RIHEメールマガジンNo.6(平成16年3月1日発行)掲載
フランスのエリート校の新しい入学者選抜制度
大場 淳
フランスの高等教育は、大学とそれ以外の高等教育機関(エコル)によって担われ、後者の中には社会的評価の高いグランド・ゼコルと呼ばれる学校群があることはよく知られていることである。そのグランド・ゼコルの中でも特にエリート養成校として知られるパリ政治学院(通称「シアンス=ポ」)が、2001年の新学期より、経済社会的に恵まれない地域である教育優先地区(ZEP)の高校出身者を対象とした特別選抜制度を設けた。
シアンス=ポに入学するには通常厳しい入学試験に合格しなければならないが、特別選抜制度は、ZEPに位置する提携高等学校(当初7校、今年度は18校)から推薦を受けた者の合否を面接のみによって決定するものである。この制度の趣旨は、入学者選抜を身に付けた知識の量に拠って行うのではなく、潜在的可能性に基づいて行うことにあるとされる。伝統的にシアンス=ポ入学者の多く(8割以上)は上流階級の子供で占められ、近年その傾向が強まってきたことから「社会的差別」として一部から非難を受けていたことも、当該制度導入の理由であった。
この新しい制度の提案に対して、歓迎する声がある一方で、試験は平等であるべきと提案を非難したり、入学者の質の低下を危惧したり、対象校が限られていることから「社会的差別」への単なる言い訳と見なしたりするなど、学内外の反応は様々であった。とは言え、特別選抜制度の提案はシアンス=ポ理事会で圧倒的多数で可決され、2001年新学期には本制度によって17人が入学した。しかしながら、一部の反対者は本決定の有効性について法令上疑義があるとし、その決着は裁判所に持ち込まれることとなった。裁判は2年以上かかったが、昨年11月、パリ行政控訴院は一部手続の不明瞭さを指摘しつつも本制度の適法性を認め、この争訟はほぼ決着した。
本制度が提案されてから既に3年が経過した。その間、当該制度によって3度に渡る入学者選抜が行われ計87人が入学し、ある程度その評価も行われている。当該評価は、多様化しているものの原則として機械的に平等な入試を行っている我が国の大学に対して様々な示唆を与えると思われるが、それについては機会を改めて紹介することとしたい。
シアンス=ポの中庭(平成16年1月30日撮影、メールマガジンでは配信されていません)
シアンス=ポへのリンク(http://www.sciences-po.fr/)
【追記(平成18年7月23日)】
シアンス=ポは、上に述べた特別選抜制度で入学した学生の状況をホームページで公開している。それによると、成績は一般入学者と較べて遜色がなく、また他の学生と同化(intégration
sociale)しているとされ、それについての学外からの受け止め方も肯定的のようである。その一方で、特別選抜制度の恩恵を受ける対象は限られており、当該制度は象徴的な行為にしか過ぎないといった批判も少なくない。しかしながら、こうした取組は全国的な広がりを見せており、他の高等学院(グランド・ゼコル)の多くで採用されるようになった。また、2005年1月17日、国民教育大臣等政府関係3大臣と大学長会議、高等学院会議、技術学院長会議は「卓越した教育への進学への機会均等のための憲章」を締結し、教育優先地区等に位置する高校の生徒を対象とする進学支援措置の拡大を図ることに合意した。2006年1月、シラク大統領は高等学院予備級進学者の三分の一を奨学生にするという目標を提示し、2006年秋の新学期に向けて国民教育省によって大規模な高等学院予備級進学キャンペーンが展開されている。
【追記(平成19年7月31日)】
2006年7月には、最初に入学した者のうちの修士課程登録者15人中13人が卒業した。2006-2007年度までに特別選抜制度で入学が認められた者は264名で、政府の拡大方針を受けて、2006年秋の入学者は75人に達した。特別選抜入学者の学業成績は一般入試を経て入学した者と同等とされており、更に全ての学年で成績上位群に位置する学生が複数存在している(Science-Po
(2006) Conventions
éducation prioritaire (CEP) – Bilan de l'année
2006 : Des résultats concrets, une ampleur croissante.
Auteur,
Paris.)。シアンス=ポは特別選抜制度によって多様な学生が入学したことを高く評価しているが、今後の本制度の進展並びにそれによって入学した者の卒業後の動向が注目される。
【追記(平成20年3月21日)】
本制度第一期生である2006年秋の卒業者の就職状況は良好であった。シアンス=ポの特別選抜担当者シリル・ドレ氏は、彼らが職を見付けるのには全く問題はなかったばかりでなく、多様性を求める一部の企業から非常に熱心な勧誘があったことを伝えている(2006年9月30日付フィガロ紙)*。特別選抜の対象校及び入学者は更に拡大し、2007年選抜では対象校は56校(前年48校)、合格者は95人(前年75人)に及んだ。2007年のグラール高等教育・研究担当大臣報告書(L'Enseignement
supérieur en France : État des lieux et
propositions)が述べるように、当該制度の対象範囲は限られ効果が限定的であることは否めないが、学外からは広く好意的に受け止められているようである。例えば、ジョルジュ・フルジ氏(ボルドー第二大学教授、高等教育研究会(RESUP)会長)は、雑誌(Le
Mensuel n° 6, juin
2006)の取材に対して、通常社会的・経済的エリートに限定されている教育を受ける機会を提供することは非常によいことであり、更に拡大すべきであると述べている。また、それぞれに方式は異なるものの、今日までに全ての高等学院(グランド・ゼコル)が特別選抜制度を設け(前述フィガロ紙記事)、格差解消に向けた取組の広がりが認められる。
*ドレ氏は、特別選抜制度について2006年秋に本にまとめている:Delhay, Cyril (2006) Promotion ZEP, les nouveaux élèves de sciences-po. Hachette Littérature, Paris.
(参考文献)
上原秀一(2007)「パリ政治学院、優先教育地区(ZEP)出身の初の卒業生」文部科学省生涯学習政策局調査企画課編『諸外国の教育の動き2006』国立印刷局、117-118頁。
園山大祐(2004)「フランス高等教育におけるアファーマティブ・アクションの導入─パリ政治学院の「多様性の中にみる優秀性」に関する一考察」日仏教育学会年報第10号、100-111頁