放送大学教材「大学と社会」(2008年)、pp.113~125.
第9章「高度情報化社会と大学」
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本章の学習目標&ポイント
知識や情報を伝達、蓄積する手段(メデイア)の発達と変遷は、学問のあり方や大学・高等教育に大きな影響を与えてきた。16〜17世紀の科学革命はそれに先立つ印刷革命の成果ともいえるし、現代のコンピュータ革命とそれに伴う情報化社会の進展は、印刷革命を超えるインパクトを学問と大学・高等教育に、そして社会全般に及ぼしつつある。また、20世紀末から顕著となった社会と経済のグローバル化は、知と学問の体制を根本的に変容させつつある。長く大学と大学人を支配してきた「公共的な知と学問の体制」は「アカデミック・キャピタリズム的な知と学問の体制」に取って替わられるのだろうか。
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1 コンピュータの発達とネットワーク社会の出現
「印刷革命」と「科学革命」
15世紀の印刷革命は、知的・学問的営みのあり方を根本的に変革した。それまでの、写字生による写本では不可能であった、大量で安価なテクストの生産と流通は、面倒な書写や暗記から学者たちを解放した。その結果、信頼できるテクストを媒介にした学問的なコミュニケーション・ネットワークが形成され、精選された知識や情報を蓄積することが可能になったのである。コペルニクスの『天球の回転について』(1543年)から、ガリレオの『二つの世界体系についての対話』(1632年)やデカルトの『方法叙説』(1637年)を経て、ニュートンの『自然哲学の数学的原理(プリンキピア)』(1687年)に至る、16-17世紀の科学革命を可能にしたさまざまの要因のうちでも、印刷革命によるコミュニケーションの変革は、最も重要なものだったといえよう。
雑誌という新しいメディアが発明されたことも学者たちのコミュニケーション・ネットワークを効率的にし、濃密なものした。1660年に設立されたロンドンのロイヤル・ソサエティは、1665年、ソサエティの機関誌『哲学紀要』Philosophical Transactionsを創刊した。この雑誌には、会員以外の科学者や外国人科学者も含めて多くの人々の研究が報告・掲載された。雑誌というメディアの登場は、大部な書物を執筆するために必要な長い時間、出版社との面倒な交渉と多額の出版費用の工面といった苦労から、学者たちを解放し、アイデアと研究成果の迅速で安価な公表・交換を可能にした。
印刷メディアの登場は、学者たちの間での活発な論議・論争を促した。同時に、「先取権」priorityという概念も生み出した。すなわち、単行本であれ雑誌論文であれ、科学者が自らの名前を冠してその研究成果(新しい知識、発見)を印刷・発表するということが普通になってくるにつれ、科学者は、自らが見出した新しい知識に対して、第一発見者としての権利=先取権を有する、という考えである。むしろ、科学者を研究に駆り立てるのは、単なる知的好奇心というよりも、先取権を目指してのライバルとの競争心である、という状況が生じてきたのである。科学史上、有名なニュートンとフックとの間の科学論争と先取権争いはその代表例である。雑誌は最新の科学研究の成果を発表する場であるだけでなく、先取権を確保する手段としての役割をも果たすことになったのである。
その後、18-19世紀を通じて学問分野は次第に細分化され、さらに19世紀中葉には科学の制度化に伴って科学は専門職業となった(「科学者」scientistという英語は1830-40年代に造語された)。その結果、それぞれの専門分野は、独自の雑誌を刊行することによって、学問的アイデンティティーを確立しようと努力するようになった。かくて、一種の細胞分裂のように、科学の専門細分化がさらなる細分化を促し、その結果として、多くの専門的な科学雑誌が次々と創刊されるという、現代まで続く、際限のないプロセスが始まった。
情報は多ければ多いほど良い、したがって、雑誌の数も論文も多ければ多いほど良い、とは単純には言えない。雑誌の急増の結果、科学者たちは興味深い新しい情報や知識を迅速かつ適切に把握できなってしまったからである。いわゆる情報爆発である。そこで工夫されたのが、単行本や雑誌論文の概要・要約だけを掲載した「要約誌」や「論文カタログ」であり、専門的な「事典」や「ハンドブック」などであった。
