忘れ去るべき「八月六日」 (『中国新聞』2005年10月4日朝刊)            
 このような表題を見れば、被爆者や広島市民でなくとも、「何をバカなことを!」と憤慨するに違いない。だが、敢えてこうした挑発的表題を付けたのは、日頃核廃絶や世界平和へ向けた市民運動に従事している「ヒロシマ」市民・県民は別にして、多くの人々が残る三六四日間、戦争下に暮らす人々の痛みや苦しみに鈍感でありはしないか、「八月六日」が逆に「特別な日」故にそうした無関心を助長してはいないかと憂うからである。
 私は様々な場で中東問題について講演し、またそうした講演会の主催者側のひとりとして活動することもある。どれだけの市民・県民が泥沼化したイラク、パレスチナなどの中東政治情勢の深刻さを理解していようか。政治的問題として、最初から敬遠する人も多い。しかし、核兵器廃絶も政治から切り離された道徳論で達成できはしない。如何なる政治的立場を採用するにせよ、政治問題への議論を恐れてはならない。核兵器使用前に戦争があり、戦争前に平和への政治的無関心もある。「八月六日」を風化させないために、未来を見据えた世界平和の政治的立場の選択がひとりひとりに求められている。

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