S・シェイピン(川田勝訳)『「科学革命」とは何だったのか−−新しい歴史観の試み』白水社、一九九八年、二二二 + Lvii頁。
本書は「科学革命というようなものはなかった、これが本書の主張である」(九頁)という衝撃的な書き出しで始まり、「「科学革命」という文化遺産は最終的には否定されるべきなのだ」(二○八頁)という、これまた衝撃的な結論で終わっている。
なぜ衝撃的なのか? かつてH・バターフィールドは「それ〔科学革命〕は、キリスト教の出現以来他に例を見ない目覚ましい出来事なのであって、これに比べれば、あのルネサンスや宗教改革も、中世キリスト教世界における挿話的な事件、内輪の交替劇にすぎなくなってしまうのである」と書いた(『近代科学の誕生』(渡辺正雄訳、講談社学術文庫、一四頁)。バターフィールドのこの問題提起によって、科学史研究は歴史学の一分野として確立することになったのであった。実際、科学史研究の末端に連なる評者も、その昔、バターフィールドの原著を読むことから科学史の勉強を始めたのだった。しかしシェイピンが言うように、科学革命などなかったとすれば、科学史研究の大前提は崩れることになる。科学史は、その存立の基盤を失うのだろうか?
そのような危惧は早とちりに過ぎない。シェイピンが言いたいのは、「これこそ「科学革命」であると言うにふさわしい特別な一回限りの事件が、ある特定の時代に特定の場所で起こったと考えてはいけない」(一二頁)ということであって、「十七世紀には、自然界についての信念と、その信念の獲得方法に変更を迫るような、自覚的で大規模な試みがあったと語ることはできる」(一五頁)のである。それを「科学革命」などという一枚岩的な言い方でくくることはできない、というのである。この辺の事情は、歴史学上の概念としては「科学革命」よりも老舗の「産業革命」について、イギリスの歴史学界で「産業革命はなかった」とする考えが通説になりつつある(川北稔「揺れる産業革命像」『朝日新聞』一九九二年六月九日付)という事態にも通じるものがあろう。
実際のところ、シェイピンは科学史研究の成果を縦横に駆使しながら「自然界について何が知られたか、その知識はいかにして得られたか、どんな目的のために役だったか」(二三頁)を順次、手際よく論じている。その意味で、本書を「十七世紀科学史」に関する、あるいは端的に「科学革命史」に関する最新の概説書=教科書として読むこともできるのである。
とはいえ、「科学を語るときにわれわれが用いる多くの範疇は、まさにわれわれが扱ってきた時代や社会の産物である……だから、これらの事柄についてのまったく新しい語りを創らなければ、不適切な「現代」の状況に囚われたままになるだろうと言われてきているのだ」(二○七頁)とする歴史記述の方法に関するシェイピンの自覚的なスタンスは、本書を従来の科学史書にありがちなサクセス・ストーリーとは無縁のものにしている。随所に「まったく新しい語り」の片鱗をみることができるのである。まさしく本書は、副題にあるように「新しい歴史観の試み」なのである。
また、シェイピンの記述が、自らの科学史研究の成果を踏まえて、十七世紀の機械論哲学について論じる際、最も生彩に富んでいるのは当然であろう。例えば、ボイル、デカルト、ニュートンらにおける学問観としての機械論哲学を論じ、彼らの間の微妙だが重要な違いを明らかにした上で、「十七世紀の自然哲学者たちは、さまざまな哲学的目標を達成するためのさまざまな実用的、概念的道具を所持しており、何をなすべきかについて一致した意見があったわけではなかったのだ」(一三一頁)との結論を引き出しているところなどに、科学史家シェイピンの真骨頂を見る思いがする。
訳者の本書に対する深い理解は、本書の原題The Scientific Revolution(科学革命)を著者の主張を忖度した邦訳題に変えたことにもみてとれるが、訳文も非常に読みやすい。また、巻末の膨大な「文献解題」のうち、邦訳のあるものについて丹念に言及されている。訳者の労を多としたい。