大学の組織原理をどう再構築するか

--管理運営と教育・研究組織をめぐって--


 この研究セッションでは三つの報告とそれに基づく討論がなされた。冒頭で司会の吉田氏が示唆したように、このセッションでは主に二つの論点をめぐって報告・討論がなされた。第一に大学の管理運営のあり方、第二に大学における教育組織と研究組織のあり方である。

 周知のように、日本の大学は、戦前は主にドイツの大学を、また、戦後は主にアメリカの大学をモデルとしながら、日本的にアレンジして、管理運営され、また、教育研究がなされてきた。しかし、学問研究の変化と多様化、また情報化の進展に代表される経済社会の変化の中で、今日、我が国の大学の管理運営のあり方、教育・研究組織のあり方が抜本的に問い直されるに至った。その結果、1991年のいわゆる「大学設置基準の大綱化」を契機として、政府の大学・高等教育に関する政策レベルで大きな変化が生じ、これに応じて個々の大学レベルでも、大学組織の再構築のための模索が試みられているのである。このセッションでは、このような問題意識を前提として、再構築の試みをどのように評価するかををめぐって報告と討論がなされた。

 第一報告を担当した山野井氏は、広島大学高等教育研究開発センターでなされた「大学組織改革に関する調査」の結果を踏まえて改革の現状と問題点を整理するとともに、知識論を中核に据えて大学改革を理解するための新しい枠組みを提示した。この報告で強調されたのは、教育組織と研究組織の分離の動きであった。従来、大学は学部―学科―講座という階層的な組織を中心に運営されてきた。ポスト、予算、設備は、この組織に対して配分され、研究も教育もまた、この組織を基盤として営まれてきた。大学における管理運営も、「学部」自治を前提としてきた。学部―学科―講座という階層的な組織は、少なくとも大学教員にとっては分かりやすく安定していて居心地の良い効率的な組織である。しかし、反面、硬直的で柔軟性に欠ける。学問研究の変化や社会の変化に対応しにくいのである。このような問題点は、長年、大学の内外から批判されてきたところである。

 1973年、従来の大学の組織構造のマイナス面の克服を課題に掲げた新構想大学として筑波大学が設立された。第二報告を担当した桑原氏は筑波大学の副学長としての経験を踏まえて「筑波大学の実験30年」を語った。筑波大学が新構想大学と言われるゆえんは、第一に「教育組織(学群・大学院)と研究組織(学系)の分離」であり、第二に「全学自治(中央管理方式)の導入」であった。

 多くの大学が組織原理の見直しを迫られる中で、教育組織と研究組織の分離に着手し(例えば九州大学)、また、学部自治の壁を突破して全学的な視点からの大学経営を目指して学長・副学長を中心とした執行部体制の確立に腐心している現状からみて、30年前の筑波大学の「実験」は、まことに先導的な試みであったと言わねばなるまい。我が国の大学は、30年におよぶ筑波大学の「孤独な実験」(筑波方式を追随する大学がなかったという意味)から多くのことを学ぶことができるし、学ばねばなるまい。その点、桑原氏が、中央管理方式による迅速な意思決定などを挙げて筑波大学の組織原理のメリットを強調すると同時に、30年の実践の中で生じた学系制をめぐる問題点を率直に語ったことは特筆に値しよう。

 国際基督教大学(ICU)は第二次大戦後、アメリカのリベラルアーツ・カレッジをモデルに、一般教育を日本の大学に根付かせようと設立された比較的小規模の私立大学である。戦前以来の伝統を有し、国立の総合大学であった東京教育大学を前身とする筑波大学とは対極的な存在といえる。専門教育にこだわるあまり、ややもすれば一般教育を軽視する傾きのある我が国の大学にとって、高度なリベラルアーツ教育を目指すICUの存在と実践は、第三報告のタイトル「ICUの挑戦」と呼ぶにふさわしいインパクトをもっている。特に、第三報告を担当した絹川氏のようなリベラルアーツの理念を体現した人物が学長職に就いた場合は、「ICUの挑戦」のインパクトは一層大きくなる。

