社会に貢献するということ


2022.3 

社会にでる機会に,というか就職活動においても,社会に貢献したいと考えている人もいると思う. 就活などでも多用される.
私は社会に貢献するという言葉が好きではない(実は,SDGsという言葉もあまり好きではない).
私は,このような言葉に,空々しさや嘘くささを感じてしまう. そう言っておけば,誰も反対や批判をしないだろう,という計算を感じてしまう.
もちろん,社会に貢献するということは大事であるが,それを声高に叫ぶことが本当に必要で重要なことなのだろうか,と考えて欲しい.

こういうときには逆に「社会に貢献しない人」を考えてみるとよい.
あなたのご両親は社会に貢献していませんか?
街のパン屋さんは貢献していませんか?

これらの問いからわかることは,実は社会というのは全ての要素を一人が担っているわけではなく,それぞれがそれぞれの部分を担い,それらが組み合わさって構 成されているという当たり前のことである.
そう考えると,我々が成すべきことは,特別な仕事を取り上げて,その仕事だけが社会に貢献しているという間違った印象を捨てることである.
我々は,自分のできることや成すべきことを責任をもっておこなうことが,社会に貢献するということである.

私たちはスーパーマンやマーベルのヒーローではない.
全ての人がスポットライトを浴びて社会に貢献している姿を見せる必要はない.
もしかしたら,街のパン屋さんのパンや仕事のおかげで,別の人が喜び,それが大きな社会貢献につながっているかもしれない.

私が最初に述べた,社会に貢献するやSDGsということばは,このような複雑な社会システムのつながりを隠して,単純化する言葉である. 我々はこのようなことから,真実を見つけ出す必要がある. そのために私たち,いままで学んできた知識と思考力を発揮するべきである. それこそが,私たちが大学で学び,教養ある知識人としての役目を果たすことだと思う.

ここですこし話は変わる.
今までに教養ある人として卒業して欲しいと言ってきた.
教養あるということは,単に知識を持っているだけではなく,それに基づいて考えて行動できるということだと思っている.
第一には,知識を持っていることである.
これは専門(我々で言えば,電気電子工学関係)だけではなく,一般常識であったり,社会に流れているニュース,できれば普通に書店で買える本も興味を持って取 り入れて欲しい. あるいは,テレビやネットなどで触れた言説に関連した情報を書籍などで確認して欲しい. 第二には,考えることである.
テレビを見れば,ニュースや情報番組を数多くやっている.
その中には,確かに専門家といえる信頼できる人もいるが,単なる人気者,芸人,極端な意見で目立ちたい人などさまざまな人が様々な意見を勝手に言っている.
専門家の意見も,ぜひその人の書いている書籍などを確認して本意を確かめて欲しい. それ以外の人の意見はほとんど聞くに値しない.
ある分野の専門家も,他の分野では素人である.そんな意見は聞くに値しない. このような判断も,自分の知識に基づいておこなって欲しい.
鵜呑みにしない,ということが大事である.

この鵜呑みにしないで,考えるということは,この研究室で過ごした3年間,あるいは1年間でやってきたことのはずである.
他人のレポートや本からコピペしないで,自分で考えてみる. 本に書いてあることも自分で一度計算して確かめてみる.
自分が立てた仮説が正しいか,確認実験をしてみる. こんな習慣が考えることの基本となっているはずである.

私は2月末からのロシアのウクライナ侵略にショックを受けている.
また,そのニュースを見るときに,SNSなどでいろいろな真偽の分からない情報が流れていて,それに一喜一憂していたり,過激な意見を言うコメンテータや政治 家にうんざりしている. また,日本の報道各社と海外の報道機関の情報量の差にも悲しくなっている.

広島大学を卒業した人であれば,海外の報道機関の情報を読むことができる.
核戦力の保有などといういい加減なで皮相的な煽り文句に踊らされてはいけないのである.

我々にとっての社会貢献の第一歩は教養ある知識人として振る舞うことではないだろうか.