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広島芸術学会 第31回総会・大会 案内

日時:平成29年7月16日(日)

場所:サテライトキャンパスひろしま5階 大講義室502

(広島市中区大手町1-5-3 広島県民文化センター内 Tel. 082-258-3131)

≪総会≫ 10:00~10:45 (9:30受付開始)

≪大会≫ 10:50~17:00

◆ 研究発表

① 10:50~11:35

「公的教育機関と県主催展覧会による地方芸術文化の発展―香川県工芸学校 と香川県美術展覧会を中心に―」

佐々木千嘉(金沢美術工芸大学大学院・博士後期課程)

② 11:40~12:25 「映画以前の伊丹万作―画家としての思考―」

吉田 拓(広島女学院大学 講師)

<昼休憩:12:25~13:30>

③ 13:30~14:15 「川村清雄《海底に遺る日清勇士の髑髏》再考」

  村上 敬(静岡県立美術館上席学芸員)

<休憩:14:15~14:25>

◆ シンポジウム「広島の地域性と美術」 14:25~17:00

司   会

福田道宏(広島女学院大学 准教授)

パネリスト

城市真理子(広島市立大学国際学部・芸術学研究科 准教授)

隅川明宏(広島県立美術館 学芸員)

花本哲志(頼山陽史跡資料館 主任学芸員)

宇多 瞳(広島市現代美術館 学芸員)

今井みはる((公財)みやうち芸術文化振興財団・アートギャラリーミヤウチ 学芸員)

 

※ 懇親会:大会終了後、会場の近くで懇親会を予定しています。

★ 参加申込み方法

総会・大会(研究発表・シンポジウム): 参加費無料、申込み不要。当日、会場に直接お越しください。

 

● 大会研究発表要旨

① 公的教育機関と県主催展覧会による地方芸術文化の発展―香川県工芸学校と香川県美術展覧会を中心 に―

佐々木千嘉(金沢美術工芸大学大学院・博士後期課程)

本発表では、香川県工芸学校(現香川県立高松工芸高等学校)及び香川県美術展覧会(香川県展)に注目し、地方芸術文化の発展に見られる、近現代の公的教育機関における美術教育の実践とその成果について考察する。

香川県における芸術文化の活性化には、香川県工芸学校と香川県展が及ぼす強い影響力を垣間見ることができる。香川県の芸術分野の発展は、県内出身の多くの画家や彫刻家、美術工芸作家たちに支えられ、彼らのなかには東京や海外へ進出して創作活動を行う者も多く現れた。

明治31年、産業振興を目的として創設された香川県工芸学校は、地場産業である漆器産業を中心に、漆工、金工、木工などの職人の技術を養成し、県内産業界に寄与してきた。その一方で、この学校からは多くの芸術家を輩出し、彼らは地元香川県においても展覧会を開催するなど、県民に美術に対する理解と鑑賞の機会を与え、その知識や経験を地元に還元し、後進育成に貢献した。他県に先駆けて昭和9年から開催されている香川県展は、県主催の公募展において特に長い歴史を誇る。この事実は、香川県の芸術文化に対する理解が全国でも早い時期から芽生えていたことを反映している。

香川県からは、官展で特選を受賞し、さらに審査員まで務める芸術家も多く輩出している。こうした背景には、県内における公的教育機関で実施されてきた美術教育の充実と、恵まれた作品発表の場として機能してきた県主催の展覧会の開催が、その発展に深く寄与していたのである。

② 映画以前の伊丹万作―画家としての思考―

吉田 拓(広島女学院大学 講師)

伊丹万作(1900–1946)は、現在もなお映画監督・脚本家そして映画批評家として高い評価を得ている。しかし、映画界にかかわる以前には進むべき人生を大いに悩み苦しんだ数年間があった。

万作は、旧制松山中学時代から回覧雑誌『楽天』(大正年間頃)を作り、伊藤大輔(1898–1981・映画監督)らとともに文章や絵画の表現を追求していた。その後、万作は挿絵画家として『少年世界』(博文館)などで作品を発表していくが、1925年10月頃を境に挿絵を全て辞めてしまう。収入が途絶え生活が儘ならなくとも、どうしても画家になりたかったのである。

その当時の思いは、『楽天』の後継誌で中村草田男(1901–1983・俳人)らと発行した回覧雑誌『朱欒(全9冊)』(1925–26年)第3号(1925年12月)に掲載された「自分が繪描きで無かったら」という詩によく表れている。この詩は、「もし~なら」の仮定形式を使用しながら夢と現実の間で苦悩する内面を吐露している。

