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「マネー・ボール」を読んで -

目次

マネー・ボール 

「マネー・ボール」という、大リーグのアスレチックスに関する翻訳本が話題を呼んでいる。私も新聞の書評で知り早速買って読んでいる。野球の世界では選手の成績は数字ではっきりと明らかにされ、選手の価値を不当に評価することなどありえないと思われていたが実際はそうでないと言うのがこの本の一つのテーマである。もう一つのテーマとして「人間はいくら論理的、客観的でいよう、主観を排除しようと努めても、常にそうであることはできない。またそうする必要もない」ということがある。

野球選手でさえそうなのだから、科学者でもそういうことがあり得るかもしれない。しかし逆に考えると、実力の割に評価が低い研究者を集めてアスレチックスのように優れた成果を上げることも可能かもしれない。また非常に大切で面白い研究課題でも、なぜか注目を浴びずに(たとえば流行からはずれているために)ほとんど研究されていないということもあるだろう。この本の元のタイトルは、"The Art of Winning An Unfair Game" というものである。独自の優れた評価基準(私の場合は研究テーマ、進め方についての)を確立して、それによって勝利を収めなければならない。(野球の場合なら独自の評価基準を確立した結果「あいつら何考えてるんだ」と他のチームに思われても、かえってその方が有利になるかもしれない。しかし科学者が他の研究者に「こいつ何を考えているんだ」と思われると論文は通りにくい、研究資金は全く取れないということになってしまう。それに耐えられるような立場、性格でなければどうにもならないだろう)

野球でおこなわれているように「科学者の研究人生」をデータベース化し統計的に分析すれば、「こういう人は将来伸びる可能性が高い」とか「このような人は止めた方がいい」ということが高い確率でわかるかもしれない。

「マネーボール」の理屈に則れば、とにかく研究者に関するデータを片っ端から集めて入力し研究者としての評価(これもどう評価するかが難しいが)と相関のある指標を見つけることになるだろう。データを集めるのも評価するのも難しい仕事になりそうである。

野球チームで実力があるが正当に評価されていない選手を見つけうまく働かせることができれば、ビリー・ビーンのように、この上ない栄誉と評価をうけることができる。しかし科学研究でそんなことをしても誰も誉めてくれる人はいない。これでは研究資金が有力大学、研究機関に所属する名声と実績のある人物に全部集まってしまうのも当然だろう。この傾向はますます強化されることは目に見えている。2009年9月にそのことが実証された。

でもお金を出す側の立場になって考えてみると、大物教授、有名研究者ならば確実に結果を出してくれる(結果を読みやすい)のだからその方がよいに決まっている。「確実に結果を出す」ということが大物と呼ばれ資金を引きつける条件と考えることもできる。私のような無名研究者では何をやらかすかわかったものではなくリスクが高い。その割りに期待されるリターンは大物に比べるときわめて低い。リスクが高くてリターンが低いものに投資してくれと言ってもそれは無理である。「無名研究者に資金を出す、またはよい研究環境の場所に移らせて、その結果運良くすごい成果が得られたら、よい研究環境を与えた人にボーナスを出す」という仕組みでも作らなければ、全部の資金を名声と実績のある人物に与えるのが絶対に有利、確実、高配当である。もっとこの傾向を推し進めて、例えば資金を出すときの最低単位を 10 億円にしてそれ以下の科研費や研究補助金はすべて廃止するのもよいだろう。「補助金のバラマキ」は新聞では評判が悪いようなので、実際にそうすれば「もうバラマキはやめました−科学の世界も選択と集中−」という見出しで新聞の紙面で褒めてもらえるかもしれない。また補助金申請の資格を厳しくして、例えば論文を 100 本出していないと申請できないようにするのも事務の人や審査員の仕事が楽になってよいかもしれない。

「お金を出す側」の人は、資金をできる限り有効に配分するために大変な努力を払っていらっしゃるのだろう。しかし、その努力と成果に応じて給料は上がるわけではない。「うまくいって当たり前」で、実際には「どうして俺のところに資金をよこさないんだ。どうしてあの分野に資金を割り当てたんだ」とか、「こんなに資金を使っているのにちっとも役に立つ製品が生まれたりしないではないか」というような文句ばかりつけられていることが想像される。それにもかかわらず努力されている皆様を、陰ながら応援したい。


マネー・科学

中小企業と中小無名研究者

研究費の配分は、「文科省などの団体」から「研究者」への間のお金の移動である。これは金融機関から企業への融資と似たところがある。大物教授、有名研究者は大企業に相当し、無名研究者は中小企業に相当する。中小企業金融の特徴は、情報が大企業と比較して少なく、第三者が経営内容を把握することが難しいことだそうである(情報の非対称性)。特に中小企業と金融機関の関係が継続的でなく一回限りの場合、お互いに相手の考えや経営状況がわからないために融資が行われにくい。

中小企業に対しては、「地域密着型金融」が有効であるそうである。比較的小規模な金融機関が借り手との間で親密な関係を長期に継続することで、中小企業に対して信頼関係を構築し、それにより入手した様々な情報をもとにして正当な融資を行える。それによって中小企業も金融機関もお互いに利益を得ることができる(企業は成長し、金融機関は金利などを得られる)。

参考にした資料:清水 謙之氏の論文 (日経新聞2007年9月14日)「地域密着型金融」については、2009年8月7日にも家森、小倉両博士が解説されている。「よくわからない企業にお金を貸すことは金融機関としてはあり得ない」と書いてある。表向きの数字、業績に表れない「ソフト情報(経営者の人柄、意欲など)」の大切さが強調されている。金融の世界では研究費とは逆で、お金を貸す方が厳しい競争を行っていることがある。しかしそれは一部の優良企業を相手にするときだけである。無名企業に対しては、その成長を長い目で見る余裕とソフト情報を得る力がないと融資はできない。無名企業群から優良な企業を選び出し、その成長を促すような融資を行って長期的に利益を得ることが一番難しいのかもしれない。そんな面倒なことをする金融機関は少ないだろう。しかし金融機関のコマーシャルで「なが〜〜〜〜〜いおつきあい」といっている銀行がある。立派な銀行なのかもしれない。

科研費などの審査では、審査員と申請者の関係は継続的ではないと思われる(審査員は毎年入れ替わる)。また審査員は無名中小研究者に関する「ソフト情報」を持たない。そのため中小研究者からの申請書の内容を信頼することができず、そのような相手に資金を与えようと思う可能性は低い。

「無名中小研究者に資金を与えても無駄である。放っておけばよい」というのならそれでかまわない。そうでもないならどうすればよいか。

例えば「基盤(C)」を廃止する。その代わりに各大学の本部が「研究の基盤になるお金も少しください」と日本学術振興会または文科省に申請する。もらえた研究費を学内の審査を通じて大学内で分配する。それぞれの研究者は今までの基盤(C)の申請書と同じものを大学の本部に提出する。大学の本部はそれらの申請書を審査する「審査委員会」を作り、学内から出された申請書を審査する。学内のことであるから、それぞれの研究者に関する情報をより多く得ることができると思われる(例えば、本人を呼びつけて面接することも簡単にできる)。また「審査委員会」は同じメンバーが何年か継続して参加するようにして、審査員と申請者の関係を継続的にする。例えば去年の申請書と今年の申請書を比較することで、研究の進展がわかったりする。それによって審査員と研究者の間の信頼関係を形成していくことが可能になる。その結果無名でもきちんとした仕事を積み重ねていくことで正しく評価される可能性が出てくる。

この方法(地域密着型研究費補助)の良いこととして、「学術振興会に送られる申請書の数が減る」と言うことが挙げられる。学術振興会も忙しいだろうから、今後金額の小さい研究費は本当にこういう仕組みになるかもしれない。さらに、この仕組みを「研究室経営に対するコンサルタント」のように使うことも可能かもしれない。

また、現在の方式では 「申請書にスコアをつけ、上位20%が当選」という仕組みになっている。「なぜ20%なのか」というと、「競争的資金と言うからには、参加者の半分が資金をもらうようではおかしい。競争に勝ち抜いた勝者ただ一人が資金を総取りするのが本当の競争ではないのか。甘く見ても20%に与えるのがせいぜいだ」という理屈で決まっているらしい。しかし「20%」という値が日本全体の研究活動を活性化する上で最適なのかどうかはわからない。上に書いたような仕組みにすれば、各大学、機関のポリシーによって、

・ 審査で上位を選んで研究費を多く与えるのは当然だが、それだけでなく形式的にきちんとした研究計画書を書いていれば、研究を進める気力はあると認めて最低限の資金は与える(やる気がないものを排除するという審査: これなら楽に審査できるかもしれない) 
・ 「本大学は選択と集中を徹底する」などと格好のよいことを言って全額を一人の教授に集中する(是非一度どこかでやってみてほしい) 
等の仕組みを各機関の実情に合わせて選択することも可能になる。その結果どれくらいの%が最適なのかがわかるかもしれない。

このような方式にも、もちろん様々な問題点が生じる(審査するだけで大変な手間がかかる、審査員が利害関係者になってしまいやすいなど)。しかしいろいろなやり方を考えたり試してみるのもいいことかもしれない。

大学の本部が小さな金融機関のような機能を持ち、研究費を自分の大学の研究者に貸し付けるというシステムも考えられる。それによって研究が発展して外部資金を大きく獲得できたら利子を付けて返済してもらう。それが実現できれば WIN-WIN の関係が構築できる。 問題点としては貸し倒れになる確率が非常に大きいと言うことがある。

清水謙之氏の論文から、「中小企業が融資を受けたければ、とにかく情報を公開するべきである(相手が十分に信頼できるなら)」ということが推測できる。中小無名研究者が研究費申請書を書く場合も、可能な限り多くの情報(未公開情報、内部情報に相当するものまで)を審査員に伝える必要があるのだろう(例えばいくつもの予備的な結果を図面にして貼り付ける、研究に協力してもらっている他機関の先生の名前を本文中に入れておく、自分の研究経歴について軽く触れるとか)。それにはそれなりの準備、研究の進展が必要になる(当たり前だが)。

また、中小無名研究者は有名大物教授とは全く違った申請書の書き方をしなければならないということも推測できる。有名大物教授なら適当に書いておけば読む方は「はい、先生の有名な研究についてはよく存じております」という気分になる。また既にその教授が書いた総説を読んでいたり、実際に研究の細かいところまで何回も聞いていたりするので熟読しなくても全てを理解できる。それと同じ書き方をしていたのではうまくいくはずがない。「科研費書類の書き方に関する講演」をしてもらうなら、「先生は研究費を毎年何千万、何億も獲得されております」と言うような人ではなく、「私は長年苦労して、やっと書き方のコツをつかめてきたような気がします」という人の方が多くの人のために役立つだろう。

科研費では第一段審査の評定基準が公開されている。情報が公開されていると言うことで、大変有り難いことである。審査員が誰であろうが、この評定基準がわかっていれば十分だろう。申請者は審査システムを信用して、「重要な審査ポイント」に合わせた申請書を書かなければならない。またこちらからも可能な限り自分の研究に関する内部情報を公開して、少しでも審査員に信用してもらえるようにしなければならない。そういう理屈になるのではないだろうか。