「コンピュータ革命」
科学という営みは、一貫して指数関数的な成長を遂げてきた。すなわち、創刊された雑誌の数でみても、出版された論文数でみても、15-20年で倍増するという大きな成長率を示してきたのである。既存の雑誌も頁数が増えていった。要約誌に収録される論文数は急増した。情報爆発は一段と加速し、科学者たちの情報管理は危機的な様相を呈するようになった。
このような状況に救世主として登場したのが、コンピュータである。紙に印刷された雑誌とはちがって、コンピュータは記憶媒体に大量の情報を蓄積しており、必要に応じて情報を瞬時に検索して取り出すことができる。
1980年代になると、記憶容量が大きくなり処理速度が早くなったコンピュータが相互に接続され、情報を交換・共有できるようになり始めた。すなわち、コンピュータが通信の手段としても利用されるようになったのである。科学者たちは、長年の間、論文や著書といった印刷物とともに、会話・手紙・電話などによって、互いにアイデアや情報を交換してきたが、コンピュータという新しい通信手段が加わったことになる。
現在、インターネットと呼ばれている世界的な拡がりをもったコンピュータ・ネットワークの構築は、1969年から開発が始まったアメリカ国防総省高等研究計画局のARPANETプロジェクトに起源があるとされるが、ヨーロッパ合同原子核機構(CERN)の科学者たちの貢献も大きかったと言われている。近代科学の創始者たちがそうであったように、先端的な科学研究に携わっている現代の科学者たちは、アイデアや情報・データを可能な限り迅速に交換したいという情熱に突き動かされているからであろう。
以上の議論を次のようにまとめることができよう。
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種類 |
量 |
コスト (時間) |
コスト (費用) |
信頼性 |
安定性 |
写本時代 |
少 |
少 |
長 |
高 |
低 |
低 |
印刷革命(単行本) |
少 |
多 |
長 |
高 |
高 |
高 |
印刷革命(雑誌) |
多 |
少 |
短 |
安 |
高 |
高 |
複写革命(プレプリント) |
多 |
少 |
短 |
安 |
低 |
低 |
コンピュータ革命(インターネット) |
多 |
多 |
短 |
安 |
低 |
低 |
表1「学問・科学におけるコミュニケーションの変遷と特徴」
2
大学における研究・教育スタイルの変容
研究は電子ジャーナルを通じて
近年、文献情報だけではなく、研究論文そのものが電子化されて直接インターネットを通じて、「電子ジャーナル(オンライン・ジャーナル)」として「出版」されるようになった。当面は、従来の印刷物も併せて提供される場合が多いようだが、電子ジャーナルがさらに一般化すれば、論文を検索し、必要な論文・資料・データを引き出し参照した上で、自らの知見を加えて論文を執筆・投稿するという一連の作業が、ネットワークに接続されたコンピュータ端末を通じて行うことが可能になるであろう。実際、すでにかなりの数の研究者が、そのようにして論文を「読み」、「執筆し」、「発表」していると思われる。このような事態が一般化して、研究成果の公表ということには、必ずしも雑誌論文の印刷を含まなくてもよいということになれば、17世紀の科学者たちが案出した、研究業績の雑誌論文による公表とそれを通じての先取権の確保という三百年以上続いた科学の伝統が大きくかつ急速に変化する可能性がある。
教材の電子化、E-ラーニングの導入
情報化社会の進展によって、大学における研究だけでなく、大学における教育のスタイルも変化している。従来、大学教員の多くは、もっぱら黒板とチョークの助けを借りながら講義を行ってきた。複写技術の発達によって、プリントも多用されてきた。しかし、近年はパソコンで作成した講義内容を順次スクリーンに映しながら講義を進める、というスタイルが急速に普及している。パソコンで作成された講義内容は、講義時間以外でもインターネットを通じて閲覧することができる。学生は教室で質問することも可能だが、Eメールで質問し、レポートなどをメールで提出することもできる。教員もメールで受講者の質問に答え、送られてきたレポートを添削することもできる。
