「サイエンス・スタディーズ演習」レポート
博士は、よくSF小説に出てくる科学者のような変わり者の老人として描かれている。自分の研究には非常に熱心に取り組むが、食事や身だしなみ等には全く気を配らず(そしてその世話をするのが「私」である)、世捨て人のような生活をしている。しかし、SF小説のように博士が奇想天外な事件を起こしたり発明したりするわけではない。博士の「特殊性」とは彼の記憶障害にある。
一九七五年、交通事故に遇った博士は事故当日以降に起こったことを記憶できなくなる。正確にいうと全く記憶できないわけではなく、八十分しか記憶できなくなってしまったのである。わかりやすくいえば、頭の中に八十分のビデオテープが一本しかセットできず、そこに重ね録りしていくと以前の記憶はどんどん消えていくという状態なのである。よって、博士は毎朝「私」とルートとは初対面ということになる。この設定が面白い。このような障害を抱えた人が実在するのかどうかはわからないが、完全なオリジナルだとしたら作者の小川洋子さんの発想力は大したものである。
また、博士は初対面の私に対してまず名前ではなく、誕生日や靴のサイズや電話番号を聞いてくる。さすがは天才数学者といったところだろうか。ただ変人なだけかもしれないが、博士なりのコミュニケーション方法だと思えば、質問される側もそれはそれでいいのかもしれない。もちろん、読者にとってはこれもかなり面白い設定である。
博士は変わり者ではあるが、マッド・サイエンティスト的なところはまるでない。むしろ、無欲で謙虚な愛すべき人物として描かれている。博士の愛しているものベスト・スリーは数学、子供、そして阪神タイガース(特に江夏豊)である。数学に関しては後で述べることにして、博士にとってルート(に代表される子供たち)は「自分たち大人にとって必要不可欠な原子」なのである。子供は大人が守ってやらなければならない存在だと思っており、ルートにも深い愛情を注いでいる。それも盲目的な愛ではなく、ちゃんとルートの意志を尊重して上手に付き合っている。ただ、ちょっと心配性過ぎてたまに突飛な行動に出るが、それもまた滑稽で楽しい。阪神タイガースについては、クッキーの缶の中に膨大な数の野球カードをコレクションしている。博士はルートや「私」に数学について色々な話をしてくれるが、決して自分の知識を自慢したりしない。知識のない者を馬鹿にすることもなく、むしろどんな小さなことでも相手を褒めるようにしている。さらに博士は、数学雑誌の懸賞問題に応募していくらかの賞金をもらっているが、お金にはちっとも興味を示さない。目的はあくまで問題を解くことで、しかもいかに美しい証明をするかということだけなのである。
この物語の中には、博士と「私」の数字にまつわるエピソードがいくつか出てくる。それらから博士の数に対する深い愛情と畏敬の念が伝わってくる。私が一番好きなエピソードは友愛数についてのものである。「私」の誕生日は2月20日で220、博士の腕時計の裏に刻まれている“学長賞No.284”の284、220の約数の和は284で、284の約数の和は220である。これら、「神の計らいを受けた絆で結ばれ合った数字」を友愛数という。博士にこのことを教えられてから「私」にとって全ての数字は美しく、意味のあるものになっていく。読み進めていくうちに私も「数学ってこんなに面白いものだったのか!」と思うようになった。数学に対して何か「無機的で冷たいもの」というイメージがあったが、博士にかかるとまるで古くからの友達のように思えてしまう。そして、小学校に入学して以来、私はその友達を随分ないがしろにしてきたなあ、と思う。
私は今まで数字は人間が発明したものだと思っていた。しかし、博士曰く「数は人間が出現する以前から、いや、この世が存在する前からもう存在していた」のである。確かに、数字そのものを発明したのは人間だが、数の概念や自然界における法則などは元々そこにあって、人間の手で公式や数式などの具体的な形となって現れただけなのかもしれない。博士は数学に対してもとても謙虚である。たとえどんなに難しい公式を証明したとしても、それはあらかじめ「神様の手帳」に書かれていたことであり、博士たち数学者は運良くそのページを見つけただけなのである。
博士は真実、という言葉を重要視している。そして、博士にとって数学は真実そのものである。博士は死ぬまでひたすら真実を追い求める。しかし、それは必死の形相を呈するようなものではなく、もっと静かで愛に満ちたもののような気がする。事故にあった日以降の思い出というものが博士にはない。その日、どんなに素敵なものを見たり素敵な人に出会ったりしても、次の日には記憶の片隅にさえ残らない。その日の真実は博士にとって一生実感できないものなのである。だからこそ、博士にとってたったひとつの真実である数学は、彼の人生の最も重要なパートナーなのだと思う。また、そうやって真実に近づこうとすることで、決して記憶に残らない日々を懸命に生きているのではないだろうか。博士の数学や子供に対する愛情は、この世界の根幹を成すもの、ひいてはこの世界そのものへの愛情に思えてならない。(2004.7.27提出)