映画界におけるペンネームである伊丹万作はよく知られているが、映画人になるまでの彼の作品は、ほとんど知られていない。本発表では、万作となる以前の池内義豊(雅号・愚美[茱萸])の詩「自分が繪描きで無かったら」(未公開)を中心に、彼が目指す芸術家としての姿勢と映画人・伊丹万作を形作った思考について考察する。

③ 川村清雄《海底に遺る日清勇士の髑髏》再考

村上 敬(静岡県立美術館上席学芸員)

川村清雄は日本人としてごく早い時期に渡欧した画家であり、いわば日本人洋画家の第一世代である。川村は日清戦争直後に油彩画《海底に遺る日清勇士の髑髏》(明治30年頃・静岡県立美術館蔵)を制作した。同作は個人の発注に基づいて成立した作品で、作家生前に行われた2度の展覧会に出品されたのち、ながらく人目に触れることがなかったと考えられる。作品のモチーフは黄海海戦。同時代の事件を取り扱った「歴史画」ではあるが、発注者の趣旨を踏まえた「慰霊」の意図が濃厚で、例えば展覧会美術における歴史画とはかなり異なったものとなっている。

 また、本作は画中に歌(「海ゆかば」)を含みこんだ作品であり、くわえて制作の約30年後になって発注者による箱書を持つに至った作品でもある。これらテクストとイメージとの関係も、近代絵画としては異例といえよう。

 本発表では、既往研究で指摘されていた制作者(川村清雄)・発注者(木村浩吉)・着賛者(勝海舟)の関係を再確認したのち、これまで指摘されていなかった木村と福澤諭吉の交遊や、箱書をめぐる時代性、テクストと絵画との関係について再検討する。

 結論として、「近代の美術展覧会における歴史画」といったマスメディア論的問題のみならず、本作のようないわば「親密な(intimate)」側面をもつ――あえていえば近世以前の日本絵画のような――近代絵画についてあらたな視点から論じていく必要と可能性を提示したいと思う。

 

● シンポジウム:「 広島の地域性と美術 」

<主旨>

中世~近代の美術と現代美術が、広島という地域ではどのように呼応し、連続しているのであろうか。古美術では単に中央の文化的余波としての地方の美術ではなく、土地の歴史や地理的条件など地域性を重視すべきものもあろう。また、近現代美術についても同様の観点の知見を併置し、全体としてなにがしかの特徴が浮かび上がるのではないかという期待がある。とりわけ、広島市は、原爆によってそれ以前の歴史的痕跡をほぼ失ってしまったのだが、とはいえ、周辺にはそれらのかつての在り方を示唆するものが断片的にありそうである。また、戦後の復興においては、かつての歴史的・文化的パワーがその再生を根幹で支えたということはなかったのだろうか。

本シンポジウムでは、厳密に学問的な分析による結論を求めるというより、通常は切り離されている古美術と現代美術について、対象地域を広島市とその周辺地域に拡げてみることで、相互の共通性や差異の新たなイメージが得られることを企図するものである。

城市真理子・福田道宏

<パネリストによる発表主旨>

城市真理子(広島市立大学国際学部・芸術学研究科 准教授):「広島の中世・近世の絵画―周辺から中心を考える試み―」

広島の古美術、とりわけ中世~近世にかけての美術について考察するのには大きな困難がある。いわば文化的中心地の文化財が失われているからだが、浅野入城以前、中世の大内文化の影響や広島城築城の頃まで、主に絵画史についてどんな様相であったか、広島の周辺、主に三原の事例を参照して復元的に考察してみたい。

隅川明宏(広島県立美術館 学芸員):「近世広島画壇と浅野家」

近世広島では,狩野派,南蘋派,四条派,文人画など,様々な画家の活動があった。その様子は,宮島・厳島神社に奉納された絵馬の状況にも表れており,近世広島画壇の活況が浮かび上がってくる。また,パトロネージの観点から,藩主浅野家に注目。同家伝来の絵画コレクションと近世広島画壇との関係にも言及する。

花本哲志(頼山陽史跡資料館 主任学芸員):「転換期を生きた日本画家・里見雲嶺」

里見雲嶺は、四条派の画法を徹底して学び、幕末から明治大正期を生きた人物である。その作風は生涯大きく変化することはなく、四条派の「真正保守」ともいうべき人物であった。明治大正期広島の日本画壇を牽引した人物として知られる里見雲嶺は、近世から近代へと時代が大きく転換していく中をどう生きたのか。残された作品を通してそれを探ってみたい。

