認知発達理論研究会第1回例会(於:国立教育研究所) エルマン J. 他 乾敏郎・今井むつみ・山下博志(訳) 1998 認知発達と生得性 ―心はどこから来るのか― 共立出版 (Elman, J.L., Bates, E.A., Johnson, M.H., Karmiloff-Smith, A., Parisi, D. & Plunkett, K. 1996  Rethinking Innateness: A connectionist perspective on development. MIT Press.) 第7章 生得性を考える (Rethinking Innateness) 松本 博雄(中央大学大学院文学研究科)  第7章は本書のまとめにあたる章で、はじめに「生得性」ということについ てのこれまでの論を整理しつつ、「表象レヴェルの生得主義」に反対する筆者 らの立場が規定されている。続いて「表象レヴェルの生得主義」の代表的な主 張として言語に関する問題を取り上げ、それに対する筆者らの立場からの再評 価が試みられる。最後にこれからのコネクショニスト=アプローチの展望につ いてが述べられる。   ◆これまでの議論から  章の冒頭で、これまでの議論から筆者らが強調してきた点が改めて列挙され ている。問題の中心として提示されているのは、「知識はどこからくるのか」 という疑問、そこから考えられる「自然」と「環境」との相互作用の内容につ いて、その中での「生得性」ということばの用いられ方である。  筆者らの立場は以下のとおりである。 1)生得性のメカニズムと内容の区別に関して(最重要点:メカニズムと内容 は同じではない!) ◇高次の認知行動を考えるとき、両者(メカニズムと達成される内容)の間に 一対一対応を仮定する必要はなく、殆どの領域固有の結果は領域普遍の手段に より達成されると考える。    生得性を理解する上で、そのメカニズムと内容とを区別することが最も重要 である。  ←この区別がなされてないが故に「原因の領域固有性」と「結果の領域固有 性」とが混同されてしまっている。  「ある結果が生得的である」→発達が一つあるいは複数のレヴェルで制約さ れるということ。(第1章p.19)  生得性のメカニズムについて考察するにあたって、制約の働くレヴェルを i)表象、ii)アーキテクチャ、iii)タイミングの3つの重層的なレヴェルに区 分した。  これまでの脊椎動物における脳の発達についての研究を考えると、皮質レヴ ェルでシナプス結合が生得的に規定されているということはほとんど考えられ ない(第5章)。 →表象レヴェルの生得性は正しい考え方ではない。ii)/iii)のレヴェルのみ からなる制約を考える必要があるが、コネクショニズムの考え方はこの上で非 常に有効である。  また、内容とメカニズムは論理的には別物であり、ある特別な現象(行動) がみられたからといって、それに対応して特別のメカニズムの存在を仮定して よい、ということにはならない。つまり、ある行動が他の行動様式と非常に異 なっているということを示しただけでは、その行動を学習・算出するメカニズ ムの特殊性を示したことにはならない、ということである。   2)メカニズムと行動の関係の非線形性 ◇線形的関係であるとは考えないので、小さな変化によって非常に大きな効果 が生み出されることがある。  行動に大きな変化が生じた際には、その原因としても大きな内部変容(例え ば新たなメカニズムの誕生や喪失)が考えられがちであるが、「累積的に作用 していく単一のメカニズムは、急激な外的変化を行動レヴェルでつくり出すた めに急激な内的変化をする必要はない(p.265)」。単一のメカニズムが異なる 時点で非常に異なる行動を産出するという例は数多く存在する。→(英語にお ける過去形の学習の例;?)  また、変化の原因は変化自体と遠い距離にある場合もある。→変化が起こる のは我々が変化に気づく瞬間とは限らない。 →外部観測と内的変化の区別。  行動における質的変化は背後にあるメカニズムの質的変化であるとは限らな い 3)事象(行動)と原因との関係 ◇単一の事象もしくは行動と一見思われるものが、実際には複数の原因の所産 として成立している場合があり、その原因のうちいくつかは時間的にも解離し たものである場合がある。  結果が単一である場合もまた同様に、その原因は単一のものであると考えら れがちであるが、実際には単一の事象が複数の相互作用するメカニズムによっ て産出されているということはよくあることである。→(ひよこの刷り込みの 例;第6章)  また、全く同一の事象は様々な方法で生成されうる。 4)「知識とは何か」 ◇知識とは「脳におけるシナプス結合の特殊なパターン」 →すなわち、高次の知識で生得的なものは存在しないと考える。    「知識」とは行動を支える表象であり、「表象」ということばの操作的定義 は脳(細かくはシナプス結合のパターン)とニューラルネットでその中を満た すことができる(could be implemented)もののことである。 →この定義のもとでは、子どもは上記の制約論における表象以外の層からの制 約も強く受けることになる。その制約が特別な知識の産出にも貢献しているこ とがありうる。 知識それ自体は生得的とはいえず、その発達の為には適切な相互作用が必要。 →「知識」の概念の定義の必要性に関する主張 5)「知識獲得」とは ◇知識獲得の本質は発達プロセスそれ自体であると考える。