認知発達理論研究会 第1回例会 第5章 脳の発達(pp.179-232) rep.伊藤 崇 ◆本書全体の立場が「biologically oriented connectionism(p.18)」である。もちろん生物学的事実を重視しないコネクショニズムの立場もあり得る。「生物的」が意味するのは3点。1つが遺伝子の構造と機能を重視すること。2つ目が計算モデルを作る際に神経回路網の構造にできるだけ対応させようとすること。3つ目が行為の進化論的基礎に立つこと。(この段落は当日の報告にはありませんでしたが、重要だと思われるので追加いたしました。報告者記) §基本的な疑問 ◆何がどこで:局在性の問題  ある精神機能が脳のある部位に局在していることが明らかになっても、それが領域固有性を持つとは、あるいは生得的だとは、必ずしも言えない。 ◆脳の発達は、いつ、どのようにして起こるのか  神経系において相互作用し合うニューロン同士を考えると、一方が他方の環境になるし、外的な環境からの働きかけが起きないところでの活性化もありうる。これより、伝統的な、経験・生得、主体・環境といった単純な対立の軸は、実際に起きていることを捉えることはできない。また、前進的事象(シナプスの形成など)と共に、退行的事象(細胞死、シナプス減衰など)に注目する必要がある。 ◆「だれに」の問題:だれにとっても同じなのか  個々の脳の特殊性と普遍性を区別することは困難であり、「結果として同じ行動がさまざまな方法によって実現されうるということ(p.185)」が重要。 ◆結局、遺伝か環境かを脳機能の解明からすぐに回答を出すことはできない。「発達は上から下まですべてのレベルでの相互作用の結果」すなわち創発の結果と言える。ところが、通常の条件で現れる「表面的な普遍性」がシステムの多様性を見えなくしている。 §脊椎動物の脳の形成 ◆発生  増殖域において細胞が増殖する。その後新しくできた細胞に古い細胞が押し出されるようにして移動し(新しい細胞が古い細胞を追い越す移動もある)、最終的に脳の形状になる。 ◆2つの方向性を持つ構造:層と領野  層構造は、細胞の移動に負う部分が大きい。ところが領野の形成過程には不明な点が多い。こうした層・領野構造は予め「原地図protomap」のようなもので決まっているのか? ◆予定説の証拠:本来あるべき部位に移動できなくとも、本来のタイプに分化する細胞がマウスには存在する。また、分子レベルの相互作用で、他のニューロンとの結合構造が決まる。 ◆しかし、増殖域に脳の青写真のようなものはないようだ。可塑性はその一つの証拠である。しかし、視床と大脳皮質の対応が予定されていないにもかかわらず、通常、ある特定のパターンを形成するのはなぜか?それにはMolnar&Blakemore(1991)の説明がもっともらしい。 ◆まとめ ・哺乳類の大脳皮質の一般的構造はきわめて普遍的だ。 ・細胞・分子レベルでの相互作用が層を作り、ニューロン間の結合の大まかな形を決めている。 ・ニューロンが、生得的に自分の果たすべき仕事を知っているとは言えない。 §可塑性plasticity ◆可塑性とは、単なる損傷に対する補償的機能ではない。脳構造の本質的な柔軟性を示すもの。 ◆ヒト以外の霊長類および他の脊椎動物の発達初期における可塑性  たとえば、発達初期に、皮質の一部を別の部位に移植する実験(O'Leary&Stanfield,1985)がある。移植された皮質は,新しい場所に特徴的な投射構造と結合を形成した。  また,ラットの視覚皮質を体性感覚野に移植した実験では,近辺の皮質と同じ内部構造が形成されるのが顕微鏡的に観察された(Schlaggar&O'Leary,1991)。 ◆実験データの一般化の限界 ・成功したのは1次感覚野同士。別の、質的に異なるニューロン間では明らかでない。 ・新しい皮質が、周囲の皮質と完全に区別がつかなくなることはなかった。 ・実際の行動、知覚レベルでの影響は分からない。 ◆成体の可塑性:発達初期でなくとも成体でもかなり大きな程度で再編成が起こりうる。 §そして最後に、ヒトの脳 ◆ヒトなど大型哺乳類に特有な脳構造の特徴があるが、それらと他の哺乳類との差異は量や相対的な位置の差異であり、ヒトがそれまでの系統発生的進化で全く新しい神経回路構造や脳内化学物質を作り出したという証拠はない。ならばヒトの特殊性を、ニューロンの組み合わせや発達的なタイミングに求めるしかない。 ※逆に言えば、旧いリソースを使って、質的に新しい活動(言語など)が行われているということになる。 ◆加算的事象: 新しい構造が形成されること。ex.ニューロン結合  生後8〜10ヶ月の行動出現は、加算的事象との対応で説明がつく。しかし、その後の高次認知能力の発達は、加算的事象だけでは説明できない。生後3〜30ヶ月の間に見られるシナプスと脳容積の増加は、認知的諸能力を可能にしている一因だと言うに留まる。 ◆退行的事象: すでにある構造の消失。ex.細胞死、軸索の後退、シナプス縮退など  現象として選択的除去が注目される。過剰生産(加算的事象)と並行して起こる大きな相互作用。ある時シナプスが急激に増加し、そしてその中からあるものだけ残して急激に減る。こうした競合と選択は、大まかな限界が過剰生産で設定され、その範囲内で素材から最終的なものが形成される過程と考えられる。 ◆個体差: 双子ですら、著しい差異がある。正常な発達という言説に注意が促される。 ◆ヒトの脳における可塑性と(再)体制化  可塑性がある部位や認知機能もあれば、可塑性のない認知機能もある。可塑性があるのは、先天的な感覚剥奪状況や発達初期での損傷で、領野の構造が相補的に変化する(たとえば、先天聾者の聴覚野が視覚刺激に反応するようになる)。逆に可塑性がないのは、ウィリアムズ症候群やダウン症などで、特に、言語理解、運用で障害が残る。 ◆ヒトの成人に見られる領域による言語や他の高次認知機能の特殊化は、出生の時点では存在しない。ごく初期から領域ごとに存在する計算様式の違いを利用した、競合や連携の過程から次第に形成されてくるものだと考える。(p.230) §結論 ◆学習とは、脳の構造それ自体の変化だ。  ある特定の機能を持つ構造が生得的に局在を予定しているわけではない。 ◆大脳皮質は、自己組織的器官であり、可塑性を持つ。  遺伝子が、皮質の構造を分子レベルで規定しているだろう。しかし、経験に敏感であり、その柔軟性の結果現れた構造は遺伝が規定するものとは言えない。 ◆神経系を説明するのにシミュレーションは有効か?  モデルと実物の類似性は十分だと思われる。 <<報告者が読みながら感じた問題>> ・生物的な変化と、心の発達の双方を捉える際の共通点と相違点はなんだろうか? ・本章を通してニューラル・ネットワークは常に孤独だった。あるニューロンは常に他のニューロンの環境になる。では、極めて類似した構造を持つ2つ以上のニューラルネット(ヒト)同士が相互作用し合うことは考えられるのか。一方のニューラルネットをただの環境と捉えるか、それとも構造の類似性に何か特殊な機能があるのか。 <<研究会で議論された点>> ・2つの構造が似ているということで得られるメリットもある。たとえば、他者というものの理解はそれに負うのかもしれない。 ・シミュレーションの議論の1つの方法として、脳に近い構造を予め用意して、そこで何が学習できるのか、また何が説明「できない」のかを明らかにするやり方がとられる。 ・現実の心理現象とシミュレーションの結果を対応させるときには、明らかにしたいことによって説明のレベルが異なるので注意すべきだ。 ・脳の構造とモデルは対応しているのか? -----------------------------------------------------------------End