変身したい?
子供の頃,ハヤタ隊員のようにウルトラマンに変身したかった.
もちろん,イデ隊員も好きだったわけだけれども,変身するということに憧れていた.
仮面ライダーの変身のまねもしていた.
あのころの子供たちはみんな変身に憧れていた.
今から考えてみると,変身することは悲しみを伴うものだと思う.
ハヤタ隊員も本郷猛も二度と普通の人には戻れないのだ(ハヤタ隊員はゾフィーによって分離してもらえたけど).
全く違うことを考えてみよう.
学ぶということは,どういうことなのだろうか?
私たち教員は,講義で電磁気や半導体などさまざまな学問分野を学生に教えている.
学生は,これらを「学ぶ」ときに,何かを感じているのだろうか.
期末テストで合格点が取れた,「秀」や「優」が取れたということが一大事なので,点数を取れるようになることが学ぶこと,習った知識をすべて覚え込むこと,知識を使えるようになることが「学ぶ」だと思っているのではないだろうか.
こういった考えは,視野がすこし狭いと私は思っている.
これらは,「学ぶ」イコール「知識や技術の受け渡し」という前提に立っている.
もちろん,知識や技術を教員が学生に伝達する一面は持っているが,それだけではないと思っている.
「学ぶ」ということは,違う人間になることだと思う.
変身してしまう,ということだと思う.
知識や技術を伝達するということは,たとえれば,データの入ったUSBメモリーをコンピュータ本体に差し込んで,新しいデータを使えるようにすることに対応すると思う.
あくまで本体の追加物として,データを外付けで持つわけで,USBメモリーを外してしまえば,使えなくなってしまう.
知識についても,それだけを身につけようとしたらば自分の最も外側の,一番失われやすい部分に知識を持つことなる.
では,変身してしまうということはどういうことか?
付属品ではなく,自分の中身に取り入れてしまうことであり,たとえて言えば,ハードディスクの中身(OS)を変えてしまうことになる.
つまり,学ぶことによって,人は違う人間になることができる(変身してしまう)ということである.
この変身した人は,以前とは異なる能力を持つため,以前と同じ見方や考え方を持つことはできない.
たとえば,知らない数式を見たときに,以前ならば全くちんぷんかんぷんでとりつく島もなかったかもしれない.しかし,変身した後では,知らない数式であっても,単なる数学の式なのか,ものの時間変化を表しているのか,なんらかのヒントを見いだすことができるかも知れない.
大学生は,自分たちの先生が何でも知っているかのように思っているかも知れない.
しかし,先生たちは何度も変身した後なのだ.
知らないモノでも,理解するためのヒントを見つけてしまえるから,知っているかのように見えているのかもしれない.
単なる知識の量だけではないのだ.
もし,知識だけを身につけようとしたら,その知識はすぐに忘れてしまうが,変身すればそれほど忘れなくなる.
逆に,返信する前の状態にはもう戻れない.
学校で学ぶということは,改造されてしまうということなのだと思う.
そして,自分が違う人間に変身することを拒絶すると学べない.
あなたは変身したいから,大学に来ているのだよね.