当大学では科研費書類の書き方に関する講演がある。どの大学でも同じようなことが語られていることと思う。「この話を聞くと誰でも科研費がもらえるようになる」などという話はあるはずがない。しかし聞いて損をすると言うことはない。なるほどと思ったことをここに記録しておく。

「審査における評定基準を熟読せよ」 
何年前からか知らないが、第一段審査の評定基準が公開されるようになった。重要なチェックポイントが5つ挙げられている。チェックポイントにはキーワードがそれぞれある。

(1)なら「学術的重要性」 (3)では「独創性、革新性」 (4)では「波及効果、普遍性」

審査員は、「この申請書はどこに重要性が書いてあるのかな?どこに独創性があるのかな?」などと考えながら読むことになる。しかしたくさんの申請書を読むわけだから、文章を熟読して重要性を示しているところ、独創性を示しているところを抽出している暇はない。そんな負担を審査員に掛けるようでは、高い点がつくはずがない。

そこで、「重要性はここ」「独創性はここ」ということを申請書の中ではっきりと明示するようにする。具体的なやり方は示されなかったが、例えば小見出しをつけることが考えられる(ありきたりのことだが)。

小見出しに 
「研究の学術的重要性」 
「研究方法の妥当性」 
「研究の独創革新的な点、普遍性、波及効果」 
「予想される結果と意義、重要性」 
のようなものを作る。 それぞれに「重要性」「独創性、革新性」「波及効果、普遍性」 というキーワードを入れておく。 
内容を小見出しに合わせて書いていく。

そうすれば、審査員は「ここを読めばこの申請書の独創性がわかるのか。波及効果はここに書いてあるのか。なるほど」という具合に、スムースに審査が出来て機嫌が良くなる。その方が少しは点が良くなるというのはもっともだと思った。

5つのチェックポイントはそれぞれ、

 研究目的  研究計画・方法  準備状況  業績  これまでの成果  経費の妥当性、必要性
(1)(3)(4) (2) (3) (4) (5)   (5)      (5)    (5)          (2)

を参照して評定することになっている。 影響力が大きいのは 「研究目的」と「研究計画・方法」であることがわかる。しかしそれは単なる建前である。 業績欄が真っ黒に埋まっていなければ問題外である というお話であった。それは当たり前で、業績欄に白い部分が多いほど「研究遂行能力および研究環境の適切性」のスコアが悪くなるだろう。それだけで通る可能性は 0 になる。

ゆえに私が科研費について考えても意味はないのだが、一応いろいろと考えている。

「研究遂行能力および研究環境の適切性」のスコアが悪いと言うことは、「おまえなんかにこんな研究を実行して成果を上げられるはずがない。生意気だ。もし過去に実績があるとしても、それはそのときの研究環境がよかったせいでおまえの実力ではない」と言われているのと同じである。確かにそんな気もする。

審査員のための、「第1段審査 (書面審査)の手引」も公開されている。「審査意見の例」が記載されている。大変参考になる。これらの例を参考にして、悪いところを直し、なるべくよく解釈されるようにしなければならない。

「審査意見の例」にはいろいろなキーワードじみたものがある。長所の方はどうでも良いが、短所をあげつらう部分は注目に値する。これらの語句に当てはまる部分をできるだけ減らさなければならない。

「内容・意味するところが不明である」 「研究計画の具体性に欠ける」 「根拠も明確ではない」 

「査読論文が少なく普通以下の研究遂行能力である」 「項目を羅列しているだけでフォーカスされていない」 

「研究期間内に何をどこまで進めて成果とするのか不明である」 「独自の切り口を見つけてほしい」 

「解析のターゲットが多すぎる」 「主たる目的が様々に書かれており明確でない」 「研究基盤が整っているとはいえない」 

「どの部分に着目するのか、アウトプットが何であるのか言及が望まれる」 「研究が予定通りに進められるか必ずしも明らかでない」

自分で、自分が書いた申請書に対して「審査意見の例」を参考にして審査意見を書いてみるとよいかもしれない。とくに「短所に注目した例」を見本にして書いてみるとよいのではないだろうか。

(例)

本研究は、これまで応募者が行ってきた@@機能変異体の研究を基礎に、@@機能と@@@@の関連を調べようという提案である。@@と@@@@の関連はこれまで注目されておらず、独自の切り口を開拓しようという提案は評価できる。

しかしながら、記載された研究計画は speculative な部分が多く、予定通り進められるか必ずしも明らかでない。@@@に注目した実験を行うことになっているが、その根拠が不明確である。得られる知見は@@@@を解明するには不十分であると言わざるを得ない。論文数は少なく普通以下の研究遂行能力である。


タイトルを、各ページの一番上段に繰り返し書いておく  審査員は無名研究者の書類を一生懸命読むはずはない。表紙にタイトルが書いてあっても、めくって次のページを見た瞬間には忘れているだろう。それでは「この人何をしようとしてるんだっけ?」ということになり、よい点がつくはずがない。タイトルを各ページに書いておけば、それは防ぐことができる。しかしタイトルがしょぼいものだとかえって逆効果かもしれない。タイトルは「命を懸けるような気構えで」よく考えなければいけないそうである。

フォントを工夫する   注目してほしいところ(タイトル、見出し、キーワード)は太い活字(ゴシック、丸ゴシック、Bold)やアンダーライン、どうでもよいところは細い活字にする。見出しとキーワード(太い活字のところ)だけ読めば、後は読まなくても内容が十分わかるようにする。

図面について   理解を助けるために図面を入れるのは当然である。しかし研究目的の部分と、研究方法の部分では入れ方を変えなければならない。

研究目的の場合、「一目で理解できるようにする」ことが必要である。そのためには、図は一つのページに一つか二つでなければならない。多数の図があったら、全部見て内容のつながりを考えなければならないので審査員は理解してくれないだろう。

研究方法の部分では、図面は「既にここまでのことができている、だから今回書いたことも実行可能である」と言うことの証拠 evidence としての意味がある。そのため、この部分では予備的な実験結果を図にしたものを複数個、多めに記載するのが合理的である。


研究費申請書については様々な人が考察し、ためになることを書いてくださっている。 どこかで見たこと、読んだことを書き留めておく。

ttp://www.yokohama-cu.ac.jp/res/pdf/20kaken_manual3.pdf 横浜市大の、「懇切丁寧な科研費書類の書き方講座」 (Google からの検索 「科研費 書き方 学術的」で見つかったものである)

ttp://www.jigyo.ac.jp/blog/staff.php?itemid=538   事業創造大学院大学 富山准教授が書かれた、科研費獲得成功要因の分析   非常に説得力がある。何か事業を興そうと言うときは、計画書、企画書を作成し銀行や投資家に説明する必要がある。研究費申請も似たところがある。

ttp://pfwww.kek.jp/nomura/pfxafs/kyodor/advice.html   科研費の申請ではなく、共同利用実験施設の利用申請を行う場合の申請書の書き方。審査を行う方の立場から、親切に端的に書かれている大変優れた手引き。 「申請書に記述された内容から、研究の意義や実験方法が読み取れ、その通りに行けば相当の意味ある結果を得られるがどうか」 「計画内容を審査員に正確に伝える表現」「簡単な背景説明」「略号(分野が違うと理解しにくい)には注意」「予備的な知見が得られているのは前提」「これを研究することが特に重要なのだということを納得してもらう」そのために「形容詞を用いた定性的な表現ではなく、定量的に重要性を示す」「試料、条件、方法を具体的、定量的に示す」「目的と方法の整合性」「書いてから冷却期間をおいて見直す」前提条件を書き忘れていたりする。

「この研究が重要だ」ということを「定量的なデータによって」明確に示すことが、説得力を増すらしい。 そのためには既に少なくとも予備実験を行い結果が出ていなければならない。科研費基盤研究(A)(B)(C)の審査規定にも、「特色ある研究を格段に発展させるための研究課題を選定する」と書いてある。申請する時点で、既に特色ある研究成果が十分に得られていなければ通るはずがない。

http://pfwww.kek.jp/nomura/pfxafs/kyodor/SP8PRC2003.pdf   Spring8 の利用申請書類を審査されている先生の、申請書に関する感想 

http://www.f.waseda.jp/atacke/sevenbasics.htm   「私大研究者のための「採択率を上げる研究費申請書」の書き方、七つの基礎」   早稲田大学 竹内 淳先生

審査員に対するわかりやすさと、正確さはトレードオフの関係にある   研究費申請書は、限られたスペース、時間で専門外の先生に読んでもらわなければならない。どうしても正確さを犠牲にしなければならないが、しょうがない。

「自分の知りたいこと」を押しつけるのも避けなければならない。「この分野の研究者の間でよく知られていて、解明したら大受けしそうなこと」を考えて、それに自分が出してきた成果が自然に結びつくように書けなければならない。研究費申請書は研究成果報告や今後自分がやりたい研究の未来図ではなく、自分が出してきた研究成果に基づいて作成する派生商品である。研究成果(原材料、原資産)と、研究費申請書(商品)の間にできるギャップをうまく埋めなければならない。それは映画などを作る際の「演出」に相当するものらしい。自分のために商品を作るわけではないのだから、自分の好みは二の次にして「いかに客に受ける商品(申請書)を作るか」を第一に演出をしなければならない。

「お金を獲れる申請書(企画書)は、高い目標に向かう道筋がはっきりしている。」   ある若い優秀な先生が書かれた文章

高い目標 = 解決しようとする課題、目標が、誰の目から見ても重要であること   それを認めさせなければならない しかし本人が一生懸命考えて独自の重要だと思う課題を見つけてきても、それが重要だと他の人が思うかどうかは別である。東大教授ならそれでいい(光背効果(ハロー・エフェクト))のだろうが、無名研究者が見つけ出した独自の課題の重要性を素直に認める人などそうはいない。「なんて独りよがりな文章、論理なんだ。こんなもの読んでいられるか。」と評価されるに決まっている。自分が考えた課題、目標は本文に混ぜて書くようにして、表向きの課題は世間の consensus になっているものにしておく方が得策かもしれない。医学の研究者の場合は、「この研究で〜病が直る!」と書いておけばいい(病気を治すという目的がはっきりしている)から書きやすいかもしれない。私のような農芸化学、植物生理学の場合なら、「我々が発見した@@遺伝子、変異体を活用してバイオ燃料を効率生産」とか、そういうたぐいのことにしておかないといけない。

道筋がはっきりしている = その目標を解決する具体的な手段が示され、それを本人が実行可能であることを読む人に認めさせる、信用させること   当たり前のことだが、これは大変難しいことである。本人が「これでできるぞ。どうだ、まいったか」と思っていても、世間の人はそう思ってくれないのが当たり前である。

後になって落ちてよかったと思うような申請書は通らない   解決しようとする問題が明確でなく、計画が全く具体的でなく、終わった後の落とし所が書いてないのはよくないそうである。

