第6章[課題]の解答例


小川暁夫



1.

6.2で述べた含意的普遍性にはほかにどのようなものがあるか,Comrie (1989),柴谷(1989),角田(1991)などを参考にして調べなさい。また,それらがドイツ語にどのように妥当するか,実例をあげながら検討しなさい。


解説:

例えば、名詞句の接近可能性(Noun Phrase Accessibility)がよく知られています。それは主語>直接目的語>間接目的語>前置詞句目的語>所有格名詞句>比較の名詞句の順で関係節化が可能であるとする序列です。もしある言語が間接目的語を関係節化できるならば、その言語は直接目的語と主語も関係節化できるといった含意関係が成り立ちます。あるいは、前置詞句目的語でそれが可能なのに、直接目的語で不可能な言語はないということなども含意されます。ドイツ語に関しては、所有格名詞句より左側が関係節化できると言えます
(Das ist der Mann, der mich liebt/ den ich liebe, dem ich helfe/ auf den ich warte/ dessen Sohn Arzt ist)。
比較の名詞句だけが不可能です(*Das ist der Mann, als der ich kleiner ist)。

他の言語では、例えばアラビア語は主語のみ、一方スロベニア語は比較の名詞句を含めてすべて関係節化できます。



2.
ドイツ語における能格性を示唆する文法現象にはどのようなものがあるか。Grewendorf(1989)などを参考にして調べなさい。また,類似の現象が日本語や英語など他の対格言語にも見られるか。影山(1993)やLevin&Rappaport Hovav (1995)などを手がかりに考えてみなさい。

解説:

本文でも述べたように、能格性とは一部の自動詞の主語が他動詞の目的語と同じ特徴をもつこととまとめられます。
本文で示した複合前置のほか、i)助動詞の選択、ii)過去分詞による名詞修飾、iii)不連続構成素、iv)動作主(被動作主)名詞化などがあります。
i)は、完了の助動詞として一部の自動詞がsein (=be)を、他の自動詞がhaben(=have)をとることです。助動詞としてのseinは、他動詞の目的語が主語となった場合も同様に助動詞として機能します。
ii)としてはder angekommene Student(=the arrived student)と*der gearbeitete Student(=the worked student)、またiii)としてはPolitiker sind nur sozialdemokratische gekommen (=politicians have only social-democratic come)と*Politiker haben nur sozialdemokratische getanzt(= politicians have only social-democratic danced)の対立をそれぞれ挙げておきます。
皆さん自身で考えを進めてみてください。
またiv)ですが、動詞からその動作主や被動作主を派生させる接尾辞として-erと-lingの2つがあります。例えばpruefen(試験をする)からはPruefer(試験者)とPruefling(受験者)が派生できます。これをもとに、TaenzerとAnkoemmlingの違いを考えてみてください。
なお、英語にもinterviewer/intervieweeとworker/escapeeなどの相違があります。また日本語にも他動詞による「本読み」と同じように一部の自動詞からは「雨降り」のような派生が可能ですが、他の自動詞ではそれができません。これも自分でさらに作例してみてください。




3.
所有関係は,与格によらなくとも属格(あるいは所有代名詞)によっても表わすことができる。例えばEr hat mir die Haare verbrannt (he has me-DAT the hairs burned)とEr hat meine Haare verbrannt (he has my hairs burned)はどのように異なるのか,意味論的に考察しなさい。また,日本語の「私は彼に髪の毛を焼かれた」,「彼は私の髪の毛を焼いた」との並行性についても考えなさい。

解説:

例文が少し奇抜ですが、比較対照のミニマルペアとしてこのようなものしか見当たりませんでした。もっと気の利いたペアを見つけて、それに解説をつけてみて下さい。そのような読者の方が現れれば、筆者冥利に尽きます。
本題に入ります。属格(あるいは所有代名詞)はその主要部である名詞と修飾関係にあります。その修飾関係は意味論的・語用論的にはかなりの自由度があります。Meine Haareが私の頭に生えている髪の毛であっても、抜け落ちたり、切られた髪の毛であっても構いません(本当にこの例は品がない)。広義の所有関係が認められる限り、問題ないのです。それに対して与格は動詞、厳密には述語と関係をつくります。この違いは次のように図示できます(5.3.4参照):

