少しセンチメンタルな経歴書

昭和31年1月東京都北区生まれ

台湾で5歳から6歳まで

松山で小学校1年生(市立東雲小学校)

富山で小学校2年から高校卒業まで
富山市立西田地方小学校
富山市立南部中学校
富山県立富山高校

京都大学農学部(1974年4月〜1978年3月)
食品工学科・栄養化学研究室(満田久照教授、安本教伝助教授)
卒論の題目は、たしか「ラット小腸におけるペプチド吸収の機構」とかいうものだった。凍てつく京都の冬の夜、ギロチンで殺した頭のないラットのお腹の中に素手を入れ、小腸を引き出して実験に用いていた。ひどく恐ろしかったが、かじかんだ手に、ラットの内蔵のぬくもりが伝わってきたのを忘れられない。間違いなくこれが、僕の生物学の原体験になった。

京都大学ウイルス研究所(1978年4月〜1983年3月)
細胞ウイルス研究部門(川出由巳教授、宗川吉汪助教授)
当時、夢の抗がん剤、抗ウイルス剤として週刊誌をにぎわせていた蛋白質インターフェロン。その研究で世界をリードしていた研究室(の一つ)で研究のいろはを教えていただいた。具体的には、インターフェロンにによって細胞内に誘導され、細胞を抗ウイルス状態にするのに関与している2', 5'-オリゴアデニル酸合成酵素の生化学的研究を行った。この酵素は、ATPを基質にして、それをなんと2', 5'-フォスフォジエステル結合で重合させる。こんな酵素他に知らない!しかも、活性発現には2本鎖RNAとの結合が必要である。2本鎖RNAとしては、当時ポリI:ポリCを使っていたが、生細胞内ではどんなRNAがこの酵素を活性化しているのか、すごく興味があった。いまはわかっているのかも知れないけど、僕は知らない。当時は、遺伝子工学が哺乳動物細胞の遺伝子に応用され始めた時。インターフェロンは最初のターゲットになった。スイスのチャールス・ワイスマン教授のもとで、日本人研究者たち(先輩の藤沢順一さんも含めて)が遺伝子工学幕開けとなる研究を行っているのを、遠く京都でうわさ話を聞いていた。何か変わりそうな予感がしながら、遺伝子工学賛歌の嵐に対してひねくれ、反発していた。

山之内製薬中央研究所(1983年4月〜1988年11月)
インターフェロンで医薬品開発に興味を持ち、入った製薬会社で、結局、遺伝子工学の洗礼を受ける羽目になった。当時、サイトカイン類の遺伝子クローニングと医薬品への応用は、全世界の製薬会社の研究者たちが血眼になって競争をしていた。私も、この競争に否応もなく加わることになった。精一杯やったが、疲れ果ててしまった。結局、「会社員」をやめて「大学の先生」に転職することになったが、私にとってこの5年8ヶ月は「会社という組織」を良い意味で体験でき、得難いものを得ることができた---と信じている(本当だよ)。

広島大学総合科学部(1988年12月〜現在)
全く縁もゆかりもない広島の地に移り、のんびりと田舎生活を送るようになった。今や、わが息子は小学校で覚えたバリバリの広島弁でカバチタレるようになった。
最初、講師として着任した私は、ヒト骨髄性白血病細胞株HL-60の分化誘導時に、極早期応答する遺伝子のクローニングからスタートした。当時教授だった内山敬康先生は、多分僕の遺伝子工学の「腕」を買って、僕を採用してくれたのだろうと思う。そのころの仕事は、何とか形になり、一流誌に載ったりもした。しかし、またしても「へそまがり」の虫が目を覚ました。つまり遺伝子クローニング、シーケンシング、エクスプレッション、サザン、ノザン、---というおきまりの研究に嫌気が差してきた。当時は、生物学的な問題意識がなくとも、そのような技術を使った実験、ただそれだけで論文になった。でもどうしてみんなは、こうも決まりきった実験に満足するのだろう。何をどう進めるのかは全く決まりきっていた。労力とお金が違えば、進むスピードが違う----ただそれだけだった。(労力もお金もない地方大学の極小研究室では、どうしたらいいの?)実験キットを使いながらロボットになったような気がした。独創性とは何だろう?研究を楽しむとは何だろう?などと考えてしまった。当時の状況はそんなものだったと今でも思うし、当時の遺伝子工学に反発したのは、別に僕だけじゃなかったはずだ。そんな時、(つまり広島に来て3年後)、助教授に上げて貰った。その機会を利用して、がん細胞に見られる遺伝子増幅の問題にたいして、自分の思うように取り組んでみることにした。それ以来、現在に至るまでの約9年間、ずっとこの領域で研究を発展させてきたが、退屈したことはなかったし、充分楽しんできた。

キャンパスの移転(1993年3月)

ソーク生物科学研究所(カリフォルニア州、サンディエゴ;1994年4月〜1995年9月;1996年〜1999年の間、毎年夏

(2001年1月頃記す)

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