「Innovation, Impact, Strategy をそれぞれ明確にアピールすることが大切である。」 これは外国で活躍されている先生が書かれたことだから、日本ではまた違うかもしれない。

「長恨歌ではいけない、俳句でなければならない。しかし伝えたいことを短くまとめるのはかえって難しい。俳人は一句作るために身を削る思いをしている。」    http://www.med.kitasato-u.ac.jp/news/251/251_5.html 高橋正身先生が書かれた、とてもためになる話 

脚本家の方(畑 嶺明氏)が、以前新聞に書いていらっしゃった話: 研究費申請書は、研究の脚本のようなものである(演劇と違って、脚本と実際に演じられることが全然違うものになることも多いが) 

「(市川森一さんに、書いた脚本を見せると忙しそうに原稿の前と後ろだけを見て)  「ガラス拭きの話は俺には書けない」と一言。

*** 「それが大事だ。いかに人が書けないものを書くかが勝負だよ」 ***

と励ましてくれた。次に教わったのが

*** 「最初の原稿十枚でおどかせ」 ***

ということ。

*** 新人はまともに読んでくれないから、とにかく出だしでひきつけるのが肝心 ***

というわけだ。」

人が書けないものを書くには、それなりの研究成果が蓄積していなくてはいけない。またそれらの成果について常日頃から十分に考え続けていなくてはいけない。しかしあまりにも「人が書けないもの」でありすぎて、全然理解してもらえずに終わると言うこともあるかもしれない。

研究費申請書で最初に見るのは1ページ目の研究題目、申請者等の名前、その所属だろう。 タイトルで「おどかす」(魅力的なタイトルをつける)ことが必要なのだろう。 申請者名は変えるわけにはいかないので仕方がない。「名義貸し」というわけにはいかない。 研究グループの人数は、少ないよりも多い方が労働力の投入量が多いということで、中身はどうあれ成果としての出版物は出やすいと思われる。 所属も変えるのは難しい(若い人は除く)ので仕方がない。

研究費申請書では、最初に3から4行くらいの要旨をつけることが推奨されている。科研費の様式でも、冒頭に要旨を書くように指示されている。 そこをうまく書くことで、審査員にそれ以降の内容に興味を持ってもらうことが大切であることが多くの人によって指摘されている。

広岡達郎氏が「私の履歴書」に書いていた、スポーツ新聞での文章修行の話: 

サンケイスポーツ運動部長の方が広岡氏にアドバイスしたこと:「読者にとってポイントが5つもあると散漫になる。一つに絞って書き直しなさい」「これっという一番大事な物は何かと考えて、それについて一生懸命書きなさい。そうしたら後のポイントは枝葉としてすーっとまとまる。これは一点絞りといって新聞の文章を書くとき一番大事なことだから覚えておくといい。」

「一点絞り」は、文章だけでなく本業の方でも役に立ったそうである。

心理学

研究費申請を通すには、審査員を説得し思わずよい点をつけさせてしまう必要がある。車などの販売も、客を説得し思わず買うように仕向けてしまうことが必要である。自分から「一台売ってくれ」とやってくる客がたくさんいるなら楽だが、そうではないだろう。客に思わず買わせてしまうためのテクニック、秘法が様々な会社で研究され伝承されていると思われる。研究費を交付してもらうためには、そういうことも見習わなければならないかもしれない(超一流大学の有名な先生ならそんな必要はないだろうが)。

そのことに関するかなり有名な本が出版されている。

「影響力の武器」 なぜ、人は動かされるのか ロバート・B・チャルディーニ著、社会行動研究会訳 第二版 誠信書房

世界でロングセラーを続ける消費者のための心理学書。購買心理の謎を六つの原理で見事に解明。

誠信書房は、心理学に関するよい本をたくさん出版しているらしい。 この本を熟読し、「審査員の心理」をよい方向に向けるように努力することは必要かもしれない。

この本を読んで考えたことを以下に記す。

第1章 影響力の武器

買い物をする場合、商品にその値段相応の価値があるかどうかを判断する必要がある。しかし複雑で忙しい現在社会で、一つ一つの商品についてすべて微に入り細に入り調査して価値を判断することは不可能である。気がつかないうちに何らかの「簡便法」を使って判断を間に合わせていることが多い。例えば「質のよいものは高い」という一般的な法則、経験から、「この商品は値段が高いのだから、質も高いのだろう」という簡便、自動的な経験による判断(ヒューリスティック)が発生する。「専門家や偉い人がそういうのだから、正しいに違いない」とか「テレビでよく取り上げられているから、重要な問題に違いない」とか「偉い人は普通偉そうな態度をとっている(しかし最近の若い優秀な研究者は皆謙虚であるが)。それにつられて、偉そうな態度をとっている人は中身はどうあれ偉いと考えてしまう」など、たくさんのパターンがある。「カチィ・サー」反応と書かれている。これによって貴重な時間、エネルギーを節約できる。しかし間違いの元にもなる。

科研費の審査でも、たくさんの書類を限られた時間で微に入り細に入り調査して審査することは不可能に近いだろう。貴重な時間、労力を審査にばかり費やすことは許されない。たぶん「この申請書はこんな所属、地位、年齢、論文数のやつが書いたものだから、中身なんか読まなくてもたいしたものでないことはわかりきっている」というような簡便な判断が多くの場合行われているのだろう。

「コントラストの原理」というものが紹介されている。「最初に軽いものを持ち上げて次に重いものを持ち上げると、二番目のものだけを持ち上げた場合よりも重く感じる」傾向があるそうである。研究費申請書の場合なら、質の低い申請書の次に普通の質の申請書を読むと、そうでない場合よりも高いスコアがつくという可能性がある。しかし自分の申請書が読まれる順番を指定するわけにも行かないので、この原理を利用することは難しい。

第2章 返報性−昔からある「ギブ・アンド・テーク」だが

普通の人間は「他人がこちらに何らかの恩恵を施したら、似たような形でそのお返しをしなければならない」というルールの下に行動している。このルールは恐ろしく強力で、人間が人間らしく生きていくための基本のように働いているそうである。しかしこのルールをうまく利用することで他人から何らかの利益を得ようとする人物、集団も存在している。

このルールを科研費申請に利用するなら、審査員に「そういえば、この申請者には借りがあったな」と前もって思わせることが必要になる。その心理が、スコアを高めにつけることでお返しをするという行動に表れる可能性は高い。 どのような方法でそれを実現するか?

正当な方法: 
すばらしい研究を発表し、多くの人に「この人の研究はすごい。この成果のおかげで、今まで理解できなかった実験結果がきれいに理解できるようになった。ついにこの難しい問題を解決して我々に恩恵をもたらしたのだから、何かの機会にお礼をしなければならない」というように思わせる。

この本で紹介されている方法: 
勝手に親切を施すことによって、他人の心の中に恩義の感情を生み出す。

望みもしない親切を施されても、「そんなものは知るか」と思うのが普通かと言うと、そうではないと書かれている。思わずお返しをしたくなってしまう(心理的に負担になる)ものであるそうである。新興宗教がこの原理を活用した例が紹介されている。人間の心理とは、恐ろしいものである。

第3章 コミットメントと一貫性−心に住む小鬼

自分の考えを簡単に変えてしまう人、言っていることと実際の行動が一致しない人は、立派な人格を持ち合わせているとは思われない。一貫性があることは良い評価を受ける。しかしそれが間違った判断を引き起こしたり、いらないものを思わず買ってしまったりすることに結びついてしまう。

「コミットメント(立場を明確にする、それを他人に知らせる)」が、非常に強力に人間の行動を支配することが紹介されている。一度自分の意見を明確にして、さらにそれを公言すればそれと一貫した行動をとろうとする非常に強い力が働き続ける。最初のコミットメントが小さな取るに足らないことであっても、それが一貫性を持とうとする心理により、その後の大きな行動を引き起こすようになる。「小さいことから始めて(きわめて小さな譲歩を引き出す)、そこから築き上げよ(完全な協力、転向を築く)」という標語が紹介されている。

研究費の審査で考えてみる。審査員が表紙のタイトルと申請者の名前と所属を見る。そこで「よくわからないタイトルだな。なんだ、こんなやつか。しょうもないな」と思う。それを他人に知らせると言うことはないだろうが、一度そう思ったら一貫性の圧力によりその後の審査結果も低調になるだろう。*** 新人はまともに読んでくれないから、とにかく出だしでひきつけるのが肝心 *** という話と同じである。

申請書を書く方から考えてみる。申請書の出だしで、どんなつまらないことでもいいから審査員に「この人の言うとおりだ」と同意させるようなことを書くべきである。

例えば「植物ホルモンの研究は植物科学における最重要課題の一つである」などと当たり前の、同意せざるを得ないことを書く。当たり前のことを書いているので同意しないわけにはいかない。

その後で「先ほどは私の考えに同意してくださいましたね。さらにこのことも同意してくださるでしょうか」「それでは、私の研究にこの資金が必要と言うことにも同意してください」というように持って行くのが正しいらしい。いきなり「俺のこの研究成果はすごいだろう」などと書くのは下策中の下策である。

結局、申請書の最初から最後まですべての部分に渡って審査員に「この人の言うとおりだ」と同意、納得させることに成功した人が、研究資金を獲得できると考えることができる。私が書くようなことでは、1ページ目の真ん中当たりで審査員が「そうかな。この人はずいぶん思い込みが強いな。私は同意できないな」と思ってしまうのだろう。

「書くことには魔術的な力がある」という標語も紹介されている。目標を考え、それを紙に書くことによってそれがコミットメントとなる。それを他人に見せることでコミットメントを達成しようとする強い圧力が発生する。

科研費の申請というのは「研究目標を考えそれを書く」「それを他人に見せる」というコミットメント行為である。それでさらに国の資金が資金されるのだから、目標を達成させようとする圧力は極めて高くなる。さらにデータベース http://seika.nii.ac.jp/ が充実して誰が科研費をいくらもらっているのかすぐにわかるようになった。それも目標を達成させようとする圧力を高める。非常に良くできた仕組みである。しかし私のように全然通らない場合は関係のないことである。

第4章 社会的証明−真実は私たちに

社会的証明の原理「私たちは他人が何を正しいと考えているかに基づいて物事が正しいかどうかを判断する」が紹介されている。何を言っているのかわからなくても他人がみんな笑っていれば、自分も笑うことが正しいと思って笑い出すのが人間の心理である。たとえその笑い声がテープで流されたもの、サクラが笑ったものでも、笑いを引き出す力を持ってしまう。

逆の例として、道で倒れている人がいても、他の人がみんなそれを無視していれば、それにつられて「よくわからんが、たぶんこの人は助ける必要がないんだろう」と考え、何もせずに通り過ぎてしまうという例が紹介されている。自分がそういう目に遭わないためには、「そこの青い服を着ている人、助けてください」というように叫ぶことで「私がこの人を助けなければならない」という確信を他者に持たせなければならないそうである。

