【文献紹介】G.ウィリアムズ(編)『企業化する大学--改革・卓越・公平』

(Gareth Williams, The Enterprising University: Reform, Excellence and Equity, The Society for Rsearch into Higher Education & Open University Press, 2003.)


第一部  見取り図

 イギリスにおける1988年と1992年の教育法は大学、政府と広い社会との間の財政的な関係における急激な変化を象徴していることは今では広く認められている。簡単に言えば、幅広い学術的な使命を達成するために政府の補助金を得る組織から、特定の教育・研究を直接販売したり、学生消費者のために政府に販売したりする供給者への変化であった。このことは「企業」や「企業家精神」の急速な成長を促し、大学は新しい世界で財政的に生き延びる手段を学んだ。世界の多くの国々で同様の変化が生じたが、「市場化」の程度と速度は国によって大きく異なっている。

 多くの国々では、この変化は、公共サービスが公平にかつ効率的に提供される方法に関して、ここ20年の間に生じた新しい考え方と結びついていた。認証団体、評価国家、新公共経営など文献によって言い方は違うが、これらはすべて「主人-代理人問題」と経済学者たちが呼んできたもの--すなわち、行政法人、病院、公共機関、学校、大学が社会全体の見地から見て最適の方法でサービスを提供するのを、いかにして主人としての政府が可能にするか、という問題--への解である。伝統的に、こういったサービスの提供は国家による詳細な規制を通じてなされてきた。このやり方は東欧の中央集権的な計画経済で頂点に達した。しかし、このやり方は、西欧の多くの国々においても、高等教育を含めて、大半の公共サービスを提供する通常のやり方であった。

 「資源依存理論」という考えに基づいた新しい経営には「遠隔操作」が含まれている--すなわち、高等教育の場合、「主人」は具体的な意志決定を多くの代理人を介して個々の大学やカレッジに委譲し、市場志向的な組織(「疑似市場」)として振る舞うように督励し、最終的な結果が主人の目的に叶っているかどうか、活動を監視する。このようなシステムのもとでは、商業的な企業に似た組織が、組織の繁栄という面でも、幅広い社会的目的--少なくとも主人によって奨励されている目的--に合致するという面でも、最も成功を収める。

 高等教育には、こういう考え方の適用を促すようないくつかの特徴があった。大学やカレッジによって提供されるサービスは、幅広い需要と関心に応えるために非常に多様であり、標準化された提供を非常に困難にしている。この要因は高等教育のマス化の到来によって大きくなった。大学やカレッジが活動する知識産業は、情報技術の爆発的な成長に伴う急激な変化の主体である。最後に、高等教育システムが大きくなるにつれてコストに関心が高まった。

 第一部は、イギリス、アメリカ、南アフリカ、他のイギリス連邦諸国の経験に照らしてこれらの考え方を検討している。

1. ギャレス・ウィリアムズ「正直な生活か沈黙か」

2. イアン・マクネイ「イギリスの大学におけるE要因と組織文化」

3. アラン・E・ガスキン、メアリー・B・マーシー「アメリカの未来に直面する--教員の仕事、学生の学習、根本的な改革」

4. イアン・スコット「非産業国家における卓越と公平と企業のバランス--南アフリカの事例」

5. ルイーズ・モーリー、エレーヌ・ウンターハルター、アンヌ・ゴールド「イギリス連邦の高等教育における企業文化、公平、ジェンダー変化」

 

第二部  組織変容

 資源の逼迫と新公共経営方法に由来する圧力がさまざまな制度的な応答をもたらし、大学やカレッジは生き残ろうとして、あるいは、学生や他のスポンサーに提供するサービスを改善しようとして努力してきた。マスメディアの言い方にならえば、大学やカレッジは順位表をはい上がろうと努めてきた。

