書評:G・L・ギーソン(長野敬・太田英彦訳)『パストゥール――実験ノートと未公開の研究』青土社、2000年、373+29頁。
ギーソンは、本書の冒頭でパストゥールについて次のように述べる。
パストゥールは謙遜、利己性のなさ、優れた倫理的行動、あるいは政治的・中立のお手本などではなかった。彼は常に「一番目」でも「正しかった」わけでもなく、通常受け入れられている「科学的方法」の厳格な実行者でもなかった。しかし彼は自分の見解を唱えるのにいちじるしく効果的そして説得的であり、そして彼の概念と技術は、広い範囲の重要な科学的問題の追求において限りなく実り多いものだった。これらの基準によって、彼はこれまで現れた最大の科学者の一人という名声にふさわしい。(本書、21-2頁)
このようなパストゥール像は、伝統的・通俗的な「科学の偉人」としてのパストゥール像の抜本的な見直しを迫るものである。
実は、ギーソンは長年、既存のパストゥール像の見直し=脱構築に取り組んできた科学史家である。その成果は、すでにファーレイとの共著論文「19世紀フランスにおける科学、政治、自然発生――パストゥール・プーシェ論争」("Science, Politics and Spontaneous Generation in Nineteenth-Century France", Bull. Hist. of Med., 1974, vol.48, pp., 161-198.)という有名な論文や、『科学者人名辞典』に寄稿した浩瀚なパストゥール伝("Pasteur, Louis", in Ch.Gillispie (ed.), The Dictionary of Scientific Biography, 1974, vol.10, pp.350-416.)として発表されている。この二つのパストゥール研究は、科学史の専門家の間で高い評価を得ている。したがって、科学史を学ぶものの間では、伝統的な偉人伝的パストゥール像、すなわち、卓越した実験家であるとともに、科学研究を通じて人類愛を追求した類い希な人物というようなパストゥール像の見直し=脱構築は、すでにある程度まで進んでいた。
しかし、一般の人々の間では、また、科学の歴史を関心をもつ多くの人々の間でも、今もパストゥールの娘婿ヴァレリー・ラドが1900年に著した伝記『パスツール傳』(桶谷繁雄訳、白水社、1953年)によるパストゥール像が生きているのではなかろうか。ヴァレリー・ラドが周到に構築した「聖人科学者」的パストゥール像は、本書第「10章 パストゥールの神話」に詳しく述べられているように、その後数多く書かれたパストゥール伝によって拡大再生産されてきたし、1936年にアメリカで制作された映画「パストゥール物語(The Story of Louis Pasteur)」(W.ディターレ監督、P.ムーニー主演)などを通じて広く流布してきたからである。ちなみに、映画「パストゥール物語」はいち早く我が国に輸入され、制作年と同じ1936年に「科学者の道」という題名で公開されている。制作直後の輸入・公開には、我が国で戦前から今日まで続く、道徳教育的見地からする、偉人伝的科学者像に対する強い期待が感じられる。
さて、ギーソンが、ヴァレリー・ラド以来の偉人伝的パストゥール像を脱構築するにあたって武器としたのは、パストゥールの残した100冊を越える膨大な実験ノートである。結晶の光学活性と不斉性の研究から始まって、発酵が微生物の働きによるものであることを解明し、動物および人間の伝染病の原因とその予防の研究へと展開したパストゥールの長年の研究活動は、逐一、彼自身によって実験ノートに書き留められていたのである。この実験ノートは、1964年にパストゥール家からパリの国立図書館に寄託され、現在は公開されている。ギーソンはこの実験ノートを詳細に分析することによって、あたかも「パストゥールが些末から深遠まで各種の実験を計画し実行しているのを、肩越しにのぞき込んでいる」(本書、20頁)かのように、パストゥールの思考と研究プロセスを再構成してみせたのである。
科学研究の現場を参与観察することによって、科学者がどのようにして実験を行い、実験結果から科学知識を紡ぎだしていくのかを分析記述する「科学の人類学」という手法がある(B.ラトゥール『科学が作られているとき――人類学的考察』川崎・高田訳、産業図書、1999年)。ギーソンはラトゥール流の「科学の人類学」を強く意識しており、実験ノートの徹底的な分析という手法は、一種の歴史版「科学の人類学」ともいえる。また、ギーソンは自らの研究手法を特徴づけるにあたって「私的科学(private science)」というユニークな概念を提起しており、原著のタイトルにも採用している。ギーソンは、「私的科学」について、次のように述べている。
本書全体を通じて、「私的科学」という語を、多少とも「舞台の裏」で進められている科学的な活動、技術、実行、考えを指すという形式張らない意味で、私は使ってゆくだろう。(本書、18頁)
実験ノートなどにみられる「私的科学」と学会発表や科学論文などに表れた「公的科学」との間の微妙だが重要なズレから、科学者パストゥールの思考や研究戦略を解明し、さらには19世紀フランス科学界の階段を頂点まで駆け上がったパストゥールの処世術までを解明していくギーソンの水際だった論述は見事という他はない。
しかし、「私的科学」という概念は誤解を招く可能性がある。「私的」という語から、直ちに「プライバシーの侵害」が連想され、パストゥールが隠していたこと、隠しておきたかったことを、ギーセンが後世の歴史家の特権を用いて暴露する、といったニュアンスが生じてしまうからである。ギーソンもそのように誤解されることを予想して、予防線を張ってはいるが(本書、15頁以下)、「訳者あとがき」で紹介されているように、本書を単なる偶像破壊を意図した書物とみる向きもあるとのことである(本書、371-2頁)。
このような「誤解」は「私的科学」という用語ないし手法からくるだけではなく、根本的には、偉人伝的科学者像の脱構築に対する困惑ないし反発に由来するものであろう。とはいえ、もはや科学史研究が平板なサクセス・ストーリーや偉人伝に安住することができない以上、科学史家はこの種の批判や反発は覚悟の上で、歴史の中の科学と科学者に迫る努力を続けるしかないだろう。本書は、そのような努力が作り出した見事な成果、大きな収穫といえよう。日本語訳も的確で読みやすい。