スポーツと科学の間(1)−−ディシプリン・パラダイム・ルール
スポーツという営みないし制度と、科学という営みないし制度は全く別物、むしろ水と油のように異なるもの、敢えて言えば対立さえするものとさえ考えられているのではないだろうか。スポーツや体育に関心をもち、何らかのかたちでそれに携わる人々と、自然を実験的あるいは理論的に探求する人々は、関心においても資質においても全く異なる、としばしば考えられている。ありていに言えば、「体育系」と「理科系」とは別種の人間だということである。かく言う筆者もこれまで漠然とそのように考えてきた。
しかし、果たしてそうだろうか。中村が慧眼にも指摘しているようにスポーツと科学の間には、いくつもの重要な共通点があるのではなかろうか(1)。先ずはディシプリンという言葉を手がかりに考えてみよう。
ディシプリン
ディシプリンdisciplineという語を辞書で引いてみると、実に多様な意味がある。ちなみに名詞については以下のような訳語があてられている。
1 訓練、鍛錬、修行
2 懲戒、折檻
3 しつけ、規律
4 学科、専門分野
このような一見不可解なまでに多様な訳語群は、disciplineがディサイプル(disciple:門弟、弟子)の派生語で、Discipleと大文字で始めればキリストの十二使徒を意味する、などということを確かめれば、なるほどと合点がいく。
すなわち、弟子は宗教上の指導者=開祖の教えを訓練や修行を通じて学ぶ。しかし規律は厳しく、規律を破れば罰せられるし、破門される場合もあるだろう。そして、元来は宗教的な場面で用いられていたこの言葉が、学問ないし研究教育の場面にも適用されるようになった。学問上の指導者・教師と弟子・後継者との間には、宗教指導者とその弟子との間にみられる関係と類似の関係があるからである。科学者を目指す若者は、教授の指導の下、実験室での厳しく長い訓練を通じて、一人前の科学者となることができる。このようにして養成された科学者たちが学科を、あるいは専門分野を構成している。かくて、ディシプリンには「訓練」「懲戒」から「学科」「専門分野」に至る多様な意味が含まれることになったのである。
スポーツについてはどうだろうか。厳しい訓練や規律は、むしろスポーツにこそふさわしい。訓練をサボる、あるいはコーチの指導や規律に従わない選手には当然にも懲戒ないし制裁が加えられるだろう。このような試練をくぐり抜けた競技者・選手たちが、専門分野ならぬ各種のスポーツ競技を構成しているのは言うまでもない。ディシプリンに関する以上の議論を整理すると次の表のようになる。
制度 |
場所 |
形態 |
内容 |
宗教 |
僧院・道場 |
開祖から弟子へ |
教義 |
科学 |
実験室 |
教授から学生・大学院生へ |
専門分野・学科 |
スポーツ |
体育館・競技場 |
コーチから選手へ |
競技種目 |
規律・訓練の拠点としての体育館と実験室
ところで、ディシプリンとは、M・フーコーの名著『監獄の誕生−−監視と処罰』第三部「規律・訓練」の標題でもある(2)。フーコーはディシプリンを「身体の運用への綿密な取締を可能にし、体力の恒常的な束縛をゆるぎないものとし、体力に従順=効用の関係を強制するこうした方法こそが、規律・訓練disciplineと名づけうるものである」(3)と定義している。そして、フーコーは「規律・訓練の拠点」disciplinary blockとして、学校・兵舎・病院・工場そして監獄を挙げているが、これらの拠点における「規律・訓練は、独房・座席・序列の組織化によって、複合的な空間を、つまり建築的なと同時に機能的で階層秩序的な空間をつくりだす。定着を確保し、しかも循環を許容する空間である。その空間は個人別の小さい部分に分けられ、しかも操作的な諸関係をうちたてる。座席(=位置)を明示し、しかも値うちを示す。個々人の服従を、さらに時間的ならびに動作の最上の節約を確保する。それは混成的な空間である」(4)。スポーツがこれら「規律・訓練の拠点」でしばしば奨励されていること(これらの拠点は、多くの場合、その内部に「運動場」を持っている)、また、サッカー、野球など近代スポーツの多くが、競技者に対して明確に役割・機能分化した「ポジション」を割り当てることによって、競技場をまさしく「混成的な空間」として演出していることは、フーコーの規律・訓練に関する分析が、スポーツという営みないし制度にも見事に適合することを示唆している。
