☆受講生の足立さんからメールが届きました。(足立-5)
アニメーション「鉄腕アトム」視聴の感想・コメント
私は日本のアニメで最も有名であると言っても過言でない「鉄腕アトム」は、単に日本で初めてアニメ化されたものだと思っていましたし、視聴したこともありませんでした。そして、ただ正義の味方であるアトムが悪を退治するといった単純なヒーローものと勘違いしていました。今回1話しか見ることができなかったのですが、このアニメは単なる子ども向けのものではなく、手塚治虫氏の科学に対して警告をこめたメッセージが込められているというのが理解できました。
まず死んでしまった人を科学を使って蘇らそうと考えた姿には、フランケンシュタイン博士と同様、科学者の勝手さ、安易な考えが見受けられました。また、アトムがいらなくなったら、それまで人として接してきたのですが、急に単なるロボットとして捨ててしまう点では、製造者としての責任感の無さが伺えました。新旧の1話目で改善されていた点として、アトムが兵器になる可能性を危惧して実験を中止にさせようとしている人々がいたこと、女性科学者の存在、設計図を盗んで乱用しようとする者がいる、2003年から2030年になっていたなどがあったと思います。この中でも感情を持っているアトムは、正義の味方などではなく名前の通り世界を破壊させてしまう魔王にもなりかねないと思いました。
今回で最後の映画鑑賞となったのですが、この期をきっかけに映画を見るときにただ楽しむだけでなく、どういった意図で作られているのか考えながら見たいと思います。
恐縮ですが、この講義は終わりなんですが、今映画で上映されているサロゲートという作品も人間の代わりになんでもロボットにやらせるという内容のものなので、機会があれば鑑賞してみてください。(担当者:映画情報、ありがとうございます。上映映画館を調べて見に行きます。)
☆受講生の足立さんからメールが届きました。(足立-4)
「ブレード・ランナー」の感想
この映画の設定は、常に酸性雨が降り続けており大気汚染なども悪化している、いわば地球の環境破壊が人間の生存することのできる極限まで進行してしまった世界でした。太陽の光を受けることのない常に薄暗くじめじめとした雰囲気は映画を鑑賞していて始終伝わってきました。この情景は映画上の設定であるとしても、近未来このような情景に充分なりうる可能性があると思いました。そういった意味で、この映画は人間の科学が発達がもたらした副産物の処理を地球が請け負っている、また地球にも限界がありいずれ地球から脱出して移り住まなくてはならないという取り返しのつかないことになるという警告をしていると感じます。
人間によって作られたレプリカントは寿命が4年と設定されているということ以外には人間と見分けが付かないものでした。5人のレプリカントたちは、様々な性格で行動もそれぞれでしたけれども、「もっと生きたい」という思いは共通なもので切実に伝わってきました。私たち人間には寿命に限りがあるとはいえども常に死の恐怖を抱いていることはないでしょうし、逆に生きる喜びを絶えず感じている人も少ないかと思います。私もその一人です。ですから、レプリカントである彼らの方が感情豊かであったし、自分たちの人生と向き合って必死に生きているように見えました。人間よりも人間らしさを持っているので、人間とレプリカントに違いを見出すことができなくなりました。この映画によって、私は感情がロボット化している人間が多い世の中に危機感を感じるようになりました。
☆受講生の足立さんからメールが届きました。(足立-3)
「アルジャーノンに花束を」の感想
私は何年か前にテレビで放映されていた日本版のアルジャーノンに花束を見ていました。またその後、著書も読んだので話の内容はよく覚えていました。しかし、昔見た時は単にチャーリーへの同情だったり、知的障害者の苦労というように感情的な側面からしか見ていませんでした。そこで、今回は科学的視点からこの映画を見ようと思い、チャーリーの手術を施した教授と博士の二人に重点を置きました。初めは2人ともチャーリーが賢明になることで得られる、自分たちの功績とチャーリーの幸福の二つを追求していたのだと思います。しかし研究の途中でこの効果は長くは続かないとわかってしまいました。けれども、発表会で名誉を受けたいがために、その事実をチャーリー本人にすら伝えなかったのです。このことから、2人は科学を追及するがゆえに、チャーリーへの愛情、又共感する心などをすっかり忘れてしまっているようで、見ていて憤りを感じました。それ以上に悲しくなりました。賢くなったために自分の未来の結末を知ってしまったチャーリーの絶望感が伝わってきたので大変胸が痛みました。それなのに、2人は名誉を得られず、反対に恥さらしになったことに対し落胆の色を見せていました。チャーリーには謝罪の言葉もあまり見られなかったことからも明らかです。
今の時代結果もわからない実験をマウ�Xと人間と同時に行うなんてやってはいけないことです。この映画では、実験に失敗してしまったのにフォローが何もないのも許せないと思います。実験の失敗として放任されてしまうのは、フランケンシュタインの怪物と同じです。科学者が相手への思いやりを持っていない限り実験を行う資格なんてないと思いました。ですが、先生のおっしゃっていたように、科学が愛情をなくすということが今も実際に起きているという事実が大変怖いと感じています。
☆受講生の足立さんからメールが届きました。(足立-2)
私はマリー・キュリーについては、女性で始めて放射能を見つけたのでノーベル賞を受賞したという程度しか知りませんでした。今回映画をみたり史料を読んで、その女であるがゆえの苦労というものが強く感じられました。その時代は、まだ女性が男性と平等に評価されることはあまりなかったので、マリーの功績により女性の社会進出が躍進したと思います。ピエールは、夫としてまた研究のパートナーとして妻を理解していて、この二人は本当に良い関係であると感じました。夫が仕事の内容を知っているピエールでなければ、研究が大詰にかかったとき家庭の仕事をほぼ家政婦に任せっきりだったマリーに何も言わないはずがなかっただろうと思うからです。この夫妻の化学に対する狂気的なまでの情熱は、純粋なものでした。将来の人類に役立つものであると喜んでいました。この点では、フランケンシュタイン博士と同様で科学者なら誰でも持ちえるものではないのだろうかと感じました。しかし、実際には世界を震撼させる兵器に使われてしまいます。科学がもたらす発見は、良くも悪くも応用されてしまうので、気をつけなければいけないと思いました。
☆受講生の足立さんからメールが届きました。(足立-1)
「フランケンシュタイン」の感想
私は「フランケンシュタイン」を見たことはありませんでしたが、単なるホラー映画と思っていました。今回初めてしっかり見ることで、この物語は実に奥が深く考えさせられるものであると感じました。
フランケンシュタイン博士は、母の死による悲しみを二度と味わいたくないという思いから、学問で死を乗り越えようとしました。しかし、研究に夢中になりすぎて元よりあった幸せを気づかないうちに無くしてしまっていたと思います。死を克服するために払った犠牲は、後になってみると後悔してもしきれないほど大きいものだった。それは、フランシュタイン博士が自身でも感じたでしょうが、モンスターによってより強く思い知らされたと思います。
科学史に残る一歩を刻みたいという気持ちに駆られて行動したフランケンシュタインと、なんとしても北極点を極めたいと思っていたが仲間の生命を優先し断念した船長の生き様が対象的に描かれていて印象に残っています。また、勝手に生み出され、しかも誰からも認めることのない孤独な人生を送るはめになったモンスターは探究心の犠牲者であり、同情しました。