インターネット時代の図書館と文学館


電子図書館

 アメリカの文明批評家T・ローザックは、コンピュータや情報化社会に対する盲目的な崇拝を痛烈に批判しつつも、図書館はコンピューター化が遅れていると指摘し、一般市民が有用な情報に的確かつ迅速にアクセスするために、図書館の急速なコンピュータ化が望まれると提案した(1)。しかし、ローザックが論じた図書館のコンピュータ化とは、図書・文献目録の電子化、その結果としての検索のコンピュータ化、せいぜいデータベースの利用ということだった。しかし近年では、前述のオンライン・ジャーナルなど電子出版が盛んになるとともに、電子図書館構想が盛んに議論されるようになってきた(2)。

 電子図書館とは、図書館が所蔵している、書物そのもの、資料そのものを全部まるごと電子化し、それらの電子化された書物や資料をインターネットを通じて提供する、というものである。コンピュータの性能の向上とインターネットの登場が、電子図書館というアイデアを夢物語から実現可能なプロジェクトに変えたのである。

既存の図書館と電子図書館を対比してみると次のようになるだろう(表)。

 また、表から帰結する電子図書館のメリットを特記すると以下のようになる。

一 貴重資料の保存と有効活用が可能となる----電子化によって貴重資料の死蔵を避けることができる。

二 資料保存スペースを大幅に節約することができる。

三 利用がきわめて便利になる----利用者は、必要とする書物や資料に、端末を通じて、図書館内はもとより、どこからでも、いつでも、しかも瞬時に、アクセスし利用することができる。また、複数の利用者による同時利用も可能となる。

四 新しい「読書」形態やサービスが可能となる----資料の電子化によって、資料をマルチメディア化あるいはハイパーテキスト化することが可能となり、新しい「読書」形態が実現できるだろう。また、辞書・翻訳・朗読機能およびEメールなどを併用することによって、読書や学習活動を多様でインタラクティヴ(双方向的)なものにすることができるし、情報の利用・発信を促すこともできる。

 実際、フランスでも国立の電子図書館が建設されたし(3)、周知のように、我が国の国会図書館の関西館も電子図書館として建設された(4)。また、学術審議会の建議「大学図書館における電子図書館的機能の充実・強化」(一九九六年)を受けて、我が国の多くの大学図書館が電子図書館的機能の充実に向けて動き出している多くの大学図書館も電子図書館的機能を強化しつつある。

 筆者の見聞した事例を挙げると、奈良先端科学技術大学院大学は、設立当初からデジタルライブラリーの構築を目指しており、購入・所蔵している雑誌の電子化に取り組んでいる。すなわち、電子化された形で販売されている雑誌(オンライン・ジャーナル)はもとより、電子化されていない雑誌についても、雑誌が到着すると、すぐスキャナーで読み取って電子化し、到着の数日後には、各研究室の端末から「読める」ようにするという作業が進められている(5)。雑誌以外についても、学位論文など、多くの資料が、一日数千ページの規模で電子化されて、サーバーに蓄積されつつある。もっとも、著作権の問題があるため、せっかく電子化した情報も、奈良先端科学技術大学院大学の端末からしか見ることは出来ない(目次レベルまでは学外からも見ることができる)。

既存の大学図書館でも、同様の動きがあり、例えば、大阪市立大学では旧来の大学図書館が廃され、多額の費用をかけて新設された学術情報総合センターの中に、従来の図書館的機能が包含された(6)。これらの例にみられるように、電子情報化に熱心であることをアピールする大学は図書館を廃止して、総合情報センターであったり、学術情報総合センターであったり、名称はさまざまだが、そういう所に図書館機能を組み込むということが行われている。

 

電子文学館

 国公立図書館や大学図書館とは別に、民間でも電子図書館につながる試みがある。この種の試みとしてよく知られているのは、M・ハートの提唱によって、一九七一年から始まった「グーテンベルク・プロジェクト」である(7)。プロジェクト開始以来、三○年以上にわたって、児童文学、一般の文学作品、参考書籍などを中心に著作権の切れた書物の電子化をすすめている。同様の試みとして、我が国でも「青空文庫」というプロジェクトが展開されており、著作権の消失した日本文学の作品が多数収録されている(8)。両プロジェクトとも、書物・文献の電子化作業は、民間有志の手で行われている。

筆者自身も、原爆文学を中心とした広島の文学資料を保全し、公開し、研究するための文学館設立運動の一環としてインターネット上に「広島文学館」を構築する作業に従事している(9)。「広島文学館」のコンテンツとしては、「広島に文学館を!市民の会」など広島で文学運動を進めている民間組織の詳細な活動記録、二○○一年夏に開催した「原爆文学展 五人のヒロシマ」の記録、さらに「文学資料データベース」などがある。マンパワーが限られていることもあって、収録・掲載している文学資料は少ないが、原民喜の「原爆被災時のノート」、峠三吉『原爆詩集』の「序詩」(ちちをかえせ ははをかえせ……)の成立をめぐる論考などを読むことができる。また、栗原貞子の詩「生ましめんかな」をはじめ、現在、広島で活躍している詩人たちの作品も読むことが出来る。