宇多 瞳(広島市現代美術館 学芸員):「殿敷侃と広島の記憶」

 殿敷侃にとって、広島は絵を描くきっかけとなった画家の名柄正之との出会いや、美術評論家久保貞次郎の導きを生んだ原点である。また彼は、1982年のドクメンタを観て「ヒロシマ」を思ったという。「過去そしていま、アーティストはヒロシマに対して何をしてきただろうか」。本報告では、殿敷自身の言葉を借りるならば「震源地」である広島の記憶を、彼の足跡を手がかりに探ってみたい。

今井みはる((公財)みやうち芸術文化振興財団・アートギャラリーミヤウチ 学芸員):「アーティストが表現する広島―アートギャラリーミヤウチでの展示から―」

現在広島を拠点とする作家は、広島という地域性をどのように捉えているだろうか。アートギャラリーミヤウチでの展示テーマや出品作品を中心に、特に若手作家が考える広島の地域性を取り上げたい。加えて廿日市での現代美術を通した地域との関わりから、事例報告と今後の可能性を民間施設の立場から考えてみる。

 

● 第119回例会報告

◇ 「神勝寺 禅と庭のミュージアム」―禅とアートの融合をめぐる旅―

報告:山本 和毅 (香取会計事務所 学芸員)

広島芸術学会の第119回例会が、2017年(平成29年)5月27日(土)に開催された。今回は、昨年9月、禅の教えの体験をテーマに、福山市沼隈町にオープンした「神勝寺 禅と庭のミュージアム」を訪れた。企画・案内をしてくださったのは、ふくやま美術館特任研究員谷藤史彦氏。参加者は15名。

当日、11時過ぎに福山駅へ集合し、そこからバスに揺られること約40分。「みろくの里」を通過し、さらに山道を行くと目的地に到着である。入口の門をくぐるとまず見えてくるのが、藤森照信設計の「松堂(しょうどう)」(寺務所)。チケットを買う前に、さっそく案内人谷藤氏から解説をいただく。その名の通り松をイメージしたこの建物は、屋根に松の木が植えられ、歩廊の柱にも松丸太を使用しているとのこと。印象的なごつごつとした茶色い屋根は、松の木の樹皮を思わせる(屋根は銅板を使用)。屋根に植物を植えるのは、藤森照信の設計にしばしば見られる特徴だが、この場合、建物が周囲の自然に溶けこむのを一層効果的に演出していた。

最初に一行は、修行僧たちにとって一番のご馳走だという、うどんをいただいた。「五(ご)観堂(かんどう)」にある食事処では、僧侶たちの食事が追体験できる。用意されたのは、通常の3倍の太さはある箸(雲水箸)と大中小3枚組の器(本来は5枚組)。うどんが茹で上がるのを待つ間、箸や器の使い方について説明を受け、いざ実食となる。普段、何気なくしている食事も、ちょっとした作法や心遣いで神聖なものに思えてくるから不思議である。

その後、本堂のそばにある「荘厳堂(しょうごんどう)」を目指し、長々と続く階段を昇る。「荘厳堂(しょうごんどう)」には、江戸中期の禅僧であり、奇想の画家としても知られる白隠禅師の作品が多数展示されている。食後の運動を終えた一行は、広島市立大学の城市真理子氏による熱心な講義で白隠に関する予習をし、作品鑑賞の時間へ。白隠の本格的な画業は還暦過ぎから始まったというから驚きだ。力強い筆遣いや独自の世界観はむしろ若々しく感じられた。

最後に向かったのは、「洸庭(こうてい)」。ここは、現代美術家名和晃平によるインスタレーションが体感できる。この作品は、禅の教えや経験に現代美術の手法でアプローチしたものとのこと。舟型の建物の中には巨大なプールがあり、一杯に水が張られている。懐中電灯を渡されて真っ暗な建物の中へ入っていくと、次第に巨大なプールの水面が浮かび上がってくるのだが、ここから先はぜひ一度足を運んで禅の世界を体感いただきたい。

見学の方はここで時間切れ。再びバスで福山駅へ戻って解散となった。他にも浴場やお茶室など、4時間弱の滞在ではすべてを回り切れなかったが、禅の世界にふれ、心休まるひと時となった。この日は、鞆の浦の花火大会の日だったようで、予定より早く解散したこともあり、各々福山の街を堪能して帰途についたと聞く。