J・ラウズは、科学実験室laboratoryもまた、フーコーの言う意味での規律・訓練の拠点であると論じている(5)。実験室とは何か。ラウズによれば、実験室とは、自然そのものの中には見出すことの困難な「現象を現出する小世界」である。換言すれば、科学者は実験室の中に人工的な小世界を構築し、それを自由に操作することによって、データ(記号)を生産する。この操作を首尾よく行い、得られたデータに信頼性を与えるためには、実験室は、空間的に隔離され、絶えず監視されねばならず、得られたデータはきちんと記録され、分類されねばならない。このことは、フーコーが分析した規律・訓練の拠点において生徒・兵士・病人・労働者・囚人が、絶えず監視され、記録され、分類されるのと正確に見合っている。かくて、対象は異なる(人間/現象)が、実験室もまた、規律・訓練の拠点の一つだと、ラウズは言うのである(6)。
体育館ないし競技場が、そして科学実験室が、フーコーの言う規律・訓練の拠点だとして、これら規律・訓練の拠点の存在とそこでの実践は、どのような意味をもっているのか。フーコーは次のように言う−−「規律・訓練の発展は、まったく別種の経済に属する、基本的な権力技術の出現を明示するわけである。……かつて権力の経済を支配していた「先取=暴力」という古い原則にかわって、規律・訓練は「穏やかさ=生産=利益」の原則を採り入れる。その原則にもとづいて、人間の多様性と生産装置の多様化を調整可能にさせる、いわばそうした諸技術を現に用いているのだ(しかもこの生産装置という言葉でもって、単に、固有な意味での「生産」を意味するのみならず、学校における知と能力の生産、病院における健康の生産、軍隊の場合の破壊力の生産をも意味しなければならない)」(7)。スポーツと科学にそくして言うなら、これらの実践(スポーツ競技/科学研究)は、体育館や競技場を越えて、また実験室を越えて、より広い社会へと拡がっていくことによって、人々の生き方(例えば、健康・スポーツ志向)や世界との関わりかた(例えば、技術による自然の制御と支配)を大きく変え、「生産」ないしは生産の「効率」を極大化しようとする「権力の技術」だということになろう。
パラダイムとルール
パラダイムparadigmとは「一般に認められた科学的業績で、一時期の間、専門家に対して問い方や答え方のモデルを与えるもの」とは、あまりにも有名なクーンの定義である(8)。すなわち、科学者はパラダイムに依拠しながら研究を進める。前述の文脈にそくして言えば、厳しいディシプリンを通じて、それぞれの専門分野で前提とされ共有されているパラダイムを、修得した人々によって科学研究は遂行されている。クーンは、パラダイムに依拠してなされる科学研究を通常科学normal scienceと呼んだ。通常科学にあっては、問い方や答え方はもちろん、答えが存在すること、そして答えそのものもかなりの精度で予測できる。その意味では、通常科学はパズルないしゲームに似ている、とクーンは論じ、科学研究の大半は「パズル解き」puzzle solvingだと断じた。
このようなクーンの科学論は、パラダイムという概念があいまいだとの批判を浴びたし、自らの研究活動をパズル解きになぞらえられた科学者からの反発を招いた。しかし、批判と反発の激しさは、むしろクーンの科学論が、まさしく科学の本質を言い当てたことを裏付けているように思われる。
科学研究の大半はパズル解きないしはゲームだと言うとき、クーンは決して科学をおとしめているわけではない。むしろ、いかに早くエレガントに解に至るかは、優れた才能と技量をもった人々を夢中にさせる魅力をもった、スリリングな知的挑戦であることを含意している。実際、科学者たちは一番乗りを目指して日夜しのぎをけずっている。
