☆受講生のさんからメールが届きました。(津村-2)
作中でも見られたように、知能を持つということはとても残酷な側面を持っているとも言えるのではないかと思います。チャーリーも手術が成功したことで友達をなくしたと感じているし、その友達も逆に最初にチャーリー以上の知能を持っていたからこそ、チャーリーをあざ笑っていたのだと思います。
手術を行った教授も知能の発達を重視しすぎて、感情の発達を無視していました。序文でも取り上げられているように、思いやりや愛情が欠けた知能は精神病や神経症に繋がるというのは知能の残酷さが端的に表した部分だと思いました。
作者はこの作品を通じて、せっかく人間は高い知能を持っているのだから、思いやりや他人の立場に立って物事を考える機会を持ってほしいと世間に発信したかったのではないかと思います。
☆受講生のさんからメールが届きました。(津村-1)
弟の命と引き換えの母親の死を不条理だと感じたフランケンシュタインが、不死について研究するようになるところまでは、まだ博士は正常な行動をしていると思う。しかしその後、研究を踏み止まることができなかった博士は、不死の研究というよりも自分の研究が正しいということを証明したかっただけの行動に見えた。
実際は、完全な失敗とは言わないまでも不完全な結果に終わり、その責任も負うことができずに逃げ出している。その後も怪物を生み出した責任を負う、というよりも保身のために女の怪物を作ろうとしているようだった。
新しいことを始めるには何に関しても責任はつきものであると感じた。「死」を克服しようとした博士のような強い思い込みだけでは、期待するほどの結果は得られないのではないかと思う。