさらカッコ良く映った。

・・・・・・

「ところで、息子さんはいつ日本に行かれたんですか?」と私。

「昨年10月です」と李さん。

10月というと、日中関係が冷え込み、国交正常化40周年の祝賀イベントが相次ぎ中止になっていた時期だ。

「日本での生活には、もう馴れましたか?」

すると、「特適応(ものすごく馴染んでいる)」とキッパリ。

李さんの息子Y君は30歳で、北京にある欧州の通信会社に勤務。これまでドイツやフィンランドに駐在した経験があるが、日本は初めてだ。

日常生活での言葉の壁や、地震の体験がないはずの彼にとって、しょっちゅう地震を感じると言われる東京・・・。しかし、李さんの顔にはそんな心配などみじんもうかがえない。

かつて、日本製のゲームに夢中の高三の息子には手を焼いたという李さん。ある日、そのY君がぶ厚い本に没頭する姿を見て、やれやれ、ようやく受験に本腰を入れたかと思いきや、それは『日本史』だった。歴史関連のゲームの攻略法を極めようとしていたのだ。

 「特適応」の理由が判った気がする。異国での不安より、憧れていた国で暮らす喜びの方が大きいのでは?

 そういえば、中国の他の友人の話では、2年前の日本へのツアー中、歴史上の人物の銅像を見かける度に、メンバーにその人物の時代や功績まで披露する若者がいたという。同じく、ゲーム+『日本史』の達人だった。

(三)

今年、新学期の初講義で一つの試みをした。三大学、三百人強の教え子たちにアンケートを取ったのである。中国の反日デモや日本製品不買運動、加えてPM2.5といったご時世にもかかわらず、よくぞ中国語を履修してくれた。その「動機」を知りたかったのだ。

回答には、次のような記述があった。

「マスコミはああいう風に報道しているが、かえって中国の本当の姿を知りたくなった」

「言語は政治とは関係ないと思います」

「友人が中国で、いっぱい親切にしてもらったから」

・・・・・・

 また、日中関係の将来や中国の経済発展を見据えた回答が多い中に、「中国の歴史が好き」、「『三国志』が好き」といった字句を目にする度に、『日本史』を読む中国の若者たちのことが脳裏をよぎった私である。

 

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─事務局から─

・会費納入のお願い

 平成25年度会費の納入をお願いいたします。当学会の会計年度は毎年7月1日から翌年の630日までです。ご了解ください。

 納入にあたっては、同封のゆうちょ銀行払込用紙をお使いいただきますと手数料が学会負担になりますので、どうぞご利用ください。(今回、既に納入いただいた会員にも払込用紙を同封しています。その際はご放念ください。)

 なお、会費の納入状況のご確認につきましては事務局までお問い合わせください。082-424-7139Eメール:storu@hiroshima-u.ac.jp へお願いいたします。

                                    (事務局長菅村 亨)

─会報部会から─

・チラシ同封について

会報の送付に際して、会員の方々が開催される展覧会・演奏会などのチラシを同封することが可能です(同封作業の手数料として、1回1000円をお願いいたします)。ただし、会報の発行時期が限られるため、同封ご希望の場合は、あらかじめ下記までお問い合わせください。次号の会報は、11月中~下旬の発行を予定しています。

・催し等の告知について

会員の関係する催し等の告知についても、会報への掲載が可能です(学会ホームページの活用も予定しています)。こちらについても、詳細は下記までお問い合わせください。

                                                             (馬場有里子082-225-8064baba@eum.ac.jp

 

研究発表募集

本学会は、随時、研究発表を募集しています。研究発表申し込み手順については、下記をご参照ください。

(1)研究発表主題、600字程度の発表要旨に、氏名、連絡先、所属ないし研究歴等を明記の上、

事務局宛てに、郵送またはE-mailにて、お申し込みください。

(2)委員会で研究発表の主題および要旨を審査の上、発表を依頼します。

なお、発表が承認された研究については、発表申し込み順の発表となります。例年、研究発表の機会は、12月、3月(または2)の例会、および7月の大会に予定しています。ただし類似の発表主題で一つのテーマを組んで例会等を構成することがあるため、場合によっては、発表順序が前後することもあります。あらかじめ、いつ開催の例会、あるいは大会で、発表するかを希望することができますが、以上の理由で、ご要望に応えることができるとは限りません。各例会・大会の日程については、決まり次第、会報・ホームページ等でその都度お知らせいたします。その他詳細は事務局までお問い合わせください。

 


― 次回第104回例会のご案内 ―

 

下記のとおり第104回例会を開催いたします。★ 詳細は、同封のチラシをご覧ください。

 

文化財と伊東豊雄建築の大三島周遊

touring around Omishima

秋の一日、瀬戸内海の要衝「国宝の島」を散策しませんか。

 

   古来、海と武人の守護神として尊崇を集めた大山祇神社には宝物館があり、武具では全国の国宝・重要文化財の約8割が収蔵されています。源義経や鶴姫ゆかりの品々も収蔵されています。また、昨年ヴェネツィア・ビエンナーレで<パヴィリオン賞(金獅子賞)>を受賞し、また本年は、“建築界のノーベル賞”とも言われるプリツカー賞を受賞した伊東豊雄の建築の美術館が2つあり、見どころとなっています。

  日程:2013年9月21日(土)

  時間:集合   08:20 JR広島駅新幹線口

途中乗車 10:00 JR東尾道駅

途中下車 17:05 JR東尾道駅

解散   18:40 JR広島駅新幹線口

  見学先:大山祇神社 宝物館、ところミュージアム大三島、伊東豊雄建築ミュージアム、

      岩田健 母と子のミュージアム(設計:伊東豊雄)

  参加費:4000(入館料・昼食代は各自負担)

  定員:26

  申込締切:8月31()

  申込先:E-mail: thitoku@hiroshima-u.ac.jpFax:(082)424-7141(広島大学:一鍬田)

      氏名(同伴者がいる場合はその方の氏名も)及び連絡先を明記の上、お申込みください。

      ※ 会員以外のご参加は、参加費用が+1,000円となります。ご了承ください。