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● 巻頭言

ヴィクトリア朝絵画の人気について

加藤哲弘(関西学院大学文学部教授)

今年(2018年)1月に、イギリスのマンチェスター市立美術館で、ちょっとした事件が起こった。同館所蔵品のなかでも有名で人気も高いウォーターハウス作《ヒュラスとニンフたち》(1896年)が、1月26日に、突然、展示室から撤去されたのである。作品の掛けられていた壁には手書きのメモが貼り付けられていた。それによると、この空虚な空間は「マンチェスターの公的収集品となっている芸術作品を21世紀の今にふさわしいかたちで展示し、解釈するには、どうすればよいのかについて語り合いを促す」ためのものであり、自分たちとしては、「ファム・ファタル」という常套句のもとに受動的な装飾的形態で描かれた少女の身体を、「美の探求」と称する部屋に掛けつづけることへの疑問を提示したいと書かれていた。

現地では、高級紙から大衆紙までの新聞が、この「事件」を、”#Me Too” や ”#Time’s Up” などの最近の潮流に関連づけて、大々的に採りあげた。報道のなかには、昨年(2017年)12月にメトロポリタン美術館で起きた、バルテュス作品の撤去要求運動に言及するものもあった。

ところが、撤去後7日目の2月3日に、この絵は、再び、突然、もとの場所に戻される。担当学芸員によれば、今回の撤去の目的は、作品を否定することではなく、あくまでも議論を引き出してくることであり、それは成功した。だから原状に戻したのだと言う。また、この「事件」が、じつは3月から同美術館で個展を開催するアフロ・カリブ系のイギリス人アーティスト、ソニア・ボイスが学芸員の協力のもとで仕掛けた「ハンズ・オン」の「アートパフォーマンス」であったことも明らかにされた。

映画についてもそうであるが、美術館に展示されている絵画も、鑑賞者からの政治的反応から超然としていることはできない。大げさに言えば、現代社会では、美学の基本的な教義の一つである「無関心性」は否定される。サルトルではないが、今のわたしたちの社会において芸術作品は、利害関係から離れたところで美的経験の対象にとどまってはいられない。誰かにとって美と感じられるものが別の誰かには不快感をもたらすかもしれないということをわたしたちはつねに意識していなければならないからである。

今回のマンチェスターでは、短期間で展示が再開された。これを、表面的な人気を優先した反動的妥協とみるか、それとも、作品を人質にとるという短絡的で独断的な「検閲」に対する芸術愛護の側の勝利とみるかは、それぞれの立場によって異なるにちがいない。しかし、少なくとも、いつ同じような状況に置かれるかもしれないわたしたちにとって、ある意味で、うらやましいのは、必ずしも一方的に結論が押し付けられてはいないこと、そして、美術館の公式サイトに設けられたブログや、撤去されたギャラリーの壁に貼られたポストイットメモなどに夥しい数の反応が示されたことである。同館のブログでは、この件について、賛否双方の立場から活発な議論が今も継続されている。

ラファエル前派やヴィクトリア朝絵画、さらには19世紀末の象徴主義デカダンス絵画は世界中で人気が高い。その作品は、一時は、とくに近代主義的批評のなかで、芸術としての価値がほとんど否定されかけていた。しかし現在では、日本でも、不快感どころか、学生たちが好んで卒業論文の対象に選んでいる。なぜそのようなことになるのか、それにどのように対処すべきなのか、考えさせられる出来事であった。

 

● 第121回例会報告

研究発表報告① ミシェル・ルグランにおける「鳥の鳴き声」の一考察

発表:倉田麻里絵(関西学院大学大学院文学研究科 大学院研究員)

報告:馬場有里子(エリザベト音楽大学)

ミシェル・ルグラン(1932- )は、『シェルブールの雨傘』、『ロシュフォールの恋人たち』などの映画音楽で広く知られるフランスの作曲家である。倉田氏の発表は、ルグランが音楽を手掛けた数多くの映画・映像作品の中から、自ら脚本・監督を務めた唯一の映画である『6月の5日間』(1989)、および『城の生活』(ジャン=ポール・ラプノー監督、1965)とアメリカのテレビ番組(ABC Afterschool Specials)からMichel’s Mixed-up Musical Bird(1978)の計3作品を対象に、そこに含まれる「鳥の鳴き声」とその描写、および鳥の声の「音楽化」について考察したものだった。『6月の5日間』と『城の生活』はノルマンディー上陸作戦時のフランスを描いた作品、Musical Birdは、アニメーションと実写による、保護したカササギとの交流をめぐるルグランの自伝的物語である。