科研費の審査では、「いままでどのような研究費を獲得したか」を書くページがある。そこに「私は一度も科研費などの競争的研究費が取れたことがありません」と書いてあったとする。審査員は、「申請書に書いてあることはよくわからんが、今までの何人もの審査員は、全員こいつの研究には価値がないと判断してきたんだな。それならそれが正しいんだろう。」と思うだろう。実際にそう判断して審査員には何も不利になることはない。それどころか審査が早く済むということで大きな利益が得られる。

審査員が専門外の申請書を読むときは、内容の評価に対して確信を持つことは出来ない。そのときに「社会的証明の原理」は最も強く働くだろう。その結果、いままで何回も科研費などの研究費を獲得してきた研究者に対する評価は高くなる。一度も科研費を取れずに長い年月を過ごした者の申請書には悪い点がつくだろう。一度負け癖がついてしまっては、それを打ち破ることは東大の大物教授が90億円を取る以上に難しい。

審査員は皆同じ研究者で「よく似た他者」である。確信を持てないときには、よく似た他者の判断を模倣したくなるのが人間の心理であると書かれている。それに逆らって「私がこの人を助けなければならない」と思わせることは難しい。申請書に「助けてください」と書かれても困ってしまうだろう。できる限りきちんとした申請書を書くことと、効果はないだろうが「研究が進んでいるので、今までとは違うんです。その証拠に、有名な〜〜先生に研究の一部に関して支援して頂けるようになりました」と書いておく(〜〜先生の判断を模倣させる効果を狙う)ぐらいのことしかできないだろう。

昔から街頭販売などで「サクラ」が使われている。この本では250ページから書かれている。「サクラ」を使って審査員の心理に影響を与えるという事も考えられるが不可能だろう。

第5章 好意−優しい泥棒

見知らぬ人、嫌いな人から何かを頼まれて「はい、やります」という人はあまりいない。しかし同じことを頼まれても、自分が好意を持っている人からなら進んで承諾するだろう。他人に何かを承諾させるためには、その人から何らかの方法で好意を持ってもらうことが大切で、それができれば成功したようなものである。科研費の審査なら、審査員からの好意を獲得しなければならない。

それにはどのような要因が大切か? 

「外見の魅力」が紹介されている。しかし科研費の審査では本人が審査員に直接話しかけるのではないから、本人の顔の作りなどは関係ない。審査員は申請書を見るのだから、申請書の外見を良くしなければならない。様々なテクニックがいろいろなところで紹介されている。「文字の大きさ」「行間」小さすぎると読みにくいが、大きすぎると内容が少ないのをごまかしているように思われる。「右左のマージン」これが小さいと読みにくくなるそうである。「フォント」強調したい部分はゴシックにする。「誤字脱字、変換間違い、用語の不統一、金額の間違いなどをなくす」申請書が間違いだらけでは、研究の方も間違いだらけだろうと思われても仕方がない。漢字変換では、気づきにくい間違いが生じるので注意する。

「類似性」 私たちは自分に似ている人を好む。申請書の中身を見て「私もこんな研究をしていたんだ(共通体験がある)」とか、「私もこういうテーマが重要だ、研究したいと思っていたんだ」というように思われれば、良い点がつきやすいだろう。「世界中誰もやっていない独自のテーマを追求してきた」などということを書くべきではない。

経歴が似ていると言うことも重要だそうである。○○研究所でポスドクをしたことがあったら、「わたしは○○研究所でポスドクをしていた経験があり・・・」と書いておけば、偶然審査員に同じ経歴があったときに有利かもしれない。「わずかな、取るに足らない類似性」でも有用な効果があるらしい。審査員は教授、准教授またはそれらに相当する地位についた人であり、しかも科研費などの競争的資金を継続的に獲得している可能性が高い。地位が低い、科研費などをまるで取れていない申請者は不利になる。

「お世辞」 

第6章 権威−導かれる服従

第7章 希少性−わずかなものについての法則

第8章 手っ取り早い影響力−自動化された時代の原始的な承諾


図面をいくつも入れるようにすると、文字を書くスペースが減るので強制的に文章量を減らさざるを得ない。そのほうが読む人にとって文章が減って読みやすくなり、すこしはましになるかもしれないと言う話もあった。 例えば、原稿の右側6センチぐらいは、すべて「予備的に得られているデータ」の図表と、それを説明する短い文章で埋めると言うことも考えられる。

文章を主体と考えるのではなく、「言いたいことを象徴的に、できる限り一目でわかるように表現した図面」を複数用意し、それらをさらに説明するために付加的に文章を配置するという書き方も考えられる。そのような図面を作成するのは難しいだろうが、やらないわけにも行かない。よい図面を作成できればほかのことにも使えて便利だろう。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/gijiroku/002/04102501.htm 文部科学省の、科学研究費に関する審議会の議事録。

「最初の審査の段階から研究目的ではなく研究計画に重点を置いて審査すべきで、その方が優れた研究課題を採択できると思う。目的を書くのは誰でも上手なことを書ける。最初から計画に重点を置くべき。」

という発言がある。確かに、研究目的欄は書きやすい。研究計画になると、すでに研究が進んでいないとうまく書きにくい。「科研費の書類には、もう実験が済んで結果が出ていることを、これからやるようなふりをして書け」というようなことを聞いたことがある。確かに研究費を出す方の立場に立って考えれば、確実に成果を上げる研究を選ぶというのは一つの基準だろう。それを重視する審査員は、研究計画の方を重視するのかもしれない。

こんな感じかもしれない。

・ 目的欄すら、何を言っているのかわからない → Cランク 問題外 
・ 目的欄はもっともらしいことを書いてあるが、実際の計画は怪しい → Bランク 
・ どちらも説得力がある → 審査員は「これは真面目に読んでみるか」という気になる その中から、さらに気に入られたものだけが当選する

「私は忙しいから研究計画の部分しか読まない」という審査員もいるそうである。研究計画の部分がよく書けていれば、目的の方もよくできている、読む価値があると見なしてほとんど問題ないのだろう(その逆は真ではない)。確かにそんな気がする。研究計画がよく理解できて興味深ければ、もっと詳しく知るために目的欄を読みたくなるだろう。自分で申請書を書いて見直すときは普通、目的欄から見ていく。それだけではなく計画欄を最初に読んでみて、それでもある程度何をしたいかわかるかどうか、目的欄を読みたくなるかどうか、試してみるのもよいかもしれない。

研究費申請書をソフトウェアで審査する

私が使っているメールソフトにはSPAMフィルターがついている。SPAMフィルターはベイズの定理を応用したベイジアンフィルタリングという仕組みが使われている。そのために、SPAMメールとそうでないメールをたくさん用意し、ある単語がSPAMに出現する頻度、普通のメールに出現する頻度を統計的に計算する。そうするとSPAM に高頻度で出現する(SPAMらしさを表現する:"viagla" とか)単語、またその逆にSPAMにはめったに出てこない単語(”生物圏科学研究科”とか)がわかる。それでたくさんの単語についての「SPAM度」のデータベースが作成できる。判定したいメールに含まれる単語について一つ一つデータベースを参照し、それらのSPAM 度を加算する。その結果でSPAMかどうかを判定する。

参考文献: 「ASCII」の2003年6月号218ページ 増井氏の記事 http://pitecan.com/ASCII/diary0306.html

これとおなじようなことをすれば、ある論文の「一流雑誌 らしさ」という指標を計算することも可能かもしれない。一流雑誌に載った論文とそうでない論文を多数用意する(同じ分野で)。単語の頻度で判断するわけにも行かないので、「今はやりの問題を扱っているか」、「新規遺伝子、新規分子を発見しているか」、「有力学者が著者に含まれているか」などのようにYesかNoかで判断できる指標をたくさん考えて各論文についてデータを取る。そうすれば一流雑誌でのみ高頻度で見られる性質、その逆の性質が見つかるかもしれない。判定したい論文について「一流雑誌でのみ高頻度で見られる性質、その逆の性質」がどうなっているかを計算し「一流雑誌度」を算定する。一流雑誌に載る論文は価値が高い論文と言うことになっているので、そのスコアで論文の価値を計算することができる(かもしれない)。そんな単純なことで論文の価値がわかるはずがないような気もするが、もしかしたらそうではないかもしれない。

「論文の価値」の定量化は無理かもしれないが、「研究費申請書の自動審査」はある程度可能かもしれない。同じ分野の研究費審査書(すでに審査結果が出ているもの)をたくさん入手する。それらからテキスト部分を取り出して電子メールとして自分自身に送り、受信する。メールソフトのSPAMフィルターで、「審査に通ったもの」は迷惑メールに分類する。それを何通も繰り返して学習させる。もしかしたら、「通った申請」に頻繁に出現するキーワードのようなものが検出できるかもしれない。学習ができたなら自分が書いた申請書を分類させてみる。その結果を見て「迷惑メール」になるように修正していく(そんなにうまくいかないだろうが)。

SPAMフィルターで分類させるのは無理としても、「通った申請」と「落ちた申請」を比較してその原因を追及することは、野球でメジャーリーガーになれた選手となれなかった選手を比較してその原因を研究しているのと同じで価値があることだろう。本当にそういう研究がうまくいって申請が通る率が上昇すればすごいことである。各大学はこういう研究にこそ研究費をつぎ込むべきではないだろうか(すぐに他大学に秘訣がばれてしまうかもしれないけれど)。「とにかく全員申請書を出してください」と言うだけでは、「我々には知恵がありません」と言っているのとあまり変わらない。こういう研究をしている先生方はたくさんいるのだろうが、その成果は門外不出で一般に公開されることは絶対にないのだろう。

企業が学生を採用する際には「エントリーシート」に自己紹介や志望動機を記入させる。その文章を自動採点するシステムが開発されたと、新聞に書かれていた(2006/9/22 日本経済新聞)。「文章構成と適性、能力の評価結果には一定の相関関係がある」と言うことがわかったそうである。評価の仕組みとしては、「入力した文書を熟語、接続語などに細かく分解する」さらに「語彙力」「説得力」「表現力」の三項目を点数化する(もちろん、点数化する方法は公表されていない。20万人分のエントリーシートを統計的、心理学的に分析したそうである。それくらい多くのデータがないと正しい結論は導けないのかもしれない)。それによって順位をつけると書かれていた。「研究費申請書の自動審査」も、同様な手法で可能なのかもしれない。

仕組みを想像すると、「入力した文書を熟語、接続語などに細かく分解する」によって書かれている単語のリストを作る。それによって誤字、脱字がいくつあるかをカウントする。「誤字、脱字をするような人物は当社では採用しない」というのはもっともな話である。漢字で書くべき言葉をひらがなで書いているのもマイナスにする。さらに「模範になる文章」(社員の中で優秀な人に書かせる)を複数用意しておいて、その文章との類似性(共通する単語を使っている度合いなど)も計算する。いかに適切な語彙が用いられているかということは文章の評価において重要な因子であるそうである。それぐらいしか想像できない。「模範になる文章」が、どうしても必要になるだろう。

