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Column1__細胞とエネルギーの結びつき -

目次

コラム1: 細胞とエネルギーの結びつき 

この講義は細胞について基本的なことを説明している。その過程で、かなり頻繁に「エネルギー」という言葉が出てくる。そこで「細胞とエネルギー」について考えてみる。

エネルギーとは何か?

まず「エネルギーとは何か?」を考えてみる。

エネルギーという言葉は、多くの場合他の言葉と組み合わせて用いられる。「位置エネルギー」「運動エネルギー」「化学結合のエネルギー」というように用いられる。一般社会でも「若者のエネルギー」「エネルギーに満ちあふれた演奏」のように使われる。

なぜそうなるのか?エネルギーというものは、それ自体は「何らかの仕事を成し遂げる能力」であって決まった形があるわけではない。エネルギーは様々な実体に伴って、様々な形で現れることができる。その際には、その実体を表す言葉と組み合わさって「〜エネルギー」「〜のエネルギー」と呼ばれることになる。生物の細胞においても、エネルギーは様々な実体(そのほとんどは、細胞を構成する分子)に伴って様々な形で現れている。テキストでは、例えば26ページに細胞を構成する分子間の化学反応における、エネルギーの変化が出てくる。

エネルギーと関係する基本的な原理として、「どんな物事でも、エネルギーが低くなる安定な方向へ変化しやすい」ということがある。これはとても重要な原理である。例えば細胞を構成する分子の多くは自発的に一定の構造を取るが、それは「その構造を取ると、エネルギーが低下してそうでない状態より安定になる」ことが元になっている。

細胞内でエネルギーと深く関係している物事、分子はたくさんある。それらについて以下にまとめてみる。

エネルギー分子 その1: ATP アデノシン3リン酸

 この分子は、よく「細胞のエネルギー通貨」と呼ばれる。通貨(お金)は、食品、携帯電話の料金など様々な、多様な物やサービスの代金を支払うために、共通して使える。ATPは、細胞内の様々な、エネルギーを必要とする物事に共通してエネルギーを供給できる。どちらも価値が高く、様々な対象に共通して利用できる様子が似ているので、通貨に例えられる。

30ページにあるように、核酸の構成成分であるヌクレオチドと共通した構造をもっている。ヌクレオチドは糖、核酸塩基、リン酸が1分子ずつつながった分子だが、ATP では糖はリボース、核酸塩基はアデニンが使われ、リン酸が3分子つながっている。

この「リン酸が3分子つながった構造」が、高いエネルギーを保持している。上で書いたようにエネルギーは様々な形を取って現れることができるが、ATPの場合は「リン酸が3分子つながった構造」によって、分子内に高いエネルギーを保持している。

このエネルギーは、リン酸が1つ外れる(結合が切れる)ことによって放出され細胞内の様々な、エネルギーを必要とする物事にエネルギーを供給するために用いられる。それは細胞で起きる化学反応のエネルギー源になるだけでなく、筋肉が収縮するなどの運動のエネルギー源にもなる。特に動物の場合、運動に使われる割合が高い。ATPはリン酸が1つ外れることでADP(アデノシン2リン酸)になる。

ATP は解糖系でも作られるが、主にミトコンドリアの呼吸酵素複合体〜ATP合成酵素のシステムで効率よく大量に作られる。作ると言っても一から作るのではなく、ATPからリン酸が1つ外れてエネルギーを放出した状態(ADP)に、もう一度リン酸を結合してエネルギーが高い状態に戻すという仕組みで作られる。「ATPを、ADPから再生する」と考えるのがよい(一から ATP を作る方は、別の複雑な仕組みがあり後で習うことになる)。 他の物事に例えると、「低い位置にある物体を高い位置に持ち上げる」ことと似ている。物体を高い位置に持ち上げると、その物体は高い位置エネルギーをもつようになり、それを利用して水力発電のような仕事ができる。それと同じように、ADP を ATP に戻す、再生することで、高い化学エネルギーをもつ ATP を利用した細胞内の様々な化学反応や運動ができるようになる。