 大ざっぱに言えば、高等教育機関がその学術的・経済的地位の上昇を図るには四つの方法がある。一つは効率を改善すれば一定の質の学術サービスを政府や他の消費者に低価格で提供することができる。第二に、より良い質のサービスを提供することである。もし、他と同じ価格で良質のサービスを提供できれば、効率改善のもう一つのやり方ということになる。しかしながら、サービス相応の価格があると考えるなら、良質のサービスを高い価格で提供することもできる。もう一つの可能性は組織とそれが提供するサービスを積極的に市場に出すことである。ほとんどすべての大学やカレッジにとって、スタッフとスタッフが引き寄せた学生の質が高ければ高いほど、学術的な地位は高くなり経済的な成功は大きなものとなるだろう。ある組織は広範な顧客に特別のサービスを売ろうとするだろう。困難であるが魅力的なことは、多くの大学やカレッジがそうしているように慈善行為の対象としての地位を開拓して、個人や組織から寄付を募ることである。最後に、すべてのあるいはいくつかの高等教育機関と協力して政府に政治的な働きかけを行い、より多くの公的資金を引き寄せることである。

 第二部は、こういった試みのいくつかを紹介する。エレン・ヘイゼルコーンは、新設の大学やカレッジの多くが、どのようにしてまたなぜ、自らの学術的・経済的地位を上昇させるための研究を構築しようと努めてきたかを述べている。新しい組織は、研究と学問的活動が自らの使命にとって不可欠であると考え、知識の生産と流布に関する新しい理解が新しい構造や枠組みに有利に働いていると考えている、とヘイゼルコーンは結論している。新設機関では、学際的なチームワークが強く奨励され、学際的な研究を学術的な仕事の中に組み込もうと努力している。革新、応用、知識の特定化が競争的優位性、パフォーマンス、生き残りの重要な指標になってきているということに関して議論の余地はない、とヘイゼルコーンは主張している。

 マーヴィン・ジョーンズは、多くの大学において急速に拡大しつつある新しい試みムム継続的な職業開発ムムを探求し、特に、大学が経験を積んだ職業人に対してキャリアー開発訓練を提供する際に、新しい技術が大学に信頼性を付与することを明らかにしている。企業精神は市場の機会を見極め、一旦認識されればそれに対して行動を起こすために非常に重要である。

 最後に、通常の大学の学術的な伝統にしばられず特定の経済的要求に応えようとしている企業大学に関する二つの章がある。

6. エレン・ヘイゼルコーン「新設高等教育機関における新しい研究の挑戦」

7. マーヴィン・E・ジョーンズ「卓越の獲得ムム科学と技術におけるパラダイム変化、文化、継続的な職業開発の役割」

8. ロブ・ペイトン、スコット・テイラー「企業大学--高等教育と職場の間」

9. エディー・ブラス「企業大学と普通の大学--競争か協力か」

 

第三部  大学・カレッジにおけるエンタプライズ

 大学やカレッジにおける個人やグループは、第一部に概略された資源依存圧力や第二部で論じられた組織変化にどのように対応しているだろうか。クラークは刺激された学術中心について論じ、資源に制約がある場合、資源依存の圧力が通常の学術的強さの源泉となっている領域で働いている人々の教育と研究を活気づけると示唆している。これこそ、大学における強力な支援組織の仕事を記述しているスレーとヘイターが描いた図式に他ならないムム支援組織の機能は大学の教育と研究を支える大規模な資源を大きくすることにある。最良のエンタプライズ支援チームは、第一級のスタッフ、教育、研究において臨界量に達している領域で、見取り図のための主要なプロジェクトに焦点を合わせる、というのが彼らの結論である。支援チームは、既存の強さを利用し、組織の未来に長期的に戦略的支援を提供する。これこそ大学による集団的な戦略行動としてのエンタプライズの視点に他ならないムム大学では、エンタプライズ単位の成功が、大学人をして彼らが最も得意とする研究と教育に取り組ませるのである。

 第三部の他の章は、エンタプライズに関して異なった見方をとっている。エンタプライズは、大学やカレッジのすべてのあるいは多くの構成員によって示される必要がある一つの特徴として考えられている。ヘイ、バット、カービイはアントレプレナー(起業家)の心理的属性について報告し、彼らが高い得点を示す項目のいくつかは大学の教員スタッフのそれと類似しているが、相違もある、と結論している。一般的に言えば、仕事志向の水準は高く、創造性の水準はほどほどである。しかしながら、大学人の間の自律への要求とリスク引き受け計算の水準は、以前の研究よりも低かった。この事実は高等教育に対する過去10年間の経営的な手法の長期間の文化的受容を反映している、と著者たちは考えている。