 絹川氏は学長の立場から、また、建学の理念としてのリベラルアーツ教育を実現する立場から、教授会権限の制約を訴えるとともに、カウンターパワーとしての理事会権限の強化を提唱した。というのも、ICUのような私学にあっても、人事とカリキュラムという重要事項に関しては、実際上、教授会が圧倒的な権限を有しており、理事会は教授会決定を追認するに過ぎない。そして学長は、教授会決定を理事会に伝える「メッセンジャーボーイ」としての役割しか期待されていない。一方、教授会は大学経営の根幹にかかわる財政については権限はなく関心も払わない。その結果、大学経営を無視ないし度外視した人事やカリキュラムが実行されかねないし、それを是正することは難しい。

 しかし、絹川学長は教員配置の見直しや建学理念の徹底といった問題をめぐって、強力な権限をもつ教授会に敢えて挑戦した(している)のである(「学長の挑戦」)。この挑戦がいかに激しいものであり、同時に、教授会の反発・抵抗がいかに強力であるかについては、総括討論の場で、質問者に答えるかたちで、絹川氏自らが紹介したICUにおける学長選挙の経緯からも伺い知ることができた。絹川氏は学長に選任されたプロセスでは必ずしも教授会の多数の支持を得ていたとは言い難いようである。「絹川学長の挑戦」のもつインパクトとそれに対する反発ががいかに大きいかを物語るエピソードと言えよう。絹川氏は、このような経験もふまえて、理事会の権限強化を訴えるとともに、そもそも教授会(教員集団)が選挙を通じて学長を選出するという仕組みに疑問を呈した。理事会が学長を選任し、必要があれば罷免するというアメリカ方式のどこに問題があるのか、と絹川氏は強く問いかけた。

 教授会と理事会(国立大学の場合は運営諮問会議)との関係、学長選出方法は、大学の管理運営の根幹に関わる大問題であるが、国立大学の法人化にあたってどのような制度設計がなされ、また、個々の大学でどのように運営されていくのであろうか。筑波大学の中央管理方式に対する評価とともに絹川氏の問題提起は広く議論されるべきであろう。

 以上の三報告に引き続いて行われた総括討論における論点をいくつか列挙しておこう。

 絹川氏が提起した理事会権限の強化については、理事たちは大学について的確な認識・見識を有しているといえるだろうか、理事に対する教育・啓蒙が必要ではないかという疑問が出された。これに対して、絹川氏は「理事のためのセミナー」を計画していると応答した。

 筑波大学に続いて研究組織(研究院)と教育組織(学府)を分離した九州大学のスタッフからは、教育充実のためのさらなる改革が必要ではないかとの危惧が示された。教育軽視に対する危惧は、大学院重点化(大学院講座化)を実施した大学関係者からもしばしば表明されている。この間の大学改革の動きの中で、大学人の間で研究志向(研究業績至上主義)が一段と強まっていることを反映していると思われる。今後、教育改革(教養教育および専門教育)をどのように実質あるものにしていくかは個別大学にとってはもちろん、我が国の大学全体にとって大きな課題であろう。

 総括討論の最終質問者から、大学院重点化および研究組織と教育組織の分離を中心とした一連の大学改革について、大学改革の方向と組織原理が見えないという根本的な疑問が提起された。質問者は、新しい名称(研究院、学府、学環など)の分かりにくさに組織原理の混迷が象徴されていると指摘した。

設置基準の大綱化以降の大学改革が、個別大学による多くの試行にもかかわらず、まだ明確な組織原理を見いだしていないのではないかとの指摘は、国立大学の法人化を目前に控えて、「大学の組織原理をどう再構築するか」という当研究セッションのテーマがいかに喫緊のテーマであるかを、浮き彫りにしてくれたといえよう。


広島大学高等教育研究開発センター編『大学組織の再構築 第29回(2001年度)研究員集会の記録』(高等教育研究叢書71)、2002年、pp.47-49.