サミュエル・コールマン著(岩館葉子訳)『検証 なぜ日本の科学者は報われないのか』文一総合出版、2002年、384頁+参考文献。


 著者は、ライフサイエンス(生命科学)に焦点を当てながら、日本の科学界、大学、研究所の現状と課題を詳細に観察し分析している。その手法は、人類学者が多用する参与観察(参加観察)である。すなわち、人類学者は研究対象とした人々の中に深く入り込むことによって、その社会の構造や文化を明らかにしていくが、著者はそれと全く同じ手法を用いて日本の科学者の世界を調査・分析しているのである。

 本書で著者がフィールドワークの対象としたのは、関西の私立医大、農水省食品総合研究所(現在は独立行政法人となっている)、大阪バイオサイエンス研究所、蛋白工学研究所(現在は生物分子工学研究所と改称)の四機関である。著者はこれらの研究機関にそれぞれ数週間から数ヶ月にわたって滞在し、その間、そこで働く人々(科学者および事務スタッフ)の行動を子細に観察するとともに、彼らと親しく面談(インタビュー)して、彼らの行動を支配している価値観や規範を解明していく。

 このようにして得られた膨大なフィールドワークの結果を著者は「クレジットサイクル」を手がかりに分析している。クレジットサイクルとは馴染みのない用語であるが、「欧米(特にアメリカ)の科学者は研究成果を引っさげて競争に参加し、助成金という形でさらに資源を手に入れ、それを再び研究に投資するという方法で自らのキャリアを築いていく」(本書、38頁)とあるように、「クレジット」とは研究業績とそれによって得られる名声・信用である。科学者はそれを元手にさらなる研究業績(クレジット)を積み上げてキャリア・アップを目指す。このサイクルに乗って、巨額の研究費を獲得し、大規模な研究施設で多数の優秀なスタッフを率いてビッグサイエンスのリーダーとなる科学者もいるだろう。一方、努力したにもかかわらず、ある段階でサイクルから落ちこぼれてしまう科学者もいるだろう。自由な資本市場では、チャンスをいかす才覚と資本が成功の鍵であるのに似て、科学の世界では科学者としての能力と研究業績が成功の鍵である、というわけである。そして、クレジットサイクルが健全に機能するには、能力と研究業績以外の要因ムム例えば、慣習、政治(力)、ジェンダー、人種などムムが関与してはならない。自由な競争という前提条件が損なわれてしまうからである。

 さて、日本の科学界では、クレジットサイクルは機能しているだろうか。優秀で勤勉な科学者が多数存在し、アメリカには及ばないにせよ、毎年多額の研究資金が投ぜられている日本の科学(本書では特にライフサイエンスに注目している)が、世界のトップとは言えないと自他ともに認めざるを得ないのは、クレジットサイクルを阻害するさまざまな要因が存在するからだ、というのが著者の分析結果=診断である。

 どのような要因がクレジットサイクルの働きを阻害しているのか。科学界を含めて我が国全体の雇用慣行となっている終身雇用と年功序列が、科学者の移動を抑制するとともに組織の硬直化を促しており、また、文部科学省を頂点とする官僚統制と大学の講座制に代表される職階制が、大胆で柔軟な研究の展開を妨げている、と著者は論ずる(本書、41-47頁および第八章「変革をはばむもの」など)。これらのいくつかの要因がクレジットサイクルを阻害しているために「日本の科学者は報われない」ことになってしまうのである。

 著者が槍玉に上げている終身雇用、年功序列、官僚統制、講座制といった慣行や制度が、多くの問題をはらんでいることは、我が国の学問や大学をめぐる論議の中でかねてから指摘されてきたことは周知の通りである。ただ、これらの慣行や制度に対する(日本人自身による)従来の批判は、しばしば「被害者の立場」からなされるため、ルサンチマンの色合いが濃くなり過ぎて、説得力に欠けるきらいがないでもなかった。しかし、著者は外国人の人類学者として、我が国の慣行や制度を、利害関係を離れて、或る意味では「善意の友人」としての立場から分析し批判している。その結果、著者の叙述と分析は、われわれ日本人読者にも十分納得できるものとなっている。特に、科学行政に携わる官僚は、科学研究の経験をもっていること、その歓びと苦労を知っていることが必要だとする著者の提言は傾聴に値しよう。

 ところで、近年、内外の批判に応じる形で、文部科学省が旗を振って「大学改革」が推進されてきた。その結果、大学教員に任期制が導入され、大学評価機関が設置され、さらには大学や研究機関の統合再編が押し進められた。国立の研究機関が独立行政法人に改組されたのに引き続いて、2004年には全国立大学が法人化されることになった。この間の「上からの大学(および研究所)改革」の結果、官僚統制はむしろ強まったと思われるが、大学や研究機関における終身雇用、年功序列、講座制は(少なくとも表面的には)次第にあるいは急速に衰退していくだろう。また、1995年の科学技術基本法の制定と同法に基づく第一期および第二期科学技術基本計画の策定・実施などによって、国家予算逼迫の中、研究開発費は特別扱いで優遇され、著者も指摘しているように、一部には「研究費バブル」の様相さえ見られる。

 これらの「改革」が、クレジットサイクルを機能させることにつながり、その結果、我が国の科学界が多くの分野で世界のトップリーダーとなることができるかどうか、また、「日本の科学者が報われる」ことになるかどうかを、著者は注目して見ているに違いない。もしかしたら、すでに日本のどこかでフィールドワークに着手しているかもしれない。10年後、あるいは20年後、著者は(あるいは別の誰かが)「日本の科学者はなぜ報われるのか」を書くことになるのだろうか。

 ところで、評者は広島大学に勤務して20数年になる。同じ広島大学の内部で、大学教育研究センター(現在の高等教育研究開発センター)から総合科学部に移ったものの、クレジットサイクルを活用したとは言い難い経歴の持ち主である。その意味では、本書を書評する資格はないのかもしれない。ただ、先年、科学論(science studies)に人類学的手法を導入する意義を論じるとともに、同じ関心を有する仲間とともに、ささやかな実践を試みたことがある(有本章(編)『大学院の研究ムム研究大学の構造と機能(高等教育研究叢書28)』1994年所収の論考を参照されたい)。忸怩たる思いを抱きながらも、本書の書評を引き受けたのは、そのような経緯があったからである。このたび本書を熟読して、人類学的手法の意義を改めて強く感じるとともに、著者のフィールドワーカーとしての卓抜した技量と粘り強い研究姿勢に脱帽した。訳文・訳語は周到に練り上げられていて読みやすい。英語の原題Japanese Science: From Inside(「内部から見た日本の科学」)を内容に則して「検証 日本の科学者はなぜ報われないのか」としたのも秀逸である。原著は1999年、ルートレッジ社より刊行されている。


広島大学高等教育研究開発センター『大学論集』第34集(2003年度)、pp.247-248.