     /    \
 meine     Haare


      /   \
    mir
          /   \
  die Haare    schneiden


属格による「私」と「髪の毛」の関係はいわばモノとモノとの関係ですが、与格による「私」は「髪の毛を切る」というコトに関連づけられているわけです。前者の「私」は文の構成要素(constituente)ではありませんが。後者の「私」はそうです。その点で、日本語の「彼は私の髪の毛を焼いた」と「私は彼に髪の毛を焼かれた」との違いに並行しているのです。後者はいわゆる被害受身文として知られていますが、その被害性はドイツ語の与格構文でも含意されています。ここにも日独語という言語タイプを超えた普遍的特徴が垣間見られます。




4.
ドイツ語と英語の間には,主語の特性と目的語の特性に相互関係が認められるが(6.4.1参照),これ以外にも一連の文法特徴がそれぞれの言語内で連動関係にある。格などの文法形態素の豊かさ,語順の自由度,名詞句の省略の可能性などである。それらが英独語で具体的にどのようであるのかHawkins (1986)を参考にして調べなさい。

解説:

英語とドイツ語の文法特徴の違いは次のようにまとめられます:

英語

ドイツ語

1) 格形態の豊かさ

2) 語順の自由度

3) 主語・目的語
 の選択制限

4) 繰り上げ構文

5) 前置詞残留

6) 名詞句の省略




格形態がドイツ語の方が豊かであるのは、本文からもすでにわかってもらえたと思います。格形態は主語や目的語などの文法関係を表します。英語ではそれらの文法関係が語順によって決定される度合いが強く、例えば主語と目的語を入れ換えることは困難です。一方ドイツ語では、文法関係は格形態によって表示されていますから、新旧などの情報構造に合わせて比較的自由な語順が可能です。その点、格助詞をもつ日本語とよく似ています。例えばDer Vater liebt den Sohn(父親‐主格 愛している 息子‐対格)ではDen Sohn liebt der Vaterにしても文法関係は影響を受けません。日本語でも同様です。しかし英語では、The father loves the sonとThe son loves the fatherでは異なる事態を表わしています。
主語・目的語の選択制限と繰り上げ構文、そして前置詞残留については本文で論じました。
最後に名詞句の省略ですが、Fred saw the king and greeted the king → Fred saw and thanked the king に対してFritz sah den Koenig und dankte dem Koenig → *Fritz sah und dankte dem Koenigのように、ここでも格形の違いによる制約が強く働いています。




5.
主語繰り上げや目的語繰り上げとそれに伴う意味作用について考察しなさい。日本語(例えば「壁にペンキを塗る」vs.「壁をペンキで塗る」)をはじめ,他の言語における具体例をあげ,比較対照しなさい。

解説:


 主語繰り上げには、本文で紹介したseem(英)やscheinen(独)等によるものの他、より生産的な受動化(passive)が挙げられます。受動化の重要な機能は、主題化(topicalization)です。それは、能動文が相対的に本来の「主語について何かを述べる」文タイプであるのに対して、本来の「目的語について何かを述べる」文タイプです。したがって、例えばその目的語が特別な属性をもっているような場合は受動化が問題なく可能ですが、そうでない場合にはブロックされることがあります
(This bed was slept in by the Pope. vs.??This bed was slept in by Tom)。
また、主題化は例えば関係節化(relativization)と密接に関係していますから、言語によっては能動文の目的語は関係節化できないのに受動文の主語なら可能なものがあります(アラビア語、マライ語など)。次に目的語繰り上げですが、ここでも主題化が大きな役割を果たしています。本文でも触れた全体的解釈もその1つの具体例と考えられます。それについて何かを述べるためには、その状態が変化していると捉えられていれば有意味だからです。ただその場所に何かが移動しただけならば、その場所を主題化あるいは話題化する必要はないでしょう。ですから、日本語の「壁にペンキを塗る」と「壁をペンキで塗る」でも、前者では壁の一部が塗られているだけで十分ですが、後者はその前面がそうである解釈が強いのです。
なお、英語にはBees are swarming in the gardenとThe garden is swarming with beesのように、主語繰り上げにも全体的解釈につながる事例もあり、主語、目的語を問わず繰り上げ構文の共通の特徴が見て取れます。