「広島文学館」プロジェクトは民間有志によるささやかな試みにすぎないが、最近、「ネットミュージアム兵庫文学館」が「開館」した(10)。この文学館は兵庫県が約五千万円の費用をかけて開設したとのことで、さすがにコンテンツは充実している。音が出るし、画像も豊富で動画もある。

以上のようなさまざまなプロジェクトを通じて、ある意味では、電子図書館(電子文学館)はすでに実現されているとも言えるし、目下、急速に整備されつつあると言うこともできる。

 

電子図書館批判

 もっとも、電子図書館について、批判がないわけではない。たとえば、天文学者でコンピュータの専門家でもあるC・ストールは、その著書の中で、電子図書館などとというものが、本当に役に立つのだろうか、そもそも、必要なのだろうかと疑問を投げかけている(11)。ストールは、例えば、グーテンベルク・プロジェクトについて、次のように批判している。なるほど、多くの書物を、好きなときに無料でインターネットで読むことができるというといかにも画期的なようだが、それらは著作権の切れた古い書物ばかりである。一方で、毎年何万冊、何十万冊という本が出版されている。結局のところ、全体から見ればごく一部が電子化されるにすぎない。もしこのプロジェクトがうまくいったとしても、どれ程のインパクトをもつだろうか。電子図書館というのは、本当にそれによって我々の文化的な世界、知的な空間が画期的に変わってしまうほどのものであろうか。確かに、電子図書館に対する期待ないし需要もあるが、それに費やされる膨大なコスト(予算、スタッフ、手間)に値するものであろうか。彼の書物の邦訳題になぞらえるなら、「電子図書館はからっぽの洞窟」ではないか、というわけである。むしろ、もともと多くはない図書館の予算や職員が、電子情報化に向けられ、その結果、図書館の本来的機能が失われてしまう、そんな危機的な状況に我々は今直面しているのではないか、とさえストールは指摘している。

 

利用権と著作権

 電子図書館が、作家ボルヘスの描いた「バベルの図書館」(12)なのか、それともストールが言うように「空っぽの洞窟」にすぎないのかは、結局のところ、利用者にどれだけ充実したコンテンツを提供できるかにかかっている。ここで問題になるのが利用権と著作権の兼ね合いである。

 すなわち、従来、図書館は「この門を入るもの(本)は一切の商品性をすてよ」という原則のもとに資料を収集・保存・管理し、利用者に対して無料で資料閲覧サービスを実施してきた(13)。電子図書館の構築は、この原則を徹底する可能性を持っている----わざわざ図書館に出向かなくとも、自宅や研究室のコンピュータ端末を通じて、読みたい資料を、いつでも、そして無料で読むことができるからである。しかし、一方で、通常の本や文献(印刷物)とは違って、電子化されコンピュータ端末で読まれた本や資料は、容易に複写され、さらには改変される可能性があることから、著者や出版社などコンテンツを作成・販売する側の権利(著作権)を大幅に侵害するおそれがある。電子図書館にあっては、商品としての本と公共的な文化財としての本の区別がつかないのである。コンピュータ技術の発達によって際限なく広がる利用者の権利と、著作権保護との折り合いをどこに求めるかに、電子図書館構築の問題点が集約されるといえよう(14)。

 

(1)T・ローザック(成定薫・荒井克弘共訳)、『コンピュータの神話学』(朝日新聞社、一九八九年)、二三七〜二四二頁。

(2)合庭惇『デジタル知識社会の構図----電子出版・電子図書館・情報化社会』(産業図書、一九九九年)、原田勝・田屋裕之共編著『電子図書館』(勁草書房、一九九九年)など。

(3)M・レスク「明日の電子図書館」(『日経サイエンス』、一九九七年七月号)、三四〜三七頁、およびフランス国立図書館のホームページhttp://www.bnf.fr/参照。

(4)国会図書館関西館のホームページhttp://www.ndl.go.jp/jp/service/kansai/index.html参照。

(5)奈良先端科学技術大学院のホームページhttp://dlw3.aist-nara.ac.jp/index-j.html参照。

(6)大阪市立大学学術情報総合センターのホームページhttp://www.media.osaka-cu.ac.jp/参照。

(7) グーテンベルク・プロジェクトのホームページhttp://www.promo.net/pg/参照。

(8)青空文庫編『青空文庫へようこそ----インターネット公共図書館の試み』(HONCO双書、一九九九年)、および青空文庫のホームページhttp://www.aozora.gr.jp/参照。

(9)「広島文学館」のホームページhttp://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/参照。

(10)「ネットミュージアム兵庫文学館」のホームページhttp://www.bungaku.pref.hyogo.jp/参照。

(11)C・ストール(倉骨彰訳)『インターネットはからっぽの洞窟』(草思社、一九九七年)。

(12)千賀正之『本と図書館を読む----印刷本が消えて電子図書館が繁栄するという嘘?』(日本図書館協会、一九九八年)、一二六〜一三二頁。

(13)津野海太郎「この門を入るものは一切の商品性をすてよ」、原田・田屋、前掲書、七五〜八九頁。

(14)戸田愼一・海野敏「電子図書館時代の著作権」、日本薬学図書館協議会「薬学図書館」編集委員会編『電子図書館とマルチメディア・ネットワーク』(日本図書館協会、一九九六年)、一○五〜一二二頁。


大学図書館問題研究会」広島支部研究会(2003年12月20日、広島市立中央図書館セミナー室)