受講生の入江さんからメールが届きました。(入江-6

 今回のアニメをみて前半部分で思ったことはこの世界で描かれている人間観がフランケンシュタインやブレードランナーの人間観と似通っているところです。アトムは博士の、「死んでしまった息子をもう一度よみがえらせたい」という思いから作られました。しかし作ったいいもののアトムがまったく成長しないところからただの「ガラクタ」のように扱い、売ってしまいます。わからなかったのでしょうか??自分で作ったのだから成長するようなプログラムを組んでいない限り、大きくなるはずがありません。それほどまでに博士が息子を愛する心で自分の身を狂わせてしまったのでしょうか・・・。

 しかしこのアニメの違うところはアトムが悲しい運命ばかりたどっているわけではないということです。御茶ノ水博士に救われたことにより彼はいろんな人たちを助けたりすることによって世の中のヒーローとなります。フランケンシュタインの人造人間やブレードランナーのロイもこのような運命であれば救われたのに・・。


受講生の入江さんからメールが届きました。(入江-5

 今回、この映画をみて思ったことは「人間の勝手さ」強いてはこの映画の中に出てくる「科学者の勝手さ」です。この映画の中では、通常、心を持たないとされるロボットが心を持ち、感情を出したり、考え、そして行動しています。ここまでの科学の発展を遂げさせたのはいったい何なのでしょうか??それはきっと科学者たちの「新しいものを発見したい。作りたい。」というクリエイティブな野心(エゴ)であると自分は思います。しかしこの映画のなかの人間たちはその野心に成功したのにも関わらず、いってしまえば作ったあとはほったらかしでした。彼ら(ロボット)が生きたいといってもその権利を認めず、あげくのはてには作成した博士までもが「寿命を延ばす手段はない」とまでいうざまです。博士は心を持たせた張本人です。このような事態になることは想像できなかったでのしょうか。ロイが博士を殺してはいけないとわかっておきながら殺すまでにいたった理由・・殺人は愚かですがそれほどまでに悔しかったのでしょう。

 現代の科学はこの映画が描くような、状態まではいっていません。しかし現代の科学は進歩し続けています。科学の進歩だけを考えるのではなくそれに伴う倫理観を養うことも今後の人類の課題でしょう。


受講生の入江さんからメールが届きました。(入江-4

 レプリカントが施設から逃げ出した真の目的は人間への報復や現在の世界の滅亡などではなく、生きたいという願い。ただその1つだけなように感じられます。それは、人間でも抱くごく自然な感情のように思います。さらに映画を見ていくにつれてレプリカントは肉体的だけでなく、感情という面で精神的にも人間に限りなく近い存在、もしくはそれ以上の存在になっているように感じられます。

 生きるという事、寿命とは何なのかを人造人間(レプリカント??)を通じて訴えるテーマを捉えることができる映画だと思います。


受講生の入江さんからメールが届きました。(入江-3

 ダニエル・キイスさんは日本語版文庫への序文で少女が「頭が悪いとさげすまれ、そのために同級生の嘲笑をかい、いじめにあっている」ことからチャーリーのような気がします。との感想や、初老の方から「長い人生の道のりで知力をもって獲得し成就してきたものの大部分をいま失いつつある」ことからチャーリーのような気がします。との感想を掲載している。自分も今回の作品をみてこのような感想を持ったので以下に記します。

 今回の作品をみてまず最初に「自分が」思ったことは、チャーリーの知能は急速に上昇していくが、感情や性格などの社会的なものが追いついていかない様相は現在の世界の科学の進歩に置き換えることができるという点です。世界が科学技術だけは次第に進歩していくが、一方でそこには社会的に何らかの「ひずみ」が生じていることに似ている。この様相をアルジャーノンに花束を のなかであらわしたかったのではないのかと推測が拡大していきました。例えばインターネット技術の進歩。インターネットの普及は急速に拡大し、人類に様々な利便性と国際性を与えました。しかしその一方で、増加の一途をたどるネット犯罪。さらにはネットを使った誹謗中傷やいじめ。インターネットの進歩

とは裏腹にこのような問題の対処に世界は追いついていないように感じます。(これは日本だけの問題かもしれませんが・・・)

 キイスさんも序文で「他人に対して思いやりをもつ能力がなければ、そんな知能など空しいもの」と述べているようにこの映画では科学とは知能の進歩だけが全てではないと描かれているようにも思えました。


受講生の入江さんからメールが届きました。(入江-2

 ラジウムの発見までにかかった理論の構築と実際の肉体労働にかけた労力をみて主人公のキュリー夫人は、強い意志と信念を持った人だと感じました。川島さんもキュリー夫人の活躍により戦後の女性たちの社会的進出に大きく影響を与えたとあります。確かに女性初のノーベル賞の受賞は世界の女性たちに未来の夢と希望を与えたに違いありません。若干の相違はあるものの、現実にこんな人がいたのかと思うと信じられないくらいです。努力を決して怠ることなく、できるかぎりのことをする。キュリー夫人はそんな人物でした。川島さんの文章にも「いかなる栄誉にも溺れず、富に無関心で、素朴な自然を愛し、生涯質素な生活を通した」ー「自らが発見した放射能によって病魔に倒れその波乱の生涯を閉じる。」とあります。確かにこのことからもキュリー夫人はまさに「科学に生きそして科学に死ぬ」そんな生涯を送ったようにもみえました。

 夫婦でラジウムの発見にいたった過程かAこれだけ根気良く一つのことに打ち込めるなんて素晴らしいことです。壁にぶちあたった時は、いろんな可能性を考え、最後まであきらめないという精神力が大事だと、この話から学ぶことができました。今回の映画から科学において信念を持ち続けることは、いつかは大きな成果につながり、人生でも非常に学ぶべきことがたくさんあることなんだと思いました。


受講生の入江さんからメールが届きました。(入江-1

 今回、映画のフランケンシュタインをみて科学者というのは自分の研究内容を極めるためには、それが倫理的にみて間違っているとわかっていても、研究を進めていくのだと思った。フランケンシュタインほどではないが今日、社会ではクローン人間の問題や、ES細胞など神の域に達するのではないか?と思われるような研究がなされている。科学というのは確かに人類に多大な恩恵を与えうるものであるが、同時に自らを破滅の道に導くものではないか?と慎重に研究を進めていって欲しいと思いました。