「反テロ戦争」後のイラク情勢(広島市立大学平和研究所Hiroshima Research News, Vol.7 No.2, November 2004)
昨年5月初めのブッシュ米大統領による「戦争終結」宣言後のイラクは惨憺たる状況にある。米軍兵士戦死者は戦争中(40日間)の140人を大幅に上回り、「戦後」1年で既に900人(負傷者5,800人)以上にも達する。さらに悲惨なことに、開戦からこれまでにイラク民間人死者数は11,000人をはるかに越える。戦争中より戦後、戦闘員より非戦闘員に人的被害が多いことが特徴的である。
これを、戦争には誤算はつきものなどと簡単に片付ける訳にはいかない。それはむしろ当初から予想されたイラク戦争の孕んだ矛盾に関わっている。ブッシュ政権は戦争の大義としてイラクの大量破壊兵器開発、アル・カーイダとの関係および人権抑圧の独裁ぶりを指摘した。だが、前二者の証拠の希薄さは既に明らかである。最後の点でさえ、米軍による「テロ」容疑者への容赦ない逮捕・投獄、「テロ」関連施設と見なされた住宅・モスクなどへの急襲、誤爆を含む無実の人々の殺傷、アブグレイブ刑務所での囚人虐待を考えれば、多国籍軍の行動は人権・人命軽視においてフセイン政権に引けを取らない。
確かに、多くのイラク住民は独裁からの解放に歓喜した。しかし、駐留米軍が「テロリスト狩り」に専念し、連合暫定当局(CPA)と米系企業がイラクの石油資源開発と復興関連の利権漁りに腐心するなかで、現実を解放から占領・支配への移行と受け止めるイラク人が急増しつつあることは間違いない。当然、多くのイラク人は占領に関わる外国政府指導者が口にする「イラク国民のため」というクリシェイをもはや虚言と見抜いている。
フセイン独裁体制の打倒後、当初各地で発生した自爆攻撃や誘拐・人質事件は「サッダーム戦士団」関係者や前政権支持者、戦中・戦後の混乱期に紛れ込んだ「アル・カーイダ」・メンバー(例えば、「タウヒード・(ヴァ・ジハード)」)などスンナ派ムスリム系組織によって行われた。だが、今年3月以降は国民の6割を占めるシーア派の抵抗運動が激化している。占領に対する不満がイラク諸都市で渦巻くなか、多国籍軍は疑心暗鬼に陥っている。そこでは、「平和と正義」を掲げつつ、占領政策反対派を悉く「テロリスト」扱いする好戦的姿勢が顕著である。
アフガニスタンの状況はイラクの場合と異なる。米英指導部がターリバーン政権の政治的、軍事的対抗馬としての北部同盟を利用した結果、暫定政権への移行は曲がりなりにもスムーズであった。部族集団内の「ロヤジルガ」(国民大会議)の伝統的議決システムとイスラームの価値・諸制度が尊重され、部族自治や軍閥有力者間の権力バランスに大幅な変更が加えられない限り、当面アフガニスタンの政局に深刻な混乱はないかもしれない。
他方、第一次大戦後の英国によるイラク建国は地盤沈下の敷地上に無理矢理に家屋を建てたに等しかった。「国民不在」に加え、民族的、宗教宗派諸集団と部族諸集団間の調整を図る制度もない。新秩序の模索段階にあるからこそ、権利拡大を要求する政治集団が後を絶たない。今年6月発足の暫定政府指導部、シーア派宗教権威A.シースターニー、武闘組織(「マハディー軍」)を率いるM.サドルやクルド系組織指導者、その他如何なる政治家にとっても、平和裡のイラク再建計画の実施は不可能に近い。
石油資源の確保のために、既に80年近く経過した「中東諸国家体制」再編さえも視野に入れ、「反テロ戦争」という無謀な冒険を開始したブッシュ政権とそれを支持する政府指導者たちには戦争こそが最大の「テロ」、すなわち「戦争テロ」と見なす理性はない。「テロ」という“亡霊”に向けて乱射しても雲散霧消しないのは、それを生み出す米国自身の問題であるとの認識も欠いている。今後、イラク情勢が如何に推移しようと、中東の政治情勢は静かに、だが着実に流動化し、新たな9.11を引き起こすことにもなろう。
美名の下での域外(欧米)勢力の破壊的介入と再編強制は紛争の絶えない中東情勢、特に悲惨なパレスチナ問題を生み出した。世界が「反テロ」・ムードに引きずられ、新たな「発火点」を抱えた今、国連の政治的指導力だけでなく、第二次大戦でのアジア侵略と広島・長崎での被爆という二重の戦争の悲劇を経験した日本の平和希求の神髄も試されている。