書評(7)

M.スコット・ペック(森英明訳)『平気でうそをつく人たち−−虚偽と邪悪の心理学』(草思社、1996年)

 ベストセラー嫌いなのに、ベストセラーだった本書を思わず買ってしまった。身近に「平気でうそをつく人」がいるからである。この歳になって、「平気でうそをつく人」を身近に初めて知って、いささか狼狽していたのである。著者の分析によると、キーワードは「ナルシシズム(自己愛)」である。自分はあくまで正しい、したがって、何をしても何を言ってもいいのだ、という強い信念が生まれる。その結果、平気でうそがつけるというわけである。なるほどと合点がいった。しかし、私が「平気でうそをつく人」だとみなしている人物には、もしかしたら私がそのように映っているかもしれない。その辺が、人間という存在の面白いところでもあり、恐ろしいところでもある、と思う。

手塚治虫『ぼくのマンガ人生』手塚治虫(岩波新書、1997年)

 手塚治虫自身の自伝的文章を柱に、同級生、妹さん、友人(著者の苦境時代を支えた企業人)などからの聞き書きがあり、巻末に、やはり自伝的な作品と「年譜」が収められている。本書を通じて、著者の意外なまでの生真面目な人柄が伺えるとともに、著者の少年期のエピソードや、著者に身近に接した人々の暖かい眼差しを知ることができた。著者とその作品が一層親しいものに感じられるようになった。私自身は月刊誌で「鉄腕アトム」を読んだ世代だが、現在、小学生の娘が勉強の合間に「ブラックジャック」を読みふけっている(しかも三度目)。このように、世代を越えて読み継がれていく作品を残した手塚治虫はやっぱり「すごい」としか言いようがない。

マイケル・ギボンズ(小林信一監訳)『現代社会と知の構造−−モード論とは何か』(丸善ライブラリー、1997年)

 先年、あるところで講演する機会があった。社会の変化と科学技術の進展の中で、大学がかつての「象牙の塔」から、ネットワーク社会の一つの「結節点」(ただし、きわめて重要な結節点)になった、という認識に立つべきではないか。しかも、大学の位置ないし機能の変化は、われわれ大学人が好むと好まざるとにかかわらず進行しつつある、などと論じた。私の講演は、自らの狭い経験に基づいた表面的な感想のようなものにすぎなかったのだが、ギボンズら本書の著者たちは、大学を含む知識社会で現在進行しつつあるのは知のモード(様式)の変革であると論じている。講演の際、この「モード論」を知っていれば、もっと迫力がでたのに、と悔やまれる。