G.ホワイト(山内義雄訳)『セルボーンの博物誌』(1789年)
第一部 自然の生態--ペナント氏宛の手紙
第1信 ハンプシア州セルボーン
セルボーン教区は、ハンプシア州の東端の一隅にあり、サセックス州に隣し、サリイ州かえらもほど遠くはありません。ロンドンの西南約50マイル、北緯51度、アルトンの町とピータースフィールドの町とのほぼ中間に位しております。……この高原を覆っている樹木はほとんどがブナの木で、この木は、樹皮の滑らかさ、葉の艶やかさからみても、あるいはまた垂れ下がった枝振りの優雅さから言っても、森の樹木の中で一番美しいものです。草原丘は牧羊地になっておりますが、ここは美しい公園風の場所で、長さ約1マイル、幅はその半分の半マイル、丘陵地の縁辺に突き出ていて、その辺から傾斜は次第に緩やかになって平原となり、丘あり、谷あり、森あり、ヒースあり、水ありと、ものみなここに集まって、まことに見晴らしのよい所です。……
第5信 勤勉な人々
セルボーン村と、農園があちらこちらに離ればなれになっていて、家が森の縁に沿って散財しているオークハンガー部落(セルボーンの東北にあたる)には、670余の人々が住まっております。
ここの人たちは、たいてい貧乏です。が、ほとんどみな真面目で勤勉で、窓ガラスがはいって、2階建てになっている、こぎれいな石造りの家や、煉瓦造りの家に暮らしております。土造の建物は全然ありません。……以前は、冬季には、羊毛紡ぎに大童でした。これは当時夏衣としてたいへん流行して、主として隣町のアルトンでクェイカー教徒と呼ばれる人たちの作っていたパラゴンズという上品な綾織物を作るためのものです。けれども、ある事情のために、この職業は、今は跡をたっております。村人たちは、健康に恵まれ、長寿を授かり、教区には子供が氾濫しております。
第8信 三つの湖水
……
森の現在の境界内には、ホグマー、クランマー、ウルマーの三つのかなりの湖があります。どれにも、コイ、ウグイ、ウナギ、それにスズキが入れてあります。けれども、水は餌に乏しく、水底には藻も苔も生えておりませんので、魚はあまり繁殖しません。
これらの池について、ある一つの事柄--決してこれらの池にだけ限っているわけではありませんが--を黙って見逃すことはできません。それは、次のような牛の本能についてでありまして、夏の暑さの激しい時刻には、牡牛も、牝牛も、仔牛も、さてはまだ仔を生まぬ娘牛も、牛と名のつくほどのものことごとくが、常に池に退散することなのです。池には蠅も比較的少ないことですし、水の涼気を吸い込みながら、お腹まで水につかるものもあれば、足の中ほどまでのものもあり、朝の十時ころから、午後の四時ころまで、もくもくと口を動かせて鬱をはらし、それから食事に戻ってゆくのです。こうして、日中の大部分をすごす間には大量の糞を落とします。その糞には虫がわきます。こんなわけで、魚に餌を供給することになるのですが、この偶然がなかったならば、魚は餌に不自由することでしょう。偉大な経済学者である自然の神は、こうして、一つの動物の気晴らしを、他の動物の生活の資に変えてゆくのです。……
博物学者の夏の夕の逍遙--トマス・ペナント殿に捧ぐ
陽は傾きて、柔らかき微光を注ぐ、
池に流れに、蜻蝋(かげろう)は、よりて離れず、
梟(ふくろう)、音なく、青草原を掠め舞とぶ、
餌を求めて、おずおずと跳ね出ずる兎よ。
かかる夕、
ひそやかに谷に下り行く、
逍遙(さまよ)える郭公の物語り聞くべく、
タイシャクシギの喧(かまびす)しく連れ呼ぶ声を、
あるはまた、
いじらしきウズラの切々と悲しき心述ぶるを
雛づれの糧(かて)を求むに、時はすぎゆき、
暮れかかる野面(のづら)、矢の如く翳りゆく燕ながめん、
翼衰うることなく、速きこと目も眩む(くらむ)ばかり、
尖塔のまわり輪を描き飛ぶ雨燕(あまつばめ)見んかな。
面白の鳥よ! いざ言問わん、
霜怒り嵐狂うとき、汝が隠れ棲む所、何処なりやと。
麗(うら)らかに春たち帰り、
佐保姫の花の顔(かんばせ)、微かにも動くと見れば、
狂いなき本能の手に導かれて、何処より、汝帰り来るや、
かかる詮議は人間の愚かなる業、徒らにその穿鑿(せんさく)好む自負心を傷つけんのみ、
自然の神こそ、密かなる汝が案内者!
目はうつろいて、暮色漸く深まりぬ、
木陰なる、かしこのベンチに逍遙い(さまよい)行かん、
目に映るもの一色に黒ずみて黒白(あやめ)分かたず、
四方の眺め、色褪せて夜の帳(とばり)の中に沈みゆくまで。
ブンブンと羽音も高く、睡(ね)むげなる黄金虫の、傍近くサト過ぎゆくに、
あるはまた、蟋蟀(こおろぎ)の鋭(と)き鳴き声に、耳うち傾けん、
見ゆるべし、餌を求めて木の間ゆく蝙蝠(こうもり)の姿
聞ゆべし、遙かなる水のたぎり落つ音、
崖の上に、夜鷹は目覚めて、
静寂(しじま)なる薄闇の中に、声長く歌いいるなる、
空高く、空(くう)に浮みて、姿はしらね、
妻恋いて、ほのかにも、森雲雀(ひばり)の歌う唄声、
自然の工夫(たくみ)に心は膨(ふく)れ、
哀愁の喜悦は静かにも高鳴る、
想像の翼伸びゆくままに、痛みにも似し歓喜の情(こころ)、
頬の上に忍び寄り、ゆるやかに流るる血潮は沸々と湧きたつ!
田園の風光、音、香は、一つに解け合う、
りんりんと羊の鈴の音、牛の啼く声、
募りくる微風に香を放つ刈りたての乾草、
あるはまた、木の間より立ち上る賤(しず)が家の煙突の煙。
肌さす夜霧は下りくる、いざ行かん、
見よ、雌蛍はや雄蛍呼ぶ恋の灯を灯したり!
かくてまた、夜の帳(とばり)いまだ空を半ば覆わぬというに、
待ちがての乙女、空高く灯かかげぬ、
その合図に従い、恋の星「金星」に導かれて、
リアンダーは、思い人ヒーローのしとねへと急ぐ。
1769年5月29日