名称 竣工時の名称 構造 竣工年
旧医学部11号館 陸軍兵器補給廠第11兵器庫 煉瓦造 1910
附属中・高等学校講堂 広島高等学校講堂 鉄筋コンクリート造 1927
旧理学部1号館 広島文理科大学本館 鉄筋コンクリート造 1931
旧学校教育学部図書館 広島師範学校講堂 鉄筋コンクリート造 1941
旧理学部1号館
旧理学部 1 号館(1998)

広島県教育委員会は、一九九六・九七年度に「広島県近代化遺産(建造物等)総合調査」を実施しました。 これは広島県の近代化に大きな役割を果たした建造物を「近代化遺産」として位置づけたものですが、 これによって広島大学関係では、別表の建築物が近代化遺産であることが判明しました。 また、広島県立広島商業高等学校本館(RC造、一九三四年竣工)も、 一九四九年から五七年まで政経学部が使用していました。 これらの建物はいずれも被爆を乗り越えた原爆遺跡でもあります。 県教委の報告書では、「この調査の間にもいくつかの貴重な近代化遺産が失われ、 またその危機にさらされています」と指摘していますが、 広島大学の近代化遺産のうち唯一の煉瓦造である医学部 11 号館は、 一九九九年に新病棟建設にともなって取り壊されました。

旧医学部 11 号館解体
解体される旧医学部11号館
(1999年3月29日、宇吹暁氏撮影)
旧制広島高等学校講堂建設中
建設中の広高講堂
旧制広島高等学校講堂
竣工時の広高講堂外観全景(1927)
旧制広島高等学校講堂内部
竣工時の広高講堂内部(1927)

一九九六年には文化財保護法が改正され、幅広く建造物を保護するために文化財登録制度が導入されました。先に述べた近代化遺産の内、附属中・高等学校講堂が一九九八年に文化財建造物に登録されました。広島高等学校のシンボルであったこの建物は、響の良いホールとして学校外の演奏会でも利用されていました。装飾性が高く、内外の人造石や擬大理石の左官工事は技術的に高度で、建築史的にも貴重であるといわれています。原爆による消失を免れ、一九四九年の広島大学発足によって皆実分校(教養部)講堂、一九六一年からは附属中・高等学校講堂として使用され続けています。

これらの建造物は、移転を繰り返してきた広島大学の数少ない歴史的建造物であるわけですが、「学都」広島や日本の近代高等教育の歴史を示すものとしても、かけがえのない遺産・文化財なのです。

なお、建設中・竣工時の広島高等学校講堂の写真は、『広島高等学校第一回卒業記念アルバム』(一九二七年)より転載しました。このアルバムは、田坂省三氏旧蔵のものを橋本美恵子氏から編集室に寄贈していただきました。

(菅 真城)