学会で発表すること
2020.7
大学院で研究して,何らかの成果がでれば,学会で発表する.
これは当たり前のことであるが,学生の中にはそのことがうまく理解できない人も居るようである.
学生の視点からすると,大学院のカリキュラムに沿って単位を取得すれば十分ではないか,学会で発表するためにする準備を余計なことではないか,などと考えるの
かもしれない.
就活や授業で忙しいので,余計なタスクを増やしたくない,遊びにも行きたいなどと考えているかもしれない.
(就活や授業の日程と重複は避けることは容易である)
学会での発表は大学院における重要な研究活動の一部である.
大学院において,大学院生はその自分の研究テーマにかんして研究活動をしている.
その研究活動の過程では,その研究に関連している学問分野を学び,その学問分野での先人たち研究成果を参考にしているはずである.
自分が研究をするときには,他の研究を勉強させてもらっておきながら,自分の研究成果は他の人に使わせないというのは不公正な言い分である.
研究をおこなうということは,その分野の研究コミュニティの一員としての参加するという側面も持っている.
「巨人の肩に乗る」という言葉が学問の世界にはある.この言葉は,研究というのは先人たちの積み上げてきた大きな遺産の上に自分がほんの少し付け加えるような
物であるということを表わしてる.
ほんの少しでも付け加えることができたことを他の人の研究に還元できる形にするということは,自分の得られた知見を発表して他の人に知らせるということにほか
ならない.
また,研究のために(多少の差はあったにしても)費用がかかっているはずである.
このような費用は,学生個人のために投資しているだけではないので,その成果を報告という形で還元することは義務となる.
最も望ましいのは成果を,論文という形で発表することであり,そうすれば世界中の人に成果を資産として引き継ぐことができる.
学会での発表は,カリキュラムでは指定されていないが,教育の一つである.
大学内での研究の発表は,研究室内でのゼミや議論,専攻内での中間発表や修士論文発表会などであり,学内のメンバーが聴衆にならざるを得ない.
学内では,教員も学生も含めて,自分と近い研究をやっている人はそれほど居ないはずであり,そこでの専門性の高い議論は限界がある.
しかし,学会では近い研究分野の他大学の教員や学生,研究者との専門性の高い議論が可能である.
また,学会での発表は重要な他流試合の機会である.
他大学の同世代の学生と議論して,自分の勝っている部分や劣っている部分を認識できることもある.
自分自身の研究を別の視点から見直して,新しい成果に結びつけることも可能になる.
学会の発表の準備および発表自体は非常に負荷のかかる経験であるが,この負荷の経験自体も自分の能力を伸ばすために有効である.
自分のできることだけをやっていても能力は伸びない.自分の実力よりも少し困難なことに挑戦したときに新しく能力を拡大・獲得できる.
大学院というのは,研究できる恵まれた環境である.
そこでおこなっている研究成果が今すぐ製品に結びついたり,役に立つとは限らないし,そのような形ですぐに社会に貢献できることは稀である.
しかし,その成果を次の別の人たちの研究のために利用できる形で残すために発表するという自体が,未来の研究を経由した社会への貢献である.
そのためには研究を発表するべきである.