成定・佐野・塚原(共編著)『制度としての科学:科学の社会学(科学見直し叢書 2)』木鐸社、1989年.


「群盲象を撫ず」の弁--序にかえて

                      成定 薫

 科学も科学者も真空の中に置かれているのではない。こんにち、科学研究は科学者集団(scientific community)による集団的営為として存在している。このことは、科学者の育成・誕生のプロセスを考えればよくわかる。科学に関心をもち、科学研究で身を立てようと決意した若者は、大学の理工学系学部や大学院でしかるべき訓練を受け、一定の資格を得て科学者集団の構成員となる。彼あるいは彼女は、この訓練の過程で、また科学者集団の中でのさまざまな経験を通じて、「科学的に重要な問題」とは何かを学ぶ。彼あるいは彼女は、その問題の中から自らの研究テーマを選定し、適正だとされている研究方法によってその解決につとめる。幸いにも期待通りの結果が得られれば(期待が裏切られることは少なく、期待以上の結果が得られることはめったにない)、それを論文にまとめ、当該分野を代表する学会誌に投稿し、好評する--「公表せよ、さもなくば身を滅ぼす」(Publish, or perish.)からである。そのような成果が、研究者仲間から一定の評価を得ることができれば、彼あるいは彼女は科学者としての認知を獲得したことになり、それに見合った褒賞--社会的地位(研究者としてのポスト)とそれに伴う経済的基礎や名誉等々--がもたらされる。このようにして一人の科学者が誕生し、彼ないし彼女は、研究の上でも社会的にも一層恵まれたポストを求めて、論文の生産に励むことになる。この一連のプロセスそのもの、そしてそれを通じて得られた所産の総体が「科学」に他ならない。

 それ故、科学者集団の構造と昨日、さらにそこで支配的なエートスやイデオロギーは科学という営みに、そして科学知識そのものに深いかかわりをもつことになる。一方、科学者集団にとってスポンサーでありクライエントでもある社会--具体的には、国家、産業界、一般市民など--と科学者集団との間には、科学研究の巨大化・高度化に伴って、さまざまな問題が生じており、その解決の方向が模索されている。本巻は、このような視点に立って科学者集団の形成をめぐる歴史的分析(第一部「歴史的展望」)を試み、その上で現代科学の現状分析にとり組んだ(第二部「現代科学の社会学的分析」)。

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 十七世紀のいわゆる「科学革命」(The Scientific Revolution)が、古代・中世的自然観から近代的自然観への変革をもたらした科学史上の最大の分水嶺をなしていることは衆目の一致するところである。しかし、十七・八世紀の科学は「自然哲学」(natural philosophy)としての色彩を強く帯びており、その担い手は概ねアマチュア--科学研究を職業としていない--であった。また、科学の成果が技術に応用されて大きな社会的インパクトを及ぼすというようなことはめったになかった。科学が、自然哲学と訣別し、高度な訓練を要する専門的な営為となったのは、十九世紀のことである。本書第一部「歴史的展望」がもっぱら十九世紀に焦点を合わせている所以である。この世紀を通じてヨーロッパで、また世紀末にはアメリカや日本で、科学知識の獲得とその応用は、近代国家にとって必須の課題であるとの認識が広まり、科学者は知的専門職(profession)の一つとなり、科学研究と科学教育は高等教育・大学に確固とした地歩を築いて制度化され専門職業化された。いってみれば、科学は哲学と手を切り、技術と結びつくことによって、その存在意義をアッピールすることに成功したのである。かくて、二度の世界大戦を経た二十世紀後半のこんにち、科学技術は一国家の命運のみならず、人類の存在それ自体の鍵を握るに至ったと言っても過言ではない状況が実現した。

 しかし、科学の専門職業化・制度化は決して容易に実現されたのではない。佐野論文「科学をめぐるイデオロギーの形成」は、科学が伝統的に有していた実用主義的イデオロギーが、十九世紀ドイツ大学の教養主義イデオロギーの挑戦ないしは洗礼を受け、その相克の中から両者を統合した科学技術観--我々もそれを共有しているといってよいだろう--が誕生するプロセスを解明している。ドイツで実用主義と教養主義の相克があったとすれば、イギリスでは、科学研究に対する公的パトロネジ(支援)の是非をめぐって、激しい論争があった。すなわち、一方に、科学研究はあくまで個人の責任で遂行すべきだとの、伝統的な立場に固執する人々がおり(「個人主義的教養主義ということもできよう)、他方に科学研究の実際的意義を強調し、科学研究の高度化・専門化に伴う経費の増大を公的パトロネジで賄うべきだと訴える人々がいた(「国家主義的」実用主義か)。科学研究に対する公的パトロネジを求めた人々は、現代の「科学立国論」の先駆者だったといえよう。成定論文「科学立国論の系譜」に登場するL・パストゥールやG・ゴア、高田論文「科学におけるパトロネジ」のA・ストレンジやN・ロキャーがそうであり、彼らは科学者集団と一般世論を啓蒙して、科学研究や科学者自身に対する経済的かつ精神的支援をとりつけようと尽力した。