エネルギーを失った状態である ADP から ATP を再生するには、もちろんエネルギーを必要とする。そのエネルギーはどこから来るかというと、人間を含む動物では食物がもつエネルギーに由来する。 食物は高いエネルギーを持つ。しかしそのエネルギーは、細胞内で直接使うことはできない。だから、食物のエネルギーを、細胞内で直接使えるエネルギー分子である ATP に変換・再生する必要がある。 その「変換過程」が、細胞内でおきる一連の化学反応である解糖系、クエン酸回路、またミトコンドリアでおきる ATP 合成である。この変換がうまくいかないと、いくら食物を食べても細胞はエネルギー不足で死んでしまうことになってしまう。このことから解糖系、クエン酸回路、またミトコンドリアでおきる ATP 合成の重要性がわかる。

エネルギー分子 その2: NADH ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド

 この分子は、ATP と同様に細胞内のエネルギーに関わる分子として重要である。しかし分子内でエネルギーを保持する仕組みが異なる。ATPは「リン酸が3分子つながった構造」でエネルギーを保持しているが、NADHは「電子を過剰にもつ」という形で高いエネルギーを分子内に保持している。だからNADHというエネルギーが高い状態と、NAD+ という電子が分子から放出されたエネルギーが低い状態の二通りの状態を取る(電子はマイナスの電荷をもつので、NAD から電子が放出されると NAD+になる。この場合電子と同時に水素原子も一つ NADH 分子から切り離され、その水素原子はヒドリドという形にいったんなり、その後普通の水素イオンと電子2つになる)。

NADHが「電子を過剰にもつことでエネルギーを保持する」様子は、「電池が充電された状態」に似ている。実際にミトコンドリアでNADHがもつ過剰な電子は「呼吸酵素複合体(電子伝達系)」を通じて酸素分子へ流れることでATP合成のためのエネルギーに変換されるが、その様子は電池のマイナス極から+極へ電子が流れる様子と似ている。電池ならマイナス極と+極が電線でつながれてその間にある電球が光ったりする。ミトコンドリアでは電子伝達系の複合体(鉄などの金属原子を含むので、電線のように電子が流れる)が「電線と電球を一体化したもの」に相当する。電球はエネルギーを光のエネルギーに変えるが、電子伝達系の複合体は水素イオンをミトコンドリア内膜の内側から外側へ輸送することによって「水素イオン濃度の差」というエネルギーに変える。

エネルギーの別の形: 水素イオンなどのイオン、分子の濃度差による流れ

 ミトコンドリアでNADHがもつ過剰な電子は「呼吸酵素複合体(電子伝達系)」を通じて酸素分子へ勢いよく流れることでATP合成のためのエネルギーに変換される。この「ATP合成のためのエネルギー」は、呼吸酵素複合体によって「ミトコンドリア内膜の内側、外側の水素イオン濃度の差」という形に変換される。ミトコンドリアの内膜に存在する ATP合成酵素は、この水素イオン濃度の差を用いて効率よく ATP を合成する。 ATP、NADHは仕組みは異なるがどちらも分子自体がエネルギーを保持していた。細胞内のエネルギーはそういう仕組みだけでなく、「イオンなどの物質の濃度の差」という形によっても現れる。

どうして物質の濃度の差がエネルギーになるのか? このことは「どんな物質、分子もそれぞれ固有のエネルギーを保持している・それらのエネルギーを取り出して何か仕事をさせるには濃度の差の形成が有効」ということから理解することができる。

上の方で細胞内で働くエネルギー分子としてATP、NADHについて説明した。これらの分子は、分子一個からエネルギーを取り出して、何かの仕事に使うことがたやすくできる(ATPならリン酸が1つ取れる、NADHなら電子と水素原子が一つずつ取れることでエネルギーが取り出される)。また分子をエネルギーをもつ形に戻すことも効率よくできる。「ATP、NADH は細胞内でのエネルギーの取り出し・再充填に最適化された特別な分子」という言い方もできる。

ATPやNADHだけでなく、水素イオンなどのもっと一般的なイオンや分子も、それぞれ固有のエネルギーを保持している。しかし一般的な分子はATPやNADHとは異なり、分子1個から簡単にエネルギーを取り出すことはできないようになっている。

それでは、それらが多数集まった場合はどうなるか。その場合、1個分のエネルギーに個数を掛け算しただけのエネルギーを、集団でもつことになる。しかしそれだけでは、やはりその集団からエネルギーを取り出すことはできない。どうすればエネルギーを取り出せるようにできるのか?