一方、言うまでもないことだが、スポーツは一定のルール(規則・規定)の下、ゲーム(試合・競技)として行われる場合が多い。
「パズル解きとしての科学」「ゲームとしてのスポーツ」と並記すれば、その表面的な異質性とは逆に、近代社会における科学とスポーツの、本質的・根本的な意味での共通性が一層際立ってくる。
しかし、重要な違いも指摘しておかねばならない。それは、スポーツにおけるルールが非常に厳格に定められており、競技者は徹底的にそのルールに従わねばならないが、科学研究におけるパラダイムは、そのような厳格さをもたないということである。科学におけるパラダイムは、一連のルールとして記述できる部分もあるが、ルールには還元できない思想的要素あるいは暗黙知的な要素を多分に含んでいるのである(9)。しかも、決定的に重要なことだが、スポーツの場合、競技者はルールに違反することは厳禁されており、あえてルール違反をすれば、競技資格を失う。しかし、科学の場合には、パラダイムを乗り越えること、あるいは新しいパラダイムを提案することは(決して容易ではなく、また、挫折を余儀なくされる場合が多いとはいえ)、原則的には奨励されており、もし、成功した場合には、科学革命scientific revolutionの創始者としての名誉を獲得することができるのである。
文献および註
(1)中村好男「スポーツ環境としての科学」、中村敏雄編『スポーツ文化論シリーズ スポーツをとりまく環境』創文企画、一九九三年、一二九-一六四頁。
(2)M・フーコー(田村訳)『監獄の誕生−−監視と処罰』新潮社、一九七七年。
(3)同書、一四三頁。
(4)同書、一五二頁。
(5)Rouse, J., Knowledge and Power: Toward a Political Philosophy of Science, Cornell University Press, 1987.(現在、筆者らによって邦訳が進められており、近々、法政大学出版局より刊行の予定である。)
(6)ibid., pp.220-226.
(7)『監獄の誕生』、二一九頁。
(8)T・クーン(中山訳)『科学革命の構造』みすず書房、一九七一年、「まえがき」v頁。
(9)M・ポラニー(佐藤訳)『暗黙知の次元−−言語から非言語へ』紀伊国屋書店、一九八○年。
報酬システム
一般の経済社会では、一定の労働に対する代価ないしは報酬として賃金=貨幣が支払われる。人は受け取った貨幣で、さまざまな財やサービスを手に入れることができる。貨幣が経済社会で重要な役割を演じ、物神崇拝的とでも言うべき位置を占めているのはこのためである。
科学の世界で貨幣に似た役割を果たしているのは、研究成果に対する評価・認知の度合である。すなわち、科学研究の成果は、当初は口頭発表で、最終的には研究論文として印刷・公表publishされる。発表された研究論文は、その分野の研究者たちによって評価を受ける。評価は、「無視」の場合(低い評価)から、その分野にとって「新しく、かつ重要な意義をもつ」と同業科学者たちに高く評価される、すなわち「発見」だと認定される場合まで、千差万別である。科学者は、その評価・認知の度合に応じて、さまざまな報酬rewardsを獲得する。たとえ「無視」された場合でも、研究論文を執筆・発表したという事実は残るし、それは研究職への任用や昇進の際には一定の役割を果たす。まして、発見の名に値すると高く評価された場合には、科学者は多くの報酬を期待することができる。例えば、各種の科学賞が授与され、科学者は当該分野において有名人となり、さらには一般的な名声を獲得する場合もあろう。その結果、社会的地位が上昇し、それに伴って研究条件(研究のための資金・設備・スタッフ)も改善されるだろう。見い出された現象や法則にその科学者の名前が冠せられる場合(冠名)もあるかもしれない(1)。ともあれ、「科学者がなにを欲するにしても、それを獲得する道として認知が求められるのである。アカデミズム科学者の社会の報酬システムにおいて、認知は文字通りの通貨である」(2)。
