<書評>大場 淳(広島大学高等教育研究開発センター・大学論集第32集掲載)

「通産研究レビュー」編集委員会外編『大学改革 課題と争点』

(東洋経済新報社,2001年,431頁)

 

 本書は、経済産業省(元通商産業省)の内部組織である経済産業研究所(現在は独立行政法人)が、経産省の若手行政官を募って組織した「通産研究レビュー」編集委員会の第2回目の試行の成果として出版されたものである。編者には、同委員会の外、経済産業研究所長の青木昌彦氏、経済産業研究所研究部長の澤昭裕氏、資源エネルギー庁新エネルギー対策調整官の大東道郎氏の3氏が名を連ねている(職名はいずれも出版当時)。

 本書は、経済産業省行政官の外、大学を始めとする内外の様々な分野の研究者、合わせて20名によってオムニバス形式で執筆されたもので、「イノベーションを生み出す社会システム構築、産業人材供給システム再構築のため、大学はいかにあるべきかという観点から、大学改革の課題と争点の整理を試みたもの」(p. XX)とされる。出版社は、近年大学の動向に大きな関心を払っている東洋経済新報社である。なお、同社は、最近、同社が出版する総合経済ビジネス誌である「週間東洋経済」の2001/9/15号において、「本当に強い大学2002」と題した特集を組んだところである。

 ところで、我が国の経済産業界は、これまで大学には余り大きな関心を払ってこなかったと言われている。その理由として、我が国の大学の研究には魅力がないとか、大学と協力をするための手続が煩雑であるとか、人材養成は社内で行うから大学教育は学生のスクリーニングだけで十分などといった声が多く聞かれる。こうした大学の「不人気」ぶりは、各国の財界人等による自国の大学の人気投票でもあるスイスの経営開発国際研究所(IMD)の『世界競争力白書』(World Competitiveness Yearbook(2001年度版))の調査結果において、日本の財界人等が49国中49位と最下位にその大学を位置付けたことにも示されていよう。また、(社)経済団体連合会が2001年10月16日に示した「国際競争力強化に向けたわが国の産学官連携の推進〜産学官連携に向けた課題と推進策〜」においても、「わが国では、産学官の連携が必ずしも十分に行われておらず、これが日米間の産業競争力格差の大きな要因となっている」と指摘されているところである。

 財界人等の大学評価については、自己の経験のみに基づくものであったり、風評に流されるなどして必ずしも客観的なものではないと考えられる(喜多村和之氏は、当該調査結果について、私学高等教育研究所アルカディア学報No.44において「自虐的な日本人大学評価」と述べている)。また、大学人からは、大学は優れた研究成果を挙げていてそれは各種数値でも現れているのに(例えば、1999年の世界の自然科学発表論文数に占める各国主要大学のシェアでは、世界上位10大学中、東京大学が2位、京都大学が7位と日本の国立2大学が入っている)、経済産業界は日本の産業界の競争力の低迷を大学に求め、自己に最大の責任があるにもかかわらず大学をスケープゴートにしているとの不満の声も聞かれる。

 このような軋轢は、最新の日本高等教育学会編『高等教育研究』(2001)が特集テーマとして取り上げた「大学・知識・市場」の3要素の関係が変わってきたことに主たる原因を求められよう。すなわち、大学と市場の関係が知識を基盤とするものに移行してきた結果であると考えられるからである。本書は経済産業社会と大学の関係について、「大学知識」の生産やその移転などといった諸側面について客観的かつ科学的に分析を加え、改革の提言を試みたものと捉えられる。そして、当該軋轢についての一定の判断材料も提供されており、その点は後ほど紹介したい。

 さて、本書の内容についてであるが、先にも述べたとおり20名が執筆者として参加しており、それら全ての論文を個別に論評するには紙面が足りないので、以下に章題とその執筆者とを記し、その後に幾つか本書の論点を取り上げることでご容赦いただきたい(執筆者敬称略、まえがき及び序章を除く)。

第I部 高等教育・研究システムと産業発展の相互作用

第1章 近代日本における産業構造変化と教育システムの相互作用(橋野知子)/第2章 シリコンバレーの産業発展とスタンフォード大学のカリキュラム変遷(原山優子)/第3章 米国経済の復活と高等教育システム(奥家敏一)/第4章 戦前のイギリスにおける経営人材の育成と高等教育(西沢保)/第5章 日本の技術革新における大学の役割:明治から次世代まで(小田切宏之)/第6章 米国の技術革新における大学の役割(N.ローゼンバーグ)