複雑な行動を獲得 する為には必ず発達のプロセスを経なくてはならない。→表象レヴェルの生得 主義の否定 「そもそもなぜ発達が生じるのか」;発達が起こらなければならない理由につ いて →i)発達の期間が長いということは、発達する生物に対して環境が働きかけ る期間がより長いということである。  ii)最小限の遺伝子における書き込みから、成体における複雑な行動へとど うして至ることができるのかという問題にとって「発達」が鍵となる。 6)コネクショニズムを適用できる領域 ◇コネクショニズムは、創発的形態と複数のレヴェルでの制約の相互作用を理 解する上での概念的な枠組みとなりうる。しかしながら現時点でコネクショニ ズムによってはモデル化が困難である現象が、一方で発達において数多く存在 することも事実である。  7)現象の分析 ◇現象とは創発のプロセスであるとし、コネクショニズムは創発形態がどのよ うな条件下で出現し、どのようにして制約されるかを考える概念的ツールとな りうる。  コネクショニスト・アプローチは純粋な脳のモデリングと純粋な認知モデリ ングとの間の中間的な立場に位置する。 →認知プロセスの多くは脳それ自体の詳細なメカニズムに比べて単純化された モデルで考えないと扱うことは不可能である。中間的なモデルを採用すること で認知的な問題に関連する学習と変化の抽象原理を見いだしながら、そのモデ ルの神経回路における妥当性を検証しようとするのが筆者らの立場である。 ◆「表象的生得主義」に対する反論  第2番目の節(「だれが反対するだろうか」)においては、現在においても 有力であるいくつかの代表的な表象的生得主義(生得的領域固有)論を取り上 げ、改めてその問題点を指摘している。それは以下の3つである。 1)「知識」ということばが非常に曖昧に定義されている。 2)生得的主張の内容としてどのような神経メカニズムを仮定するのかが明ら かになっていない。生得性の水準が明らかになっていない。 3)脳の発達を考えると、例えば普遍文法が直接遺伝子に書き込まれていると 考えるのは難しい。    この中で領域固有論的・生得論的主張がもっとも詳細に研究され、かつ最も その主張が支持されている分野である言語に関する議論について、筆者らの立 場から次の12の問題に対し再検討が試みられている。 1.種特異性  人間だけが文法を完全な形で学習し、使用することができる生物である。こ のことから、(表象的生得主義の主張のように)文法そのものが遺伝子の制御 を受けているといえるだろうか? →行動は表象的な前提が一切存在しない状況での多くのレヴェルでの相互作用 の結果である場合がある。それが領域固有の生得的表象によるものであるとい うためには、遺伝的変異と文法使用機能の間に特別の関係が示される必要があ る。 →言語障害の例の場合、このつながりは示されるか否か。 2.遺伝的背景を持った言語障害  ロンドン・KE家の言語障害の事例・SLI(言語特異性障害)の事例。 →遺伝的基礎を持つ領域固有性の高い文法障害として紹介されている。  しかしながら、実際にはこれらの資料は障害が言語もしくは文法機能のみに 限定されていることを示していなかった。→文法遺伝子を仮定する必要がな い。  人間は、その他の言語を持たない種とほぼ100%の遺伝子を共有している。 (参照;第1章p.9) 3/4.局在性  局在性と生得性は同一のものではない(第5章)。 →チェスの事例;脳の特定の領域が反応するのは、大量の経験により進行する 特殊化の結果である。  しかしながら一方で、局在性は表象的生得論の証拠の一つとしてこれまでに 用いられてきている。(←生得的システムはそれ自身に割り当てられた特定の 神経構造・領域を受け継いでいるという推論から) →では、人間の脳は出生時に文法の表象と処理だけに関与する特別な場所を持 っているといえるのだろうか。 ◇損傷研究の事例  当初はブローカ失語とウェルニッケ失語の例から、文法野と意味野がモジュ ールとして分離されていると考えられてきた。しかし現在ではこれに対し様々 な方面からの反証例が提示されている(p.278-279)。 →文法的な知識は広く両半球にまたがって分散していると考えられる。  ◇通常の脳における脳活動の記録による文法の研究  ほとんどの言語課題において右半球に比べ左半球でより強い活動が見られる ものの、音韻・意味・文法の処理に対して左半球のどの部位が最もその中心的 役割を果たしているかについての意見はほとんど一致していない。   →出生児あるいは発達途上のいかなる時点においても明確な境界をもった言語 固有の領域は存在しない。現時点の実験的証拠から、子どもが言語処理に関す るあらかじめ定められた固有の神経機構をもって生まれてくる(言語の局在 性)という考えを支持することはできない。 5.構造的特異性  言語は他の行動システムと異なった、一般的な学習・認知のメカニズムでは 説明できない不明瞭・恣意的で特異な構造を持っている。このことからその基 礎にある学習・処理の過程が言語に特異であるといえるだろうか? →構造的な特異性の存在は、それを導く制約のレヴェルやその領域固有の特性 を特定するのに何ら手がかりを与えるものではない。このような特異性は、表 象レヴェルの制約に依存せず(領域中立的な)構造的・時間的なレヴェルの制 約によって生じる可能性もある。 6.