複数の単語の「共起」に関する情報は、文章を解析する上で役に立つらしい。

この記事を見て調べてみたところ、「日本語の文章解析ソフト」のホームページも見つかった。http://www.mori7.info/moririn/index.php  http://www.mori7.info/moririn/moririn1200.php のページで、作文小論文の自動採点ができる。非常に興味深い。研究費申請書を書くためにも有用かもしれない。長すぎる文章があると警告してくれる。それだけでも価値がある。小学生、中学生の作文指導のために開発されているようである。そのため研究費申請書を読ませると「難しい言葉が多い」と指摘される。 研究費申請書の特性に合わせたソフトウェアを新たに開発することも必要だろう。

言選Web

研究費申請書に、ほとんど誰も知らないことを書いたのでは審査員によい印象を持ってもらうのは難しい。審査員に「この話なら、関連することを聞いたことがあるな」と思ってもらった方が有利だろう。

申請書を書いたら、使われている「専門用語」のリストを自分で作ってみる。自動化もできるかもしれない。

東京大学情報基盤センター中川研究室が、既に”専門用語(キーワード)自動抽出システム 言選Web”  http://gensen.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/  を開発されている。http://www.madin.jp/docs/wordcount.html   豪田氏が、「日本語文書の文字・単語出現頻度解析ツールとデータ」という解説ページ、ソフトウェアを公開されている。

また http://chasen-legacy.sourceforge.jp/ ChaSen -- 形態素解析器 も windows で使えるものがあり素人でも使える。しかし専門的な用語が複数の単語に分割されてしまうことがある。例えば「セルロース合成阻害剤」という単語は「セルロース」「合成」「阻害」「剤」に分割されてしまう。言選Webで、形態素解析だけでは十分でないと解説されている。

何らかの方法で作った「自分で書いた申請書に使われている専門用語リスト」について、それぞれの用語に対して Google で何件のヒット数があるかを調べる。http://generation1986.g.hatena.ne.jp/from_kyushu/20080217/search_results スクリプトで行う方法がこのページで紹介されている。特に気になるキーワードだけ調べるなら普通に検索しても手間はあまりかからない。用語は前後を ”でくくって完全一致したもののみカウントするようにする。ヒット数が多ければ、比較的研究者の間でよく知られている用語とみなせる可能性が高い(関係ないことでヒットしていることもある)。

ヒット数が小さければ、非常にマイナーな専門用語であるといえる。さらにヒットしたページを見てみる。それらのほとんどが本人が書いた文章や論文で占められていたりしたら「他人はそのことについてほとんど知らない」ということになり、審査によい影響を与えるはずがない。そういう用語が申請書類に出てこない方が望ましいだろう。

ヒット数が大きい専門用語をなるべく使った申請書にしたほうが、審査員が「俺はこんなことは全然知らん。おもしろくない。」と思う確率が小さくなるはずである。それによって審査員に対する印象を少しは改善できるかもしれない。

実際に、私が去年書いた申請書の「研究目的」の部分を言選 Web で分析してみた。キーワードの第7位に「セルロース合成阻害剤感受性」という語句が出てきた。これを "セルロース合成阻害剤感受性" として Google 検索するとたった2件しか出てこない。しかもどちらも自分で書いた文章である。そんな語句をキーワードにしていれば、審査員は「全然知らないことばかり書きやがって、内容を理解させようという気はないのか」と思っても無理はない。こんなことがないようにしなければならない。これからはこの点に関しては、改善することができる。

一方、"アルツハイマー病" をキーワードにして Google 検索すると約 394,000 件と出てくる。出てきたものには朝日新聞社のページや NHK のページが含まれる。それだけ社会的に注目、重要視されていることを示している(当たり前だが)。「新聞社のページで取り上げられているようなキーワード」を多く使っている申請書は、審査員に「この研究は重要だ」と思ってもらえる確率が高まるかもしれない。Nature や Science に載った論文は新聞社の科学面に取り上げられることが多いので、有利になるかもしれない。「新聞社のページで取り上げられているキーワード」の出現率は、申請書の通りやすさを機械的に判定する指標の一つになるかもしれない。もちろん研究の中身が伴っていなければ意味はないだろうが。

「言選で選ばれてくるキーワードの、スコアの分布」も評価できるかもしれない。申請書に含まれるキーワードの重要度が分散していれば(スコアの裾野が広い)、その申請書を理解するために、審査員はたくさんのキーワードを頭に入れなければならない可能性が高い。 重要度が少数のキーワードに集中しているなら、それらのキーワードのことだけを知っていれば全体を理解できる可能性が高いかもしれない。

言選Web で、重要度付きでキーワード分析を行う。結果をエクセルに取り込む。上位のキーワードから、重要度の (累積度数/重要度の総和) を計算する。例えばこの値が 0.8 になったところの順位が何番目かを見る。この値があまりにも大きいなら、「キーワードの重要性が集中していない」ことになる。申請書に様々な話題、課題を詰め込みすぎであるという可能性を示唆する。申請書を理解しやすくする足しになる情報かもしれない。

言選Web で選択されたキーワードを見ると、同じことを示す言葉が複数回出てくることがある。用語が統一されていないと、すぐにわかる。文章に使われている用語のチェックにも有用である。 「これは本筋とは違うキーワードなのにこんな上位にきている」ということもある。その場合は、その語句を使っている部分を再検討する。それによって上位のキーワードに、自分が強調したい語句が集中するようにする。

「審査員は、文章全体からキーワードを抽出し、それらのキーワードに頼って文章全体の評価を試みている」ということも考えられる。たくさんの申請書を大急ぎで評価しようと思えば、自然にそうなる可能性は高い。言選は、審査員の思考過程の一部を模倣できているかもしれない。審査員がキーワードを探索するのを助けるために、言選Webで抽出されたキーワードの部分を書体を変えたり太字にすることで審査員の思考をうまく誘導して理解を助けられる可能性もある。

Jess

http://coca.rd.dnc.ac.jp/jess/ というホームページでも、日本語の文章解析を行うプログラムを利用させていただける。開発された石岡先生は小論文の自動採点プログラムに関する解説http://coca.rd.dnc.ac.jp/jess/whatsNew.html も書かれている。「論文の採点とはどういうものか」ということを知ることができる。

人間は採点に際してある意味での思い入れ、たとえば「この論文は着眼がよい、切り口が斬新である」あるいは「自分と共通体験がある」などの理由で、他の採点者と比較し外れ値となるようなスコアを与えてしまいがちである と、書かれている。 それならば、申請書の特に冒頭で「採点者に、よい方向に思い入れを持たせる」ことができればスコアが上がることが期待できる。これは非常によい戦略ではないだろうか。「この申請書は着眼がよい、切り口が斬新である」と、審査員にまず思ってもらうことが非常に重要な因子だと思われる。

そのための方法として、「魅力的なタイトルをつける」ことが挙げられる。 また研究費申請書の最初に3から4行くらいの要旨をつけることが推奨されている。科研費の様式でも、冒頭に要旨を書くように指示されている。 そこをうまく書くことで、審査員にそれ以降の内容に興味を持ってもらうことが大切であることが多くの人によって指摘されている。 しかし、よい方向に思い入れを持たせることを達成するのは簡単なことではない。さらに審査員は複数いるだろうから、その全員にそう思わせるのは至難の業ではないだろうか。結局業績の数などで決まってしまうことが想像される。また「こいつはなにを言いたいのか全然わからん」というように逆向きに思い入れをもたれたらスコアが下がってしまう。そちらのほうが起こりやすそうである。私の申請書はそう思われているのだろう。

他の「よい思い入れを持たせる」要因としては、「業界内で名前が売れている(もちろん良い方向で:「悪名が高い」とか「あいつはダメだ」と評判になるのではおしまいである)」「審査員と深いつきあいがある」「所属が超一流帝国大学である」などの要因が考えられる。

私が以前書いた申請書の先頭約3000文字を jess で分析したところ、

「修辞 2.6 ( 5 ): 文が総じて(平均的に)少し長いです。長すぎる文があります。 句(読点と読点の間、あるいは読点と句点の間)の長すぎる文があります。漢字がやや必要以上に使われているように見受けられます。 埋め込み文が全体の分量に比べてやや多いように見受けられます。 語彙の多様性が不足しています(同じ単語が繰り返し使われすぎであることを示している)。受動態の文が全体の分量に比べて多いように見受けられます。」

という結果になった。評価が低かったのも無理はない。翌年書いた申請書では、

「修辞 4.0 ( 5 )  句(読点と読点の間、あるいは読点と句点の間)が総じて(平均的に)やや長いように見受けられます。 句(読点と読点の間、あるいは読点と句点の間)の長すぎる文があります。 漢字がやや必要以上に使われているように見受けられます。 語彙の多様性がやや不足しています。 」

と言う結果になって、修辞スコアが上がっていた。文章を短くするように心がけた効果がスコアとして現れた。jess のスコアと、申請が通ることに相関があるかどうかはわからない。あまりにもスコアが低い場合は、やはり通りにくいと予想される。しかしスコアが高いから通るとは思えない(確かにそのようであるが、すこしはましになるらしい。もしかしたら有意な相関があるかもしれない)。 いずれにせよ、自分が書いた文章を見直す一つの手段として有用かもしれない。

「RNA特定領域」のニュースレター No.1 の冒頭に、中村義一先生が書かれた文章がある。この研究を推進しようという熱意が伝わってくる名文に思える。しかしこれを jess で分析すると「修辞 2.8 ( 5 ) 文が総じて(平均的に)少し長いです。長すぎる文があります。句(読点と読点の間、あるいは読点と句点の間)の長すぎる文があります。漢字がやや必要以上に使われているように見受けられます。埋め込み文が全体の分量に比べて多いように見受けられます。語彙の多様性がやや不足しています。受動態の文が全体の分量に比べて多いように見受けられます。」という結果になった。計算機には「思い入れ」が理解できないことがわかる。修辞スコアと文章の良さの相関は高くないかもしれない。

http://side22.blog97.fc2.com/?tag=JESS で、YHEY 氏が Jess について書かれている。

修辞スコアは、文章の読みやすさや美しさを表すそうである。
論理スコアは、接続詞や指示語、また文末モダリティと呼ばれる文章の終わり方とそれに続く文との関連などで全体の論理構成を見ているそうである。うまく構成されていないと点が低くなる。このスコアの方が研究費申請書としては重要かもしれない。
内容スコアは、問題文に沿って単語が使われているかどうかをチェックするそうである。

「文章の良さを評価する」のは、評価する人自身が用意した「模範になる文章」が存在しないとソフトウェアでは難しそうだが、「悪いところがある」のを指摘することは比較的やりやすいかもしれない。それだけでも本人の気づかない欠点を直すことができて有用だろう。石岡先生の書かれた解説に大切なことが書かれている。