 

● インフォメーション

【会員による出版】

 会員の西原大輔氏、谷藤史彦氏が、以下の著書を出版されました。

 

西原大輔著『日本人のシンガポール体験』(人文書院、2017年3月刊)

文学や美術などを中心として、日本人のシンガポール体験を追った著作です。副題に「幕末明治から日本占領下・戦後まで」とあるように、主に幕末から戦後までの約百年間の、日本人とシンガポールとのかかわりを追いました。欧州航路の寄港地であったシンガポールには、実に数多くの著名人が上陸しています。福沢諭吉、森鷗外、夏目漱石、二葉亭四迷、永井荷風、金子光晴、今村紫紅、横山大観など。第二次世界大戦中、シンガポールは日本の占領地となり、昭南島と呼ばれました。戦時下には、井伏鱒二や小津安二郎が居住し、藤田嗣治や宮本三郎も絵を描きに訪れています。近代日本人は世界をどのように見たのかという問題意識に基づき、日本人のシンガポール観を歴史的に探究しています。

(西原大輔)

 

谷藤史彦著『武田五一的な装飾の極意茶室からアール・ヌーヴォーをめぐる建築意匠』(水声社、2017年4月刊)

 山口県庁、京都大学、同志社女子大学などの公共施設をはじめ、明治村に移築された芝川又右衛門邸など数多の作品を残し、明治末期の欧州留学後アール・ヌーヴォー、ウィーン分離派などの新しいデザインを日本に紹介した〈関西近代建築の父〉の軌跡をたどる。

「はじめに」より: 本書では、ヨーロッパ留学時代のスケッチに武田五一的な装飾の面白さを見ていくとともに、留学で得たアール・ヌーヴォー、ウィーン・セセッションの研究の成果、および留学以前に得た茶室研究やプロポーション論にも触れながら、図案や意匠における基本的な考え方、そしてフランク・ロイド・ライトとの関わり、得意としたスパニッシュ様式などについて注目してみたい。とくに武田が何気なく描いた装飾的な断片は、現代のデザイン感覚から見ても決して色褪せていないことが確認できるだろう。

(谷藤史彦)

 

※ 会員の皆さまの活動(出版、作品展、コンサート、受賞、等々)について、随時、会報にて告知いたします。掲載事項のある方は、どうぞご遠慮なく、事務局または会報部会までご一報ください。

 

会報への投稿について

当会報への、会員諸氏による積極的な投稿を歓迎いたします。

内容、分量等については、下記をご参照ください。

投稿内容 : 批評・レポートなど(展覧会評・演奏会評・演劇評・書評や、学会参加レポートなど)、評論・エッセイなど(芸術・美に関わる内容のもの)

分量 : 600字~1200字程度 ※上限を超える場合にはご相談ください。

原稿の採否および掲載時期 : お寄せいただいた原稿の採否および掲載時期については、 会報部会にて判断させていただきます。

投稿および問い合わせ先 : 事務局(hirogei@hiroshima-u.ac.jp)

 

―事務局からー

◆ 会費未納者の方々へ

今年度の会費をまだ納めていない方は、今年度末日の2017年6月30日までに納入を完了してください。なお、当学会の会則第4条では「4 本会の会費を3年以上滞納した者は、会員資格を喪失する。」と規定されていますので、滞納には十分ご注意ください。

◆ 学会メーリングリストの運用開始

会報141号と142号でお知らせした学会メーリングリスト(ML)の運用を来年度に開始します。ML登録希望の方は、登録希望のメールアドレスから、その旨事務局(hirogei@hiroshima-u.ac.jp)までご連絡ください。

(事務局長・大島徹也)

◆ 新入会者のお知らせ(敬称略)

所 ふたば(ところ・ふたば/高橋由一、日本近代洋画)

倉田 麻里絵(くらた・まりえ/映画)

 

─会報部会から─

◆ チラシ同封について

会報の送付に際して、会員の方々が開催される展覧会・演奏会などのチラシを同封することが可能です(同封作業の手数料として、1回1,000円をお願いいたします)。ただし、会報の発行時期が限られるため、同封ご希望の場合は、あらかじめ下記までお問い合わせください。次号の会報は、8月下旬の発行を予定しています。

◆ 催しや活動の告知について

会員に関係する催しや活動を、会報に告知・掲載することが可能です。こちらについても、ご遠慮なく、下記までご連絡、お問い合わせください。

(馬場有里子090-8602-6888、baba@eum.ac.jp)