『アラヤ識の掃除』
このごろ私には、新しい趣味ができました。それは、なかなか香り高い趣味ですが、ちょっと勇気がいります。いったいどういう趣味なのかといえば、トイレ掃除です。

ときどき「掃除に学ぶ会」に参加させてもらって、小学校や中学校のトイレを磨いています。毎回、広島大学の学部生や大学院生も巻き添えにして、出かけます。日本を良くしたければ、トイレ掃除から始めるのが、近道だと考えているからです。

他人が汚したトイレは、触りたくないものの筆頭です。それを素手で、スポンジやメッシュを使いながら、ピカピカにしていくのです。それは、ボランティア活動としてやる行為ではなく、精神修養に近いものです。

組織的なトイレ掃除運動を始められたのは、イエローハットの創業者である鍵山秀三郎氏ですが、最近、雑誌の対談のために、東京でお会いする機会がありました。私は鍵山氏のことを「現代の孔子」だと考えていますが、お会いしてみれば、「謙虚」が地上を歩いているような人物でした。

トイレ掃除の効能は、「アラヤ識の掃除」にあります。アラヤ識とは、人間性のもっとも深いところにある普遍無意識のことです。かつては仏道修行も「アラヤ識の掃除」になりましたが、今は形式主義に陥り、あまり効能がありません。

それよりも、オシッコ・ウンコがこびりついたトイレを磨くほうが、「アラヤ識の掃除」になります。その証拠に、トイレ掃除が機縁で、非行少年や暴走族がまっとうになった事例がたくさんあります。百の説教よりも、一のトイレ掃除です。自分の手で磨いたピカピカのトイレは、彼らの潜在意識にあるトラウマを癒してしまうのです。

「アラヤ識の掃除」ができると、ファッション、嗜好、交友関係など変わり始め、究極的には人生が好転します。ヴァスバンドゥ(世親)が「暴流の如し」といったアラヤ識が大円鏡智に一歩近づくからです。最近、『人類は「宗教」に勝てるか』(NHKブックス)を著して、私の宗教学者としての本音を世に問うことができたので、次回は『人類は「トイレ」を磨けるか』という本でも書こうかと思っているこのごろです。