倉田氏は、上記作品でのルグランの鳥の扱いの背景に、きっかけとしての自伝的エピソード(カササギの保護経験)に加えて、フランス文化における伝統(音楽における鳥の声の描写、自由の象徴としての鳥のイメージ)についての共通認識、また、映画音楽の「わかりやすさ」を大事にするルグランの姿勢があると指摘した。さらに、3作に共通して、ルグランが、「物語内」に含まれる鳥の鳴き声や鳥笛、および鳥の映像という要素を「物語外」の音として流れる映画音楽へと「音楽化」し、さまざまな連想も含めて相互関連性をもたせることで、鳥の表現に多層的な意味を与えている、と結論づけた。

ルグランの映画音楽を鳥の鳴き声や描写という観点から取り上げた先行研究はないとのことだが、今後、倉田氏がこの研究をどう展開されていくのか興味惹かれるところである。

 

研究発表報告② 戦争と「写真館文化」:西日本地域の事例を中心とした考察

発表:李 京彦(大阪芸術大学大学院 嘱託助手)

報告:山下寿水(広島県立美術館学芸員)

李氏の研究は、「写真館文化」という言葉を用いながら、営業写真館によって創出された様々な事象を探るものである。とりわけ本発表では、戦時下における写真行為について考察がなされた。近年の写真研究においては、戦時下の報道写真において様々な視点から考察がなされている。また、正史からこぼれ落ちた人々の姿を捉えたヴァナキュラー写真も活発に研究されている。今回の発表テーマは、こうした2つの大きな流れに連なりつつも、細かな調査研究が進んでいない範囲に光を当てようとする重要なものだったといえよう。

李氏によれば、日本の写真史に営業写真館や写真師が登場するのは1920年代頃までだったという。そして、1930年代から国内には全体主義的傾向が強まり、写真だけでなく、社会全般において統制や検閲が厳しくなり、幕末の写真伝来以後、初めての衰退期を営業写真館業界が迎えることとなった。そうした社会的背景を基に、軍や戦争関係の写真が営業写真館の新たな業務として生み出され、新しい「写真館文化」が創出されたという。

発表においては、まず写真の大量生産を推し進めたディスデリ(André-Adolphe-Eugène Disdéri 1819-1889)とナダールとの肖像写真とを比較しながら、ディスデリの手法が軍の制度と結びついた流れについて説明された。また、こうした「写真館文化」が日本においても戦時統制下において同様に根付いたことを示しながら、氏の丹念なフィールドワークによって調査された関西圏の事例が説明された。加えて、自身の韓国での兵役中の体験を交えながら、軍という制度がいかに写真行為に影響を与えているか、実感を持った発表がなされた。

限られた時間において広範なテーマに及んだこともあり、それぞれの事象の結び付きが弱く感じられた点はあったが、営業写真館にまつわる研究は今後の日本写真史において非常に意義深いものであり、今後の発展が期待される発表であった。

 

─事務局から─

◆ 【重要】会報の電子化とメールアドレスの登録

来年度中を目処に、会報を基本的に電子化してe-mailで配信することが、本年度第2回委員会(2017年12月)で決定しました。つきましては、電子化された会報をお受け取りできるe-mailアドレスを、事務局(hirogei@hiroshima-u.ac.jp)までお知らせください。お知らせがない場合は、会報を配信することができませんので、どうぞよろしくお願いいたします。(皆様のe-mailアドレスは事務局が管理します。個人情報の保護には充分に配慮し、また当学会の活動に直接関係する目的以外では使用しません。)

入会申込書にe-mailアドレスを記載してくださっていた方や、メーリングリストにご登録済みの方は、そのe-mailアドレスを使わせていただきますので、その後変更が生じている場合のみ、新しいe-mailアドレスをお知らせください。

何らかの特別な理由により従来通り紙媒体でのお受け取りを希望される方は、その理由を事務局までお知らせください。委員会でその理由が認められた場合は、紙媒体でのお受け取りを継続することができます。

 

◆ 会費等払込み手数料の会員個人負担化

当学会がお渡しする「払込取扱票」を使って会費納入等をしていただく場合、1件あたり発生する80円(ATM)ないし130円(窓口)の手数料を、これまで当学会が負担してきました。しかし、本年度第2回委員会での検討の結果、当学会の財政再建の一環として、今後はそれらの手数料を会員個人負担とさせていただくことになりましたので、どうぞご了承ください。

 

◆ 入会案内書

当学会の入会案内書を新たに作成しました。ホームページの【入会申し込み】の中に「入会案内」というPDFを掲示してあります。会員の皆様におかれましては、ご知人に対する入会勧誘などにもぜひご活用ください。