スポーツの世界でこれに対応するのは成績ないし記録recordであろう。前回、「ディシプリン」という語にそくして論じたように、科学者が実験室で研究に勤しむように、スポーツ選手は体育館で、あるいは競技場で練習に勤しむ。来るべき競技会や試合に備えて、スポーツ選手の身体的能力や競技者としての技量は、「データ」として、逐一、記録され分析されるだろう。ちょうど、フーコーが「試験」について論じたように。すなわち、フーコーは『監獄の誕生』で、ディシプリンの手段としての試験について次のように述べている−−「試験はまた個人性を記録文書の分野の対象にする。試験はその背後に、人々のさまざまな身体および日時の次元で組み立てられる、微細かつ精密な記録文庫をそっくり残す。試験は個々人を、監視の分野の対象に加える一方では、書記行為の網目のなかで把えもするわけである。個々人をつかまえて定着させる分厚い記録文書のなかに入れるわけだ」(3)。スポーツ選手は、コーチの指導のもと、練習という名目で、日々「試験」を受けているともいえ、彼の技量と成績は、「微細かつ精密な記録文庫」として蓄積されている−−最近は、その記録文庫には、ビデオ映像やコンピュータ・データなどが含まれているだろう。
科学における評価・認知が、その専門性の故に、もっぱら同業者によってなされるpeer reviewのに対して、スポーツにおける成績・記録は、きわめて客観的な尺度(勝敗、タイム、距離など)によって測定される。そのため、卓越した成績・記録の保持者は、たちまち大衆的な名声、人気を獲得することができる。
以上の議論を次の表のようにまとめることができよう。
経済社会 |
労働 |
貨幣 |
財やサービスの購入 |
科学 |
研究(労働) |
研究成果に対する評価 |
名声、科学賞、冠名 |
スポーツ |
練習(労働) |
成績・記録 |
名声、スポーツ賞、メダル |
ノーベル賞とオリンピック
科学とスポーツの報酬の中で最もよく知られているのは、それぞれノーベル賞とオリンピックの金メダルであろう。
A・ノーベル(一八三三−一八九六)はダイナマイトの発明などで築いた巨万の富を遺したが、遺産の使い方について次のように指示した。すなわち、自分の遺産を基金にして、「人類に対して最大の貢献をした人たちに、賞のかたちで分配」するように、しかも「賞を与えるにあたっては、候補者の国籍はいっさい考慮されてはならず、スカンディナヴィア人であろうとなかろうと、もっともふさわしい人物が受賞しなくてはならない」(4)。この遺言に基づいて一九○○年、ノーベル財団が設立された。そして、いみじくも二十世紀の最初の年、一九○一年以来、毎年、物理学、化学、生理学・医学、文学、平和の五部門についてノーベル賞が授与されるようになったのである。(一九六九年以来、新たに経済学賞が制定され、ノーベル賞は計六部門となっている。)
ノーベルは、科学者が研究費について心配せず、研究に専念させたいとの考えをもっていた。そのため、賞金額は当初から大き目に設定された。その結果、ノーベル賞は発足当初から賞金額の大きさと国際性で注目を集めることとなった。さらに、二○世紀初頭、各分野で傑出した人物に次々に賞を与えることによって、ノーベル賞それ自体の権威を高めることに成功した。
ノーベル賞授賞式は毎年ノーベルの命日である十二月十日、ストックホルムでスウェーデン国王臨席のもとに大々的に行われ、スウェーデンの国家的行事となっている。ノーベル賞が、ヨーロッパの諸大国によってではなく、二度の世界大戦で中立を貫いた北欧の比較的小さな国スウェーデンによって取り仕切られていることが、この賞を存続させ、一層その権威を高めた。このようにして、ノーベル賞は各種の科学賞の中でもとりわけ注目度の高い賞となったのである。その結果、こんにち、ノーベル賞受賞者は超エリートとして破格の尊敬と処遇を受けるのが当然とされている。
