☆受講生の川見さんからメールが届きました。(川見-5)
私は、授業の中でいくつかの映画を見ていきましたが、フランケンシュタインの科学者には考えさせることがありました。あの科学者は「死」と言う人間の道理的な考えについては間違っていますが、死んで欲しくない人に亡くなられた時に生き返って欲しいと思うのは当然だと思う。科学者とは何かを生み出すことが出来る人だと思う。そんな中で「死」に対して科学で対処しようとする所が素晴らしかった。しかし先のことも考えなければいけなかったと思う。アトムも亡くなった息子の変わりに作られたことを知っているが科学者とは人間に近い生き物を作ることが目的なのかと思う…。最終的には人間を超えるものを作ることが目標なのか。考えなければならない点だと思う。
☆受講生の川見さんからメールが届きました。(川見-4)
私はブレードランナーを見て思った感想は人間の知識の無駄遣いが行われているように感じました。これは、今まで授業で見てきた多くの作品で同様に感じていました。人造人間を作ることはすごくいい事だと思う。私たち人間が行えないことを行えることでのメリットは大きい。しかし使い方がまずい。あれほどまで高度な人造人間を作ってしまうと、何が人間で何が非人間なのか分からなくなる。配布して頂いたプリントにも同様のことが書かれていたが私は次のように考える。人間とは自分の考えを持ち感情を表現出来る動物だと思っている。私の考えでいくと、ブレードランナーに出てきた人造人間は人間ということになる。最後には記憶が無くなってしまうことに気づき、それに抵抗しようとしていた姿などは人間と変わりない。
サイエンススタディーの授業を受けて思ったのは、映画に対しての見方が変わった。科学と言う点に注目して見ると、科学の良し悪しが浮き彫りになってきた。人間とは非常に優れた動物である。科学においても高度な発展を遂げている。だからこそ生活は豊かになり楽になってきた。一方、悪い使い方をすれば人間の害になることも事実である。いつの時代になってもこの問題は解消されないだろう…。しかし、私は解消される時代が来ることを願いたい。
☆受講生の川見さんからメールが届きました。(川見-3)
私は「アルジャーノンに花束」の映画を見て感じたことがいくつかありました。1つ目は、知的障害があるからと言ってそれを手術で直すことには反対です。最近の医学では可能なことに感じますがこれをしてしまうと生命としての秩序が崩壊するような気がしてしまいます。似たような出来事なのですが、最近の医学では遺伝子操作によって健常者だけが生まれてくるように出来ると聞いたことがあります。これは倫理的にも間違っていると思うし絶対に間違っていることだと思います。生命とは神秘的なものでありあるべき姿が素晴らしいと思っています。映画の中でも言っていましたが、今後は「試験管ベイビー」が誕生するのかと思うと悲しくなります。万が一、自分の子供に障害があったらと考えて事はありますが、だからといって遺伝子操作などはしたくありません。あるべき姿が一番だと思います。
2つ目は科学者の考え方についてです。映画でもあったように科学者は人間すら実験の道具であるかのように扱う考えについては納得がいきません。最後のシーンでもありましたがチャーリーが自分の能力が元に戻ると気づいていたが、科学者たちはそれを伝えずに隠していたシーンでそれを強く感じました。このシーンで「治療」と「実験」についての大きな違いが出てくるようなきがしました。
最後に、授業で配布していただいたプリントをみて「知能は人間に与えられた最高の資産の一つですが…」と言う文章を読んで納得しました。映画でもありましたが、知能が上がることで友達がいなくなったとチャーリーは行っていたこととが重なって理解が深まりました。本当にもう一度見たくなる素晴らしい作品を見れて良かったです。多くの事を考えさせられました。
☆受講生の川見さんからメールが届きました。(川見-2)
私はキュリー婦人を見て科学というものはいろいろな側面があるとつくづく思いました。ラジウムの発見はとても素晴らしいことだと思います。しかし、先生が言われた通りその発見によって後に原子爆弾という恐ろしい兵器が作られたことも事実です。これは前回鑑賞したフランケンシュタインにもつながると言える。私はこのお授業を受けていて人間とはなんて馬鹿な生き物なんだろうと思うことが多いです。これは科学が発展するにつれて起きるのが当然なのかと思うほどです。人間とは科学をきちんとした使い方が出来ないものかと思いました。これは現在でもおきている問題だと思います。
私は、配布して頂いた資料を読んでいてノーベル賞には政治的な働きがあるということに大変な関心を持ちました。1900年代というとまだ女性の地位が確立されて無い時代なのでキュリー夫人がノーベル賞を取った事に関して様々な批判があったことは当然かと思います。キュリー夫人が行った公演ではピエールとキュリーが行った研究を分けていたことには驚きました。しかしながら、このキュリー夫人の功績によってフェミニズムが進展していったのかと思います。
☆受講生の川見さんからメールが届きました。(川見-1)
私は「フランケンシュタイン」を見て科学についての間違った使い方だと思いました。現代においての科学とは人間がよりよく生きていくために使われるべきだからです。配布して頂いたプリントにも書いてありましたが、不条理を理解するにはフランケンシュタインは分かりやすい映画だと思いました。人間が死ぬことは当然の事であるが、その死んだ人間を生き返らせることは倫理的に間違っていると思います。確かに大切な人が亡くなることは悲しいし辛いことではあるが、だからと言って化学(科学)の力によって生き返らせようとする行為は科学者のエゴイズムのような気がします。私たちは生と死が向かい合わせに生きているので、生と死を覆すようなことを行ってはいけないと思います。
映画の後半では科学者のエゴイズムによって作られた怪物の苦悩が描かれていました。この怪物の魅力は、何といってもその苦悩だと思いました。望まず、望まれず生まれた怪物の苦悩には注目することがありました。ここで私が感じたのは科学によって作られたものでも感情と言うものは存在するのだろうと思いました。最近はやりのクローンにしても同じことが言えます。このように、科学というものは使い方を間違えてはいけないと思いました。