刺激の不十分性  文法規則の一般化に至るまでの入力を子どもは十分に得ることはできないと 考えられることから、文法を生得的なものと考える論。 →そもそもこの「刺激の不十分性」における学習の構えについての仮説 (p.282)自体が人間の子どもにおいては成立しないものと考えられる。 7.普遍的特性  異なる言語における多くの共通性・普遍性が自然に生じるはずがないと考 え、それをもって生得性の証拠とする論。 →明確に定義された問題に対し、異なるコネクショニスト・ネットワークが同 じような解へと至る例がいくつもある。同じように見える解は、それ自体が問 題空間の構造に含まれているものであると考えられる。すなわち、メカニズム が問題を解くのに適当な制約条件を持っていればこの種の解は得られるもので ある。 8.処理のモジュール性  言語処理のいくつかの側面における自動的な処理から、言語におけるモジュ ール性が指摘された。このモジュール性も生得性の証拠として引用されること があった。 →どのようなスキルでも十分な練習が積まれれば「自動的」なものとなりう る。モジュール性はあらかじめ存在するものではなく、学習の結果次第に形成 されていくものと考えることもできる。 9.解離  言語がその他の認知システムから発達的に解離できることは、神経生理学的 なレヴェルでなく心的体制のレヴェルにおける生得的・領域固有的な境界を反 映しているとする論がある。 →解離それ自体が表象的生得性に対する証拠にはならない。解離現象にはさま ざまな説明が可能で、生得的構造や領域固有の内容の局在のない解離も存在す る。 10.成熟過程  言語特有の成熟過程から、言語が遺伝的に決められたタイミングで成熟して いるのではと考える論がある。 →言語における成熟過程・学習過程は必ずしも特有のものとはいえず、コネク ショニスト・モデルによって示される通常の学習における現象の一つとして考 えることができる。 11.臨界期  臨界期の存在が固有の言語領域存在の証拠として主張されることがある。 →可塑性のある非線形ネットワークにおいては、学習によってネットワーク自 体の構造に変化が生じ、ネットワークの重みが一つのパターンに固定してゆ く。この時点を越えると、ネットワークは可塑性を失い新しい課題に対応する ことはできなくなる。つまり臨界期現象と酷似した現象が生じるということで ある。 →臨界期現象の説明に、特定の遺伝的要因による学習能力の変化は必ずしも必 要であるとはいえない。 12.頑健性  極端な環境下でない限り必ず言語が獲得されるという現象(言語の頑健性) が、言語の生得性の証拠として主張されることがある。 →このような現象の説明に言語の生得的性質は必要とされない。  子どもにこの問題を解こうとする動機が育ち、この問題を解くための道具を 持って生まれていることが重要である。 ◆今後の展望  最後に、コネクショニズムを用いて発達モデルを構築したり、発達に関する 仮説を検証していく上での今後の展望として、次の5つがまとめられている。 1.現状のコネクショニスト・モデルはかなり課題を限定した、単一の目的を 持ったモデルとして構成されているものが多い。実際の複雑な人間行動の発達 を研究するためには、モデルが「互いに調整され統合された行動を必要とする ような複雑な環境において複数の行動を実行する能力をもつモデルでなくては ならない(P.288)。」→より広範な発達的・生態学的妥当性を持つことが重 要。 2.現状のモデルの多くは学習に対して受動的であるのに対し、実際の子ども は能動的であり、目的を持って行動・活動している存在である。これらのギャ ップを埋めるには系統発生(進化)の問題を考慮に入れる必要がある。 →「われわれは多くの基本的な目標志向的な行動は、学習したり、教えられた りするものではなく、進化によるものだと考えている。(P.289)」 3.社会的存在である現実の子どもと同様の、社会的なネットワーク共同体の なかでのモデルを考える必要がある。 4.新たな計画や推論・理論構築自体を行うことのできるモデルを考える必要 がある。 5.脳全体を(もしくは脳内の複数部位を)想定した、それと対応するモデル を発展させる必要がある。 **************** <報告者より> ○(認知)発達における規定要因を考えたとき、これまで様々なレヴェルで用 いられてきた「生得性」ということばの概念を整理し、そのどの部分を分析・ 説明すればよいかを、神経メカニズムからの学習モデルによる観点から改めて 限定・整理したことにコネクショニスト・アプローチの意味があるのではない だろうか。 ●コネクショニスト・アプローチで考えられている普遍性―固有性の分類、制 約に関する層構造とそれに関するモデルと、領域固有論者の問題にしている層 とはかみ合っているのだろうか。例えば、領域固有的な考え方のなかでは手段 ―結果の区別はどのように考えられているのだろうか。 →本章で議論の対象として繰り返し取り上げられる「領域固有論」の考え方に ついての理解は適切かどうか。 ●発達の中の一領域「認知発達」における一つの説明原理・枠組みを提供して いる。一方で筆者らも指摘しているとおり、「発達理論」ではないのではない か。 →「発達理論」として考えたとき、「展望」の2/3における問題を含みこむ モデルである必要があるのではないだろうか。 以 上 *******レジュメおわり*******