明治大学大学院教養デザイン研究科「特別講義」レジュメ

2008年7月1716:20 ~17:50、於 和泉校舎第3校舎21番教室)

原爆文学の可能性

――J・W・トリート『グラウンド・ゼロを書く』にそくして――

成定 薫(広島大学大学院総合科学研究科/科学史・科学論)

 

1 総合科学とは

  『総合科学!?』(叢書インテグラーレ001)(総合科学部創立30周年記念シンポジウムの記録)

『越境のアドベンチャー』(叢書インテグラーレ006(総合科学研究科設立記念シンポジウムの記録)

  「21世紀の教養」シリーズ(全5巻)

 

2 科学史・科学論と原爆文学研究:私の「越境のアドベンチャー」

  偶然性:広島在住30年余を通じてのさまざまな出会い

  必然性:科学技術の所産=成果としての原爆の意味を文学作品を通じて考える

 

3 HP「広島文学館」http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/の開設とJ.W.Treat,

  Writing Ground Zero: Japanese Literature and the Atomic Bomb, The University

   Of Chicago Press, 1995, pp.xix487翻訳プロジェクト

 

4 『グラウンド・ゼロを書く————日本文学と原爆』の構成

  第一部

第一章  残虐行為を言葉に

第二章  ジャンルとポスト・ヒロシマの表象

第三章  三つの論争

第二部

第四章  原民喜とドキュメンタリーの誤信

第五章  詩自身へ抗う詩

第六章  大田洋子と語り手の位置

第七章  大江健三郎————ヒューマニズムとヒロシマ

第八章  井伏鱒二————自然、郷愁、記憶

第九章  長崎と人間の未来

第十章  原爆と核と全体性————小田実

第十一章 おわりに————そして、それから

 

5 原爆文学の作家と作品

  被爆作家とその作品

   原民喜(19051951)「原爆被災時のノート」(1945)、「夏の花」(1947

   大田洋子(19061963)『屍の街』(1948)、『人間襤褸』(1951)、『半人間』(1953

   峠三吉(19171953)『原爆詩集』(序詩「ちちをかえせ ははをかえせ」)(1951)

   栗原貞子(19132005)「生ましめんかな」(創作ノート「あけくれの唄」19頁、1945)、『黒い卵』1946、『栗原貞子全詩篇』(2005)、詩集、評論多数

   正田篠枝(19101965)『さんげ』(1947)

   林京子(1930~)『祭りの場』(1975)

  非-被爆作家とその作品

   井伏鱒二(18981993)『黒い雨』(1965

   大江健三郎(1935~)『ヒロシマ・ノート』(1965)、『日本の原爆文学』(全15巻)(1983)の編纂

   小田実(19322007)『Hiroshima(1981)

 

6 原爆文学の困難性

  「筆舌に尽くしがたい」事実、体験を言葉で表象することの困難性

  既存の文学観、文学概念に馴染まない困難性(文壇的権威および出版界・読書界による無視、否定)

 

7 三つの原爆文学論争

 第一次論争1952年〜1953年)

  『近代文学』 江口渙vs太田洋子

  志条みよ子「「原爆文学」について」(『中國新聞』)--「純文学」を擁護

  小久保均による調停的意見--原爆文学は成熟して本来の文学に組み込まれるだろう

 第二次論争1960年)(『中國新聞』紙上での論争)

  栗原貞子「広島の文学をめぐって--アウシュヴィッツと広島」--「広島文学会」(広

  島の文壇)の保守性を批判

  松本寛(「広島文学会」)--原爆は一編の記録映画でことたりる

  吉光義雄「原爆文学待望論を疑う」--原爆文学は人気がない

 第三次論争1970年代末〜1980年代初頭)

  1978年『文学界』座談会で、中上健次が林京子の『ギヤマン ビードロ』を批判

  1981年、中上は林の「無事--西暦1981年、原爆37年」を「原爆ファシスト」と批判

  論争の背景には「核戦争の危険を訴える文学者の声明」(1982120日)をめぐる

  反核派vs-反核派の論争があった

 

8 原爆文学の可能性

   近代科学技術の所産=成果として、原爆が製造され、実際に二つの都市(広島と長崎)に投下されたことによって近代文化・近代文明は全体として倫理的に破綻した。遅かれ早かれ(数年後、数十年後ではなく、数百年後、さらには数千年後であることを望むが)、人類の滅亡は不可避となった、と言わざるを得ない。いずれにせよ、ヒロシマ・ナガサキの以前と以後とで人類史は区分されることになろう。

 アドルノーは「アウシュヴィッツの後に詩を語ることはできない」と言ったが、全く同様に、「ヒロシマ・ナガサキの後に、近代的価値を刻印された人間観=ヒューマニズムに依ることはできないし、伝統的な文学観を踏襲することもできない」のではないか。原爆以前のヒューマニズムや文学観からすれば、原爆文学はローカルでマイナーなものに過ぎないが(原爆文学の困難性はここに由来する)、我々が生きている原爆以後の時代=核時代は、(あり得るならば)新しい人間観=新しいヒューマニズムを構築せねばならないし、(あり得るならば)新しい文学観を構築せねばならないだろう。

 「筆舌に尽くしがたい」事実と経験をあえて言葉に紡いできた原爆文学は、その手がかりを与えてくれるのではなかろうか。