(事務局長・大島徹也)

 

◆ 新入会者(敬称略)
和 暁禕(HE XIAOYI/ライトノベル)
渡辺 敬子(わたなべ・けいこ/地元ゆかりの作家、地域型芸術祭)
黒川 修一(くろかわ・しゅういち/日本近世美術、中国工芸)

 

─会報部会から─

・チラシ同封について

会報の送付に際して、会員の方々が開催される展覧会・演奏会などのチラシを同封することが可能です(同封作業の手数料として、1回1,000円をお願いいたします)。ただし、会報の発行時期が限られるため、同封ご希望の場合は、あらかじめ下記までお問い合わせください。次号の会報は4月中旬の発行を予定しています。

 (馬場有里子090-8602-6888、baba@eum.ac.jp)

 

― 次回第122回例会のご案内 ―

 

下記のとおり第122回例会を開催いたします。どうぞ多数お集まりください。

 

日時:2018年3月21日(水祝) 14:30~17:15

会場:広島大学(東広島キャンパス)学生プラザ4階 多目的室1・2

※ JR西条駅から「広島大学」行のバスに乗って「広大西口」下車(所要時間 約15分)

  総合科学部C棟北側の白い建物です(バス停より徒歩5分)。

※ 時刻表は広島大学ホームページから検索できます。

 

 <研究発表要旨>

① 谷口仙花の描いた女性像―戦前の作品を中心に

角田知扶(呉市立美術館学芸員)

日本画家谷口仙花(1910-2001、本名富美枝)は、川端龍子率いる青龍社展で画壇にデビューし、斬新な着想と確かな描写力で女性を生き生きと描き出し、世間の注目を集めた。仙花は、女流画家がまだ珍しい時代、時代の寵児と持ち上げられ、女性蔑視の思想に苦しみながらも、独立し銀座で二度の個展を開催するなど、画壇への挑戦を続けた画家である。1944(昭和19)年に日本画家船田玉樹と結婚、呉市に疎開。玉樹と離婚後、1955(昭和30)年に日系人男性と再婚するため渡米。日本画壇に復帰することなく、米国で死去した。

仙花がおよそ10年を過ごした呉市やその周辺地域には、仙花の足跡が色濃く残り、呉市では多くの作品が見つかっている。だが戦前の華々しい活躍に比して現存する作品が少なく、今日その名を知る人は少ない。 本発表では、歴史に埋もれた画家とも言える仙花の画業を掘り起こし、仙花の描いた女性像、特に「働く女性」やモダンガールなど女性の表象に焦点を当て、当時の時代背景や画壇における評価をふまえつつ,仙花の女性観や社会観について考察する。

また、現在判明している限りの仙花の作品と、彼女が多く残した文章を振り返りながら、表現者としての姿勢と画家・谷口仙花の目指したものについて検証し、今後の仙花研究の必要性を提示したい。

 

② 明治期の広島における洋楽普及のネットワーク~一次史料の調査をもとに~

能登原由美(「ヒロシマと音楽」委員会)

現在、日本で耳にする音楽の多くは、明治期に入り欧米から取り入れた音楽をもとにしたものである。開国により欧米の文化に触れた日本は、音楽についても政府主導の下、軍事、教育の場を中心に西洋の音楽(以後、洋楽と略)を普及させる政策を行った。とはいえ、全く異質の文化を浸透させるには相当の時間と労力を要したであろうことは想像にかたくない。とりわけ、広島のような地方都市に対して中央政府の方針や意向がどのように伝達されたのか、交通網や情報網が発達していなかった当時の社会状況を鑑みながら考えてみる必要があるだろう。明治維新から150年を迎える今年は、日本への洋楽流入が本格化してから150年という年でもある。そこで本発表では、日本における洋楽150年の歴史の中でもその草創期に当たる明治期に焦点を当て、新しい音楽文化が地方の社会に浸透していくまでの過程について明らかにする。

近年、日本における洋楽の普及と受容に関する研究は、東京を中心としたものから各地方都市における研究へと広がりつつあるが、広島については人物や団体などに焦点を当てた個別研究にとどまっている。そこで、本研究では「普及」という視点から全体を俯瞰するべく、新聞・雑誌などの一次史料の調査を行った。その結果、中央から洋楽が伝達されるネットワークにおいて学校教育界と民間では大きく異なることが明らかとなった。本発表ではさらに、こうした違いが洋楽の普及と浸透にどのような意義をもつのかについても考察を試みたい。