・ いかに適切な語彙が用いられているかということは文章の評価において重要な因子である 
・ 文章、句の長さは長すぎても短すぎてもいけない。長い分と短い文がうまく混ざっているのがよい。 
・ 特定の単語だけが繰り返し使われすぎるのは語彙の多様性が不足しているということでよくない。 
・ 一般に文章はできるだけ能動態で書くべきで、受動態の多い文章は悪文とされている。 
・ 接続関係を示す語句をうまく使うことで、文章の論理構成を明確にする。接続関係が表現されていない文章は、いくつもの文をただ書き並べているだけで議論を掘り下げていないと見なされる。

「申請書をソフトで分析する別のアイデア」 

申請書を書いたら、「英訳ソフト」で英語にする。それを「日本語訳ソフト」で日本語に戻す。その結果が解読不可能なら「ソフトウェアに理解できない、すなわち審査員にもわかりにくい文章である」ということで望ましくない。結果が解読可能になるように申請書を直していく。もし解読できるようになったら「英訳ソフト、日本語訳ソフトでも理解できる」、すなわち人間ならもっと理解できる文章になっているかもしれない。二回も翻訳するのは無理があるので、英語になったものを見て判断するのがよいかもしれない。MSワードの英文校正機能には「読みやすさ」を数値で示す機能があるので使えるかもしれないと思ったがだめらしい(使っている単語の種類をカウントしているだけだった。専門用語があると数値が0になる)。

一つの案: まず自分の書いた文章を jess で採点する。その文章を Google などで日英翻訳、さらに英日翻訳して日本語に戻す。その文章をまた jess で採点する。点数の低下が少なければ、元の文章はソフトウェアでも理解しやすい文章に仕上がっていると言える。 そんなにうまくいかないだろうが、基本的にはこの方法でよいのではないだろうか。 
翻訳ソフトで、「この文章はどれくらい翻訳しやすいか」というスコアが出るものがあれば、文章のわかりやすさを定量化する一つの指標になるかもしれない。

私が以前書いた申請書の冒頭を Google の翻訳機能で翻訳してみた。

The trees and shrubs the majority of the monosaccharides which are formed from in CO2 the atmosphere with photosynthesis is converted to the cellulose and the starch which are the high-molecular polysaccharide. It is necessary in CO2 reduction in the atmosphere to improve the conversion efficiency. We in the research which uses the model plant, have discovered the new gene which controls the biosynthesis of the cellulose and the starch simultaneously. In this research, the gene recombination plant which strengthens the revelation of that gene is drawn up, influence to production efficiency of the cellulose and the starch, in addition influence to photosynthesis and CO2 fixed efficiency is investigated. When it can recognize improvement with the model plant, furthermore application to the trees and shrubs is assured. The plant biomath which designates the cellulose and the starch as the main component is seriously considered as an energy source of 21 centuries, it is useful research theme not only CO2 reduction, as a production source of reproducible energy.

木および低木は高分子の多糖類である澱粉およびセルロースに二酸化炭素でから光合性の大気形作られる単糖類の大半変えられる。 変換効率を増進することは大気の二酸化炭素の減少で必要である。 モデル植物を使用する研究の私達は、セルロースおよび澱粉の生合成を同時に制御する新しい遺伝子を発見した。 この研究では、増強する遺伝子の組み変えの植物はその遺伝子の暴露、セルロースの生産の効率への影響および澱粉作成される、さらに光合性および二酸化炭素固定効率への影響は調査される。 それがモデル植物との改善を確認できるときなお木および低木への適用は確実である。 主要なコンポーネントは21世紀のエネルギー源として真剣に考慮されると同時にセルロースおよび澱粉を示す植物のbiomath、再生可能なエネルギーの生産のもととして有用な研究の主題の二酸化炭素の減少だけ、である。

ひどく長ったらしい英文になってしまっている。一つの文章はなるべく短くするのがよいらしい(私の書いた文の悪いところがわかった)。翻訳ソフトは重要な部分を 「 」や( )でくくると理解しやすいらしい。少しは役に立つかもしれない。審査員の先生のところには段ボール一箱いっぱいの書類がくるそうなので、私が書いた書類を読む気力は翻訳ソフトと同じくらいに落ちていることが想像される。翻訳ソフトでも意味がとれるくらい読みやすくしなければ、審査員の先生は読む気にもならないだろう。


野球

http://www16.plala.or.jp/dousaku/index.html 「日本プロ野球記録統計解析試案「Total Baseballのすすめ」」というホームページ(by 道作さん)がある。野球選手の記録を分析し、様々な考察がされている。研究の世界(研究者の活動をどう記録し、それをどのように評価するか)にも大変参考になることが書かれている。

・ 選手の記録を比較する場合、年代、リーグが違えば直接比較することはできない。それを補正するために「該当シーズンのリーグ平均値を1として、これに対する比率により成績を再構築するという方法がよく使用され、このスタッツは「傑出度」の名前で呼ばれているようです」と書かれている。研究者であれば、その専門分野での平均的な業績を基準として評価するということが必要かもしれない。その専門分野のことをよく知っていなければ、「平均的な業績」がどれくらいか、そこからどれくらい傑出しているかを正確に判断することは出来ないはずである。しかし「論文が掲載された雑誌の格」を目安にすれば誰でも判断できる。例えば植物生理学の分野では PCP が平均的、Nature や Science に載れば傑出しているというように判断すれば小学生でも評価できる。それで十分実用的に評価できていると言われれば確かにそうかもしれない。「俺の論文は PCP に載ったが凄いんだ」と主張しても、「それならどうして Nature や Science に載るようにもっと努力しなかったのですか。本当にそんなに凄い傑出した成果なら載せられるだろう。それなのにNature や Science に投稿しようともしないということは、たいした成果ではないということを示している」と言われれば「そうですね」と引っ込まざるを得ない (私からの言い分としては、「PCPは私のような無名の研究者からの論文でもきちんと丁寧に審査し、有益な指摘をしていただけるので私にとってはもっとも適した雑誌である。また日本国民の税金を使わせていただいて行った研究成果を日本から発行される国際雑誌に投稿することは正しいことである。」ということがある)。

・ パークファクターという因子が紹介されている。各球場における本塁打の出やすさを数値化している。研究の世界になぞらえると、「各研究室における論文の出やすさ」という因子を算出できるかもしれない。これを算出するには、「ある研究室に移ってきた人、またそこから別の研究室に移った人が、そのことによって論文の出方にどのような影響を受けたか」ということについてデータを集めなければならない。ほとんどの場合はデータ数が少なすぎて意味がないだろうが、最近は国内ポスドク制度が一般的になっているのでポスドクをたくさん抱えている研究室では算出可能かもしれない。また、ポスドクをたくさん抱えている研究室だったら、そういうデータを公開するのが社会的な責務ではないだろうか。「この研究室にポスドクとして在籍すると、すばらしい論文をたくさん出せる確率が明らかに高まる」ということがはっきりすれば、その研究室には優れた人材がたくさん集まるだろう。

論文の内容について判断するのは曖昧な点が多く難しいが、論文が掲載される雑誌の格に関しては曖昧な点はないので計算しやすい。「この研究室にポスドクとして在籍すると、 Nature, Science に論文を出せる確率が明らかに高まる。またここから出て行くと途端に Nature どころではなくなる」ということならはっきりと示せるかもしれない。それだけでもその研究室のパークファクターを示す上で重要な情報になるかもしれない。

また大学、学部、研究科全体のパークファクターも考慮すべきかもしれない。超一流大学の設備人材が整い高額の研究資金が投入されているところから PCP に出版された論文と、それほどでもないところから PCP に出版された論文の価値は同じだろうか。後者の価値は少し高めに見積もってくれてもいいのではないか(そんなことを気にする人は全然いないようだが)。

「Nature, Science に次々に論文を出すパークファクターの高い超一流研究室」でも、そこに所属する人物が全員よい成果を上げられるわけではない。研究室内での熾烈な競争を勝ち抜く必要があるらしい。「超一流研究室で Nature に論文を出した」ということは、「そこの有力ボスに実力を認められ気に入られた」「研究室内でも一目置かれる存在であった」というようなことを想像させる。それは非常に価値がある。

「雑誌の格による業績評価」を「パークファクター」で補正(割引)すれば、正確な評価に近づくかもしれない。「パークファクター」は、「ある機関の、ある研究室にある期間在籍した場合どんな格の雑誌にいくつ論文を出せるかの期待値」と比例すると考えることができるかもしれない。それならば、その期待値と「実現された成績」を比較すれば、より正しい評価基準になるかもしれない。私の身近でも期待値を大きく上回っていると思われる先生は、一般に格が高いと言われる大学へ移籍されている。期待値(期待される業績)はどう求めればよいだろうか。「ある機関の同じ身分、分野の複数の研究者間で、(その機関での最高の業績を上げた人)と(最低の業績を上げた人)のちょうど中央となる業績を、期待される業績とする」というのはどうだろうか(これはあまりよい指標ではない)。「ある研究科全体での期待値」や「ある研究室内での期待値」が存在することになる。有力な大学や研究所ならば「期待される業績」も高まる。同一機関内に同じ分野の研究者がいない場合は計算できないが、そういうところは期待値が最低レベルと見なせばよろしい。また、その機関、研究者に投入されている研究費も「期待される業績」に反映させる必要があるのではないか。


野球の守備力の評価は非常に難しいらしい。一つのアイデアとして以下のような考え方が紹介されていた。 守備力が全くない野手が一人いた場合、その分他の野手が行う守備機会の回数が増える。ものすごい名手がいて多くの球を処理すれば、他の野手が行う守備機会の回数が減る。ある選手の能力は、他の選手の行うプレーの回数に影響を与える可能性があることになる。 研究者になぞらえると、「有能な研究者が存在することで、その人と同じチーム、組織に所属する他の研究者がよい影響を受けてすばらしい研究業績を上げる。また多くの研究資金を獲得できる」ということになる。こういうことは実際に起こっていると思われる。しかしそれを数値として測定するのは難しい。

一つのアイデア: ある組織で「助教(下っ端)が獲得している競争的研究費の合計」を二乗する。さらにその値を「その組織全体(下っ端から上役まで)で獲得している競争的研究費の合計」で割り算する。

この値が高ければ、「その組織の教授は有能な助教をスカウトする(ぱっとしない助教は他の組織に移して再起を図らせる)力を持ち、さらに助教の研究をしっかりとサポートして研究費獲得に結びつける能力も高い」ということが推定できる。 真に有能な研究者は、本人の研究が優れているだけでなく周囲にもよい影響(アカデミックな雰囲気を形成する、ほとんど注目されていないが非常に価値が高い研究成果を見いだしてその発展をサポートする、才能のある人材を発掘育成する、研究環境を整えて周囲の研究を強力に支援する、解明の糸口が見つからなかった問題に新しいアプローチを見いだし他の研究者の研究をも推進する)を与えるのではないか(そんな大物教授は今ではどこを探してもいないかもしれないが)。