ノーベルが遺言を残して亡くなった年、一八九六年に近代オリンピック第一回大会が、古代オリンピック発祥の地アテネで開催された。フランスのP・ド・クーベルタン(一八六三−一九三七)の発案と努力の成果であった。「参加国数はわずか一三カ国、選手総数三一一名、今日からは考えられない小規模のオリンピックではあったが、オリンピックの復興に命をかけたクーベルタンの念願が達成されたのである」(5)。
第二回はパリ、第三回はアメリカのセントルイス、第四回はロンドンと回を重ねたものの、オリンピックはそれほどの拡がりとインパクトをもつことはなかった。第二回大会などは、万国博覧会付属競技大会として行われるありさまだった。オリンピックが世界的な規模と拡がりをもつようになったのは、日本代表選手(二名)が初めて参加した第五回ストックホルム大会(一九一二年)であった。しかし、ベルリンで開催されるはずだった第六回大会は第一次世界大戦のため中止を余儀なくされた。
オリンピックを今日知られているような一大ビッグ・イヴェントに仕立てあげたのは、ヒトラーが主宰した第十一回ベルリン大会であった。古代ギリシャの競技場からベルリンの競技場までの聖火リレーや、宣伝映画やポスターなどを通じての空前の前宣伝のおかげで大会は盛り上がった。オリンピック開催を契機に、都市機能を整備するだけでなく、国威発揚を促すという狙いが、露骨に、しかし見事に成し遂げられたのであった。我が国の人々も女子二百メートル平泳ぎ決勝におけるラジオ中継で、アナウンサーによる「前畑がんばれ」の声援に、大いにナショナリズムをかきたてられたのであった。
第二次大戦後、オリンピックがこのような傾向をますます強めていったことは、一九六四年の東京大会や一九八八年のソウル大会を想起すれば十分であろう。
かくて、野心的な科学者がノーベル賞をターゲットに研究を進めるように(6)、スポーツ選手もオリンピックの金メダルを究極の目標とするようになったのである。そして、オリンピックの金メダリストは、ノーベル賞受賞者と同様、スポーツ界の超エリートとして、しばしば長期にわたって、高い知名度と多くの報酬を享受することができるのである。
「神話」の脱構築
ノーベル賞もオリンピックの金メダルも、決してカネで買うことはできない。科学者や選手の、高い資質とたゆみない努力と幸運が結びついた時に初めて与えられる、あるいは獲得できるのである。それ故、ノーベル賞受賞者と金メダリストに多くの人々は敬意を払い、少年少女たちは憧れ励みにするのである。しかし、科学とスポーツの報酬システムの頂点にある、ノーベル賞とオリンピックに問題はないのだろうか? もちろん、問題はある。
ノーベル賞についていえば、その入念で精緻な選考手続きにもかかわらず、人が人を評価するという困難さからは、免れることはできない。例えば、こんにちからみれば不適切な受賞者や受賞理由も散見されるし、受賞者が各部門三人以内と定められているため、当然受賞すべき人物が受賞に至らなかった場合もある(7)。また、ノーベル賞に対する過大ともいえる評価が、候補者と目される科学者らの間に、さらにはこれらの人々が属する機関や国家の間にいたずらな競争を煽り、「ノーベル賞獲り」が過熱するといった病理現象もみられる。
同じような問題は、オリンピックには一層露骨に現れている。国家や企業が有力選手を国威発揚や宣伝のために丸抱えにしていることは、すでに周知の事実である(ステート・アマ、企業アマの存在)。成績を向上させるために、薬物に頼るという病理現象(ドーピング)も頻発している。また、近年のオリンピックの商業化の行き過ぎが、国際オリンピック委員会IOCそのものを蝕んでいることが暴露されたことはまだ記憶に新しい。B・キッドが指摘しているように、オリンピック運動を支えてきた「スポーツは非政治的という神話」「スポーツの普遍性という神話」は今や脱構築されねばなるまい(8)。
ともに、二○世紀を彩ってきたノーベル賞とオリンピックは、果たして二一世紀を生き延びることができるだろうか?
