dosasan1.pngsignbot.gifB116658 三宅香奈の報告

 

1.教材「南北分断」

3.教材の活用例

このモニュメントは左半球に北朝鮮、右半球に大韓民国が浮き出ており、両者を合わせると綺麗な球体になるものである。

 

朝鮮半島が今でも南北で分かれており、かつその併合を願っている人々がいることが理解できる。

また、アーチに書かれている「The 3rd Tunnel」の文字から、この像がどこにあるかが分かり、韓国側が、国民の手による南北の再統一を願っているということがわかる。(北朝鮮も再統一が最終目標であることは公言している)

 

以上のことを感情的に理解した上で、そもそもなぜ朝鮮半島が分断されたのか、その経緯を探る導入とする。

 

2.南北分断ってなに?

4.私の見たこと,感じたこと

第二次大戦後に日本の統治下にあった朝鮮半島は、米ソによる信託統治を目論まれ、その際に38度線で分けられた。最終的には現地人による抵抗を受け、信託統治はままならなかったものの、冷戦の影響もあり、北朝鮮と大韓民国として分裂することとなった。

その後に北朝鮮が、朝鮮統一を目指して朝鮮戦争を起こしたが、国連軍に阻まれた。北朝鮮が制圧されかかったところ、北朝鮮の要請により中国が関与して戦況を膠着状態に押し戻した。ここにおいて軍事境界線で朝鮮半島は南北の分断が決定的となった。

双方統一を望みながらも問題は山積みである。北朝鮮の世界的な孤立状況と南北の経済格差、韓国の資本主義と北朝鮮の共産主義が全く正反対にある。北朝鮮では、再統一を目指すことを公言しているものの、国民の意識がどういったものなのかということは情報統制国家であるゆえに定かではない。

都羅山駅でも感じたことだが、少なくともこの非武装地帯に作られているものから考えると、朝鮮半島の民族にとって朝鮮としての統一は目指すべきものであるという彼らの強い願いである。

しかしながらその願いは、実際的な問題を全く考慮されていない。拉致問題に、第二次世界大戦以後の統治体制や民族の在り方など、その差は大きい。金銭的な面でも、今のままの方が良いのではないかという声もあるほどである。

元々同じ民族であったことから、統一を目的としつつも、現在においてはむしろ「統一をなぜ目指すべきなのか」といったことにも目を向けることができるのではないかと考える。

 

 

1.教材「第三トンネル」

3.教材の活用例

補助資料:地雷原

 

上記でも用いた写真でだが、今回は「The 3rd Tunnel」の文字に注目させる。この「The 3rd Tunnel」、つまり第三トンネルがどういったもので、誰が作ったのか。またなぜトンネルでなければならなかったのかということを非武装地帯という概念とともに理解する。

2.第三トンネルってどんなところ?

4.私の見たこと,感じたこと

南侵第三トンネル(チェ3(サム)タングル)はかつて北朝鮮が極秘で掘った韓国に攻め入るためのトンネルの一つである。現在までに既に4つのトンネルが発見されている。この第三トンネルは長さ1635m、幅2m、高さ2mでソウルから52kmの地点に位置する。

このトンネルがなぜ韓国ではなく北朝鮮が掘ったと分かるのかという問いに対する答えは、掘削に使用されたダイナマイトによる跡により判別可能であるといえる。

このような極秘トンネルは「第三」と銘打たれているところから分かるように複数有り、第一〜第四まである。

なぜこういった「トンネル」が掘られたのかは、その上、つまり地上に何があるかを知る必要がある。南北が膠着状態に陥ったとき、一時「停戦」とするために非武装地帯(DMZ)を作った。そこには地雷がばらまかれていて、北朝鮮は地上から攻め入ることができなかったのである。

南北朝鮮ともに再統一を願ってはいるのだが、そのために北側がとった行動が軍事侵略である。この事実は、実際に統一させるためには山積みになった問題が邪魔をし、もはや最後の手段であるといえる軍事力に頼らざるをえなかったのだということを感じた。

 

第三トンネルに関しては、本当なら内部の写真を使いたかったのだが、撮影禁止で叶わなかった。

より第三トンネルのイメージに近い写真はこちらのページにあったので、できることならこちらも参考にしたい。

http://www.2427junction.com/koreareportdz.html

 

 

1.教材「板門店」

3.教材の活用例

補助資料:ベルリンの壁

 

冷戦、という言葉を聞いたことがあると思う。米ソによる冷戦は、その中でも一番大きな事例であり、その影響は計り知れない。南北朝鮮もその影響を大きく受けていると言える。

同様にドイツもその影響を受け、東西分裂していたが、ドイツはその象徴であるベルリンの壁が1989119日に壊されたことから、再統一に向かっていった。

一方南北朝鮮は、いまだに南北で分断されており、再統一はなされていない。国境問題の最前線である板門店を取り上げることで、現在も終わらない国境紛争を身近に感じることができると考える。

2.板門店ってどんなところ?

4.私の見たこと,感じたこと

板門店とは、南北朝鮮の軍事停戦ラインが引かれた土地である。写真の場所は「軍事停戦委員会」の本会場であり、板門店の中心部にある。向かいにある白い大きな建物が北朝鮮側の入口であり、写真を撮った位置の後ろには韓国側の入口がある。真ん中にある二つの青い建物は連合軍側が建てたもので、その隣にある白い建物は北朝鮮側が建てたものである。ここから分かるように、朝鮮戦争における停戦は「北朝鮮と連合軍」が行ったものである。あくまで北朝鮮と韓国を分断する板門店だが、それを定めたのも取り仕切ったのも連合国と北朝鮮で、そこに国家としての韓国は関与していない。

つまるところ南北朝鮮の分断とは、冷戦の象徴であり、いまもなお問題となっている冷戦の遺物であると考える。同様の弊害を受けたドイツが早期決着をつけることができたにも関わらず、今もなお続く南北の分断。ドイツと朝鮮の命運を分けた原因はなんだったのだろうか。この二つを取り上げて比較すると非常に面白いと考えられる。

 

 

1.教材「南北の境界線」

3.教材の活用例

左の資料は「軍事停戦委員会」の本会場の内部である。マイクが設置されているが、このマイクは軍事境界線に沿っている。右の資料は本会場の外側だが、コンクリートと砂利を隔てるラインも同様に軍事境界線に沿っている。

このことから、南北朝鮮の境界線について実例をもって認識する。そのうえで、通常南北朝鮮を隔てるものがなんと言われているか(38度線)。この境界線と38度線は実は別物であるということを理解する。

 

 

2.南北の境界線ってなに?

4.私の見たこと,感じたこと

現在朝鮮半島は南北に分断されている。朝鮮戦争以降、境界線を地雷で守り、互いに自陣を守り続けている。

その境界線は侵すべからざるものとして今日にも存在し続けている。

一般的に南北朝鮮の分断を取り上げると、その境界線は「38度線」と教わることが多い。しかしながら、実際の軍事境界線は38度という緯線できっちり分かれているわけでない。つまり、名目としての38度線と、実態としての軍事境界線は全くの別物であると言える。

「軍事停戦委員会」の本会場内部であれば、韓国側から北朝鮮側に行っても大丈夫だが、右の写真のような外側で越境行為が行われると狙撃される。

また、ジェスチャーで亡命行為を勧めるようなものとみなされたとしても、危険が及ぶ。それくらい緊迫した場なのだと感じた。

そういった現場を見ると、名目だけの38度線と、現場である軍事境界線は全くの別物なのだと実感を持って感じさせられた。

 

 

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