そういう人のことをメンター (Mentor) というらしい。Nature からくるメールマガジンに、「メンター (Mentor)とは、若い人のキャリア形成のために惜しみない助言や指導ができる人のことです。優れたメンターとの出会いは、若手研究者にとってかけがえのない財産となります。」と記載されていた。有名な生物物理学者である大沢文夫先生が nature メンター賞を受賞されている。大沢先生は数多くの優秀な科学者を育成したことで知られている。

「研究者の有能さ」は、周囲の人物に与える影響力が極めて高いのではないか。

このことは、研究者を評価する上でとても重要なことなのではないか。

(野球評論家の豊田氏が書かれた文章によると、野球でも優れた選手同士がお互いに影響力を及ぼし、実力をより高めていくことが多いらしい)。

「他の研究者の研究活動に対して、どの程度プラスの作用をもたらしたか」ということは、研究者の有能さを測定する一つの指標になるかもしれない。

何も成果を出さなければ、その値は0になる。リソースを無駄にしていることでマイナスと考えられるかもしれない。

一見次々と成果、論文を出しているようでも、他の研究者に「あの野郎の論文の結果を信用して実験したら全然うまくいかないじゃないか。どうしてくれる」というように思われてばかりだと、スコアはマイナスになる。

「この人のこの論文のおかげで、今まで解釈に苦しんでいたデータに、きちんとした理屈をつけることができた。またその理屈を検証する実験を組むことが可能になった」というようなことがあれば、スコアがプラスになる。有能であればあるほど、そういうことが増えていく。その影響力が世界中に拡がっていく。

野球では VORP, Value Over Replacement Player という指標が考案されている。控え選手と交代した場合に、どれだけ出塁数や得点等が減少するかを数値化するものらしい。学者の世界では、VORP が負の数になることも多いかもしれない。


「マネー・ボール」的な分析を成功させている例はほかにないかと探していると、こういうホームページが見つかった。
HRPTV5C 「速度理論」および「数量化分析」による競馬予想

確かに、予想を的中させるには競走馬の能力、騎手の能力、コースや距離の影響を正確に推定することが一番大切なことである。また競走馬やレース結果については非常に多くのデータが採取され公表されている。競走馬の能力は走行時の速度という因子によって数量化される。この因子は「馬の能力を現し、且つ正規分布を示すパラメータ」だそうである。正規分布を示すことが統計的な分析を正しく行う上で必要なことらしい。HRPTV5C 氏は、数量化I類という統計的な手法を用いて馬の速度が 様々な因子(獲得した賞金額、馬齢、体重、距離、騎手、調教師、種牡馬、ブリンカーの装着の有無等)によってどのくらい影響を受けるかを調べて、各因子の影響 速度から馬の能力速度を求めて着順を推定している。データを分析して有用な結論を導き出す、とても優れた例である。また、そういう分析で陥りやすい間違いに関しても書かれている。データの分析法、考え方の実例としては様々な事象の分析にも大変参考になる。しかし、こんな方法で競馬で儲かるようになるのかどうかに関しては不明である。

競走馬の速度は馬の遺伝子(遺伝因子)だけで決まるのではなく騎手の腕やその他多くの環境因子の影響を受けることが示されている。研究者が挙げられる成果は本人の能力だけでなく環境にも大きく影響を受けるのと似ている。「競馬は偶然性と必然性のバランスがよい」と書かれているが、野球や科学研究もそういう面がある。「偶然性と必然性のバランスがよい」ゲームは、人間を強く引きつけるのかもしれない。 競走馬のほうが研究者よりもずっと多くの詳細なデータが集められ分析も進んでいることもよくわかる。競走馬の方が研究者よりも社会的な注目度、経済的な価値がずっと大きいことを示している。

競走馬の能力は走行速度で表せばよいということだが、研究者の能力にそういう便利な指標があるだろうか。

指標の案 その1) 「科研費を獲得した金額/一年あたり」 科研費はきわめて公平に、多くの手間をかけて科学者自身によって審査される。科研費の獲得量が多ければ、科学者間での評判がよいことを示している。また申請書を適切に書く能力、申請書の業績欄の内容も優れていると推定できる。それは「その科学者の置かれている環境の良さと、それを十分に生かしている当人の高い能力」を立証するものである。

これは競争馬で言えば「獲得賞金額/一年あたり」に相当する。走行速度に比べると偶然の要素が多くなるだろうから余りよい指標ではないかもしれない。この指標で予想をしたら外れてばかりで大損するかもしれない。 野球選手で言えば、選手のプレイを全く見ずに「契約金、給料の額」で選手の能力を判断するような物かもしれない(判断を他人に任せて、その結果にただ乗りしている)。

しかしこれは定量的に表される因子であり、分析可能かもしれない。科研費に関しては、他の研究補助金に比べて公開されていることも多い。しかし、「科研費を獲得した金額/一年あたり」 の値は正規分布しているかどうかわからない。科研費獲得ランキングをつくらないとわからない。申請者全員で統計を取ると、正規分布の右半分だけのような分布かもしれない(負の値はないから)。東京大学の先生方について統計を取ると正規分布になるかもしれない(東大だと科研費を取れない人がほとんどいないだろうから)。正規分布ではなく対数正規分布かもしれない(資金を取れば取るほど、それに比例してますます高額の資金を取りやすくなるだろうから)。 ある研究者が行う行動はすべて、わずかずつその人物の「科研費獲得力」に影響を与える。「科研費獲得力」は、それらの影響をすべて足し合わせた物と考えることが出来る。確率的に、それぞれが独立に決まる値(サイコロの目)を何回も足し合わせると正規分布に近づく。私だと一つ一つの行動が与える変動はとても小さい。大物教授だと一つ一つの変動が数千万、数億の変化につながる。そういう構造では対数正規分布が出てきやすいらしい。

「科研費を獲得した金額/一年あたり」 指標に影響を与える因子としては、「本人の年齢、地位、発表した論文の数、協力する(代わりに実験する)人物が何人いるか、研究室の面積、都会にあるか田舎にあるか、所属している機関、機関内に同じ分野で協力関係にある研究者が何人いるか、それらの人々の獲得額/年の合計、科研費獲得額/年が右肩上がりか(一時期科研費を獲得できていても、能力がなくてそれを生かした業績を上げられなければ右肩下がりになってしまう)、学位を取った研究室(いわゆる名門研究室か、そうでないか)、学生時代の師匠が誰であるか(競走馬で言えば「父馬」に相当する)、師匠は現役か引退しているか、師匠の総科研費獲得金額、同じ研究室出身の現役研究者が何人いるか、それらの同門の研究者の獲得金額の合計、研究分野、所属学会、学会の仕事(学会誌の編集など)を引き受けているかいないか、受賞歴、今まで出した論文の総引用数、その中でもっとも引用数が多い論文の引用数、いままでに出した論文の中でもっとも優れている論文の内容(これは、発揮できうる研究能力の最大値と相関があり非常に重要だと思われるが、数値では表せない)」などが考えられる。競馬とは違って予想が外れることはあまりありそうにない。しかし一人や二人くらいは「お買い得な人材」が放置されているのが見つかるかもしれない。

考えてみると各大学は大学内でどの先生がいくら研究費をもらっているのか、またそれぞれの先生の地位、年齢、業績、経歴、また学会での評判などの指標を知ることができるわけだから、各大学の本部でそれらのデータを用いて「数量化I類」分析(またはもっと進んだ分析法)をして、その結果を用いて、研究費をたくさん取りそうだが現在はまだそれほど評価が高くない人材をスカウト、確保すればよいことになる。そういう分析が各大学の命運を決することになるかもしれない。そのためには、「研究者データベース」をもっと高度、精密なものにしなければならないだろう(http://jra-van.jp/index.html に負けないように)。

指標の案 その2)学界では、主に業績は何人の学者の仕事を支えたかで評価される。学説や方法論が新たな課題を生み世界の研究者に仕事を作る。そうしたカスケード(段階的波及)効果を生んだ研究は「開拓的」業績とよばれ高く評価される。科学哲学者の I・ラカトシュの言を借りれば「発展する研究プログラム」である。 

これは日本経済新聞の「やさしい経済学」という欄に書かれていたものである。マルクス氏、ケインズ博士の業績によって「マルクス経済学」や「ケインズ経済学」が生まれてたくさんの学者の仕事を支えている。経済学では「人間活動によって生まれた生産物の価値」を評価することが大切だろうから、研究業績の評価にも役立つ研究もたくさんされているかもしれない。

この「指標2」の考え方は、他の学問においても成り立つと思われる。 しかし、「ある研究が段階的波及効果をどれくらい生んだか」を測定するのは難しい。また「これからどれくらいの波及効果を生むか」についても推定しなければならない。

「論文の引用数」は、「波及効果」と相関関係があると思われるが、ほかの要因によっても変化するのでさらに補正する必要があると思われる。

「波及効果」が大きい、またこれからも続くならば、それだけ長い期間にわたって引用される、引用数の時間的な減衰が小さい可能性が高い。「引用数の時間的変化」も重要な因子かもしれない。インパクトファクターの計算(http://www.nacos.com/nakanishi/impactfactor.htm)は出版年の前々年までしか考慮しない。インパクトファクターにとらわれすぎるのはよくないかもしれない。

指標の案 その3) 現代の研究者に求められることは、「とにかく働き者であること」である。次々と書類を書き、様々なイベントを毎月開催し雲霞の如く人を集め、東へ西へ南へ北へ出張する人が優秀といえる。少しでも時間があったら、「俺は次に何をすればいいんだ」と自ら仕事を作り出す人が大学の先生になるべきである。クリントン元大統領はそういう人であったらしい。「働き者度」を測定し、高い人を優秀とする。

「働き者度」をどうやって測定するか? 
(1) パスポートに押してある判の数を数え、多いほど働き者とする。 
(2) 一年あたり書いた論文の単語数、別刷りの重さを測定し、多いほど働き者とする。「論文数は勤勉さの指標である」ということは、昔からよく知られていることらしい。 
(3) 一年あたり出張で新幹線や旅客機に乗った距離を測定し、多いほど働き者とする。 
(4) 一年当たりの睡眠時間を測定し、少ないほど働き者とする。睡眠時間と科研費獲得力には負の相関があるかもしれない。

「たくさん実験をする人」は働き者のようにも思える。しかし実験、研究は「自分が考えていることが正しいか、間違っているか」ということを対象にした賭け事、ゲームという面もある(そういう考え方をせずに研究を行う人も多いだろうが)。だから「たくさん実験をする人」というのは「働き者」ではなく「勝負事、ゲームが大好きな人」であることがある。


「リアルオプション」http://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/realoption.html という考え方があって、実物資産やプロジェクトの価値評価をすることができるそうである。「オプションの値段をつける」ということは非常に重要なことでノーベル賞にもなっている。それをもっと広い分野に適用しようというものである。オプションは未来の不確実なことを今のうちに値付けしようというものだから、研究の評価にも適しているかもしれない。