 理由はともあれ、十九世紀のイギリスには、G・B・エアリやR・A・プロクターなどの科学研究に対するパトロネジに反対する科学者が存在したことは興味深い。歴史の後知恵で見れば、彼らは、科学の発展の足を引っ張った「保守反動」ということになるだろう。しかし、塚原論文「科学技術に対する政策的対応」でも論じられているように、科学技術に無際限に資源を振り向けることができない以上、パトロネジを求める科学技術者の言い分を無批判に鵜呑みにするわけにはいかないことも事実である。

 ヨーロッパの動きは、当然にも、大西洋を隔てたアメリカの高等教育・大学にも影響を及ぼした。橋本論文「世紀転換期アメリカにおける科学技術と大学」は、科学と技術との関係をめぐる教養主義と実用主義の相克を、ジョンズ・ホプキンズ大学の創設にかかわったD・C・ギルマンやH・A・ローランド、さらにはマサチューセッツ工科大学の改革にかかわったA・ A・ノイエスやW・H・ウォーカーらの思想と行動に即して分析している。そこで明らかにされるように、世紀転換期には、産業界の圧倒的な財力が大学の運営に、また大学人の意識や行動に影響力を振るい始めた。

 元来、科学者を含む大学人は、「象牙の塔」にたてこもって、一定の自律性を確保していた。アメリカの社会学者R・K・マートンが科学社会学の分析対象にしたのは、外部社会から相対的に独立し、独自のノルム(規範)に律せられたアカデミズム科学者であった。山崎論文「科学の生産性とその階層構造」は、マートン流の科学社会学の概念と手法を駆使して、科学者の論文生産性という観点から、アカデミズム科学者の行動様式を数量的に分析したものである。

 しかし、科学に対する国家や産業界のパトロネジが強まる--それ事態は、大多数の科学者が水垢ら望んだことなのだが--につれ、アカデミズム科学は変容を余儀なくされた。松本論文「科学者集団と産業化科学」は、二十世紀後半の産業化科学にあっては、もはやアカデミズム科学で想定されていたノルムが昨日していないことを論じ、科学の実像に迫るには、マートン竜の科学社会学に代えて科学者集団の自律性の基盤を捉える新たな分析枠組みが必要な事を指摘している。

 現代の科学は、技術と結びついて社会の中で巨大な存在となっており、国家や産業界の強い利害関心の対象となっている。そのような利害関心を科学に直接もちこむことは、短期的にはともかく、長期的には個々の科学者および科学者集団の自発性・創造性を損ない、結果的に科学の発展を疎外する場合が多い。かといって科学者集団の自発性に全面的に任せておくには科学という存在はもはや大きすぎる。そこで、塚原論文「科学技術に対する政策的対応」が実証的に論じているように、科学をマネジメントの対象としてとらえ、科学研究に対する合理的な資源配分を政策レベルで論議し決定することが不可避となってきたのである。

 科学政策の確立が、科学に対する国家権力や産業界のコントロールを強めるだけの結果を招かないためには、科学政策に対する一般市民--納税者として科学の真のスポンサーであり、生活者として科学の成果の最終ユーザーでもある--の発言の場が確保されねばならない。そのためには、科学の現状に関する的確な情報の提供と討論の場が不可欠である。科学ジャーナリズムの意義はここにある。かくて、科学・科学者手段と一般社会との接点にあって、科学情報・科学知識の流布・啓蒙に努める一方で、科学研究の方向や科学者のモラルに対する監視・批判を任務とする科学ジャーナリズムの役割はますます大きくなっていくであろう。下坂論文「科学におけるジャーナリズムと大衆」は、霊を地震学自身・火山爆発騒動にとりながら、権威主義的でもなく、センセーショナルでもない、科学ジャーナリズムのあり方を考察している。

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 本書は、現代科学の制度指摘・社会学的分析を通じて、近代科学から現代科学への変容のプロセスとその意味を考察することを目的としている。執筆者たちは、日頃から議論を重ねてきているが、科学そのものの巨大さと複雑さの故に、必ずしも意見が一致しているわkではない。そのため、本書は「群盲象を撫ず」に終わっているかもしれない。とはいえ、執筆者たちは、本書における分析が、科学という巨象を理解するために不可欠の作業であるとの確信においては一致している。


成定・佐野・塚原(共編著)『制度としての科学:科学の社会学(科学見直し叢書 2)』木鐸社、1989年、pp. 7-12.