知の継承
鮭(さけ)や鱒(ます)は産卵したらすぐに死んでしまいます。親は子供達を見ることもなく、ましてや、育てて教育することもなく死滅してしまうのです。子供達に伝えることが出来るのは、遺伝子に記録された遺伝情報のみに過ぎません。自らが学習して得た知識は遺伝子に記録されることはありません。このことは、生物学では「獲得形質の遺伝はない」という事実として広く知られています。だから、鮭や鱒にとっては、その生涯でどんな体験をしようと、その知識を子供達に伝える術(すべ)はないのです。
鮭や鱒と違って、子供を産んだ後も生き続ける生物もいます。そのような生物でも、多くの場合、子供達を育てて積極的に「教育する」こともなく死んでしまいます。ですから、基本的には、遺伝子に刻み込まれた記録だけを伝えて、生存競争の中を種として生き延びているのです。
私達人類は、子供を産んでも長く生き続け、自らが学習して得た知識を、子供達に教えることによって伝承することが出来ます。即ち、教育という形で子孫に知識を伝え、それが人類社会の共有の資産となっています。そのような人類共有の知的資産が、人類の文化を形成しているのです。
文化は、遺伝子に記録された形での種の継承とは違った形の、もう一つの種の継承であると考えることが出来ます。人類が遺伝子による単純な形の種の継承の他に、文化という形での種の継承方法を獲得したことが、生存競争における強力な武器となってきたのはまぎれもない事実です。
人は、自らがその生涯の中で得たものを、自分がこの世から居なくなっても、あとに続く人達に引き継いでほしいと願うものです。人々が生涯かけて新たな知を獲得し、それまでに継承してきた知にその新たな知を加え、あとに続く人々にまた継承していくからこそ、人類の文化そのものが発展し続けます。
「語り継ぎたい湯川秀樹のことば」(丸善出版、2008)より