これを徹底して、インターネット上に教材を掲載し、学生は都合のいい時間と場所で、インターネットに接続して受講する、といういわゆるE-ラーニングも次第に導入されつつある。放送大学の場合、TVやラジオを活用して講義を行っているが、E-ラーニングではインターネットがTV、ラジオの代わりをするわけである。E-ラーニングの場合、教員と学生の双方向の通信が可能である点で、TV、ラジオによる講義よりすぐれているかもしれない。しかし、教材を全面的に電子化するには多大の時間と費用がかかること、受講にあたっては最新のコンピュータの購入と高速通信網への加入が不可欠であること、さらにメール(だけを)通じての質問と応答には多大な時間を要する(特に教員側)ことなど、多くの問題点が指摘されている。
図書館の電子化(電子図書館の構築)
近年では、前述の電子・ジャーナルなど電子出版が盛んになるとともに、図書館の電子化=電子図書館構想が盛んに議論されるようになってきた。電子図書館とは、図書館が所蔵している、書物そのもの、資料そのものを全部まるごと電子化し、それらの電子化された書物や資料をインターネットを通じて提供する、というものである。コンピュータの性能の向上とインターネットの登場が、電子図書館というアイデアを夢物語から実現可能なプロジェクトに変えたのである。実際、多くの大学図書館が電子化されつつある。また、上述のE-ラーニングを実質化するためには電子図書館の充実が不可避であろう。
既存の図書館と電子図書館を対比してみよう。
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既存の図書館 |
電子図書館 |
イメージ |
知識・情報の貯蔵庫 自律的な単位としての場所/空間 |
見えざる図書館(仮想図書館) グローバルな拡がりをもったネットワーク(WWWなど)の結節点 |
所蔵資料 |
文書(写本・図書・雑誌) 参考図書(データベース) 静止画(写真・絵画・地図) 映像・音声資料 |
電子ジャーナルなどのハイパーテキスト化されたコンテンツ(左記の資料をすべて含み、相互に参照可能) |
サービス |
保存・管理 貸出し/レファレンス 読書・研究空間の提供 |
資料のデジタル化と管理(国内外に向けた情報発信・資料提供が可能) スタッフの増強および再教育が必要 オンラインでのレファレンスとコンテンツの提供 読書・学習・研究支援(例:音声朗読/辞書・翻訳)の可能性 |
表2「既存の図書館と電子図書館」
電子図書館には次のような可能性が期待される、また、実際、かなりの程度実現している。
1 資料保存スペースを大幅に節約することができる。
2 利用がきわめて便利になる——利用者は、必要とする書物や資料に、端末を通じて、図書館内はもとより、どこからでも、いつでも、しかも瞬時に、アクセスし利用することができる。また、複数の利用者による同時利用も可能となる。
3 貴重資料の保存と有効活用が可能となる——電子化によって閲覧が容易になり、貴重資料の死蔵を避けることができる。
4 新しい「読書」形態やサービスが可能となる——資料の電子化によって、資料をマルチメディア化あるいはハイパーテキスト化することが可能となり、新しい「読書」形態が実現できるだろう。また、辞書・翻訳・朗読機能およびEメールなどを併用することによって、読書や学習活動を多様でインタラクティヴ(双方向的)ものにすることができるし、情報の利用・発信を促すこともできる。
3 「知のモード」の変容と大学
「知のモード論」
これまでみたように、コンピュータ革命とそれに続く高度情報化社会の進展によって大学における研究と教育は大きく変化したが、この変化を、知識生産の様式(モード)の根本的な変化と見ることもできる。
M・ギボンズらは、従来の知識生産の様式を「モード1」と呼ぶ。モード1とは、概ね、大学を中心としたアカデミズム科学的な研究のあり方、知識生産のモードである。科学者による、科学者のための研究であり、学問のための学問とも言える。したがって、知識生産は、もっぱら大学人の専売特許となっていた。また、大学人は、自ら生産した知識が、役に立つか立たないかについて、無頓着であった。知識の生産の場としての大学は、外部に対して閉じていた。「象牙の塔」にたてこもって、専門細分化した研究に勤しむ、というのが典型的な研究スタイルであった。