文献および註
(1)冠名(エポノミー)現象については、新堀通也(編)『学問業績の評価−−科学におけるエポノミー現象』玉川大学出版部、一九八五年参照。
(2)B・バーンズ(川出訳)『社会現象としての科学−−科学の意味を考えるために』吉岡書店、一九八九年、六四頁。
(3)M・フーコー(田村訳)『監獄の誕生−−監視と処罰』新潮社、一九七七年、一九二頁。
(4)ノーベルの遺言の全文は、矢野暢『ノーベル賞−−二十世紀の普遍言語』中公新書、一九八八年、二一七−二二一頁に翻訳されて収録されている。
(5)池井優『オリンピックの政治学』丸善ライブラリー、一九九二年。
(6)G・トーブス(高橋・溝江訳)『ノーベル賞を獲った男−−カルロ・ルビアと素粒子物理学の最前線』朝日新聞社、一九八八年。
(7)科学朝日編『ノーベル賞の光と陰』朝日新聞社、一九八一年。
(8)B・キッド「クリティーク6/神話学」、A・トムリンソン/G・ファネル(編著)(阿里訳)『ファイブ・リング・サーカス−−オリンピックの脱構築』柘植書房、一九八四年、一四六−一七一頁。
科学における不正/逸脱行為
日本学術会議は、一九八○年に「科学者憲章」を制定した。そこには科学と科学者について次のような高邁な理念が述べられている。
科学は、合理性と実証をむねとして、真理を探求し、また、その成果を応用することによって、人間の生活を豊かにする。科学における真理の探求とその成果の応用は、人間の最も高度に発達した知的活動に属し、これに携わる科学者は、真実を尊重し、独断を廃し、真理に対する純粋にして厳正な精神を堅持するよう、努めなければならない(1)。
真理探究としての科学、また、その担い手としての科学者、というのが科学者憲章が前提としている、また、未だに世間一般で広く共有されている科学観・科学者像である。かつて、アメリカの科学社会学者R・K・マートンが、科学知識の客観性と信頼性は、科学固有のエートス(倫理的態度)や科学者集団を律する厳しいノルム(規範)によって保証されていると論じたのも、同様の科学観・科学者像に発している(2)。
科学者は、研究費の申請にあたって、あるいは研究成果の専門雑誌への掲載にあたって、その分野の専門家による学問的なチェックを受けねばならない。さらに、公表された研究成果は、同業者によって追試され、誤った、ないしは不正確な研究は摘発・批判される。いわゆる同僚評価(peer review)である。このように、科学者集団は、自主規制的かつ自己修正的なメカニズムを内包しているとされる。他の社会制度や人間集団とは違って、科学の世界に不正/逸脱行為が発生する余地など全くないかのようである。
しかし、前号で論じたように、科学の世界が報酬をめぐって一般社会と同様の、あるいはそれをしのぐ競争社会であるとすれば、不正/逸脱行為が発生する可能性が存在する。科学の世界で時折露呈したり摘発されたりする不正/逸脱行為は、虚偽の報告(データの捏造や改竄)と他人の業績の盗用に代表される。
この問題を徹底的に追及したブロードとウェードの書物『背信の科学者たち』の巻末には、「科学における欺瞞の事例」のリストが掲載されている(疑わしい事例を含む、という断り書きがついているが)。その中には、何と、G・ガリレイ、I・ニュートン、J・ドルトン、G・メンデルといった科学史上の大物の名前もある(3)。また、このリストには記載されていないが、大気圧の単位(ヘクト・パスカル)に名前を残している、十七世紀フランスの思想家・数学者・物理学者B・パスカルについて、彼の真空および大気圧に関する「実験データ」に重大な疑義を提出している研究もある(4)。
もっとも、何が不正/逸脱行為かの認定は、必ずしも容易ではない。例えば、研究の現場では、実験結果を整える−−グラフをきれいにする−−ために、実験データを「処理」することが日常的に行われている。予測値から大きくはずれているデータを何らかの理由をつけて(あるいは理由なしに!)「捨てる」といった処理である。この種の作業を迅速かつ的確に行う研究者が「有能な」研究者とみなされる。しかし、この種のデータの「処理」とデータの「改竄」との間には、それほど明確な区別があるわけではない。また、或る科学的発見について一番乗りを果たせなかった、すなわちプライオリティ(先取権)を獲得できなかった科学者は、しばしばアイデアやデータの盗用の嫌疑をかけられるが、実際に盗用行為があったのか、あるいは科学史上しばしば見られる「同時発見」であったかの判断は容易ではない。
