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1.教材「板門店」

3.教材の活用例

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Q:どのようにして国家の領域は決まるのか。

南北の分断線は北緯38度線というのが一般的な教科書記述である。しかし,これは日本の敗戦後,朝鮮半島がアメリカとソ連によって分割統治される際に,便宜的に分けられた線である。その後の朝鮮戦争によって,北朝鮮軍と国連軍の最終的な侵攻ラインで軍事境界線が引かれることになった。そのため,実際には北緯38度線付近の西から東にかけて南北に斜めになる線で結ばれている。

以上のことから,各国の実効支配領域を規定する線はアフリカ植民地のように,緯度・経度できっちりと分けられることもあれば,朝鮮半島のように軍事境界線が通る周辺の緯度を便宜的な分割線として示すこともある。

Q:なぜ個人の思想・信条にかかわらず,立ち入ることができない地域があるのか。

また,板門店に立ち入ることができる人というのは,国籍によって決められている。基本的に韓国と北朝鮮の民間人はこの地域に立ち入ることができない。他にも,リビア、スーダン、シリア、アフガニスタン、イラン、イラク、キューバ、パキスタンなど現在の社会主義諸国や旧社会主義諸国の出身者も立ち入りが不可能である。このことから,紛争が起きている地域では当事者国の国民だけでなく,出身国の政治体制によって差別するということがあるのだとわかる。個人の思想・信条にかかわらず,国家同士の政治的な関係によって人々の移動の自由を妨げている事例といえるだろう。

Q:なぜ日本のメディアは報道の際に,韓国は国名で,北朝鮮は地域名で呼ぶのか。

板門店とは直接関係ないが,南北朝鮮と日本の関係で1つ面白い教材がある。それは,日本のメディアが新聞やTVなどでこの2カ国をどのような名称で呼んでいるのかというものである。日本では韓国は大韓民国の略称として「韓国」と呼んでいるが,北朝鮮のことは「北朝鮮,朝鮮民主主義人民共和国」と呼んでいる。これは,外交関係の有無が理由である。日本は朝鮮半島の正統国家を韓国であるとしているため,朝鮮民主主義人民共和国を朝鮮半島の北側という意味で「北朝鮮」と呼んでいる。このように,国家というものは3つの要素(領域,人民,権力)を持つだけでなく,他国から承認されることによって初めて国家とみなされるという側面がある。ゆえに,日本は彼の国を「北朝鮮」と呼んでいるのである。(最も,これに関しては北朝鮮からの抗議があったようで,地域名と国家名を並列して読み上げているという側面もある。)

2.板門店ってどんなところ?

4.私の見たこと,感じたこと

板門店は,韓国と北朝鮮の間に位置する土地の名前である。非武装中立地帯に存在し,北朝鮮の開城から10km,韓国のソウルから50kmの地点にある。北朝鮮軍と国連軍との間で朝鮮戦争における停戦協定が結ばれた場所であり,南北分断の象徴的な場所である。写真にある青色の建物は軍事境界線上に建てられており,画面中央に見えるコンクリートの線が軍事境界線である。板門店ツアーに参加した人であれば,その中を自由に歩き回ることができるため,少しの間,北朝鮮に入ることができる。

この教材を取り上げようと思ったのは,日本において普段目にしない国と国との境目というものが目で見てわかるからである。また,それは自由に行き来できるものではなく,未だに続く朝鮮半島における南北の緊張を的確に表している。日本において北緯38度線というものに深い意味はないし,おそらく,それが日本を通っているかどうかさえ,意識している人は少ないだろう。板門店に行くことで,戦争はまだ終わっていないということを肌で感じることができ,ぜひとも教材として取り上げたいと思った。

 

1.教材「都羅山駅」

3.教材の活用例

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Q:朝鮮戦争で一時分断された南北の鉄道網は,なぜ再びつながったのか。

都羅山駅は韓国最北端の駅である。日本統治時代には無かった駅であるが,その後,韓国と北朝鮮を結ぶ鉄道網を作るべく,金大中大統領の時代に作られたとされる。北朝鮮とつながることにより,ロシアのシベリア鉄道とも接続できるようになるため,非常に重要な駅である。しかし,現在は南北ともに停戦中であり,この駅はほとんど利用されていない。開城工業団地に物資を送るための電車が一日2本程度運行しているのみである。このように,南北とのつながりを示す教材として利用できる。