しかし、研究テーマが、社会の要請に応じる形で、例えば、地球環境問題といった広範で具体的なものになれば、研究は、当然にも、学際的・総合的にならざるを得ない。同時に、科学者は、研究テーマを設定しそれを遂行するにあたって、研究費を直接負担しているスポンサーに対して、あるいは広く社会一般に対して、自らの研究の意義とその成果に「説明責任」(accountability)を課されるようになってきた。また、こういった研究の遂行にあたって、大学・企業・官庁の研究者相互の、さらには一般市民との協力が必要となってきたが、実際、コンピュータ・ネットワークを通じて協力が可能な条件が整ってきた。かくて、大学における科学研究は、外部に対して開かれつつある。このような研究や知識生産のあり方が「モード2」と呼ばれるのである。
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モード1 |
モード2 |
目的・対象 |
科学 |
知識 |
担い手 |
科学者 |
実践家 |
問題の設定 |
学会 |
市場・社会 |
方法 |
デイシプリナリ |
トランス・デイシプリナリ |
技能と経験 |
均質的 |
非均質的 |
組織 |
階層的・永続的(大学) |
非階層的・一時的(プロジェクト・チーム) |
社会との関係 |
自由と孤独 |
説明責任 |
表3「モード1とモード2の比較」
知識生産のモード1と2は、互いに排除し合うものではなく、むしろ互いに競合あるいは補完し合うものだと考えられる。とはいえ、モード2の登場は、モード1の拠点であった大学の機能とイメージを変容させたことは確かである。すなわち、大学は、大学以外の知識生産拠点と積極的に連携することによって活路を見出さざるを得ないのである。現在のあるいは近い将来の大学は、かつての象牙の塔とは異なって、コンピュータ・ネットワークの結節点として機能し、知識の生産・蓄積そして継承に重要な役割を担っているといえよう。
4 「知と学問の体制」の変容と大学
アカデミック・キャピタリズム(大学資本主義)の登場
高度情報化社会の進展は、冷戦体制の崩壊とそれに続く経済のグローバル化とあいまって、知識生産のモードの変容に留まらず、大学・高等教育の世界をさらに大きな変革に巻き込みつつある。それは1980年代に始まり、1990年代以降、次第に顕著となってきたアカデミック・キャピタリズムの進展であり、公共的な知と学問の体制からアカデミック・キャピタリズム的体制への変換である。
1980年代以降、グローバルな市場における競争に勝ち抜くことを目的として、アメリカ、イギリスをはじめ欧米諸国で採用され、わが国も踏襲している新自由主義と呼ばれる経済政策の中で、規制緩和を通じて、国家・公共機能の民営化、市場化が進められた。従来、国家政府の役割と考えられてきた部門に企業的経営手法(ニュー・パブリック・マネジメント)が導入されるようになったのである。大学・高等教育についても、市場原理・競争原理の適用が強調され、大学における研究・教育の内容と経済社会のニーズとの適合性が求められるようになった。
また、大学・高等教育に対する公的資金投入が抑制されるとともに、競争的な資金配分へのシフトが生じた。その結果、大学および大学人は、より大きな資金=収入を求めて行動し始めた。いわば大学が企業のようになり、個々の教員も企業家あるいは資本家のように振る舞い始めた、というわけである。一部の論者は、この状況をアカデミック・キャピタリズム(大学資本主義)と呼んでいる。
知と学問の体制変換
アカデミック・キャピタリズムの進展は、大学および大学人の行動と価値観を急速に変化させつつあり、今や、知と学問の体制そのものが変化しつつあるのではないか、との指摘がある。すなわち、「公共的な知と学問の体制」(public good knowledge/learning regime)から「アカデミック・キャピタリズム的な知と学問の体制」(academic capitalist knowledge/learning regime)への変換が生じつつあるというのである。
