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三週間にわたって、ノルウェー、オランダ、ウガンダを旅してきました。今は日本に飛び立つフライトを待って、アムステルダムのスキポル空港近くのホテルに滞在しています。 ノルウェーではオスロ国際平和研究所の招きで、年次共同研究会に出席しました。テーマは「戦争倫理」というもので、各宗教がいかに戦争を正当化してきたかを史料に基づいて調査し、その研究成果を来年、ケンブリッジ大学出版局から一冊の分厚い本として出すことになっています。私は、アジアの宗教を担当しています。 研究会のあと、オスロから数時間の列車の旅をしましたが、車窓から見える自然風景は、まるでお伽の国のように美しく、永住してみたいような場所があちこちに見つかります。しかし夏でも大氷河が山を覆っていますので、長い長い冬には恐ろしく寒くなるのでしょう。 それから、スカンジナビア半島最大のソグネ・フィヨルドを船で旅しました。全長が200キロあまりで、最深部が1300メートルもあるそうですが、前回と同様、イルカが泳いでいるのを目にしました。中世の美しい町ベルゲンで一泊し、オスロに戻りました。 次にオランダを訪れ、北欧と比べると活気に満ちたアムステルダムの町を散策しました。同性結婚、安楽死、マリファナ使用などが合法化されている国だけあって、オランダ人はいかにも個性的です。ゴッホ美術館でゴッホの自画像を見ながら、彼に心酔したという棟方志功のことなどを考えました。 郊外には風車と運河が点在し、牧歌的な風景が広がっています。海抜マイナスの湿地帯から一つの国を作ってしまい、強大な軍事力を背景に大帝国を築き上げたオランダ人が今静かに暮らしている様子は、何か日本に示唆するものがあるように感じます。 ライデンの町は一層、運河と風車が美しく、そこをゆっくりとサイクリングしましたが、名門ライデン大学では、四国遍路を徒歩で三度もやってのけたという珍しいオランダ人学者に偶然会いました。しかも彼は、拙著「法然対明恵」を参考にしながら、明恵上人についての博士論文を書いているというので、二度驚かされました。 それから、いよいよ赤道直下のウガンダに飛びました。まずアムステルダムから10時間かけてケニアのナイロビに飛び、空港で何時間か待たされたあげくに、やっと乗り継いだ飛行機がウガンダのエンテベに着いたのは、真夜中でした。 翌朝、まぶしい太陽光線に起こされ、赤い大地と真っ青な空にアフリカを感じました。首都カンパラに移動し、世界最大のビクトリア湖畔に、土嚢ハウスによるエコ・ビレッジを建設中の天理大学の先発隊に合流しました。大規模な計画に着手したばかりですが、自分の夢を実行に移した井上昭夫教授の行動力には脱帽です。地元のマケレレ大学の学者たちとも交流を深める機会に恵まれました。 内戦、エイズ蔓延、貧困と問題が山積しているアフリカですが、その問題を持ち込んだのは、ぜんぶ欧米の列強国です。ですから、アフリカの人々が自分たちの文化と習慣を大切にしながら、平穏な生活を取り戻せるように応援する責任が先進国にはあるのです アフリカでは盗賊が多いと聞いていましたが、たいていの人は心優しく、眼が澄んでいました。中国やインドのように、お金をぼられる心配も、まったくありませんでした。数万キロ先のエジプトに流れるナイル川のゼロポイントでは、鳴門の渦潮のように勢いよく伏流水が湧き出ていました。 森林保護区で、地元民に草木染めを教え、自活を援助している若い日本人女性にもお会いすることができました。そういえば飛行機の中でも、タンザニアの無医村地帯で医療奉仕をしているというアメリカ人家族にも会いました。「人の役に立つ生活ほど、心満たすものはない」という奥さんの言葉が、とても印象的でした。家のまわりには、キリンやシマウマが徘徊しているそうです。 私はいつも「草の根の良心」に期待しています。政府やエリートが社会を動かしているわけではありません。むしろ、彼らは一般市民を搾取するようなことを平気でやってのけます。自分というものをしっかり持って、勇気ある生き方をしている人たちが、これからの地球を救うのです。 私は今も『「ジブン」という幸福論』という本を書き続けていますが、結局、「生かされて、今ここにいる」ジブン以外に、帰りつくところはないというのが、この長い旅を終えるにあたっての私の感慨です。End |