「選択肢の存在や自由度を経済的な価値と見なし、将来の期待利益とリスクを加味して数値化する」と書いてある。ある研究成果によって、

「新たな研究の展開をもたらす選択肢がどれだけ増加したか」 
「いままで見つけられていなかった、新たな研究課題がどれだけ増加したか」

という数値は、その研究の価値と考えることが出来る。またそれらの「選択肢」「課題」が将来どれくらいの波及効果を生むかを加味することで評価できることになる。

しかしこれらの指標を自動的に、客観的に数値化するのは難しい。でも「リアルオプション」は投資プロジェクトの評価という実用にも使われているのだから出来なくはないのかもしれない。ある研究成果が出たら、さらにその成果を用いて新たな「研究プロジェクト」を作ることが出来るはずである。そのプロジェクトを評価できるかもしれない。その価値が高いほど、その元になった研究成果の価値も高い。また、作れるプロジェクトが多ければ多いほど、研究のために使える選択肢を増加させるほど、その元になった研究成果の価値は高い。

科研費の申請(研究プロジェクトの作成とプレゼンテーション)とその評価は、これに近いことを毎年行っていることになる。ずっと続いてきた制度には、それなりの根拠と合理性があると思われる。

研究者が蓄積してきた「研究成果」が元になる資産で、それを元にして書き上げた「科学研究費申請書」を派生商品と考えることが出来る。良い成果を蓄積できれば、自ずと良い申請書を書けるだろう。獲得できた科研費の額が、派生商品に付いた値段、価値と考えられるかもしれない。「マネー・ボール」でも、「野球派生商品」という表現が出てくる。


「研究者はすべて、予測可能性を上昇させる(不確実性を削減する)ことを最大の目標とせよ」

野球の「アウト」は、研究になぞらえるとどんなことになるだろうか。「費やした努力、資金、時間が全くの無駄になる」ことが「アウト」に相当すると考えてみる。少しでも何か有用なことがわかれば「アウト」とはいえない。例えば、ある遺伝子の発現を調べた結果、その遺伝子は注目している現象と関係していそうにないとわかったとする。そのことは論文のデータにはならないかもしれないが、「この遺伝子についてこれ以上調べる必要は小さい」ということが判明したという有用性がある。そのような「小さな有用性」(「フォアボールによる出塁」に相当する?)を少しずつ時間をかけて積み重ねていけば、その研究における「不確実性」が減少していき、いつかは長打(Breakthrough) や得点に結びつくはずである。

研究でも「アウト」にならないことを第一とすべきであると考えて良いだろう。しかし「アウト」を引き起こす要因は多い。

・ 実験の失敗: これはできるかぎり避けなければいけない。しかし失敗しても、「この方法でやるのはうまくいかない」ということがはっきりしたのなら有用性があるので恐れることはない。別の方法、改良した方法でやり直すことを繰り返せばそのうち成功するだろう。 「失敗したが原因が全くわからない」とか、試薬の入れ間違いや培地のコンタミネーションが最悪である。普通はできる限り失敗がなくてやりやすい実験でデータをできる限り多く集めるのが得策と言うことになる。 そのような実験でデータを積み重ねているうちに、どうしても解かなければならない課題がはっきりしてきたりするだろう。

・ 研究方針自体が間違っていた: これは「選球眼」が悪いと言うことで、どうしようもない。「選球眼は生まれつきの問題なのかもしれない」

・ 時間経過: 業績リストで「最近5年間の業績を記載せよ」と指定されていることがある。その場合それより以前の業績はなかったことにされてしまう。また任期のある職の場合、任期の間に「小さな有用性」を蓄積していても任期内にまとめられず解雇されればそれまでの努力は無駄になる。しかし時間の進行に影響を与えることはできないのでどうしようもない。体力のあるうちにできる限り働いておくしかない。また出来る限り健康に働けるように体調を整えることが非常に重要である。研究が進行している間に他のグループに先を越されるような論文が出たら、その論文と重複する成果はほとんど無駄になってしまう。他人がやっていない研究をすることが得策である。

・ 就職などの要因で研究分野を変える: よっぽど実力のある人は別として、そうでない場合は研究分野を変えるとそれまで積み重ねてきた成果、評価はあっというまに忘れられ、無かったことになる。大学院の時の成果と関連のある仕事をずっと引退まで続けるのが得策であることになる。

上で考えたように研究に「アウト」「出塁」「長打(Breakthrough)」が定義できるのなら、野球のスコアブックのような形式で研究の進展を記録することができるかもしれない。問題点としては、ある研究活動がどう評価されると言うことは、本人(または共同研究者)の主観でしか決めることができないということがある。「客観的な事実の記録」というわけにはいかない。しかし何かの役に立つかもしれない。また野球でもストライクとボール、アウトとセーフなどは審判が判定する。それと同じように判定基準を一定に保てるようにすれば、狭い範囲(一つの研究室の中での成績の比較)では問題ないかもしれない。自分で自分の仕事を評価し反省するのには十分だろう。そのスコアを「得点公式」に当てはめれば 「仮想的な研究得点」 が求められる。私も簡単なスコアをつけ適当な式を作り計算してみたがそれが実際に有用かどうかはまだわからない。「長打(Breakthrough)」の重要性が高いと思われる。しかし、もしかしたらそういう常識を越えた重要な指標が研究にもあるのかもしれない(私にはわからないが)。

その研究における「不確実性」が一つ減少することを、一つの長打 (Breakthrough) と定義できるかもしれない。そうすれば少しは客観的に考えられるかもしれない。不確実性を削減することは予測可能性を上昇させることにつながる。経験的に、実験をして出る結果がほとんど予想通りになれば勝利の日(研究成果が一つのストーリーとしてまとまる)は近い。アルダーソンの鉄則に習えば、「研究者はすべて、予測可能性を上昇させる(不確実性を削減する)ことを最大の目標とせよ」ということになる(当たり前のことだが)。また研究成果の評価においても、「どういう問題について、どのくらい予測可能性を上昇させたか」ということが指標になるかもしれない。予測可能性を上昇させることができればその成果を実用に役立てることも近くなってくる。

研究を野球に無理矢理なぞらえると、塁が4つではなく1000個くらい存在する野球と考えることができる。この野球にはホームランはなく、地道に出塁を続けることが必要である。まれに長打(Breakthrough) が出る。勝利のためには長打(Breakthrough) がどうしても何本か必要になる。「出塁」と「長打」が重要である。この野球では塁上に走者がたくさんいればいるほど長打(Breakthrough) が出やすくなり勝利に近づく。

研究業績を長年積み重ねて信用と実績と研究基盤ができると、すでに塁上に走者がいる状態から攻撃を始めることができて有利になる。また3アウトで攻撃終了ではなく100アウトくらいは許される:それだけ長時間の攻撃が可能であると考えることができる。競争の激しい分野では他の同じ研究をしているグループからの論文で走者をアウトにされてしまうことがある。

イニングは1回の表しかなく、得点を上げる(論文完成)とゲームは終了して次の別種のゲーム(論文審査ゲーム:攻撃と守備がある)に移る。またはアウトの蓄積や時間切れにより強制終了(負け)する。負けのダメージはきわめて大きい。

任期制だと時間切れの影響が強くなる。その場合は成果を出せるかどうかには偶然の要因が強くなる(無走者から攻撃を始めるとすればポテンシャルが顕在化するまでに時間切れになることが起きやすい: また走者がたまっているところから攻撃に参加して偶然簡単に点を取れることもあり得る)。野球は3アウト9イニングというルールにより偶然性を高めることでゲームをおもしろくしている(弱いチームでも短期決戦では偶然勝てる可能性がかなり高い)。研究で偶然性を高めることに意味があるのだろうか。とても運のよい人が生き残ることを期待しているのかもしれないが、逆に生き残ることで一生の運をすべて 使い果たした人ばかりになるかもしれない。


「マネー・ボール」に書かれている名言集: 

「理性に従って、自力で考えろ。仮説を立て、証拠立てて検証せよ。誰かが答えを出すだろう、既に出しているだろうと他人に頼ってはならない。どこかの有名選手が太鼓判を押したからと言って、正しいとは限らない。」

「たとえストライクだろうと、自分が不得意な球に手を出す打者は生き残れない。自分は何を出来るかだけでなく、何が出来ないかを頭に入れた。打てない球はどれなのか。」

「年俸(研究費)15万ドル払う場合にどの程度いい選手(研究者)なのかを知っておいたほうがいいのなら、1500万ドル払うときには100倍知っておかなければならない」

「目標は、球場(研究室)で起きる出来事をかつてない正確さで評価することだった」

研究室に所属する人物には全員 IC タグを配布し、研究室に入る際には必ず着用させる。持っていない人物が入室しようとするとサイレンが鳴り不法侵入の現行犯で逮捕される。研究室内には電波が放射され IC タグによってどの人物がどこにいるかがわかるようになっている。刑務所の囚人を管理するシステムとしてそのようなものがすでに開発されているらしい。そのデータを 5 分ごとに記録して保存する。各実験台の上にはカメラをつけ、5分に1枚ずつ記録写真を撮影し保存する。もちろん実験ノートは日立製作所の「デジタル研究ノート」で保存する。このようなシステムを作ることによって、論文、研究成果、実績の信頼性を高めることが出来る。そのうちこのようなシステムのない研究室から出た論文は受理されない、信用されないという時代がくるだろう。また研究者の評価を正確に行う際にも役立つかもしれない。ある成果を出すまでにどのような研究行為を行ったかを時系列的にすべてを記録し、再生することが可能になれば評価のために有用だろう。高額の給料をもらっているメジャーリーガーはすでにそのような評価をされているのだから、高額の研究費をもらっている研究室もそういう目に遭うのが当然である。

また、「超一流研究室の一流研究者、またその元で実験を行っている研究者は具体的にどのような研究行動を毎日行っているのか」ということは、その研究室にいない限り今のところわからない(いてもわからないかもしれないが)。そういうデータが採取され分析公開(かなり後からでもいいから)されれば、日本全体の研究のレベルアップの役に立つかもしれない。少なくとも私はそういうデータを見て自分の仕事の改善に役立てたい。案外私が行っているのと同じことを多人数で30倍速くらいで進めているだけかもしれない (それがすごいところ、一流が三流と違うところなのだろうが)。多くの労働者を確保しうまく管理し効率よく働かせることが、21世紀の優秀な 研究者の条件、もっとも必要とされる能力なのかもしれない。

「野球データ(研究実績)は運と能力がないまぜになっているうえ、記録されずに見落とされている部分も多い」

「金持ち球団より貧しい球団が気楽なところは、世の嘲笑を気にしなくていいことだ。」

「古株のスカウトたちは「選球眼(研究室選び、研究テーマ選び、就職先選び(これはこちらから選ぶというのは難しいが)、研究戦略の選択)なんてそう重要じゃないし、後で訓練すればどうにかなる」と思っているが、フロント側が苦労してたどり着いた結論は、「これはほとんど生まれつきの才能で、しかも、野球(研究生活)の成功に一番直結する能力である」というものだった。

「監督(研究指導者)は、一番効果的な作戦ではなく、一番失敗の確率が低い作戦を取りたがるのです」

「異端でもかまわない。異端とはチャンスを意味する。」