公共的な知と学問の体制は、概ね前述の「モード1」に対応する。公共的な知と学問の体制のもとでは、遠くはフンボルト理念に淵源する伝統的な知識観・学問観が前提とされ、知識は市民が求める公共財とみなされる。また、公共的な知と学問の体制のもとでは、学問の自由が尊重され、研究者の知的関心に応じて研究テーマが設定され、その成果が学会で報告され、学生に教授される。主として大学でなされる先端的・基礎的な研究の中から、新しい知識の発見が生じ、その知識は思いがけないかたちで公共的利益をもたらす(場合がある)。
一方、アカデミック・キャピタリズム的な知と学問の体制は、概ね前述の「モード2」に対応する。アカデミック・キャピタリズム的な知と学問の体制知識のもとでは、知識の私有化と利益の獲得に重きがおかれる。その結果、公共の利益(福祉)よりも資金を提供した企業、研究を請け負った機関(大学)、発明に寄与した教員の利益が優先される。すなわち、アカデミック・キャピタリズム的な知と学問の体制のもとでは、科学研究と商業活動との違いはほとんど認められない。
二つの体制を次のように比較することができよう。
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公共的な知と学問の体制(19世紀〜20世紀末) |
アカデミック・キャピタリズム的な知と学問の体制(20世紀末〜現在) |
組織 |
大学は知的共同体 |
大学は市場経済の中のエンタープライズ(企業体) |
社会との関係 |
大学の孤独と自由(象牙の塔) |
説明責任、経営責任を問われる |
統治形態 |
大学自治(教授中心) |
経営協議会(外部の影響力強化) |
研究と教育 |
研究と教育の一致 |
研究と教育の乖離(分業) |
教員と学生 |
教員は研究者=教育者 学生は学問を通じて人格を陶冶 |
教員は(知の)資本家 学生は消費者 |
目標 |
真理探求 |
(有用な)知識生産、能力開発 |
知識生産のモード |
概ね「モード1」に対応 |
概ね「モード2」に対応 |
表4「知と学問の体制の比較」
現時点で、アカデミック・キャピタリズム的な知と学問の体制が公共的な知と学問の体制に取って代わったわけではない。二つの体制は、共存し、交差し、互いに補完していることになる。
アカデミック・キャピタリズムの問題点
知と学問のアカデミック・キャピタリズム的体制には多くの問題点がある。例えば、利益相反(Conflict of Interest)という問題がある。研究テーマや研究結果が、スポンサー(企業ないしは国家)の利害に左右される可能性がある、という問題である。最近報道された事例を挙げれば、ある薬品の効能や副作用を研究している研究者が、その薬品の製造会社から研究費を得ていた。この場合、真理の追求という目的とそれ以外の目的(経済的利害)との間に相反があり、研究結果を信頼することはできない。
また、総じて、アカデミック・キャピタリズム的な知と学問の体制は大学・高等教育に対する公的支援の根拠を危うくする。
二つの体制が共存していることによって、大学および大学人は二重の課題と責任を負わされていることになる。個々の大学は置かれている環境、持っている資源、設立以来の伝統に応じて、個々の大学人は自らの専門分野や学問観・大学観に応じて、二つの体制のいずれかに重心を置きながら、日々の教育研究に従事しているといえよう。
参考文献
○M・ギボンズ編著(小林信一監訳)『現代社会と知の想像——モード論とは何か』丸善ライブラリー、1997年。
○S・クリムスキー著(宮田由起夫訳)『産学連携と科学の堕落』海鳴社、2006年。
○S.スローター、L.L.レスリー(成定薫訳)「アカデミック・キャピタリズム」、広島大学高等教育研究開発センター『高等教育システムにおけるガバナンスと組織の変容(COEシリーズ8)』2004年3月、pp.79-101.
○成定薫「科学におけるコミュニケーション——印刷革命からコンピュータ革命へ」『科学技術のゆくえ』ミネルヴァ書房、1999年、pp.61-78。
○成定薫「情報化社会の進展と知の変容」、『情報倫理学入門』ナカニシヤ出版、2004年、pp.163-183。
○D・ボック著、宮田由起夫訳『商業化する大学』玉川大学出版部社、2004年。
○S. Slaughter and G. Rhoades, Academic Capitalism and the New Economy: Markets, State, and Higher Education, The Johns Hopkins University Press, 2004.(邦訳中)