書評(12)
『西暦二○○○年問題の現場から』濱田亜津子(文春新書、一九九九年)
本誌が刊行されている二○○○年春には、それなりに決着がついているだろうが、現在(一九九九年年末)、多くのコンピュータが西暦二○○○年一月一日午前零時前後に誤作動するのではないか、ということが懸念されている。著者は、このY2K(西暦二○○○年の略)問題解決のために、コンピュータ・プログラムの点検・修整にあたっているシステム・エンジニアである。本書は、その多忙な仕事の合間に一気に書き上げられたとのことである。一般に、コンピュータ・ソフトウェアのマニュアルの読みにくさ、理解しにくさには定評があり、筆者は「コンピュータの専門家は文章を書くのが下手なのではないか」と思っていたのだが、幸い本書は素人にも分かり易く書かれている。
実は、著者は筆者の知人である。まだ文学部の学生だった著者に、コンピュータの仕事を手伝ってもらったことがあるのである。あれから十数年、著者はコンピュータの専門家となったばかりでなく、達意の文章家ともなった。一方、筆者にとって、コンピュータは未だに「魔法の箱」のままである。「後生畏る可し」(論語)とはよく言ったものである。
『東京大学物語−−まだ君が若かったころ』中野実(吉川弘文館、一九九九年)
本書は二一二頁の比較的小さな書物だが、その背後、あるいは土台には『東京大学百年史』(全十巻、東京大学出版会)の編纂・刊行という膨大な時間と努力が存在している。というのも、著者は編纂事業の開始当初から『百年史』の史料収集と編集・執筆の実質的な推進役として、編纂事業を成功に導いた功労者だからである。著者は『百年史』刊行後も、現在に至るまで、東京大学の大学史史料室に勤務して、将来の『百五十年史』あるいは『二百年史』編纂に向けて史料の収集と整備にあたっている。
著者は、ある会合で「大学史の編纂に携わる者は、決して〈生き字引〉になってはいけない。なぜなら、大学史編纂事業は、個人的努力によって担われるべきものではなく、制度的に継続性と発展性を持たねばならないからだ」と発言された。まことに適切な指摘ではあるが、それにもかかわらず、筆者には「中野さんは東大百年史の生き字引」と映る。その著者が、膨大な史料から選りすぐったエピソードを通じて、東京大学の創立期を描いたのが本書である。「書くべき人が書くべきことを見事に書いた」書物である。
『ハラスのいた日々』中野孝次(文芸春秋、一九八七年)
一九九九年春、娘たちにせがまれるかたちで、イヌを飼い始めた(名前はペオ)。イヌを飼うということはどういうことだろうか、と軽い気持ちで本書を読んで圧倒されてしまった。著者のイヌ(名前はハラス)に寄せる想い、愛情は並々ならぬものがあるからである。ちょっとした行き違いでハラスが行方不明となり、捜索にあたるが、なかなか見つからないという事件が起こる(「生涯の一大事件」)。この時の著者(とその夫人)の必死の想いと嘆きは、まさに鬼気迫るものがある。幸い、ハラスは著者たちのもとに戻ることができた。読者として、またイヌを飼っている者として、心底から「本当に良かった」と思った。
さて、毎朝五時半(!)に起きてイヌと散歩に出かけるのが習慣というか筆者の務めとなっている。娘たちは「お父さんはイヌ好きだね」などと気楽なことを言ってあまり世話をしない。夕方の散歩は主に妻の務めである。予想していた通りになってしまった。