Q:なぜ,韓国の鉄道網は複線区間において右側通行と左側通行の両方があるのか。

・また,都羅山駅以外にも韓国の鉄道網を取り上げるというのは日本との歴史的なつながりを考える上で役に立つ。例えば,一般的には自動車道と鉄道路線は同じ対面交通の形式をとることが多い。日本の自動車道や鉄道路線が共に左側通行だということは誰でも知っているだろう。一方,韓国は自動車道の対面交通の形式において,右側通行を採用している。しかし,韓国は日本と違い,右側通行と左側通行の鉄道路線が入り乱れている。その理由は,日本統治時代に日本の資本によって作られた鉄道が左側通行であり,比較的新しい路線は右側通行を採用しているからである。

このように,鉄道路線のようなインフラ設備を通してその国の歴史を紐解くというのも,教材として意味があるのではないだろうか。

2.都羅山駅ってどんなところ?

4.私の見たこと,感じたこと

民間人統制区域内にある最北端の駅。

韓国の鉄道は日本統治時代にソウルから新義州までを結び,その先の中国を経てヨーロッパまでつながっていた。だが,朝鮮戦争によって両国をつなぐ線路が破壊されてしまい,約50年間にわたって途切れたままとなっていた。その後,2000年の南北首脳会談において南北鉄道連結事業を行うことが合意された。これにより,韓国と北朝鮮を結ぶ線路が改めて建設され,2007年には試験運転が行われた。

都羅山駅の見学がツアーに盛り込まれていたため,事前に調べておいた。その際に思ったことは,非常にきれいで新しい駅だということである。

実際に見た感想も,やはりきれいな駅だと感じた。紛争地域となるとどうしても荒れている地域を想像してしまう。中東やアフリカの紛争地域などを想像してしまうからだろうか。特に,韓国と北朝鮮は今なお緊張状態にあるから,余計にそう思ってしまっていた。この駅のなかには入国審査を行うスペースが確保されていたが,誰も人がいなかった。そこからも,南北の分断状態というものが明確に現れていると感じた。

 

1.教材「臨津閣」

3.教材の活用例

   

Q:テーマパークの中にどうして鉄条網が張り巡らされているのか。

臨津閣に向かう途中の高速道路には鉄条網が張り巡らされている。これは民間人統制区域と一般区域を分けるものである。これは広範囲にわたって設置されているほか,一定の距離ごとに軍の監視施設が作られている。民間人統制区域は韓国側が自主的に設定している領域で,一般人がこの区域を越えて非武装中立地帯に入ることができないようにするための緩衝地帯である。そもそも,非武装中立地帯は地雷原がいたるところにあるため,非常に危険な地域である。よって,この鉄条網は北朝鮮との有事の際に侵攻を遅らせるという意味合いもあるのだろうが,平時においては一般人が危険な地域に足を踏み入れないようにするための境界線として機能しているといえるだろう。このことから,テーマパークのような観光施設の中にも鉄条網が張り巡らされている。

2.臨津閣ってどんなところ?

4.私の見たこと,感じたこと

ソウル首都圏のパジュ市にある展望台。韓国国民が特別な手続きを取らずに行くことができる北朝鮮に最も近い観光施設である。朝鮮戦争(19501953年)における激戦地であり,たくさんの記念碑や戦争当時の遺物など数多くが展示されている。例えば,離散家族の祖国統一への願いがこめられている望拝壇のようなものもあれば,戦車や戦闘機など戦争に使われた兵器が展示されている軍事博物館のようなところもある。写真は臨津閣に存在した駅であり,今でも線路が残っているほか,北朝鮮の爆撃を受けた鉄橋跡が残っている。

鉄橋は2つ存在しており,現存しているものは「自由の橋」と呼ばれている。朝鮮戦争の際に韓国軍の捕虜たちがこの橋において「自由万歳!」と叫んだことからこの名がついたといわれる。

臨津閣はあらゆる物が混在していたため,印象に残っている。朝鮮戦争に使われた戦闘機が飾られているかと思えば,稼動していない遊園地があったり,平和を願う記念碑があったかと思えば,米国大統領トルーマンの銅像が置いてあったりと上げればキリが無いほどいろいろなものがあった。そのような一見すると軍事博物館,平和記念公園,遊園地が混ざり合った観光地かと思えば,この写真の奥に見えるように鉄条網が張り巡らされているところもある。これは軍の管理区域(民間人統制線と呼ばれる)を示すものであり,一般の人々がこれを超えて,その先の民間人統制区域に入ることができないようにしている。テーマパークのようなつくりでありながら,軍事的な緊張感が伝わってくる奇妙な地域だった。

 

 

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