科学史上の事例はさておき、ブロードとウェイドが指摘しているように、科学研究が職業化し、さらに科学研究室が論文生産工場と化しつつある現代科学の状況を考慮せねばならない。そこでは、一見、極めて効率的に科学研究が遂行されているように見えるが、そのような状況では、しばしば業績至上主義と立身出世主義とが結びつきやすい。こういった雰囲気の中で、「野心的な」科学者が、他人の業績の盗用に走る。また、研究チームの下層にいる科学者が、研究によってもたらされる報酬がエリート科学者に集中する状況に嫌気がさして、あるいはシニシズムに陥って、データの捏造や改竄に手を染める。さらに、現代にあっては、科学(および技術)が経済的・政治的利害に深く関わることになった結果、組織的ないし政治的な圧力が、科学者・技術者にデータの捏造といった不正行為を強要するという事例もあるだろう(5)。
不正/逸脱行為が発覚した場合、その科学者は科学界からの追放を含む処罰を受けるだろう。しかしブロードとウェイドが指摘しているように、不正/逸脱行為は、科学に備わっているはずの、論文の査読や追試といった自主規制的・自己修正的メカニズムでは、めったに摘発できないという深刻な現実がある。すなわち、不正/逸脱行為はめったに発覚しないのである。遺憾ながら、ピア・レビューは、実際上、ほとんど機能していないのである。
いずれにせよ、科学における不正/逸脱行為を、科学という営みにとって、あってはならない、あるはずのない特異な行為と考え、結果的に無視するのではなく、現代科学の構造に由来する、ある意味で必然的な病理現象だとの認識が必要であろう。
スポーツにおける不正/逸脱行為
古来、「健全な精神は頑強な身体に宿る」という言い方があるように、人間の営みの中で、スポーツは健全かつ純粋でフェア(公正)な営みの代表のように考えられている。しかし、ピア・レビューによって健全さが保証されているはずの科学の世界に不正/逸脱行為がみられるのと同様、健全で純粋なはずのスポーツの世界にも不正/逸脱行為を指摘することができる。前回にも言及した、ドーピング(薬物使用)である。
一九八八年、ソウルで開催されたオリンピックの男子陸上百メートル競走で、ライバルのC・ルイス選手(アメリカ)を破って9秒79の驚異的なタイムで優勝したB・ジョンソン選手(カナダ)がドーピング(筋肉増強剤スタノゾロールの服用)を理由に金メダルを剥奪された事件は、その衝撃があまりにも大きかったためであろうか、まだ記憶に新しい。
ドーピングには、化学的、理学的、心理学的なものがあり、「人体にとって異常である全てのもの、または、生理的なものであっても、それが異常に大量かつまた異常な方法で、健康者によってもっぱら競技能力を高めることを意図して、人為的または不正に用いられた場合を示す。心理的方法による場合も、同様である」と国際的に定義されている(6)。問題となるのは、もっぱら化学的ドーピングである。実際、IOC(国際オリンピック委員会)は、興奮剤、麻薬、筋肉増強剤などについて禁止薬剤リストを制定してそれら薬剤の使用を禁止している。ジョンソン選手は、これに違反したためにせっかく手に入れた金メダルを剥奪されただけでなく、陸上のトップ・アスリートとしての生命を実質的に断たれたのであった。
そもそも、どうしてドーピングは禁止されねばならないのだろうか? 禁止の理由としては、
1. 選手の健康を損なうという医学上・健康上の理由
2. フェアプレーの精神に反するという倫理上・道徳上の理由
3. 社会悪を生むという社会上の理由
があげられている(7)。スポーツにおいてドーピングが不正/逸脱行為であることに議論の余地はないように思われる。
しかし、1については、選手自身が健康を損なうことと、より高度なパフォーマンスを実現することを天秤にかけて、あえてドーピングを選択していると考えられるが、それを第三者が批判・禁止する根拠があるのだろうか。2については、何がフェアプレーかという考え方は、時代によって変化する。例えば、一昔前までは、オリンピックをはじめアマチュア競技とプロ競技とは全く別のものと考えられており、プロの選手がアマチュア競技に参加するのはアン・フェアなことだとされていた。しかし、近年は競技の質を高めるためと称して、オリンピックにプロ選手が参加することがむしろ奨励されるようになりつつある。有名プロ選手の競技への参加がTV放映権料の値上げを可能にするという事情があるからだろうが、最高のパフォーマンスを求める観客あるいは視聴者もそれを当然視するようになった。