第II部 産業人材供給システムと大学改革

第7章 企業の人材戦略の変化と大学教育(樋口美雄)/第8章 米国の大学における高等職業教育の成功(舘昭)/第9章 日本の大学生の数学力(戸瀬信之・西村和雄)/第10章 日本の理工系大学院教育の抜本的改革(清水聖幸・茂里一紘)/第11章 日本のビジネス・スクール:競争力再生のための人材育成に向けて(楠木建)/第12章 大学教育の職業的レリバンスと大学の組織設計(小林信一)

第III部 イノベーションを生み出す社会システム構築と大学改革

第13章 研究の創造性を生むチームの多様性(矢野正晴)/第14章 大学教員の流動性と学問的生産性(山野井敦徳)/第15章 大学教育・研究組織のオープン・アーキテクチャ戦略(国領二郎)/第16章 日本における産学連携の実態と利益相反問題(榊原清則・伊地知寛博)/第17章 研究組織の独立行政法人化と大学改革

 全体としては、この種の文献によく見られるように論文の水準にばらつきがあり、中にはこの『大学論集』の主たる読者層である高等教育研究者や学習者にとっては既に常識となっているような内容を書き綴っているものや執筆者の関係する分野だけを分析して大学全体の問題として論じているような論文も散見される一方で、大学の抱える課題について鋭い分析や改革に関する優れた提言を行っている論文が見受けられる。また、同様に、各論文の紙面が限られていることから、優れた論文の多くが、特に結論の部分において言葉足らずになってしまっていることが惜しまれる。そのような論文については、各執筆者の関連論文を読まれることを是非お勧めしたい。

 本書が出版されたのは国の機関の一部が独立行政法人化されたのと軌をほぼ一にしており、既に国立大学の法人化の検討も進められていた時期である。第17章で本書の編者でもある澤氏は、工業技術院研究所群を取り上げて独立行政法人化に当たっての改革の実践を報告し、更に私見として大学の独立行政法人化についての見解を述べている。澤氏の指摘する国立大学にかかる諸課題については、全部同じではないにしても文部科学省や多くの大学人と認識と大きく変わっていないように思う。このことは、当該諸課題について、平成13年9月27日に公表された「新しい「国立大学法人」像について(中間報告)」の検討対象に含まれていることからも理解できよう。

 その内容全てを紹介することはできないが、産学連携を取り上げれば、澤氏の論文は大学の組織、人事、予算など広汎にわたって問題指摘、改革提言がなされているにもかかわらず、大学がどのような企業とどのようにして協力すべきかが明確に示されていない。この点はむしろ、第16章で榊原・伊地知両氏が、「大企業から中小企業へという、産学連携における主役の交代があるように思われる」と述べ、更に両氏の属する科学技術政策研究所の行った調査結果が「@ベンチャー企業にとって大学の存在は重要性が高い、A大学との共同研究はベンチャー企業の業績に実際に寄与している」と報告していることの方が、示唆に富んでいると思う。

 この様に本書を読んでいくと、最初の方に述べたIMD調査結果において日本が極めて低い位置を占めた理由や経団連の批判の背景もある程度理解できよう。すなわち、近年、大企業が自社内研究に相当額の研究費を投入している半面(榊原・伊地知氏の論文によれば主導的企業の研究開発費は軒並み1千億円を超え、例示では4千億円を超えるものも散見される)、大学にはほとんど投資しておらず、更に産学連携の主体を降りているとみなされているのである。大学と関係の薄いそれらの企業関係者が行った評価であれば、それが低くなるのは当然であろう。また、榊原・伊地知両氏はOECD報告書引用しつつ、中小企業やベンチャー企業の役割が大きくなる形での産学連携の進展は世界的動向であると指摘し、それは知識生産システムの変容と対応しているとしている(この点は小林氏が執筆した第12章や同氏の著書も参照されたい)。そして、このことは、新しい知識生産モデルに適応できない大企業は消えていく運命をも予感させる。

 もし、日本の未来が産学連携に大いにかかっているのであれば、これからの関連施策はいかにして大学と中小企業との連携を促進させるかにあるべきであろうし、その実施主体である大学並びにベンチャー企業を始めとする中小企業をいかに政策の意思決定過程に関与させるかが重要ではないだろうか。この点、澤氏には立場があり、(大企業をないがしろにするようなことは)言えなかったのかもしれない。

 最後に、本書の論文には、大学院教育や教学組織、大学教員人事、管理運営組織等の在り方などについて様々な問題指摘や提言がなされている。必ずしも本書を通読する必要はないが、少なからず有益な論文が含まれていることを報告しておきたい。