受講生の樋口さんからメールが届きました。(樋口-5

 手術によってチャーリイの知能は大幅に発達した。そのために以前付き合っていた仕事の同僚が自分をからかっていたことを理解する。自ら望んで知能を得たのだが知らなければ良かったこともたくさんあるだろう。科学者たちは世の中に貢献したい、チャーリイを知能の発達させてあげたいなど表向きはたいそうなことを言うが、チャーリイを対等な人間として扱わず、実験が成功したらとたんに自分らの功績を世の中に認めて欲しく、自分たちが犯した実験のミスについて発表しなかった。ついに人並みどころかそれ以上の知能をやっとの思いで手に入れたチャーリイが、その人並み以上の知能によってこれから自分が以前のような知能に戻ってしまうことを理解したときは、どんな絶望を味わされたのだろう。

 また他の受講者の「医学によって正常な人間を作ることは間違っている」というコメントを見て思ったことは、今回の映画では実験が失敗に終わったためなんとも言い図らいが、人を健康にするのが医学であり、不可能を可能にするのが科学であると私は思うのでどんどん活用するべきだと思う。考え方の違いだが、頭が良くなるのであれば手術すればいいし、美しくなりたいのであれば整形手術でもやればいいと思う。科学は使い方を誤らなければ人を幸福にする可能性がある、人類に与えられた資産だと思う。


受講生の樋口さんからメールが届きました。(樋口-4

「キュリー夫妻と その愛と情愛」を観て

  映画中に出てきた彼女は研究熱心で明るくつかみどころのない性格で描かれていた。映画では川島論文に書かれていた幼少時代の頃のマリーキュリー、ピエールの死、二回目の受賞、ランジュバン博士との恋愛関係などが語られなかったためキュリー夫人の全体像を知ることができなかった。

 エーヴの書いた伝記ではキュリー夫人にとってマイナスイメージになる不倫疑惑が書かれていなくて伝記としては優れていると思うが私個人的にはいい所だけを描写しているこの伝記よりもリードとジルーの逆転の発想でこの事件の男女の格差を訴えている伝記の方が優れていると思う。何故マリーだけが批判されないといけなかったのだろうか。このことから当時の男女の圧倒的な社会的な権利の格差が伺える。現代ではそれもましになってきたと思うが、まだまだ改善すべき点はたくさんあると思う。マリーが女性初のノーベル賞を受賞し、初の女性教授となったことはこの男女格差を埋めることに大きく貢献しただろう。マリーが行った偉業は科学的なものはもちろん、社会的変化にも大きく影響していると思った。


受講生の樋口さんからメールが届きました。(樋口-3

鉄腕アトムを見た感想

 モノクロの鉄腕アトムを見たのは、今回で二度目だった。一度目は父が持っていた古いビデオテープに移っていたのを5歳ごろに見ていた記憶がある。あの頃は何も考えずにただただ面白い描写だなと感じていただろう。今、見返してみると第一話はすごいシリアスな内容だなと思った。また人間のエゴで人造人間を作ってしまった部分はブレードランナーやフランケンシュタインにおいてもあげられた問題と同じものを感じる。作るだけ作っておいて、気に入らなくなったら捨てる。最近また公衆トイレに生まれたばかりでへその緒のついた赤ちゃんが捨てられていたニュースを見たが、この問題と似たようなものを感じる。何かを生み出すのであればそれに伴うリスクやその責任を十二分に思慮しなくてはいけないと思う。科学の発展はそういう思慮のもとで行われてほしい。


受講生の樋口さんからメールが届きました。(樋口-2

 私がブレードランナーを見て思った感想は、環境汚染の進んだ地球で酸性雨にうたれながら生活する住民、様々な言語入り乱れ、日本人が経営する店でうどんを食べるデッカード、巨大ビルに写し出される中国人風のアジア系美人のような設定を見てすごく興味深いなと思った。アメリカの都市部の近未来はこのようになるのではないだろうか。また、人類が宇宙に移り住んでいるという設定は、技術的には不可能だと思うが、そうまでしないといけなくなった地球環境の悪化を我々にそうならないように警告しているのではないだろうか。

 実際にそのようになった場合、宇宙開発のために生身の人間が作業を行うよりも、ロボットが作業した方が効率的であるし、人が命を落とす危険もない。人の生死が重要なのは未来でも同じであろう。それなら感情の無いロボットなら消えてもよいのだろうか。どうせロボットだからというならどうして人の姿に似せる必要があるのか。さらにこのロボットには4年という寿命が設定されていて感情が芽生え始めると、やはり人間と同様に生きたいと思うだろう。作品中では脱走したレプリカントが寿命を延ばすために自分を生んだタイレルに会って寿命をのばしてもらおうとするがそれは不可能であった。自分の命があと少しで無くなってしまうとしたらやはりなんとかして生きようとするのは人間と同じだろう。彼らの生きたいという気持ちは、生きることがつらくなって自ら命を断ってしまう今の人類よりも人間らしいと思った。


受講生の樋口さんからメールが届きました。(樋口-1

 映画フランケンシュタインを見て

 人間を生き返らせることは、現在の医学における臓器提供の問題に似てるなと思った。自分が死んだ後に、醜い姿になっても生き返りたいかと聞かれても死んだ後なので答えることができない。本人はどうしても生きたいと思うかもしれないし、醜いならば死んでしまいたいと思うかもしれない。脳死患者が死んだからと言って、人の役に立って死にたいと思うか、安らかに眠らせてほしいと思うかは分からないというところに共通点を感じた。

 科学の発展はすばらしいものだと思う。しかし発展と同時にリスクも生まれてくるわけであり、そのリスクと得られるものを天秤にかけてリスクの割合が大きい場合は科学の発展として不完全なものであり、やめるべきだと思う。