(筆者は、未だに違和感を払拭できないでいるが。)3についても、何が社会悪かは、時代や分野によって、微妙にあるいは大きく異なり変化する。例えば、スポーツと賭博(ギャンブル)との結びつきについては、一般に不健全(社会悪)とされているようだが、競輪や競馬については昔から公営賭博が行われているし、サッカーについても近い将来「サッカーくじ」が発売されることになっている。いずれ、高校野球やプロ野球について、あるいはオリンピックの各種競技について、賭博なりくじなりが行われるようになるかもしれない。一九九八年にアメリカ大リーグのホームラン記録を大幅に塗り替えたM・マグワイア選手は、公然とアンドロステンジオンやクレアチンといった筋肉増強剤を使用していると伝えられているし、マグワイア選手のライバルであるS・ソーサ選手もクレアチンを服用しているという。大リーグでは筋肉増強剤の服用が禁じられていないので、何ら問題はないという。ジョンソン選手は金メダルを剥奪される一方で、マグワイア選手やソーサ選手は賞賛される、というのではいかにも公平さを欠くではないか。
このように考えてくると、科学における不正/逸脱行為の認定と摘発が困難であるのに似て、スポーツにおけるドーピングを不正/逸脱行為とする論拠は必ずしも明白とはいえないのである。
「科学倫理学」と「スポーツ倫理学」
純粋な世界とされていた(されている)科学やスポーツの世界に不正/逸脱行為が存在することを指摘し、それについて論じることは、科学やスポーツを、あるいはそれに関わる人々を貶めることでは決してない。科学やスポーツも、特別のものではなく、ごく普通の人間的営みであることを確認することにすぎない。人間的営みには、常に正と負、あるいは光と陰の両面がある。科学やスポーツについても、両面を捉えることが肝要であろう。
そして、科学における不正/逸脱行為に率直に向き合い、そのような行為を未然に防ぐための実践的な手だてとして、「科学倫理学」といった研究・教育分野が注目されつつある。すでに具体的なテキストも編まれている(8)。同様に、スポーツの世界における不正/逸脱行為、特に若年層におけるドーピングの蔓延(9)を是正していくためには、単に薬物を禁止し、検査を強化するのではなく、スポーツとは何か、スポーツにおける不正/逸脱行為とは何かを根源から考える「スポーツ哲学」ないし「スポーツ倫理学」の構築が必要であろう(10)。
文献および註
(1)渡辺直経/伊ヶ先暁生(編)『科学者憲章』勁草書房、一九八○年、二頁。
(2)R・K・マートン(森他訳)『社会理論と社会構造』みすず書房、一九六五年、五○四−一三頁。
(3)科学における不正/逸脱行為については、本文で挙げたW・ブロード/N・ウェード(牧野訳)『背信の科学者たち』化学同人、一九八八年の他、A・コーン(酒井・三浦訳)『科学の罠−−過失と不正の科学史』工作舎、一九九○年や下坂英「科学者の“不正行為”について」『社会から読む科学史(講座科学史第2巻)』培風館、一九八九年、二九四−三一五頁、F・スペンサー(山口訳)『ピルトダウン−−化石人類偽造事件』みすず書房、一九九六年などを参照。
(4)小柳公代『パスカル 直観から断定まで−−物理論文完成への道程』名古屋大学出版会、一九九二年。
(5)中村禎里『科学者 その方法と世界』朝日選書、一九七九年、一九−二○頁。
(6)入口豊「スポーツとドーピング」、体育原理専門分科会編『スポーツの倫理』不昧堂出版、一九九二年、一○二頁。ところで、星飛雄馬(マンガ『巨人の星』の主人公)が鍛錬と肉体改造に用いた「大リーグボール養成ギプス」は、この定義に照らして、果たして(理学的)ドーピングに該当するのだろうか?
(7)同書、一○七−一一頁。
(8)Elliott, D. & Stern, J.E.(eds.), Research Ethics: A Reader, U.P. of New England, 1997.邦訳されたものとしては、米国科学アカデミー編(池内訳)『科学者をめざす君たちへ』化学同人、一九九六年やC・E・ハリス他著(日本技術士会訳編)『科学技術者の倫理−−その考え方と事例』丸善、一九九八年などがある。
(9)前掲、「スポーツとドーピング」一一三頁、および近藤良亨「“スポーツと薬物”をめぐる問題」、前掲『スポーツの倫理』、一二○−二頁。
(10)同書の他、R・サイモン(近藤・友添訳)『スポーツ倫理学入門』不昧堂出版、一九九四年など。