その仕組みの一つが、「物質の濃度の差によって物質の流れを起こす」である。

上の図は、物質の濃度の差によって流れが生じエネルギーが取り出される様子を示したものである。

横向きに仕切りがあり、上側と下側に分けている。上側は物質(この場合水素イオン H+ )の濃度が高く、下側は小さい。もし、仕切りが完全に上側と下側を区切ってしまうと、上側と下側は何も相互作用しないので、エネルギーを取り出すことはできない。

そこで仕切りに目的の物質(この図の場合水素イオン H+ )だけが通過できる小さな穴を開ける。イオンの場合、イオンチャネルと呼ばれるタンパク質がその働きをする。すると、その穴を通って濃度が高い方(この場合上側)から低い方(この場合下側)へ流れが生じる。これは例えるなら高圧のガスが詰めてある風船に穴を開けたのと同じで、濃度(圧力)が高い区画と低い区画が穴でつながったら高い方から低い方へ物質(図面では水素イオン H+、風船なら気体分子)の流れが生じる。

流れが生じれば、それをエネルギーとして利用して何か仕事をさせることができるようになる。これも例えるなら「川の流れで水車が回転して仕事に利用できる」のと同じである。ミトコンドリアの場合なら、川の流れ=内膜の外側から内側への水素イオン H+ の流れ、水車 = ATP 合成酵素ということになる。

エネルギーと化学反応

 化学反応では、試験管内の反応溶液に含まれる分子間で反応が起きることで反応溶液全体のエネルギーが低くなるなら、その反応が実際に起きる。これはエネルギーと関係する基本的な原理「どんな物事でも、エネルギーが低くなる安定な方向へ変化しやすい」ということに基づいている。しかし実際には触媒と呼ばれる、反応を進みやすくする物質を共存させなければ反応は進まないことが多い。それは次のような理由による。

化学反応では、反応が起きる準備として分子が一度エネルギーが高い状態になる必要がある。そのために必要なエネルギーが、活性化エネルギーである。分子が多数あるうちで、そういう高いエネルギーをもつ状態になっている分子の割合はとても少ない。なので、活性化エネルギーが高いなら、反応が起きるとエネルギーが低くなる場合でも反応がほとんど進まない状態を保っていることができる。このようにエネルギーを中心として考えることで化学反応をうまく説明することができる。細胞内ではたくさんの種類の化学反応が起きていて、それぞれに対応するたくさんの種類の酵素が「活性化エネルギーを低くして反応を進みやすくするタンパク質」として働いている。

また、このことは「反応が進行するためには、反応に参加する複数の分子がそれぞれ特別な状態になることが必要」ということから考えることもできる。

例えば化合物 A と化合物 B が、それぞれ一分子ずつ反応に参加して化合物 AB を形成する反応を考える。この反応が起きるためには、まず「A と B、それぞれ一分子がきわめて近い距離に集まり、衝突する」ことが必要になる。 また単に衝突するだけではダメで、 その際の A と B の向きが、ちょうど反応が起こりやすい方向にどちらも向いていることも必要になる。 酵素が存在しなければ、こういうことはめったに起きない。 そういうめったに起きない物事を引き起こすには、分子の運動を激しくして衝突回数を増やすことが必要になる。活性化エネルギーは、分子の運動を激しくして衝突回数を増やすために必要なエネルギーと考えることができる。

酵素が触媒として働く場合、酵素には活性中心という、基質分子がちょうどうまくはまり込む空間がある。それらの空間は、はまり込んだ分子同士が反応をすぐに起こせるように隣り合った部位に存在し、はまり込んだ分子の向きも、反応が最も起きやすいような向きになる。 これらの効果によって反応がきわめて起きやすくなるため、活性化エネルギーが小さくなる。