 市場化の責任に関する平均的な教員スタッフに関するジョンソンの小規模なサンプルは、この問題に関するスレーとヘイターの研究よりもアマチュア的な手法のように思える。ジョンソンの小規模のサンプルは、少なくとも幾人かの大学人は、近年の構造的な変化以前の高等教育部門の性格を反映した言い方で自らの職業的役割を概念化し続けていることを示唆している。このことは、利害関心の表明あるいは自分自身の「道徳的・概念的枠組み」を維持しようと考えている専門家集団の価値の表明と見ることができると、ジョンソンは考えている。

10. ピーター・スレー、スコット・ヘイター「総合的な収入創出--ダーラム・モデル」

11. デイヴィッド・B・ヘイ、フェイス・バット、デイヴィッド・A・カービー「イギリスの大学における起業家としての大学人」

12. ヘレン・ジョンソン「高等教育における市場化志向--自らの役割に対するインパクトに関する大学人の見方」

 

第四部 カリキュラムにおけるエンタプライズ

 エンタプライズという理念は高等教育においては二つの異なった意味を有している。一つは、財政的な逼迫と1980年代に登場し1988年と1992年の法律の制定によってこの国(イギリス)の高等教育に対して明確に表明された公共サービスの提供に関する考え方の変化に促された大学経営スタイルとしての起業家精神の開発である。もう一つは、急速に変化しつつある経済を支えるためには「エンタプライズ」が高等教育のカリキュラムの明確な一部となるべきだとする政府と経営者の勧告である。これは1990年代を通じて高等教育をめぐる論議で顕著になってきた「雇用問題」の一部となっている。

 多くの点で、これはマス化した高等教育の不可避の帰結である。入学者数が増えるにつれて、専門職や公共サービスに就く卒業生の割合が減少するのは避けられない。卒業生の多くがさまざまな仕事に就くようになり、企業的な能力が重要な資質であるような職業に入っていく。この分野に対する学生の関心は大きくなり、このことは1990年以来、ビジネス研究や経営のような科目への登録者数が拡大したことにもみてとることができる。チームワーク、仕事の経験、口頭発表などを通じてカリキュラムに職業能力を導入することに関する論争も企業関連能力の学習に対する関心の増大を示している。

 残念なことに、本書のもとになったSRHE(The Society for Research into Higher Education、高等教育研究学会)の会議に提出された論文には、この問題を取り扱ったものは少なかった。ブレンダ・リトルは、就職しようとする卒業生に対する職業経験の適切さに関する研究から予備的な知見を報告している。リトルの知見は慎重である。こんにち大半の卒業生はコースの一部として何らかの職業経験を有しているが、就職後の早い時期にこの経験がどの程度実際に役立っているかに関して、確たる証拠はない。本書の観点からみてもっと重要なことは、経営者たちが、卒業生が企業に関連する個人的な資質よりもチームワークの技術を学ぶことに関心を寄せていることである。

 最後に、ギルバート・フレイドはフランスの鉱山学校における成功した実験を簡潔に報告している。このグラン・ゼコールに入学した非常に能力のある学生たちは、コースの必須として企業実践に着手するよう求められる。たとえ自分ではそうではないと思っている場合でさえ、誰もが革新的になることが可能であることが示された、とフレイドは主張している。誰もが企業プロジェクトを立ち上げそれを達成することが可能である。一旦、それを成し遂げれば、将来の革新について自信をもつことができ、もっと大胆な工夫をすることができる。以前の研究とは違って、企業実践は、女性が男性と較べて起業家に向いていないとはいえないことを示している。

13. ブレンダ・リトル「学部生の職業経験と労働市場に対する公平なアクセス」

14. ギルバート・フレイド「企業経験--国家、企業、大学における大きな流れ」