エネルギー源になる分子

 ATPとNADHについて上の方で述べたが、これらのエネルギー分子が合成(再生)されるにはグルコースなどのエネルギー源となる分子が使われる。グルコースは糖(炭水化物)の一種で、それを構成する原子間の結合エネルギーが、解糖系、クエン酸回路、呼吸酵素複合体とATP合成酵素によって取り出されてATP合成に使われる。グルコース自体を得るには、動物なら食料を食べる。植物なら光合成によって光エネルギーを用いて炭素固定を行い、グルコースを合成する。

グルコースはエネルギー源分子としてとても使いやすい。しかし生物はつねにグルコースを好きなだけ得られるわけではない。動物なら獲物を捕れないこともあるし、植物でも光合成ができないこともある。そういう事態に備えて、生物はエネルギーを細胞内に貯蔵する仕組みを備えている。そのことがテキストでは35,36ページに書かれている。グリコーゲンはグルコースが多数つながった分子で、体内に貯蔵されてエネルギーが不足した際には分解されてグルコースに戻る。グルコースは解糖系でピルビン酸にされ、ミトコンドリアに移るとまずアセチルCoAという化合物になる。アセチルCoAから脂肪酸が作られ、それが中性脂質となりこれも体内に蓄えられエネルギー源の予備になる。

細胞を構成する分子の自発的な構造形成とエネルギー

細胞を構成する分子の多くは自発的に一定の構造を取るが、それは「その構造を取るとエネルギーが低下して安定になる」ことが元になっている。

リン脂質(テキストでは7ページ)がよい例で、この分子は一つの分子に疎水性の炭化水素の鎖の部分と、親水性のリン酸の部分が共存している。このことから両親媒性分子と呼ばれる。疎水性という言葉をエネルギーから見ると、「水分子と接触した状態で、エネルギーが高い状態になる」と解釈できる。親水性はその逆で、「水分子と接触した状態で、エネルギーが低く安定になれる」と解釈できる。

だから両親媒性分子が水中に複数分散した場合、疎水性の部分と水分子が接触、共存すればするほどエネルギーが高くなる。できるかぎり疎水性の部分は水分子と接触しないような構造がエネルギーが低く安定になる。脂質二重層やミセルの構造は、疎水性の部分同士が集まっており水分子と接触するのは親水性の部分だけになっているのでエネルギーが低く安定になる。だから両親媒性物質は自然にエネルギーが低い脂質二重層やミセルの構造を形成する。

熱力学(エネルギーとエントロピー)

 本当はエネルギーについて考えるには「熱力学」という学問を学ぶ必要があるが、それは後回しにする。熱力学は化学、物理学、そして生物学を抽象化して統合したような学問で、その成果は様々な分野に適用できるようになっている。決して物理だけ、化学だけのための学問ではない。熱力学では様々な物事を抽象的に「熱」「仕事」「内部エネルギー」「自由エネルギー」「温度」「エントロピー」などの要素(状態を表す変数)で表現して、そこで成り立つ規則(エネルギー保存則など)を見いだす。それらの規則に基づいた計算(比較的易しい)から得られる知見、結果を逆に具体的な物事に当てはめることで、生物の細胞で起きることを含む、様々な物事を分析することができる。社会・人文科学でも「エントロピー」という言葉を使い物事を解釈することもある。

熱力学は歴史的に工学、物理学、化学でよく使われ発展してきたが、生物学でも熱力学を元に考えることが有用なことがある。

参考文献: 「エントロピーから読み解く 生物学 −めぐりめぐむ わきあがる生命」佐藤直樹 著 裳華房

熱力学というのはとても奥が深い学問で、熱力学を勉強すればするほど、さらに熱力学について勉強したくなるようになっている。井上先生(工学博士)が優れた解説を書かれている。   http://hr-inoue.net/index.html   「雑科学ノート」の「熱の話」

私自身も熱力学の勉強のために、自分のための説明文を作っている。   https://home.hiroshima-u.ac.jp/naka/wiki/wiki.cgi?%a1%d6%a5%a8%a5%f3%a5%c8%a5%ed%a5%d4%a1%bc%a4%ab%a4%e9%c6%c9%a4%df%b2%f2%a4%af%c0%b8%ca%aa%b3%d8%a1%d7%a4%f2%c6%c9%a4%df%b2%f2%a4%af

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